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光明本尊

Img_7903真宗連合学会のために、北大路の大谷大学へ。

この学会も、大谷大学も久しぶり。

講演は、名畑崇先生の「真宗のすがた~光明本尊の出現」

Img_7893光明本尊といえば、本願寺系統でなく、仏光寺系だけのように思っていたが、聖人在世時より、すでに作製されていたという。

中央に、「南無不可思議光如来」と大書きされて、三十四条の光明を放っている。

Img_7894両脇の「南無阿弥陀仏」の六字と「帰命尽十方無碍光如来」の十字からも光明が放たれ、

釈迦、弥陀二尊の立像からも光明が放たれている。

Img_7896左側に、大勢至菩薩と、インド・中国の九人の高僧。

右側は、聖徳太子とその眷属。

Img_7902その上に、源信、法然の日本の七高僧に、法然聖人の高弟である聖覚法印と釈信空、そして親鸞上人(ママ)と、同格で「釈真仏」が描かれ、その上に真宗の有力門徒が多数描かれている。

今回の講演では触れられなかったが、この形がもとで、それぞれが独立し、純化されたのが、今の浄土真宗の内陣だという。中央のご本尊は、木像でも、絵像でも、また名号でImg_7899も、弥陀一仏。親鸞聖人と、歴代門主(もしくは蓮如上人)は脇で、余間に、聖徳太子と七高僧が安置されている。

つまり、門弟中心の教団から、覚如さまから蓮如さまへと、親鸞さまの血脈である本願寺が勢力をもつ過程で、真仏以下の門弟が排除されて、本願寺の歴代門主に代わった。あと、七高僧も、親鸞聖人のお正信偈や高僧和讃に沿って七名に限定されて、天親菩薩と曇鸞様をつなぐ、菩提流支三蔵、善導様の後継者である懐感、法照、少康様が外されていく。

その中で、注目は、「釈迦如来」である。

実は、今回の講演で、光明本尊は、浄土真宗の信仰の形を現していること。そして、「興福寺奏状」にある、専修念仏の者が、弥陀一仏のあまり、仏教の祖である釈尊を蔑ろにしているという批判に対する答えでもあるというのである。

それは、上下の讃文にもあられわている。
下段の冒頭に、大経の「出世本懐」文が出されて、それに続いて、十二願、十三願、十八願、十一願文が続いていく。上の段も、親鸞聖人の正信偈は「如来正意興出世 唯説弥陀本願海」のところが引かれている。つまり、けっして、釈尊を蔑ろにはしていない、お釈迦様の出世から始まっているという表明だというのである。

しかしながら、結局、釈迦如来像は、阿弥陀如来に吸収される形で、今日の真宗のお仏壇には安置されていないのである。
聖徳太子(和国の教主)は生き残ったのに、それは何故なのかというところまでは言及されないまま、時間切れ。

終了時間を勘違いされていて、これからというところで終わってしまったのは残念。

博物館に現物が展示されたが、とても保存状態もよく、美しくて感心させられた。

余談ながら、小さいながら大学の雰囲気もよかった。

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