高山支部法座~一願 南無阿弥陀仏~
新緑の中での高山支部法座。
子供たちも同乗し、仏青からも二人加わって、6名で高山に向かう。
今回は3座で、「四十八願」を通して一願からすべて通説する法話を考えていた。
聖典講座で、3日間かけたものを、わずか3座でするのは、少々無理はあるが、それでも、皆さん、聞いたことのない四十八願の一願、一願の願文を味わってもらうことで、法蔵菩薩の願のおこころに触れてもらいたかった。
四十八願を順次に沿って、大きく3グループに分けて味わう見方をとりながら、一願、一願を味わっていった。
四十八願は、法蔵菩薩が、世自在王仏の身許で、衆生の「生死勤苦の本」、つまり私の迷いの大本から抜き取り、救ってやりたいとの大悲一心で、五劫の間、ご思案されて、諸仏にご自身の正覚をかけて誓われ、そして私のためにこれだけの願いをかけてくださったのである。もちろん、誓願をおこされただけではない。この後、兆載永劫という果てしない歳月をかけてご修行をなし遂げて、この一願、一願を成就されていくのである。
そんな四十八願をひとつひとつを、短時間で窺っていくのである。それに、真実五願や三願転入の十九、二十、十八願などは聞いてことがあっても、他に、どんな願があるのかは、ほとんどの方はご存じない。厳密ではないが、願文にも順序があることも、皆さん、新鮮に驚かれている。
だが、さすがに、四十八願すべてとなると、聞いておらもる方も、だんだん疲れてくる。頭がパンクし、昼食後などは睡魔との戦いである。
ここは仏のみ知りうる世界なのであるから、易々と凡夫に理解できる世界ではない。それでも、そんな泥凡夫の私でも、その深いお心の一旦に触れられるのが、他力回向の尊さである。
岩見の善太郎同行が、
「一ち〆 なむあみだぶつ」
「一ち〆 なむあみだぶつ」
「一ち〆 なむあみだぶつ」
……
「一ち〆 なむあみだぶつ」
「一ち〆 なむあみだぶつ」
「一ち〆 なむあみだぶつ」
と、四十八個の「なむあみだぶつ」を書かれて、四十八願を味わわれたが、まったくどの願も、法蔵菩薩の大悲心でないものない。そして、凡夫の知恵では理解不可能な「唯仏与仏」の世界を、「南無阿弥陀仏」の六字ひとつにまとめて、どんな衆生にでも受け取れるように、仏様の方からご回向くださるのである。
最後に、現代語訳で、四十八願を全部を読み上げて味わった。
第一願、「無三悪趣の願」と願名をあげ、
「わたしが仏になるとき、わたしの国に地獄や餓鬼や畜生のものがいるようなら、わたしたは決してさとりを開きません」
すると、その一願、一願の言葉が終わるまえに、元気に回復されているF家のTさんが、「ナムアミダブツ、ナムアミダツ」と、一願、一願を受けてお念仏申されていく。
その尊いお姿は、まさに妙好人。
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