たったの一言が、、。
ご示談のお申しでを受ける。
改めて、聞法の原点を確認させらさた。
ひとつは、浄土真宗は、「後生の一大事」を心にかけて聞くのである。決して、今生ことではないのだ。同時に、それは超世の教えなので、今生の人間関係や師弟関係、または常識を超えて聞く教えあるということ。
もうひとつは、自力で聞くのではない。自力を捨てて、もしくは自力を頼らずに、他力に帰すのである。他力とは、如来様の本願力のはたらきである。
そして、ただ、「聞く」ひとつなのだ。本願のはたらきも、後生に一大事があることも分からないのなら、その本願を喜んでいる先達に、頭を垂れお聴かせに預かるのである。
たった一言、「わかりません。どうかお聞かせください」と、頭を垂れればいいのである。
この際、自分の気持ちや想いに振り回されは必要はない。お聴かせに預かるひとつであるのなら、その仰せにしたがえばいいのである。
でも、こんなに易い、こんなに楽を教えはないのに、この一言が言えないのである。その一言のために、弥勒菩薩は、五六億七千万年のご修行が必要なのだ。そして、私もまた昿劫より今日今時まで迷いを続け、そしてまた後生も迷っていかねばならないのである。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
| 固定リンク
« 5月の伝道研究会 | トップページ | じぇじぇじぇ »
「法味・随想」カテゴリの記事
- 修正会(2)~地震~(2024.01.03)
- 今日はご示談(2022.11.25)
- 神鍋高原・八反瀧(2022.11.06)
- 納骨法要(2022.10.29)
- 法に追い立てられる幸せ(2022.05.29)