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たったの一言が、、。

 ご示談のお申しでを受ける。

 改めて、聞法の原点を確認させらさた。

 ひとつは、浄土真宗は、「後生の一大事」を心にかけて聞くのである。決して、今生ことではないのだ。同時に、それは超世の教えなので、今生の人間関係や師弟関係、または常識を超えて聞く教えあるということ。

 もうひとつは、自力で聞くのではない。自力を捨てて、もしくは自力を頼らずに、他力に帰すのである。他力とは、如来様の本願力のはたらきである。

 そして、ただ、「聞く」ひとつなのだ。本願のはたらきも、後生に一大事があることも分からないのなら、その本願を喜んでいる先達に、頭を垂れお聴かせに預かるのである。

 たった一言、「わかりません。どうかお聞かせください」と、頭を垂れればいいのである。

 この際、自分の気持ちや想いに振り回されは必要はない。お聴かせに預かるひとつであるのなら、その仰せにしたがえばいいのである。

 でも、こんなに易い、こんなに楽を教えはないのに、この一言が言えないのである。その一言のために、弥勒菩薩は、五六億七千万年のご修行が必要なのだ。そして、私もまた昿劫より今日今時まで迷いを続け、そしてまた後生も迷っていかねばならないのである。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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