聖典講座~「如来浄土の果」略説
法蔵菩薩の発願とご修行、つまり「如来浄土の因」が述べ終わり、これ以降、上巻の終わりまで、その願行の因によって得られた果、つまり「如来浄土の果」が説かれていく。
その「如来浄土の果」は、大きく「略説」と「広説」に分科されるが、今回は、「略説」【十】。法蔵菩薩が、ついに成仏されて阿弥陀仏となられたそのお徳と、その国土(浄土)の有様やお徳について、簡略に説かれる段を窺った。
この略説は、大きく二段に分かれる。
一「阿難が釈尊にお尋ねした。『法蔵菩薩は、~ およそ十劫が経っている。』」
釈尊が、阿難尊者の二つの問いに答えて、
(1)法蔵菩薩は、現に、西方十万億土のかなたなる安楽世界におられ、
(2)今から十劫の昔に成仏された、と説かれる。
二「その仏の国土は金・銀・瑠璃 ~ と思ってお尋ねしたのでございます。』」
次に、その安楽世界(阿弥陀如来の浄土)は、
(1)広々として限りがなく、七宝によって荘厳され、
(2)その宝はお互いに入り交じって輝きあっている。[(1~2)は浄土の荘厳)]
(3)山川などの凹凸がなく平坦で、
(4)地獄・餓鬼・畜生の諸難もなく、
(5)四季はなく常に穏やかで、調和のとれた心地よい [(3~5)は穢土に対し浄土にないもの]
という浄土の相が説かれていく。
最後に、穢土に対し浄土にはない相について、将来の衆生が疑問を起こさないように阿難尊者が質問し、釈尊がお答えになって、この段は結ばれる。
特に、問題になるのが、「指方立相論」と「十劫・久遠論」などであるが、ほかにも、須弥山の問題から、二十五有界のことなどの説明もした。
ところで、「指方立相論」とは、やはり『阿弥陀経』にも、
「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ」
とあるが、これは、古来より、(1)釈尊の方便説。(2)「唯心の弥陀・己心の浄土」(我が心に弥陀や浄土がある)。(3)「娑婆即寂光土」(この世を離れて浄土なし)などの諸説があったが、浄土真宗では、「指方立相論」の立場をとる。つまり、方角を指し示し、色相を見分けることで、「浄土は、現に西方にあり」というのである。
ではなぜ、無辺際の浄土を、西方と限定されるのか。
そこには、説きぶりとして、「平等観」(無辺際)と差別観(西方)の違いがあるので、けっして、別のことではない。
またなぜ、十方の中で、西方なのだろうか。簡単にいうと
・物の帰趣(かえりこむ)ところである。日没の地。
・彷徨続ける我々の心が、真の安らぎを得る方向が定められる。
ということになり、これは、曇鸞様の和讃を窺うところである。
「世俗の君子幸臨し 勅して浄土のゆゑをとふ
十方仏国土浄土なり なにによりてか西にある」
「鸞師答えてのたまはく わが身は智慧あさくして
いまだ地位にいらざれば 念力ひとしくおよばれず」
(高僧和讃・曇鸞讃)
簡単に「十劫・久遠論」にもふれた。
「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり」 (浄土和讃)
「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど
塵點久遠劫よりも ひさしき仏とみへたまふ」
(浄土和讃・大経讃)
とある。ここは、悟朗先生の増補版『念仏の雄叫び』三度目の成仏を参考にしてもらえればいい。いずれによせ、久遠実成の弥陀が、摂取不捨の大悲を衆生に知らせんがために、果後の方便に、因果の過程を再現されたものを、十劫成仏の弥陀とするのだから、久遠仏も、衆生救済のための真実仏なら、十劫仏も衆生救済のための真実仏なのである。南無阿弥陀仏
次回は、6月6日(土)。如来浄土の果の「広説」で、光明無量・寿命無量の成就を頂く予定だ。
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