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2015年5月の27件の記事

化石発掘~北海道紀行(8)~

Img_7558_2深川のイルムの丘から、隣町の沼田町の「ほろしん温泉」へ移動。 有名な観光地ではないが、ホタルの名所だという。

しかし、ホタルにはまだ早い。 Img_7547

朝ドラ「すずらん」の舞台になったところだ。Img_7544_2といっても、昔々のことで、覚えはない。ホテルのロビーたくさん飾られた写真も、色Img_7552せている。いまなら、「マッサン」の余市に、人は集まっているのだImg_7602ろう。でも、それもしばらくの間のことだろう。

ホテル前にある、 友人がお勤めとのことで、ご挨拶も兼ねて、見学。化石発掘のまねごとをする。

Img_7598_2500万年前の帆立貝の化石の発掘疑似体験。

Img_7607追加料金も払って、原石や化石の発掘のプチまねごと。これ結構おもしろくて、 大人も、子供けっこう楽しんだ。

お土産に、このホタテ貝のImg_7616化石を2つ頂いた。

大きくて飛行機の荷物にはたいへん。

ひとつは北海道に無理やり(?)おいて帰って、もうひとつは華光会館に飾られることになった。

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教会前で~北海道紀行(7)~

Img_7491今日は、この旅のメーン行事が待っている。
連れ合い側の叔父さん、叔母さんたちへの、ぼくのお披露目である。
まずは、仏前で勤行。深川市のイルムの丘~聖マーガレット教会で会食する。

今回の企画は僕はノータッチだったが、危なく2度目の挙式をされそうにImg_7465なった。しかもキリスト教式で、、。

昨年、初めて挨拶に訪れた時、ぼくを駅までImg_7489送った足で、ここに下見に来ていたそうである。この街では、一番の結婚式場のようだが、今回は、なんとかImg_7479_2食事だけで勘弁してもらう。

Img_7524教会施設で、京都での仏前結婚式のビデオをみてもらって、教会の前で、全体の記念撮影。

外には、羊が2匹、放牧されている。一匹は、ヒモにつながれているが、人間をみると、怖がって逃げていく。でも子供がゆっくり関わっていると、そのうち懐いてきた。Img_7494_2

Img_7504_2今夜の夕食は、「ジンギスカン」だ。この羊じゃないが、「かわいい」といっているのを、今度は、「おいしい」と食べるのである。

平気で残酷なことができるのが、人間の実相。
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北の国から~北海道紀行(6)~

Img_7298_2  このブログも完全に旅行紀行ブロクと化してしまったが、今回は、とことこんやってやる覚悟だ。あと少しおつきあいを!

Img_7288_2「 唯我独尊」をあとに、連れ合いが、ファンだというので、北の国からのロケ地へ。

懐かしい。
といいたいが、ぼくは、あまり観ていないのImg_7304_2で(有名なので少しは分かるが)、感慨はない。子供にいたっては、ほとんど知らなImg_7318_2いようだが、「まだ息子が食べてるでしょうが、」という有名なセリフをだけは、なぜか知っていた。ぼくImg_7338_2は、しらんなかったけど、

Img_7330ただ、ロケ地跡は3つもあって、それぞれ500円が必要とだという。え、単なる原っぱなのに…。

「物語を知らない人や外国の方だって、けっこう楽しんでいかれますよ」と、受付の男性が話してくれる。
今日は盛り沢山だったので、時間の関係もあって、「拾ってきた家」は外から眺めて、少しは分かる「ゴロウの石の家」に入る。
Img_7349_2別に、ゴロウといても、悟朗ではないことはいうまでもない。

Img_7368_2でも、この北の国からは、父、五郎に育てられた子供たちが、反発しながらも、結局、五郎の意志をうけて、父のように生きていくというストーリーなので(たぶImg_7408_2ん)、人ごとじゃいな?

帰路は、再び美瑛を経由する。

深山峠からの眺めは美しかった。
Img_7406_2ただ、ラベンダーや花の季Img_7433節でないのが残念。ラベンダーアイスを食べたり、ラベンダーポプリをお土産に。

パッチワークの道の「ケンとメリーの木」で撮影。父より2歳年上の、92歳の風格Img_7437_2_2が木の陰にもあらわれる。

Img_7462 今日はいろいろ回って疲れてきたので、似たりよったりの場所には寄らずに、帰宅の途へ。

夕食は「毛カニ」が待っていた。
今日も、北海道三昧で終わる。
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唯我独尊~北海道紀行(5)~

Img_7259_2 美瑛から富良野に向かう。今日も、「ルルルルル」と、キタキツネが寄って来た。

 荻原果樹園にでたキツネや昨日のシカは、人間を警戒していたが、こいつはすぐそこまで寄ってくる。餌がほしいのだろう。

Img_7264_2 でも当たり前だが、バナナは食べないことが分かったが、見事、餌付けに成功! ?

Img_7286_2 富良野は、ラベンダーはまだ季節には、少し早い。

 初夏が一番なのだろうが、きっと雪の風景も、桜や紅葉もきれいだろう。いま気候はいいのに、花は端境期で、ちょっと寂しい。

 Img_7278_2富良野駅に近い「唯我独尊」へ。「となりImg_7274_2の独尊」というパロディみたいなネーミングのお店が目について、一度通りすぎてしまった。

「竹の子も、名乗るか 唯我独尊と」

Img_7275_3という小林一茶の俳句があるが、

「カレー屋も、名乗るか 唯我独尊と」

Img_7279_2_3である。仏教に関係はないのだろうが、富良野でも有名なカレー屋さん。行列が出来ていたので、時間を空けておいて入店。

 自家製のソーセージの定番カレーと、子供たちはオムカレーをいただく。
Img_7281  ルーのおかわりは自由だが、その場合、「ルールルル」と合言葉をいわねばならない。

 お客さん、喜んで言ってましたね。

 少し辛めだったが、なかなか味わい深い味。おすすめ。

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美瑛の大自然~北海道紀行(4)~

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Img_7085 旭山動物館から1時間ほどで、美瑛の白金温泉へ。

  白樺並木が美しい。夕日に、美瑛富士が映える。

Img_7104_2 噴煙を上げる十勝岳の麓。
温泉がいい。下の子は「水が汚れていた」と言っていたが、ほどよい硫黄臭がし、茶色くImg_7106_2濁りがあるのは、鉄分をふくんでいるからか。ちょうどいい湯加減。登別温泉ほどではないが、全国的に人気の温泉地のひとつだ。

Img_7245_2 ホテルのすぐ横に、ブルーリバーといわれる美瑛川が流れ、そこに白髭の滝がおちている。
Img_7175 雪をかぶった十勝岳連峰を背景に、新緑と、青い水のコントラストがいい。

Img_7219 幻想的というと、その美瑛川がせきとめられた「青い池」のコバルトブルーと、池に浮かぶ立ち木がロマンテックである。

Img_7177 十勝岳は、噴煙を上げている。ちょうど口永良部島で噴火があったばかり、日本列島の火山が活発化している。中腹あたりの「望岳台」には、万年雪が残っていて、雪遊びで、大人も、子供も楽しんだ。こあたりは、この時期でも雪になることもあるが、今日は半Img_7154袖でいい。 

 昨年は、旭川から上川方面に向けて、層雲峡から大雪山系を観たが、今度は、十勝岳Img_7225連峰。美瑛富士など2000メートル級の山々だが、雄大な眺めだ。

Img_7211 眼下には美瑛地方一帯の大パノラマが広がっていた。

 と思うと、野生の鹿や野鳥ともであえる。

 写真を頼める人がないので、自撮り棒デビュー。これがなかなかな楽しかった。

湧水が細かく分かれ髭のような<白髭の滝>
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ブルーリバー<美瑛川>
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<青い池>
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活発に噴煙をあげる<十勝岳> 
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旭山動物園~北海道紀行(3)~

Img_6822_2 家を眺望できるお墓参りをすませて、深川から1時間ほどで旭川へ。

 中心部から少し郊外に、旭山動物園がある。Img_6848

 人口35万ほどの街に、日本最北の動物園がある。車以外のアクセスも悪いし、パンダやコアラのような人気動物もいない。動物園の定番のゾImg_6851_2ウもいなかった。

 それでも、日本で最も人気の動物園で、平日の午後なのに、アジアからのImg_6864_2来客者も多くて、北海道を代表する観光地のひとつになっているた。

 テレビや映画でも、すっかり有名になったが、動Img_6866_2見せかたが、魅力的なのである。映画『旭山動物園物語 ペンギンImg_6952_2が空をとぶ』をみたことがあるが、確かにペンギンが空を飛んでいるようだ。

  最近では、どの動物園や水族館でも取り入れられてきImg_6914たが、ただ、動物を見せるのではなく、その行動などをみせる「行動展示」のさきがげなのである。自然な姿の動物たちとの距離がとても近Img_7021く、下から眺めたり、横から眺めたり、人間のほうが、ドームに入っていったりと、なかなかおもしろい。

  檻のない通路を渡るレッサーパンダ。Img_7020オラウータンも、曲芸のような高さの綱を渡る姿を、真下から眺めることができImg_7005る。17メートル上空だ。

  また、エサやりも、単なる食事タイムというImg_7008より、動物のパフォーマンスの時間として利用されている。

Img_7024  他にも、違った種類の動物が同じ場所で飼育されていた。サルとカピバラの組み合わせは、サルがときよりちょっかをImg_6986だして、なかなか面白かった。

小さな檻に閉じ込めないのでImg_7073_2_3動物の種類はけっして多くない。が、工夫次第で魅力的にすることができるということだ。時には、動物を観ているホモ・サピエンスを観察することもある。楽しいかったです。 Img_6931
 チンパンジーの親子。i子の名前は、ハルキ君。
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 カバのアサコと足の裏
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クルミの木の下で~北海道紀行(2)~

Img_6791_2果樹園のクルミの木の下で、朝御飯をいただく。

Img_6786_2ピクニックに来ているようだが、自宅の庭。

義母のお手製のパンがおいしい。

この草のようなものが、クルミの花だという。

Img_6792Img_6789ただ楽しみにしていたリンゴの花は、今年は1週間以上、早く咲いてほとんどImg_6804_2散っている。残っているのものも、薄いピンクから白くなっている。北海道も温暖化しているそうだ。梨の木畑が裏手に拡がり、ブドウは山手にあるが、それらの収穫は秋。いまは、佐藤錦のサクランポウがImg_6783_2みのりだしている。リンゴと違って間引きができないので、あまり多く実をつけすぎても困るし、少なすぎてImg_6797_2も困るという。

どこからともなく、フラフラとキタキツネが出てきた。痩せていて、ちょっと哀れ。食事の匂いに誘われたのだろうか。

トリの鳴き声が心地よい。都会の喧噪を離れて、ゆったりした贅沢な時間。
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リンゴの花
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こちらは梨
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サクランボは間もなく
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がっかり名所~北海道紀行(1)~

  Img_6680関空から千歳空港までは、2時間10分ほど。

Img_6678_2 空港の「ラーメン道場」で、一修行。お目当ては、「一幻」だったが、長蛇の列。こんなところは、空いている店に入りづらいのが、人間の心理。でも、諦めて、札幌ラーメンの「雪あかり」Img_6681で、オーソドックスに味噌ラーメンをいただく。
メニューに、聞きなれない「ザンギ」が、イチ押しだったが、連れ合いに聞くと、北海道でImg_6679は定番で、要は唐揚げ。せっかくなので追加注文。

  カムイ号に乗って深川市に向かう途中で、札Img_6689幌で降りる。

  京都は、今週猛暑日が続く予報だが、気温は13度。さすがに肌寒い。……と思ったのは、初日だけ。天気も 最初と最後は悪かImg_6690_2ただけで、後は、夏日の晴天が続く。北海道では、ぼくは晴れ男、暑男らImg_6723しい。

   札幌は、徒歩で回れる範囲だけを駆けImg_6711足観光。この時期、ライラックが咲いているが、今年は、1週間ほImg_6709_2ど早まっているという。

がっかり名所でも有名な、札幌の時計台へ。

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  ヘエー、けっこう立派で、ぜんぜんがっかりましせImg_6724んでした。中の講堂も、教会のようで、雰囲気があった。がっかり名所といわれるのは、きっと高いビルで囲まれていImg_6737_2てる景観が、北海道のイメージと合わないのかと。

Img_6742_2 そう思っていたら、「時計台はどうですか」と、カメラが向いてテレビ局の取材。時計台の感想を尋ねられたので、「がっかり名所と聞いたけれど、ぜんぜんがっかりしなかった」と話たものの、中国人レポーターに「がっかり名所」の言葉が通じず、こちらが「がっかり」。

Img_6693 テレビ塔のある大通公園、レンガ作りの旧北海道庁舎も、外から眺めて、写真を撮っただけで、深川の連れ合いの実家の果樹園へ。

 大阪-札幌の飛行時間は、2時間強だが、京都から関空まで、さらに千歳から深川と、待ち時間を合わせると8時間30分は必要で、やはり遠い。

 

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北海道への旅

 これから北海道への旅行。連れ合いの実家である深川に入って、旭川や富良野などを回る予定だ。

 ちょうど1年ぶりだが、今年は、縁あって子供たちも一緒で四名の旅となった。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-356e.html

 例に、片道3000円台のLCCだけれど、慣れるとけっこう快適。

 しばらくブログはお休みですが、無事に帰ってきたら報告いたします。

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ジャガイモの芽

Img_6665 うっかり忘れられていた北海道のジャガイモが、暗い倉庫の箱の中で、光に向かって、見事に芽をだしていた。

 C.ロジャーズは、このようなジャガイモの本来の生命の成長力のたくましさを見て、人間もまた、その生来の可能性を建設的な方向へと実現しようとする基本的な傾向、つまり「実現傾向」もしくは「潜在能力」があることを強調し、その成長力、生命力は、充分に信頼に値するものだと言っている。

 いや、すごいなー。

 ぼくなど、ただ「勿体ないことするなー」と思い、「これ見てみー。すごいけど、ちょっと気持ちわるいな」などと、みんなで話すだけでした…。

 確かにすごい生命力だけど。

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高山支部法座~一願 南無阿弥陀仏~

Img_6644 新緑の中での高山支部法座。
 子供たちも同乗し、仏青からも二人加わって、6名で高山に向かう。

 今回は3座で、「四十八願」を通して一願からすべて通説する法話を考えていた。
聖典講座で、3日間かけたものを、わずか3座でするのは、少々無理はあるが、それでも、皆さん、聞いたことのない四十八願の一願、一願の願文を味わってもらうことで、法蔵菩薩の願のおこころに触れてもらいたかった。

 四十八願を順次に沿って、大きく3グループに分けて味わう見方をとりながら、一願、一願を味わっていった。

 四十八願は、法蔵菩薩が、世自在王仏の身許で、衆生の「生死勤苦の本」、つまり私の迷いの大本から抜き取り、救ってやりたいとの大悲一心で、五劫の間、ご思案されて、諸仏にご自身の正覚をかけて誓われ、そして私のためにこれだけの願いをかけてくださったのである。もちろん、誓願をおこされただけではない。この後、兆載永劫という果てしない歳月をかけてご修行をなし遂げて、この一願、一願を成就されていくのである。
 そんな四十八願をひとつひとつを、短時間で窺っていくのである。それに、真実五願や三願転入の十九、二十、十八願などは聞いてことがあっても、他に、どんな願があるのかは、ほとんどの方はご存じない。厳密ではないが、願文にも順序があることも、皆さん、新鮮に驚かれている。
 だが、さすがに、四十八願すべてとなると、聞いておらもる方も、だんだん疲れてくる。頭がパンクし、昼食後などは睡魔との戦いである。
 ここは仏のみ知りうる世界なのであるから、易々と凡夫に理解できる世界ではない。それでも、そんな泥凡夫の私でも、その深いお心の一旦に触れられるのが、他力回向の尊さである。

 岩見の善太郎同行が、
「一ち〆 なむあみだぶつ」
「一ち〆 なむあみだぶつ」
「一ち〆 なむあみだぶつ」
 ……
「一ち〆 なむあみだぶつ」
「一ち〆 なむあみだぶつ」
「一ち〆 なむあみだぶつ」

 と、四十八個の「なむあみだぶつ」を書かれて、四十八願を味わわれたが、まったくどの願も、法蔵菩薩の大悲心でないものない。そして、凡夫の知恵では理解不可能な「唯仏与仏」の世界を、「南無阿弥陀仏」の六字ひとつにまとめて、どんな衆生にでも受け取れるように、仏様の方からご回向くださるのである。

 最後に、現代語訳で、四十八願を全部を読み上げて味わった。

 第一願、「無三悪趣の願」と願名をあげ、

「わたしが仏になるとき、わたしの国に地獄や餓鬼や畜生のものがいるようなら、わたしたは決してさとりを開きません」

Img_6663と読み上げていくのである。

 すると、その一願、一願の言葉が終わるまえに、元気に回復されているF家のTさんが、「ナムアミダブツ、ナムアミダツ」と、一願、一願を受けてお念仏申されていく。

 その尊いお姿は、まさに妙好人。

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『セッション』

 若い映画作家が、ドラマーを目指していた自らの実体験を元にした傑作。

 6月公開の『グロリア~明日への行進』以外、今年のアカデミー賞作品賞にノミネートされた7作品をすべて観たが、『セッション』がいちばん斬新で、文句なく面白かった。(ほかにも『イミテーション・ゲーム~エニグマと天才数学者の秘密』 ・『6才のボクが、大人になるまで』 などがお気に入りで、作品賞の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』も面白かったけれど、それほど斬新だとは思わなかった)。

 名門音楽学校に入学し、カリスマ教授フレッチャー(J・K・シモンズ)の有名バンドに参加を許されたたニーマン(マイルズ・テラー)。エリート演奏家としての道が開いたかにみえたが、そこには、想像を絶する教授のシゴキが待っていた。超サディスティックな指導に反発しながらも、恋人や家族との関係まで断って、一心不乱に教授の異常な要求に答えようとする若者との師弟関係がすごい。

 天才を見いだすために、人格を否定し、能力や体力の限界を超えた指導をする教師と、それにくらいつく生徒の異様なまでの師弟関係。その異常さと迫力、一発束髪の不穏な空気感と、行き詰まる緊張感が、画面からもほとばしってきて、こちらのからだが硬くなるほどだ。

 冒頭からあった緊張感は、最後まで続いて、予測できない展開へと進んでいく。後半、教授が緩み、人間性をみせ自己を開く場面がある。が、それにすら、後にまっているどんでん返しの伏線にすぎなかった。僕自身も、ある時は指導者である教授に投影したり、逆に猛烈に反発したり、こころ揺さぶられた。

 少し強く迫られた程度で傷つき、すぐに「ドクハラ」などとわめき出す、ぬるま湯の世界にいるものには、到底知ることのできない天才の狂気の世界。

 帰宅後、さっそく『Bird~チャーリー・パーカの伝説』を読み返した。

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悪戦苦闘

 月例会も、新年度を迎えた。4月が総会なので、5月からスタートするが、ブライアン・ソーン著の『カール・ロジャーズ』の輪読も、4年目に入った。
 新年度の最初は、毎回、ぼくが担当している。今年は、第四章の「批判とその反論」の最終箇所からである。

 ページ数はそれほどないので、レジュメも簡単に造れると思っていたが、一読しても、さっぱり頭に入ってことない。何度も読むうちに、なんとなく文体は理解できてきた。とても難しい文章というのか、翻訳がまずいのか(この章の翻訳の先生とは顔見知りだが)、接続語をもとに、そのセンテンスでまとめて、なんとかレジャメを造った。

 月例会のメンバーには、元大学教授やベテランカウンセラー、イギリスやアメリカでも発表された先生もおられるのだが、それでも、皆さんと、悪戦苦闘しながら、なんとか四章まで読む終えた。
  
 結局、ロージャズの仮説は、実証的に検証されているとは言い難く、また初期の彼の思考の中核部分には混乱があり、論理的な矛盾があるといことを、回りくどい表現で伝えている。
 ところが、結論の最後の最後には、そのような矛盾や混乱を認めつつ、それを凌駕しているのが、著者自身が体験した「ロジャーズ本人と直接的な出会い」であるという。統合されたその人柄(人格)のすばらしさこそ、なによりの証拠だというのである。

 あれれれ。それを言われたら、もうお終いだなー。確かに、実際の出会いにまさるものはないのだろうけれど、もう故人となった以上、ぼくたちは、彼に会うことはできない。確かに、どこまでも主観的な経験が第一ではある。しかし、これまでの批判に対して理論的に反論していた最後をこれで結ばれたら、人文科学でもないことじゃないかなーと、ここまで読んできてがっかりしてしまった。

 それでも、第五章から最後まで、一年かけて読んでいきます。

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『おみおくりの作法』と『悼む人』

 ちょっと昔(3月半ば)に観た温かい映画の話。

 『おみおくりの作法』150207 大作ではない。しかし、孤独な人の心に、静かに寄り添うような、いい映画だった。

 全編、フィンランドの名監督アキ・カウリスマキに通じるようなタッチと、オフ・ビートのちょっと惚けたテンポの味がある。主演のエディ・マーサンは、けっして主役タイプではないが、ここでは彼の存在なくして、この雰囲気を醸すのは難しい快演だ。
  
 簡単なストーリーはこんな感じ。

  ロンドンのある地区の民生係、ジョン・メイ。身寄りなく亡くなった人を弔うのが彼の仕事だ。事務的に片付けることもできるこの仕事を、ジョン・メイは誠意をもってこなしている。時間をかけて孤独死をした人たちの生きた証を探し、葬儀にはふさわしい音楽を流し、弔辞を読み、たった一人でおみおくりをする。彼もまた私生活は一人だったのだ。しかし彼の非効率な仕事ぶりは上司に受け入れられず、解雇が決まる。最後の仕事は、彼の向かいの部屋に住んでいた男の孤独死だった。向かいに住みながらまったく面識はなかった。男の生きた証を求めて、彼も旅に出る。規則正しい生活を送るジョン・メイにとて、あらたな冒険の旅となった。

  そして思いも寄らなかった結末がやってくる。これは予想外。何度か観た予告編でも、そのあたりはうまくぼかしていた。迎えたラストシーン。

 ああ、滂沱の如く涙が溢れ出て、ちょっとうろたえてしまった。

 葬儀は、死んだ人を悼みながら、実は、生きている人がそのつながりを確認するものだと思うたけれど、こういう生きるl者も死者も無限のつながりの表現もあるんだー。ハートフルな映画。

  同じ頃、同じ死者を悼むという観点で日本映画の『悼む人』を観た。

  主人公のみならず、登場人物の個々(大竹しのぶ演じる母だったり、椎名桔平演じるルポライターだったり、または夫殺しでその亡霊に苦しむ未亡人役の石田ゆり子だったり)の個性やエピーソドが、これでもかというぐらい強烈で、それぞれにスポットをあてるものだから、結局、主人公のキャラが宙ぶらりんで、逆に映画全体に中途半端な印象しか残らなくなった。原作の小説ならいいが、時間に制限のある映画で、なんでもかんでも強いエピソードを重ねればいいというものではないのだ。

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ルーツ

 大阪市西成区の本派寺院に布教に出かけた。

Img_6628 大阪環状線の「芦原橋」駅に降り立つ。  

 アクセスは、阪神高速でも、地下鉄でも、環状線でいいのだが、最寄駅が「芦原橋」と聞いた時から、JRで行くことに決めた。

 実は、ぼくが生まれた時の本籍は父の実家のあった住所で、芦原橋のある「浪速区芦原」だったからだ。戦争で焼け野原となり、実家はImg_6627もちろん、親戚も、今は大阪市内にいない。だから、この地に降り立つは初めてだ。下町の都会の風景は、別段変わったものはない。が、ぼくにとっては、ルーツの土地なので、どこか感慨深いものがあった。

 折しも大阪都構想の住民投票日だ。日頃の選挙とは違い、当日も、賛成、反対両派の選挙活動をし、法要の最中にも、選挙カーが走っていた。休み時間に、お寺の方も投票に行くという。京都ではあまりわからないが、今回の投票は、大阪市民の関心は高い。激戦となったが、結局、僅差Img_6622で反対派が勝利して、大阪市や区は存続が決まったようだ。いまやなんの縁故もないが、実家の地名だけは残った。  

  布教の方は、おもわぬところからお声をかけていただいたが、ぼくの立場も理解して上でのお話なので、遠慮なく、自分のところ開いてお話をさせていただいた。初めて会う皆さんだが、一方的ではなく、ほんの少しでも分かち合いのお声を聴くことができたことは、収穫。

  おかげで、一ぺん上人で終わらないようで、よかったです。

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5月の輪読法座

 輪読法座は、継職法要の対談交流会の後半。

 初参加の若いご夫婦も加わってくださり、少しいつもとは違った顔ぶれ。  

 M先生のご法話を聴かせていただいた。たいへん平易な表現であるが、深い味わいが随所にあること、皆さん、関心しておられたが、改めて、僕自身も聴かせていただいた。

 やっぱり自分の問題になってきたのは、あっちもこっちもでなくて、集中して、僕の場合、上田豊香さんという人でしたが、本当に真剣に向かい合って行くと真剣に返ってくるんです。一つ一つの自分の問題。問題点であったり、存在であったり、本当の自分ということで教えてもらいましたが、そういう部分がどんどん、どんどん見えて来て、それを否定や肯定するのではなく、そのまんま言われてる言葉を聞いていく。
 最初は、人間の言葉だと思ってたんですよね。

  そうなんですね。人間の言葉なので、そんな考えがあるとか、そう思うとかがでる。人間の言葉をつかないがら、お聴かせに預かるのは「仏説」なのである。

 何でもそうでしょうが、引き継いでいくのですから、やっぱり何を頂いたのかということでしょう。何を頂いてきたのか。またそれをどういうふうに返していくのか。伝えていったらいいだろうかなっていうことを、やり方ではなく、それを心の中心にして生きることが、すごく大事だと思いながら生きているんです。

 方法や理解でなく、何をこころの中心にして生きていくのか。改めてその視点から味わってみると、お念仏が光輝いてくるのだ。

 6月の輪読法座は、平日。17日の水曜日の1時30分。

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じぇじぇじぇ

 「あまちゃんに会ってくるね」。

 連れ合いが10日間ほど、東北への旅にでた。6月にある青森や岩手での東北公演の準備のためだが、今年2度目の東北入りだ。
  http://www.mutura.net/mutura/kibou-butai-schedule

 4月から、NHK衛星放送で、「あまちゃん」が再放映されている。ぼくは、リアルタイムで観ていない。というより、何十年も朝ドラを観ることがなかった。でも、連れ合いのお勧めで、いま「あまちゃん」を観ている。「まれ」でないのでズレてはいるが、ぼくには新鮮で面白い。
 
 久慈市でも公演がある。いまは、海女の季節ではない。代わりにこんな写真が送られてきた。

 「じぇじぇじぇ」。

Fullsizerender_1

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たったの一言が、、。

 ご示談のお申しでを受ける。

 改めて、聞法の原点を確認させらさた。

 ひとつは、浄土真宗は、「後生の一大事」を心にかけて聞くのである。決して、今生ことではないのだ。同時に、それは超世の教えなので、今生の人間関係や師弟関係、または常識を超えて聞く教えあるということ。

 もうひとつは、自力で聞くのではない。自力を捨てて、もしくは自力を頼らずに、他力に帰すのである。他力とは、如来様の本願力のはたらきである。

 そして、ただ、「聞く」ひとつなのだ。本願のはたらきも、後生に一大事があることも分からないのなら、その本願を喜んでいる先達に、頭を垂れお聴かせに預かるのである。

 たった一言、「わかりません。どうかお聞かせください」と、頭を垂れればいいのである。

 この際、自分の気持ちや想いに振り回されは必要はない。お聴かせに預かるひとつであるのなら、その仰せにしたがえばいいのである。

 でも、こんなに易い、こんなに楽を教えはないのに、この一言が言えないのである。その一言のために、弥勒菩薩は、五六億七千万年のご修行が必要なのだ。そして、私もまた昿劫より今日今時まで迷いを続け、そしてまた後生も迷っていかねばならないのである。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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5月の伝道研究会

 伝道研究会の「安心編」も、信心論に入り「三心一心」を学んでいる。

  安心論は、「安心論題」にもとづくものなので、決して易しいものではないが、「三心一心」に入ると、皆さん異口同音に「難しい、難しい」と連発し、首を傾げられるばかりだ。中には、「なんのためにあるのか」という人まで出る始末。それでも、皆さん、皆勤に参加してくださるので、悟朗先生の講習会テキストを読み続けている。

その「三心一心」も、今日で最終回。論主の功績というところ。

 その大意は、本願の「三心」(至心・信楽・欲生我国)が、そのまま「信楽の一心」7あることは、もともとの法義のあり方(法義の固有という)であり、それは「本願成就文」からも窺える。しかし、「成就文」の語は、「一念」であって「一心」ではない。また「阿弥陀経」には「一心」とあるが、これは穏顕に通じるので、愚眼には分別が容易ではない。そこで、本願(阿弥陀如来)→成就文(釈尊)→その意を受けて顕された『浄土論』の「一心」(天親菩薩)の語を用いて、「三心即一」の意味を明かにしてくださった。

 つまり「三心即一は本願の固有」であるが、「三心」をあわせて「一心れと示されたのは、天親菩薩の功績にほかならないので、「合三為一は、論主の釈功」であると讃えられるのである。

 次回は、少し間が空いて、6月24日(水)(夜7時30分~10時)。新しいテキストになって「信心正因」からなので、少し馴染み深いところにあるなので、初めての方も奮ってご参加ください。

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「唯聞愀嘆声」

 永代経のある分級座談会。四苦八苦の苦しみに、嘆き声が溢れていた。老の悲哀、病の悲嘆、そして死への恐れ。高齢の親の姿に懺悔される方もある。若くして余命宣告を受けた方がお別れを告げられる。次々と起こる悲劇的な愛別離苦を前に、泣き崩れる方もある。まさに人生の縮図だ。

 『口伝抄』に、「凡夫として毎時勇猛のふるまひ、みな虚仮たる事」という章がある。愛別離苦で父母・妻子の別離を悲しむのは、凡夫としては当然のこと。むしろ、その時に、歎くものを諫め、勇猛のふるまうのは、聖道門の行をなしているのであって、凡夫としては虚仮だといわれる。「まず凡夫は、ことにおいてつたなく愚かなり」なのである。

 それぞれ重い空気で、座談会が進むなかで、悟朗先生が口を切られた。「私の気持ちの問題でしょうが、皆さんのお話を聞いていても、心が空しくなるというか。何もみのりがないです」と。

 そうだ。確かに、四苦八苦の現実に、悲嘆するのは凡夫としてありのままの姿ではある。しかし、もしただ悲嘆に終始するだけで終わるのなら、あまりにも空しいのではないか。

「帰去来、魔郷には停まるべからず。
曠劫よりこのかた流転して、六道ことごとくみな経たり。到る処に余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平を畢へて後、かの涅槃の城に入らん」。

と、善導さまは仰った。これまでの迷いの世になって、六道をことごとくへ巡ってきた間に、どれほどの悲嘆の涙を流し、声を聞いてきたことだろうか。「唯聞愀嘆声」を繰り返すだけなら、また迷いを繰り返していかねばならない。その迷い打ち止めにするのは、ただ聞くのは嘆きの声ではなく、南無阿弥陀仏の親の呼び声を「唯聞」のである。

 もし、嘆き悲しみ涙を流し、そのことにどれだけ共感な慰めがあったとしても、そこに「南無阿弥陀仏」の声が響かなければ、空しいだけの迷いが続くのだ

「なんのためにここにお出でになりましたか。ただ、泣きにおいでになったのではないはずです。ここは、南無阿弥陀仏を称えさせていただく所です」と、「南無阿弥陀仏」をお勧めして、一同で称えさせていただいた。南無阿弥陀仏。

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聖典講座~「如来浄土の果」略説

   法蔵菩薩の発願とご修行、つまり「如来浄土の因」が述べ終わり、これ以降、上巻の終わりまで、その願行の因によって得られた果、つまり「如来浄土の果」が説かれていく。

 その「如来浄土の果」は、大きく「略説」と「広説」に分科されるが、今回は、「略説」【十】。法蔵菩薩が、ついに成仏されて阿弥陀仏となられたそのお徳と、その国土(浄土)の有様やお徳について、簡略に説かれる段を窺った。

  この略説は、大きく二段に分かれる。

一「阿難が釈尊にお尋ねした。『法蔵菩薩は、~ およそ十劫が経っている。』」

 釈尊が、阿難尊者の二つの問いに答えて、
(1)法蔵菩薩は、現に、西方十万億土のかなたなる安楽世界におられ、
(2)今から十劫の昔に成仏された、と説かれる。

二「その仏の国土は金・銀・瑠璃 ~ と思ってお尋ねしたのでございます。』」

 次に、その安楽世界(阿弥陀如来の浄土)は、
(1)広々として限りがなく、七宝によって荘厳され、
(2)その宝はお互いに入り交じって輝きあっている。[(1~2)は浄土の荘厳)]
(3)山川などの凹凸がなく平坦で、
(4)地獄・餓鬼・畜生の諸難もなく、
(5)四季はなく常に穏やかで、調和のとれた心地よい [(3~5)は穢土に対し浄土にないもの]
という浄土の相が説かれていく。
 最後に、穢土に対し浄土にはない相について、将来の衆生が疑問を起こさないように阿難尊者が質問し、釈尊がお答えになって、この段は結ばれる。

 特に、問題になるのが、「指方立相論」と「十劫・久遠論」などであるが、ほかにも、須弥山の問題から、二十五有界のことなどの説明もした。

 ところで、「指方立相論」とは、やはり『阿弥陀経』にも、

「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ」

とあるが、これは、古来より、(1)釈尊の方便説。(2)「唯心の弥陀・己心の浄土」(我が心に弥陀や浄土がある)。(3)「娑婆即寂光土」(この世を離れて浄土なし)などの諸説があったが、浄土真宗では、「指方立相論」の立場をとる。つまり、方角を指し示し、色相を見分けることで、「浄土は、現に西方にあり」というのである。

 ではなぜ、無辺際の浄土を、西方と限定されるのか。

 そこには、説きぶりとして、「平等観」(無辺際)と差別観(西方)の違いがあるので、けっして、別のことではない。

 またなぜ、十方の中で、西方なのだろうか。簡単にいうと

・物の帰趣(かえりこむ)ところである。日没の地。
・彷徨続ける我々の心が、真の安らぎを得る方向が定められる。
ということになり、これは、曇鸞様の和讃を窺うところである。

「世俗の君子幸臨し    勅して浄土のゆゑをとふ
 十方仏国土浄土なり   なにによりてか西にある」
「鸞師答えてのたまはく  わが身は智慧あさくして
 いまだ地位にいらざれば 念力ひとしくおよばれず」
                   (高僧和讃・曇鸞讃)

 簡単に「十劫・久遠論」にもふれた。

「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり
 法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり」 (浄土和讃)
「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど
 塵點久遠劫よりも   ひさしき仏とみへたまふ」
                  (浄土和讃・大経讃)

とある。ここは、悟朗先生の増補版『念仏の雄叫び』三度目の成仏を参考にしてもらえればいい。いずれによせ、久遠実成の弥陀が、摂取不捨の大悲を衆生に知らせんがために、果後の方便に、因果の過程を再現されたものを、十劫成仏の弥陀とするのだから、久遠仏も、衆生救済のための真実仏なら、十劫仏も衆生救済のための真実仏なのである。南無阿弥陀仏

 次回は、6月6日(土)。如来浄土の果の「広説」で、光明無量・寿命無量の成就を頂く予定だ。

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「 母の日」の一言

 母の日は、カーネションだが、季節柄もあって、バラやアジサイも豊富にある。  

 最初、バラの鉢を買って、レジにいったら、奥に華麗なランがあるのをが見えた。

Img_6273 ランは、お祝いごとの定番だが、母の日はちょっと違うのかなと思ったり、大きくて、世話もたいへんな気もしたが、母の好みも分かるので、奮発することにした。  

 子どもたちも一緒に、「いつのありがとう」のメッセージカードも書いて届けた。

 案の定、色合いもきれいで、華麗な花を、例によって、「ホー、いいなー。変わった色やな」と、例の調子で、感心しながら喜んでくれた。そして、さりげなく一言。

 Img_6276 「こちらが、世話になるばかりやのにな。悪いなー」と。  

  とんでもない。それはまったく逆だ。これまでさんざんお世話なってきて、いくつになっても、お世話になっているのは子どもの側。  

 なんとも母らしい さらりとした一言に、やられました。

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クジャク(孔雀」)

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Img_6607_3 最後の最後、クジャクが大サービスで華麗な姿をみせてくれて、興奮した。  

 孔雀(クジャク)は、インド原産のキジ科の鳥だ。インドでも、Img_6588_2野生のクジャクを観たが、生で羽根をひろげたところを観たのは、初めてだ。 しかも3羽も同時。

 まるで百貨店の大丸のマークだなと、妙なことを想いながら、珍しImg_6598_2い光景に出会えた。  

 3羽が、メスを巡って、求愛行動をしている。かなり長い間、羽根を広げて躍っているのだ。 かなり長時間だったので、後ろ姿も観Img_6607_2ることができた。

  結局、白クジャク(白孔雀)が、最後まで頑張って羽根を広げ続けた。白色、白の変体種で、 アルビノではないとの説明にあったが、とても美しかった。

  でもメスは、悠々自適だ。孔雀の世界も、男はつらいよ!
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神戸王子動物園~男の背中~

Img_6346_2  子供たちと、神戸の王子動物園へ。  

   連休も終わり、小雨交じの土曜日ということで、道も、動物園も混雑はない。 ぼくの短いGMは、近場で。広さも手ごろだしImg_6547_2、遊園地やゲームもしたので、下の子も満足した。

   この動物園は、パンダと、コアラが見られるImg_6554_2日本では、唯一の動物園と聞いた。コアラの隣には、レッサー・ パンダもいた。

 動物によって、あきからにVIP待遇のものがあって、広々とした建物や施設で優遇される両者だが、愛想があるのはパンダの方だ。ほとんImg_6444_2ど木の上でじっとしているコアラに比べて、パンダは愛嬌がいい。昔、上海の雑技団では、Img_6449_2パンダのサーカスをみたことがあったが、シーソーやボールの芸達者だ。 コアラは、啼いている?ところが撮れた。

Img_6447_2 ぼくたちの間では、カンガルーの生態が一番面白かった

 あんなピョンピョン跳ねるImg_6450_2のは初めてみた。

 なによりこの男の背中、語ってるよね。

 横顔もないか渋いんじゃないか。

 そう思ったけれど、振り向くImg_6497と、、、、メス?

 背中といえば、こんな奴もいた。

 18番を、背負ったカメさん。

 

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蹴上のツツジ

Img_6183_2 永代経法要が終わった。3日間、とても充実して法座となったが、さすがに、疲れも残った。GMの残りは、会館の留守番もあるので、遠出は止めて、鋭気を養おうことにした。ただ、近場で、蹴上にある浄水場の「ツツジ」Img_1996_2を見に行くことにてした。

 ここには、明治期の京都を再興をするための琵琶湖疎水に伴って、日本で最初の水力発電所や琵琶湖疎水のインクラインが、南禅寺を横切っている。観光Img_6222地の岡崎に近く、有名ホテルも隣接しているので、観光客も多い。

Img_6188_2 少し前には鳥羽に藤を見に行ったが、同じ京都上水道局の管轄で、4日間だけ一般公開している。だから、鳥羽でみた同じマスコットが、ここでも愛想を振りまいていImg_6215_2た。

 今年は、4月末から初夏がやってきたが、ツツジは満開前で、7分咲とのこと。確Img_6224_2かに。これが満開になると壮観だろう。それでも、大きなツツジの中がトンネルになって通Img_6231_2り抜けができたりもする。他にも、シャクナゲなども咲いていた。

 小高い丘を登っていくと、見晴らしもいい。南禅寺の山門が間近に見える。(上の写真)
 Img_6233こちちは、岡崎にある金戒光明寺と、真Img_6225如堂だ。(右の写真)

 1時間ほどで一回りした。暑さも一服の曇り空だったが、坂道を登る行程に、ちょっとImg_6191_2バテテ、もうお茶を吞みにいく元気もなく、給水車の水道水を飲んで、まっすぐ帰路につくことにした。

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 (ツツジのトンネルの中から)
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尊い姿

 今年の永代経法座。GW真只中ということで、講師の先生方のご都合が悪かったが、法中に若手女性陣も増え、ご法話も、30代の若手講師を中心に、頑張ってもらい、ぼくも2座のご法話をした。分級座談会も、同行が講師となったが、実践経験をつまれ、遺憾なく力を発揮してくださったと思う。

 また当番の新潟・北陸支部の皆様も、片づけの最後まで献身的にお世話をくださった。ある若い世話人が、「改めて法座は、みんなで創り出していくのだと実感しました」と語ってくれたのが、うれしかった。お世話の皆様、ほんとうにご苦労さまでした。  

 おかげて、華光会館の道場に「南無阿弥陀仏」のお念仏がこだまする中で、ご満座の会座も幕を閉じることができた。

 片づけをすませて3階に法衣を着替えに上がる。3階研修場の仏壇に御参りしていた父が、その後、西に傾きかけた太陽に向かい、窓越しに静かに合掌している姿が目に留まった。その姿は、諸仏方の「南無阿弥陀仏」の称讃の声に、眠っていたまことが覚醒したかのようで、尊かった。                            

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明日から永代経法座

Img_6074今年の4月は、雨が多かった。でも、このところ晴天の日が続いている。

5月に入っても快晴だ。真夏日となっ暑かった。

永代経法要の準備のために、本山の門前町を回る。 念珠屋、蝋燭Img_6079屋、仏書店、本山前のお店で甘茶を買って、花祭りの準備。本山のブックセンターで粗供養のために仏典DVDを購入。

お掘りの回りには、ツツジがきれいだ。

Img_6076明日からは、永代経法要だ。数日前ら、同人が集まってくださって、おみがきやお掃除などのお準備も進んでいる。 永代経法名軸の記載に時間をとられたが、これから法話の検討に入る。今回は2度あるので、法話の準備まだまだ…。

当日の参加や御参りできますので、奮ってご参加ください。

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