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真宗法座の集い~初日~

 この集いも、もう13年を迎える。広島で一度、二泊三日で一度行っている以外は、原則、全日参加で、定員20名限定した集いである。
 初回から比べると、顔ぶれもずいぶん変わった。変わらないのは、世話人の顔ぶれで、ぼくとTさんだけ。そのTさん、今回は参加費を支払っての一般参加だか、13回続けての皆勤参加である。

 初日、ある程度は構成的な部分もあるが、グループ分けの有無については、参加者の話し合いを経て決まっていくという点では、非構成的である。

 全体会で、みんなが一言、参加の動機や思いなどを語り合い、夜には、グループ分けの話し合い。動機やテーマで分かれていくのもよし、全体会で、そのテーマを深めていくのもよしで臨む。最初は、あっちこっちに話題が拡がる。グループ分けよりも、本題にはいった深い発言もでるが、あまり深追いはせずに、また話題が拡がっても、しばらく泳がせて待つだけの、ぼくの側に経験というゆとりもいただいた。同時に、発言のない方にも配慮したり、ただ効率のよいグループ分けを目的した話題には乗らず、少し時間をかけると、不思議なことに、自然なかたちで、収まるとこに収まっていくのだ。グループの力によるこのプロセスは、面白く、不思議なものである。皆さんを信頼しているだけで、それぞれがバランス感覚を発揮してくださって、自然な形で、それぞれが満足できるグループ分けができた。

 昨年から、仮に出来たグループで、その座り心地を確かめてもらっている。発言云々ではなく、座ってみた感覚を確かめて、自分の居場所があるようなら、そこで進めていく。一見、無駄な時間のように思うが、ひとりひとりが納得し、また自分で決めて進んでいくことで、あきらかに分級座談会に分かれてからの取り組み、態度が違ってくるのである。

 今回の初日の流れは、僕自身の内部の動きも、穏やかで、自然に臨めて充実したものとなった。たぶん、外見は、法話や示談のように派手ではなくて、あまり何も動いていないかもしれないが、今回は、この夜の集まりが、一番、力を発揮することができた時間だった気がする。
 このあたりの事情は、華光誌74-1号の継職法要の記念交流会で、「成長に向かう力」~「何もしないということ」~「聴くこと、伝えることの大切さ」などの項目を参照ください。

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