『歎異抄』講習会
昨年に続き、『歎異抄』の2回目である。 前回の続きで、第1~10章の聖語編の5章から10章の6章をいただいく。
華光誌と法座の合間で、時間的には少し厳しかったが、いろいろと勉強するのは楽しい。何種類かの講義本を読み、レジュメを作製する。あまり専門的になってもいけないが、もちろんいい加減でも困るので、その兼ね合いを考えてそれなりのレジュメは作った。
ぼくの中でも、たびたび法話する、1~4章に比べると、後半は、9章以外、法話の教案に使ったことがないので、ぼくも新鮮に学ばせてもらった。やはり、自分でレジュメを作り、皆さんに聞いていただくことが、一番の勉強になる。普段ならば、同じ解説書でも1度さらっと読んだら、それで終わる。これまでも悟朗先生の聖典講座や、仏青でも、4度(例会で2度、合宿で2度)も輪読しているが、やはり自分の課題になると、取り組みの姿勢も、読み方も変わる。少しでも分からない点や用語も、念入りに調べ直したりするのも、担当させていただいたおかげである。
参加者は少なめだったが、新潟、島根、埼玉、京都と、初参加の方も多くて、懇親会も楽しかった。ここでも、ご縁の不思議さを感じさせられる。第6章ではないが、「つくべき縁あればともなひ、はなれる縁あればはなるる」のである。
さて、内容だが、一方的な講義だけではなく、皆さんに声を出してもらって味読し、1章ごとに、最後に5~6名のグループで、話し合い・分かち合うという型式をとった。少人数であること、また、テーマがあると発言しやすいので、どのグループ活発に話し合っておらされた。各章ごとに、30分程度の時間だったが、そのうち、信仰座談会のような雰囲気になっていくグループもあって、面白かった。
各章については、機会があれば触れてもいいが、全体を通して、特に4章~10章が、「起行訓」と呼ばれ、安心のはたらきとしての行(念仏)について、具体的に言及されていること。それが「自力を離れて、他力に帰せよ」という終始一貫した姿勢で貫かれ、その底に終始流れているのが、晩年の聖人の「自然法爾」境地の一端に触れさせていただいたようで、そのあたりをじっくとお聞かせに預かって、とても有り難かった気がする。 またボチボチ書いていきます。
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