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聖典講座~『重誓偈』(1)

  聖典講座も、四十八願が終わって、『重誓偈』に入った。
 日頃、日常勤行で馴染みが深いが、一句、一字ずつを意識しながら、意味を感じて勤行はされていないので、皆さん、感銘を受けてきいてくださったと思う。ただ、日常勤行の聖典にも載っていて、馴染みがあるので、「聖典を見てください」「テキスト(現代語訳)を見てください」、「次は、プリントの○ページです」と、あっちこっちをご覧いただくので、けっこうたいへんだったという声を、いただいた。これは、ぼくも要反省。もう少し、ゆっくりと皆さんのペースで進まないといけない。

 さて、内容であるが、『大経』にある3つある偈文の一つで、「法蔵菩薩の発願」の中でも、四十八願を誓われた後に、その重要性、真実性を強調するために、重ねて誓われた偈文で、四十八願の要点を重ねて三つの誓いを立てられるので、「三誓偈」とも言われている大切な詩歌だ。

  ところで、「偈」とは、梵語の(gatha) で、「伽陀」のことで、頌とも訳される。詩句をもって、仏をほめ、又は法義を述べること。必ず、四句をもって一行(一偈)とするが、「重誓偈」は、五言で四十四句十一行の詩句となる。
 そして、「重誓」とは、親鸞様が、正信偈で、「重誓名聲聞十方」と示されているのに由来するし、存覚上人の『六要鈔』に、「重誓偈」の名称がだされている。

 特に、最初の3行(12句)が重要で、
「四十八願」が全て「設我得仏~不取正覚」とあるのに対応して、
「重誓偈」では、 「我… ~誓不成正覚」と、三度も重ねられている。

 では、何故、重ねて誓われねばならなかったのか。たとえば、柏原祐義師によると、
(1)四十八願が、超世の大願、諸仏不共の誓願であることを重ねて示し、衆生の疑いを晴らす。
(2)四十八願では明示されなかった、他力回向の義を明示するため。たとえば、「不爲大施主」や「爲衆開法藏 廣施功徳寳」など
(3)最後に、現瑞証誠を請い、疑い深い衆生のために、さらなる証明とされた。
というように、法蔵様が、念には念を入れてご配慮をされている証なのである。(続く)

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