「ありがとう」の声
通夜や葬儀では、式の冒頭と終わりに、「お導師様にあわせて、合掌・礼拝(お直りくださいも)」というアナウンスが入る。でも、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、声に出して称えるということはない。焼香にしても、合掌・礼拝にしても形だけでは不十分で、口に称名念仏させてもらうためのものだ。
それで、通夜では、故人をよく知るのは、遺族や友人である皆さんなので、皆さんがこころを合わせてお見送りをさせてもらいたい。その意味では、導師は、いわば皆さんのリードして勤行するので、どうか皆さんが声に出してお勤めしていただきたと、聖典を配布してお願いした。
そして、葬儀は法話はないが、今回は一言、簡単に、「南無阿弥陀仏」が阿弥陀様の親の呼び声であり、阿弥陀様が回向くださるお名前なので、それに応えて私も「南無阿弥陀仏」と応えさせていただく。だから、声の大小に関わらず声に出して、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と申してくださいとお願いした。
その時、よく故人の遺影に「○○ちゃん、ありがとう」と言われているが、「ありがとう」も、心の中で思うだけではなく、相手に、口に出して伝える大切な言葉だ。それと同じでように、「南無阿弥陀仏」も、阿弥陀様(仏様)に口に出してお応えする報謝のお言葉。「ありがとう」が人間の言葉ならば、「南無阿弥陀仏」は阿弥陀様からいただいた仏様のお言葉なので、ぜひ、「○○さん、ありがとう」と言ったなら、「南無阿弥陀仏」と称えてくださいと、お願いをした。
すると、皆さん、「ありがとう、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と手を合わせ、称名くださり、お念仏で最後のお別れをさせていただいた。
でもそれは、皆さんへのお願いではなっかた。
勤行も終わりに近づき、にこやかな遺影を見ていると、ふと、「かりもんちゃん、ありがとう」という声が聞こえてきた。私の「ありがとう」の前に、先に「どうもありがとう」の声があったのだ。
ああ、阿弥陀様の南無阿弥陀仏のお心そのものだ。改めて、私の「南無阿弥陀仏」の報謝の称名は、阿弥陀様が頭を垂れてたのまれた「南無阿弥陀仏」から起こってきたことをお聞かせに預かった。
不思議なことに、今もなお、その時のやわらかな温かい感覚が余韻として残り、ぼくを包んでいるのだ。
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