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法名

 法名を調べると「釈仙邦」とある。

 浄土真宗では、戒律はないので、戒名とは言わない。釈尊の仏弟子という意味で「釈」の一文字をいただき、名告るのだ。

 さて、「釈仙邦」である。一つは、俗名にある「千」と「仙」の読みから来ているのだろうが、おいわれを父に尋ねても、今となっては不明である。なかなか法名に「仙」の文字は珍しいなと思っていたら、ひらめいた。正信偈のご文である。

  「梵焼仙経帰楽邦」である。  

 ああ、なんと相応しい法名なのか。

    中国の曇鸞大師が、膨大な経典を学ぶ尽くすために、まずは仙経(仙人の教え)を学んで、不老不死ならぬ長寿の術を修得された。それを、インドの菩提流支三蔵様を前に、「インドにこんなすぐれた教えがあるか」と自慢げに言われた。すると、菩提流支さまは、地面にツバして、「この世の長寿にどんな意味があるのか。長生きしても、必ず死んでいかねばならないぞ。どうして、阿弥陀様の無量の命を願わないのか」と一喝。『無量寿経』(もしくは『浄土論』)を授けられたという。曇鸞さまは、自らの愚かさを恥じて、仙経を焼き捨てて、阿弥陀仏の浄土(楽邦)を願われたというのである。

 私達は、この世の長寿、この世の幸せを願っている。しかし、それはすべて崩れさる。ほんとうの幸せは、後生に無量寿の命をたまわることである。

 通夜のご法話は、そんなことも話した。

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