『セデック・バレ』
『セディク・バレ』は、アジア各地で驚異的な大ヒットを記録したという台湾映画だ。
<第一部・太陽旗>セデック族は、自分たちの文化や習慣を禁じられ、過酷な労働を強いられていた。そんな中、日本人警察官とセデック族の一人が衝突したことをきっかけに、長らく押さえ込まれてきた住民たちが立ち上がり…。
<第二部・虹の橋>セデック族の襲撃を受け、多くの日本人は女子供のくべ区なく命を奪われた。日本軍は直ちに鎮圧を開始。山岳地帯の地の利を活かして戦うセデックの前に苦戦を強いられるが、圧倒的な武力を誇る日本軍により、セデックの戦士たちは次々と命を落としていく。
というあらすじの二部構成で、合計4時間36分の超大作だ。間の休憩を挟むと約5時間近い映画で、昨年、京都シネマで見逃した作品が、みなみ会館で再上映された。
セデック族は、豊かで、厳しい山岳地帯で、敵対する部族同士がいがみ合い、神聖な狩場を巡って、互いの首を狙って、殺戮を繰り返してきた。近代化し、文明開化した日本人からみると、前近代の野蛮な首切り族である。
昭和5年、日本統治下後半に起った、蕃族(セデック族)の抗日暴動事件が描かれている。地域の連合運動会を襲撃し、子供や女性も含めて日本人140名が殺戮された「霧社事件」が描かれている。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E7%A4%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6
休憩の時、隣の老夫婦の会話が耳に入った。「首切りや襲撃場面は、あまりに残酷で嫌になったわ」「でも、飛行機で毒ガスを蒔いたり、敵対を煽動して無差別に殺戮させる方が、ほんとうは残虐なんだけどな」。
その原住民の文化を野蛮だと全否定して、一方的に近代の教育や文化を与えて、文化人としての文明を開化させてやるのは善意であると疑わない日本人の態度。それは日本だけでなく、これまでの近代の西洋(さらにキリスト教も加わる)が、アメリカやアフリカ、アジアやオセアニア大陸での異民族征服し、植民地化してきた歴史そのものでもある。
けっして日本を敵視した映画ではないが、威張ったり、共感的に接しつつも実は相手を見下し、敵対部族を巧みに利用して支配していく日本人の狡猾な態度やしぐさが、自分のこととして恥ずかしくなる場面も多い。
主人公が、あまりにも英雄視されすぎではあるが、近代化の過程で切り落とされた大切な誇りや精神を体現した真の英雄として描かれていたし、第一、日本では、こんな歴史があったことを知ることはなかった。それに映画の背景からは、遥か大昔のような出来事のように思える。昭和5年に起った事件なのだが、何気なく考えていると、ぼくが生まれる30年ほどの前の出来事だとすると、急に昔話ではなくなり、今も続く身近な問題に思えてきた。
近代の歴史物を扱う台湾映画をみると、台湾が日本統治下にあり、日本の影響が色濃いことがわかる。たとえば、台湾の巨匠ホウ・シャオシェンの『非情城市』は日本統治以降の混乱を描いた大河ドラマだし、ドキュメンタリーの『台湾人生』などは、見ている側の自分が日本人としてのアイデンティティーがくすぐられ、同時に、日本人とは何かが問われてくるようだ。
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