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2015年2月の24件の記事

2月の華光誌輪読法座

 今号の華光誌誌上法話は、先の継職法要の記念対談会を収録。今回は、Y氏の前編で、通常の誌上法話とは違い、真宗カウンセリングの立場からの「真宗の可能性」と題した講演である。

 これを読むと、「人間中心のアプローチ」というロジャーズの立場がよく分かる。カウンセラーが、成長力を信じて、「なにもないでいる」というカウンセリングの究極と、「聴くこと」と「伝える」という大切を、普段の言葉で語っておられる。  

   次回は、ここに真宗(廻心体験)との出会いが加わり、さらに、真宗カウンセリングの拡がりと可能性が語られていく。  

 3月も、25日(水曜日)1時30分からです。どなたでも、おいでください。

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「中平穂積 ジャズ写真展」

 久しぶりに映画館のはしごをする。

 まず京都シネマで、『ダラス・バイヤーズクラブ』(http://www.finefilms.co.jp/dallas/)を観る。昨年の第86回アカデミー賞で、マシュー・マコノヒーが主演男優賞を、ジャレッド・レトが助演男優賞をW受賞した作品で、二人がすごいダイエットで役作して、偏見の中で、利権や権力に立ち向かう、余命30日宣告のエイズ患者と、ヤク中のトランスジェンダーを力演。でも、正義感というより、もともとは金儲け。しかもかなりいい加減な、アウトローなので、こちらが感情移入しずらいところもミソかも。

 2本目は、MOVIX京都に移動して、今日からスタートした『きっと、星のせいじゃない。』http://www.foxmovies-jp.com/kitto-hoshi/を見た。こちらは、正統な難病物。でも、甘くならいような工夫もあったし、セリフも光る部分あったけれど、割りとフツウ。ぼくの泣くツボじゃない。

Img_4896 で、四条烏丸から三条寺町まで、普段は自転車で移動するが、次の上映まで少しだけ時間があった。お茶を飲む気分でもなかったので、自転車を置いたまま町歩きをした。ブラブラ歩いても20分ほどの距離だ。別に何を観るわけではないが、久しぶりに新京極を歩いたり、観光客だらけの錦を通ったり、正月のnhkのプラタモリで紹介されていた「錦天神」のビルを突き抜ける鳥居をみたりと、クネクネ路地を回り、サンボアという老舗バーの脇の路地を抜けると、Img_4889お目当ての映画館。

 でも、最後に足がとまった。骨董屋でWEIGHT商会という雰囲気のあるお店。「モンク」のボスターで、新聞記事を見たことを思い出した。新宿DUGのオーナーの「中平穂積 ジャズ写真展」http://wright-s.com/?mode=f2 をやっていた。細い通路を通って2Img_4891_2階に行くので、ちょっと入りづらかったが、2階のギャラリーへ。

 コルトレーンと、妻アリスの2ショット写真に、「伯爵」カウント・ベイシーは、晩年でカートに巨体を乗せている。「公爵」デューク・エリントンも、存在感がある。アート・ブレイキー、セロニアス・モンク、マイルス・ディビス、そして、ビル・エバンスに、ハンプトン・ホーズやトミ・フラナンガなど日本人好みのピアニスト。そんな個性的な存在感のあるジャズの巨人の写真の中でも、ぼくには、ひときわ威圧感があったのが、ベーシスト(というよりリーダーであり、オーガナイザーなど多彩)チャーリス・ミンガスだ。写真から生きざまが聞こえてきそうだ。

 思いつきでブラブラ歩いて、得した1日。 

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『セデック・バレ』

 『セディク・バレ』は、アジア各地で驚異的な大ヒットを記録したという台湾映画だ。

<第一部・太陽旗>セデック族は、自分たちの文化や習慣を禁じられ、過酷な労働を強いられていた。そんな中、日本人警察官とセデック族の一人が衝突したことをきっかけに、長らく押さえ込まれてきた住民たちが立ち上がり…。

<第二部・虹の橋>セデック族の襲撃を受け、多くの日本人は女子供のくべ区なく命を奪われた。日本軍は直ちに鎮圧を開始。山岳地帯の地の利を活かして戦うセデックの前に苦戦を強いられるが、圧倒的な武力を誇る日本軍により、セデックの戦士たちは次々と命を落としていく。

というあらすじの二部構成で、合計4時間36分の超大作だ。間の休憩を挟むと約5時間近い映画で、昨年、京都シネマで見逃した作品が、みなみ会館で再上映された。

 セデック族は、豊かで、厳しい山岳地帯で、敵対する部族同士がいがみ合い、神聖な狩場を巡って、互いの首を狙って、殺戮を繰り返してきた。近代化し、文明開化した日本人からみると、前近代の野蛮な首切り族である。

 昭和5年、日本統治下後半に起った、蕃族(セデック族)の抗日暴動事件が描かれている。地域の連合運動会を襲撃し、子供や女性も含めて日本人140名が殺戮された「霧社事件」が描かれている。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E7%A4%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 休憩の時、隣の老夫婦の会話が耳に入った。「首切りや襲撃場面は、あまりに残酷で嫌になったわ」「でも、飛行機で毒ガスを蒔いたり、敵対を煽動して無差別に殺戮させる方が、ほんとうは残虐なんだけどな」。

 その原住民の文化を野蛮だと全否定して、一方的に近代の教育や文化を与えて、文化人としての文明を開化させてやるのは善意であると疑わない日本人の態度。それは日本だけでなく、これまでの近代の西洋(さらにキリスト教も加わる)が、アメリカやアフリカ、アジアやオセアニア大陸での異民族征服し、植民地化してきた歴史そのものでもある。

 けっして日本を敵視した映画ではないが、威張ったり、共感的に接しつつも実は相手を見下し、敵対部族を巧みに利用して支配していく日本人の狡猾な態度やしぐさが、自分のこととして恥ずかしくなる場面も多い。

 主人公が、あまりにも英雄視されすぎではあるが、近代化の過程で切り落とされた大切な誇りや精神を体現した真の英雄として描かれていたし、第一、日本では、こんな歴史があったことを知ることはなかった。それに映画の背景からは、遥か大昔のような出来事のように思える。昭和5年に起った事件なのだが、何気なく考えていると、ぼくが生まれる30年ほどの前の出来事だとすると、急に昔話ではなくなり、今も続く身近な問題に思えてきた。

 近代の歴史物を扱う台湾映画をみると、台湾が日本統治下にあり、日本の影響が色濃いことがわかる。たとえば、台湾の巨匠ホウ・シャオシェンの『非情城市』は日本統治以降の混乱を描いた大河ドラマだし、ドキュメンタリーの『台湾人生』などは、見ている側の自分が日本人としてのアイデンティティーがくすぐられ、同時に、日本人とは何かが問われてくるようだ。

 
 

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寒中仏の子供大会

Img_4959 寒中仏の子供大会も、今回で3回目。もともとは仏青の寒中研修会だったが、子供大会と仏教青年会の間を繋ぐ行事として、仏青が世話をして、子供だけでなく、子供大会出身の高校生や大学生にも参加してもらうために始められた。

Img_5022_2 今回は高校生の参加は少なく、仏青行事としての取り組みとしてはうまくいかなかったが、子供は初参加者も多くて、楽しい集いとなった。大人も、子供たちと一緒に、力を合わせて歌い、遊び、ゲームをし、演技Img_5010や工作をするのは、ほんとうに楽しい。

 今年は「人間の値打ち」というテーマで開催。1泊2日間という短い中に、盛り沢山のプログラムがある。対抗ゲームに、大人のスタンツ(ミニ劇)。音楽法要も工夫されている。創作活動はフアッションImg_5017ショーで、ミニスタンツだった。

 大人のスタンツは、「まな板の鯉」。法の上では、誰もが度は、まImg_4918な板の鯉となって、すっぱりと料理されないいかんというメッセージ。

 今回の目玉のひとつは、腕輪念珠作り。

 ここも一工夫あって、単色の念珠を多めに購入して、3色で、好きな組み合わせでコーディネImg_4936ッート。みんないきいきと作業していたが、紐を結ぶ段になって、とても難しくて悪戦苦闘。それでも、みんなで助け合って、見事に完成。自分で好きに組み合わせて、手作りした念珠は格別なようで、みんなうれしそうに手にはめている。夜には、その造った念珠で厳かな音楽法要。

 ちなみに昨年の様子は、以下のブログで。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-9bf3.html

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-ef04.html

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-067c.html
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「ありがとう」の声

 通夜や葬儀では、式の冒頭と終わりに、「お導師様にあわせて、合掌・礼拝(お直りくださいも)」というアナウンスが入る。でも、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、声に出して称えるということはない。焼香にしても、合掌・礼拝にしても形だけでは不十分で、口に称名念仏させてもらうためのものだ。

 
 それで、通夜では、故人をよく知るのは、遺族や友人である皆さんなので、皆さんがこころを合わせてお見送りをさせてもらいたい。その意味では、導師は、いわば皆さんのリードして勤行するので、どうか皆さんが声に出してお勤めしていただきたと、聖典を配布してお願いした。

 そして、葬儀は法話はないが、今回は一言、簡単に、「南無阿弥陀仏」が阿弥陀様の親の呼び声であり、阿弥陀様が回向くださるお名前なので、それに応えて私も「南無阿弥陀仏」と応えさせていただく。だから、声の大小に関わらず声に出して、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と申してくださいとお願いした。

 その時、よく故人の遺影に「○○ちゃん、ありがとう」と言われているが、「ありがとう」も、心の中で思うだけではなく、相手に、口に出して伝える大切な言葉だ。それと同じでように、「南無阿弥陀仏」も、阿弥陀様(仏様)に口に出してお応えする報謝のお言葉。「ありがとう」が人間の言葉ならば、「南無阿弥陀仏」は阿弥陀様からいただいた仏様のお言葉なので、ぜひ、「○○さん、ありがとう」と言ったなら、「南無阿弥陀仏」と称えてくださいと、お願いをした。
 すると、皆さん、「ありがとう、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と手を合わせ、称名くださり、お念仏で最後のお別れをさせていただいた。

 でもそれは、皆さんへのお願いではなっかた。

 勤行も終わりに近づき、にこやかな遺影を見ていると、ふと、「かりもんちゃん、ありがとう」という声が聞こえてきた。私の「ありがとう」の前に、先に「どうもありがとう」の声があったのだ。
 ああ、阿弥陀様の南無阿弥陀仏のお心そのものだ。改めて、私の「南無阿弥陀仏」の報謝の称名は、阿弥陀様が頭を垂れてたのまれた「南無阿弥陀仏」から起こってきたことをお聞かせに預かった。

 不思議なことに、今もなお、その時のやわらかな温かい感覚が余韻として残り、ぼくを包んでいるのだ。

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法名

 法名を調べると「釈仙邦」とある。

 浄土真宗では、戒律はないので、戒名とは言わない。釈尊の仏弟子という意味で「釈」の一文字をいただき、名告るのだ。

 さて、「釈仙邦」である。一つは、俗名にある「千」と「仙」の読みから来ているのだろうが、おいわれを父に尋ねても、今となっては不明である。なかなか法名に「仙」の文字は珍しいなと思っていたら、ひらめいた。正信偈のご文である。

  「梵焼仙経帰楽邦」である。  

 ああ、なんと相応しい法名なのか。

    中国の曇鸞大師が、膨大な経典を学ぶ尽くすために、まずは仙経(仙人の教え)を学んで、不老不死ならぬ長寿の術を修得された。それを、インドの菩提流支三蔵様を前に、「インドにこんなすぐれた教えがあるか」と自慢げに言われた。すると、菩提流支さまは、地面にツバして、「この世の長寿にどんな意味があるのか。長生きしても、必ず死んでいかねばならないぞ。どうして、阿弥陀様の無量の命を願わないのか」と一喝。『無量寿経』(もしくは『浄土論』)を授けられたという。曇鸞さまは、自らの愚かさを恥じて、仙経を焼き捨てて、阿弥陀仏の浄土(楽邦)を願われたというのである。

 私達は、この世の長寿、この世の幸せを願っている。しかし、それはすべて崩れさる。ほんとうの幸せは、後生に無量寿の命をたまわることである。

 通夜のご法話は、そんなことも話した。

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何を見つめているのか

 葬儀のために、豊岡にむかう。

 彼女のご実家とは、浅からぬご因縁がある。ぼくが高校生の時から、毎年、お宿をし、法座を開いてくださる。夏休みに4~5日続けて泊めていただいたこともある。父の代からいうと、60年以上も施主として、会所をお願いしているのだ。

 そのCさんは、30代のころ、急ぐように、父から法名も受けられていた。そして、4、5年前の日高法座の後、飲む機会があった。その時、彼女から、「かりもんちゃん、私のお葬式をお願いします」と頼まれた。ここの3姉妹は、年下だが、ぼくのことを、いまだに「…ちゃん」付けで呼んでくれる幼なじみだ。 その時の彼女は、酔っていたが、目は真剣だった。無常は誰にも分からないが、ご縁があれば駆けつける約束をした。同時に、体の葬式だけでなく、こころの葬式が本職なので、お参りにきてほしいともお願いした。

 
 しかし、その後、彼女の容態が悪くなり、何年もの闘病は、最後まで意識はしっかりし、かなり苦しいかったようだ。その分、ご主人やご家族に看取られながら、静かに息を引き取られたようだ。

 闘病の末、見る影もなくやせ細った彼女の遺骸の眼は、まるで水晶玉のように鋭く見開いていた。

 通夜の後、Rさんが言った。

 「彼女の眼は何を見ているのか。死者の眼は何も見ていない。ただ眺めているこちらの眼に、これが自分の姿と写っているかどうかだ」と。

 南無阿弥陀仏。

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青空

 Img_4898両親を病院に送り、迎えまでの時間、芝川骸骨堂へ。

 変わった店名は、山本仏骨先生の命名だときたことがある。「骸骨になっても不信用はせぬ」というのだそうだ。ショーウインドウには、骸骨が飾られる。

  本山にもお参りする。

 快晴。まだ寒いが、国宝の御影堂の青空が広Img_4870がる。

  昨日、京都支部法座の直前に、Rさんから「Cさんが危篤で、かなりあぶない。お葬儀をお願いできますか」との電話。あまりにも急な話に、彼女のご実家に電話する。正月からかなり容態が悪く、苦しんでおられた。予断はゆるさないが、今日、明日という様子でもなさそうだ。心配しつつ、案外、持ち直されることもあるかもと楽観もする。

Img_4899 しかし、今朝、「いま、亡くなりました」と訃報が届いたばかりだ。
 50歳を迎えたばかりの早すぎる死。

 故人から直接、お導師の依頼されていたので、実に4年ぶりに引き受けた。

 この1年、恩師やお世話になった同人が、次々お亡くなり、葬儀に列席することが多い。特に今月は、いろいろと無常のご催促に驚くことも多く、簡単には整理のつかないことも、耳に入ってきたりした。

 青空を眺めながら、さまざまな思いが去来した。

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京都支部法座~声に順う

   華光会館での京都支部法座。

  東京支部でもおこなった、名前と呼びかけのワークを行う。

 先日、ある先生のところに、赤ちゃんが生まれたが、それが「声に順う」という、素晴らしいお名前だ。

 順には、「したがう」であり、「すなお」という読みもある。でも、ぼくたちその真反対だ。親の声に、大恩ある方に、反抗し、逆らい続けてきた五逆の輩だ。逆らうことも、これはこれでたいへんなエネルギーがいる。しかも孤独な苦しい戦いだ。

 本願三心の「欲生我国」は、如来の口業に顕れると「勅命」になる。まさに、「帰って来いよ」の大悲の呼び声だ。この本願招喚の勅命を聞き、頷く(信順する)たった一つで、すべてが成就するのだ。「南無阿弥陀仏」の勅命に、「南無阿弥陀仏」と応えるだけである。  

  しかし、簡単なようで、すなおに、声にしたがうことは、なお難しい。その一つに頭が下らず昿劫より迷い続けてきたのである。それが、不思議にも、この度たった一声を聞き、たった一言を応えさせてもらう、「声に順う」身にさせてもらったのである。南無阿弥陀仏

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さくらんぼのボンボン

Img_4875  バレンタインデー

  連れ合いの実家からチョコが届く。

 北海道深川産のさくらんばを使った「さくらんぼのボンボン」。
 

 実家の荻原果樹園で選ばれたさくらんぼを使い、溢れるほどのブランデーと、大きなさくらんぼ、でも半年間も洋酒に漬け込んむと凝縮されて、大人の味に。Img_4897

http://baum-kuchen.shop-pro.jp/?pid=70201250

 子どもたちからは、トリュフチョコでした。

 ありがとう。

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神戸海洋博物館・カワサキワールド

Img_4732 夜の雪で、屋根や車の上はうっすらと雪が積もっていたが、久々に晴れ間が出で、太陽がまぶしい。

 子供たちと神戸に遊びに行く。

 神戸のポートタワーに隣接する神戸海洋博物館カワサキワールドImg_4824へ。

 川崎重工業の企業ミューウジアムだ。神戸海洋博物館は、その名の通り海に関する展示だImg_4738が、歴代の帆船や客船の模型がたくさん展示されていた。

 で、カワサキといえばImg_4769、バイク。好きな人は、ほんとうに好きで、それらしいライダーがたくさん集まって、Img_4772バイク談義や写真を撮っている。でも、ぼくには、猫に小判。子供たちもまったく興味も関心もない。あんまりにも関心がなくて申し訳ないくらいだ。車やバイクへの無関心は子供のころからで、今も、そう変わらない。

 でも、バイクだけでなく、新幹線やジェット機など、陸海空の乗り物も手掛けているのImg_4785で、そんな乗り物のシュミレーション操縦ができる。子供たちは、Img_4780リアルに体感でけるセスナ機の離着陸シュミレーション操縦や、電車の発着やジェットスキーのゲームを喜んでいた。もっとも、ここは断然、女の子よりも男の子が好きなImg_4791ものが多かった。好きな人なら、大人の方がきっと楽しいだろう。

  ポートアイランドに移動して、IKEAをブラブラして、神戸青少年科学館へ。子どもたちとたっぷり遊びました。

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「寒中仏の子供大会」に参加しよう

 まもなく、第3回の寒中仏の子供大会 が、開催されます。

日時は、 2月21日(土)午後1:00~22日(日)午後3:00 (一泊二日・原則全日参加) です。ひとりでも多くの方にご参加いただきたく、子どもは、1泊3食を含めて、参加費用は、5,000円としています。

 法話や分級座談会だけでなく、班対抗のゲームや、念珠作りや音楽法要などのプログラムも充実しています。

 子どもさんはもちろん、大人だけでもご参加いただけます。大人の分級座談会もあります。けっこう、大人の方も楽しんで、リピーターもおられます。

 もう締切日は過ぎましたが、定員はまだ少し行けますので、大急ぎでお申込みください。お子さん方、大募集です。

 詳しくは、以下で。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2015/detail/02/kodomo2015-2.htm

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真宗大谷派・九条の会 全国集会~沖縄を想う~

  少し飛んだが、真宗大谷派・九条の会 全国集会~沖縄を想う~での三上知恵監督の講演もよかった。アナウンサーだっただけに、堂々とした態度で、いい声がよく届いてきた。

Img_4704 映画でも講演でも、沖縄県以外では報道されず、知らないことが多くて、愕然とした。

 たとえば、辺野古への基地の問題も、単純に市街地にあって危険な普天間基地の代替だと報道されている。もちろん、沖縄の基地固定化や、環境(自然)破壊を生む問題がある程度の認識だ。

 Img_4707でも、県外や国外でなく、なぜここまで辺野古にこだわるのか。国際情勢や地勢的なまことしやかな理由は語られていた。しかし、ほんとうは、辺野古は普天間の単純な代替基地ではない。そこには航空機の滑走路だけでなく、軍港も一体化する意味があるのだ。しかも、大浦湾の深い海が必要だ。喫水の深い大型艦船、佐世保を母港とする強襲揚陸艦・ボノム・リシャールが、辺野古新基地に接岸が可能になるのだ。ここに軍港の基地を造る案は、当初からのアメリカの青写真があったのだが、本国の財政難で断念されていた。それが、沖縄県民の悲願である普天間基地返却という大義を全面に、アメリカの国益につながる基地が、日本の予算(税金)で建設されるのだ。

 そして、それは、今回の映画の主題であった高江地区のオスプレイの訓練のための着陸場の建設と密接につながってくる。7つの訓練所が6つに縮小し、一部が返却するという、一見基地縮小のようで、実は、その裏には、辺野古と一体化することで、強襲揚陸艦・ボノム・リシャールで運ばるオスプレイの新しい操縦士の養成・訓練場としての意味が増してくるからだ。

 このオスプレイの導入についても、日本政府は、住民をたぶらかし、誤魔化やウソで強硬してきた。そして、沖縄の人達が、名護市長選で勝利し、沖縄知事選で勝利し、さらに先の衆議院選挙の小選挙区のすべてで反対派が勝利したにもかかわらず、政府は無視し続ける。声を出しても、民主主義で勝利しても、届かない願いを、沖縄の人達が生み出した、非抵抗の座り込みの行動でさえ、「通行妨害」という微罪で被告人し、反対運動を萎縮させるために裁判に訴えていくという、スラップ裁判(権力側が、国策に反対する弱者を、本筋ではない微罪で訴えていく)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97で、押さえ込もうとするのだ。

 映画のおかげで、映画の主人公たちのもとを訪ねる方が増え、関心は高まったという。しかし、長期間、地域の住民だけで、国の動き、工事監視するには、限界もある。みな、生活があるからだ。たとえ、映画が(この手のドキュメンタリーとしては異例)ヒットしても、結局、何も改善されていない。それどころか状況は、どんどん厳しくなっている。そんな中で、反対派のアイコンのようになった家族や小さな子供たちを被写体にしたことを、監督自身も葛藤を抱えているという生の声が届いてきて、感心した。

 それでも、ぼくのように、無関心や無知であったのが、少しでも関心を持てたのも、映画を見たからなので、その意義は大きいと思った。

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広島支部法座~南無阿弥陀仏にかえす

   このところ、広島市だけでなく、島根組や福山組などのお参りが多く、盛会な支部法座が続き有り難い。今日も、初めての方も含めて、大勢御参りがあった。ただ30名を超えると、自由な発言が難しくなる。発言機会だけでなく、円座になっただけでも、人数に圧倒され気後れしてしまう。

 そこを勇気を出して破って発言くだった皆さんの声が尊かった。

 質疑でも、単なる知的な質問ではなく、聞きごころだったり、求める姿勢だったり、日頃の生活や聞法に直結する悩みから出たものだからだ。
 またその応えに対して、涙で返してくださる方、念仏として返してくださる方と、それぞれが尊かった。

 結局、聴聞にしても、座談会での発言にしても、特別なよそ行きの心では、意味はない。でも、日頃の私の心に任せていては、喜びも念仏も相続しないのではないかいう疑問がでる。それで、そんなわが心を問題にし、その心をなんとかましなもの、法にかなった自分になっていこうとしたり、どうしたらそう成れるのかと悩んだり、強信者と比べて落込み、初心者をみては自惚れていくのであろう。

 
 法話も「機無・円成・廻施」だったが、阿弥陀様は、私に真実の心も清浄の心も、微塵も持ち合わせないと見定めてくださったのである。そんな当てにならないわが心。いくらあてにし、まことにしようとしても無駄なのである。虚仮は虚仮、地獄行きは地獄行きとお聞かせいただく。そして自らの自惚れや方向違いをご指摘いただくのが座談会である。

 私の頼りにならない心を当てにして、そこに真実のお念仏を取り込むのではない。その反対である。私の上ではなく、如来様の仏地にしっかりと樹てさせていただくのである。そして、ゴチャゴチャ出てくるわが思いは、それにいちいち構い、とらわれないで、如来様の思議できないほどの難思の法の海に、常に流していくのである。如来様の広大無辺の法海は、どんな汚染水にも穢されることはないだ。
 心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流すのである。つまり、虚仮不実のわが心にかえるのではなく、常にお念仏(如来様のお心)に返させていただくのだ。

 そんなことを申し上げていたら、質問された方が、すぐ「いまお念仏させていただきます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」と、大声の南無阿弥陀仏された。すると、そのお念仏がまた連鎖して、お念仏の場となった。ひとりひとりは泥凡夫の集まりだが、それが南無阿弥陀仏の響き一つで、たちまちに南無阿弥陀仏で荘厳され、整えられていくのである。まさに、不思議なお働きを喜ばせていただいた。南無阿弥陀仏

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 53回目の誕生日。

 今年の冬は、寒い。京都も、例年以上に雪が舞う日が多い。
 今日も、そんな一日となった。
 
 昨年の誕生日に、母との会話がここにある。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-1dd7.html
たびたび法話のネタにしている。先日の東Img_4725京法座でもその話題したら、「私の娘もも2月10日生まれで、やはり雪がチラついた寒い日でしたよ」と、言われた方があった。ああ、そうですか。場所は違っても、どうやら寒い一日だったらしい。「娘さんも、昭和37年なんですか」と尋ねたら、「いいえ、昭和46年です」との返事。あれ、ちょっとずっこけた。2月のこのころは寒いは当たり前ですがね。

 東京での話題を母にする。すると、笑いながら、「いつも言うことで悪いけれど、あんたの生まれた日は、こんな雪が舞う寒い1日だったわ」と、やはり返事された。

Img_4730 夕食終、テレビを見ていたら、上の子が突然、電気を消した。サプライズで、バースディー・ケーキが出てきた。うまくかけなかったが、お祝いの文字も子どもたちが書いた。
 その上、お小遣いで、それぞれが誕生日プレゼントまで用意してくれた。上の子は、ニット帽。下の子は、メモ帳とアメリカのガム?、と思ったら、ガム型の修正テープでした。
 ありがとう(;_;)

 

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真宗本廟~暖かな光と『標的の村』~

Img_4709  門前町の法衣店や念珠屋で用事をすませて、真宗本廟(東本願寺)へ。

 久しぶりに御参りしたら、いまは阿弥陀堂などが改修工事中で、巨大な覆いにおおわれていた。

Img_4701 寒い。

 雪がチラチラ舞っている。

 そのおかげで、正面の親鸞さまが暖かな光となって、お迎えくださる。

Img_4710 会場となる視聴覚ホールへ向かった。 ここも初めてお訪ねする。この地下ある立派なホールだった。

  事務局の方がご案内をいただいた縁で、「真宗大谷派・九条のImg_4708会」の全国大会に出席する。

 こんなところに出ると、連れ合いの方がずっと顔が広い。呼びかけ人の大学教授も、演壇に立った教区長も、ぼくの知り合いの念仏者九条の会の世話人も、みんな彼女の知人だったりする。 とにかく縁を広げ、つなげていくのが、彼女の仕事でもある。

  御名号の横に、「民主主義」という文字が並べられ、少し違和感ある勤行の後、『標的の村』 の上映や三上智恵監督の講演などがあった。

  映画は、1年半ぶりだが、改めて深く感銘し、胸が熱くなった。

  集落を囲むようにオスプレイの演習(訓練)のための米軍ヘリパッド建設をめぐり、国(権力)は、まやかしと嘘を並べ、反対する人々を高圧的で、狡猾なやり方で抑え込んでいく。

 「嫌だから、やめてと言っているのに、どうしてやめてくれないの」
 幼児の言葉が胸に迫る。そんな幼児までを、通行妨害罪で告訴した国家権力。

 ぼくたち大人は、未来ある子どもや子孫を前に、本当に恥ずかしくないか。

 その後の三上智恵監督の講演も、とてもよかったが、後日あらためて、、。
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東京支部法座~疑心有ること無し~

 日曜日の東京支部法座は、参加者の1/3が初めてお会いする方だった。全体の参加者が多くなって、座談会も二重の輪となる。おかげで、常連だけの法座にはない緊張感が生まれ、活気もあった。皆さん、新鮮に、聞法されているで、法話も自然と力が入った。

 初めてのご縁といっても、まったく初ご聴聞ではない。別の集いで、「後生の一大事」を教えていただき、獲信のためにご聴聞に精進されてきた方々である。それが、さまざまなご因縁があって、いま、ここで、共に仏法聴聞の縁を結ばせていただいた。もしかすると、今生で、2度とお会いすることの方もおられるのかもしれないが、ここでは、「仏願の生起本末」をお聞かせ預かるだけである。それを、機無、円成、廻施(回向)のお心としていただいた。あずかる。それを疑問や疑いをもたずに聴くのではなく、〈『「疑心」有る』こと〉無しとなるまで、お聞かせにあずかるのである。それは、疑心そのものが問題でなくなるまで聴くのである。

 阿弥陀様を遠くにおかないで、獲信を特別なことにしないで、または自分ではダメだと自己否定しないで、いま、私にかけられている阿弥陀様の願いを、ここでお聞かせに預かるだけである。それは、「早く、帰った来いよ」との阿弥陀様の呼ぶ声を聞くことである。
  その御声を聞いたなら、聞いたまま「南無阿弥陀仏」とお応えするだけなのだ。  

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東京支部法座~呼びかけのワーク~

Img_4700 世話人のおはからいで、お祝いの盛花も飾られた東京法座。その他もいろいろなお気遣いありがとう。

 夜座に、6名のグループになって、名を呼びかけのワークを行う。

 寺院法座布教のとき、、おもいつきで始めたが、思いの外好評で、今回が2度目。

 けっして、難しいワークではない。  
  普通に自己紹介をし、それぞれの名前のおいわれを語り合い、そこにこめられた親の願いを聞きあう。そして、その名前を普通に呼んでもらい、返事し、「ようこそ」と歓迎していただく。その後、自分が呼ばれたい呼ばれ方で、皆さんに呼んでいただき、それにまた返事をするというだけのことである。ただ呼ばれる時には、トーンや語調などにも注文をつけていく。  

 これをやっていると、皆さんの顔つきが変わっていくのが分かる。大人になり、社会の荒波の中で、頑張って構えてきた顔や態度がから、まるで童心に帰ったように、みんな穏やかに、にこやかになっていくのだ。そうすると、メンバーとの距離がグンーと近づき、穏やかに自分の率直な態度や気持ちを伝えることができていくのである。

 だいたい呼ばれたい愛称は、大半が、子供のころに親から愛情をうけて呼ばれていた名であった。大人になって立場が変わると、新しい家庭でも、職場でも、地域でも、役割や役職だったり、氏名であったり、要は距離のある呼び方になったいくものだ。

 それを、最後に、全体で声を揃えて、「ようこそ、ようこそ」の気持ちで呼びかけていく。ただ親しみをこめて名前を呼ばれだけなのに、涙ぐむ中年の男性もけっこうでてくる。そこには、単なる呼びかけではなく、その背後に子供のころうけた親の慈愛が蘇ってくるからだろう。  今生の親だけではい。  

 私は、阿弥陀様からずっーと呼ば続けているのである。  
  ならば、その呼びかけに、返事をさせていただくだけである。  

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『和ちゃんとオレ』

 ドキュメンタリー映画「和ちゃんとオレ」は、息子介護の現状を映し出した衝撃的な作品だった。もともとテレビ番組を、映画版として再編集したものだ。

 中年(40~50代後半)の息子(独身)が、仕事を退職(離職)し、認知症や寝たきりの親(70代後半~90代)を介護する物語。

 母親(和ちゃん)を介護する野田明宏氏がメーン。母親ではなく、「和ちゃん」といっている。まるで恋人のようだ。介護のために仕事もできず、母親の年金(それなりにある)を頼りにしている。コンビニ弁当ばかりで料理も作らず、経済的にも、母親に依存して生きているダメな部分が、等身大で共感できる点もある。最初は、起こして壁に持たれさすと伝え立ちができるようなところから、いまは、胃ろうもし、痰も自分でとれず、意志も伝えられない。素人がみても要介護5の段階だ。最初、彼の言葉では、おむつの関係で、年老いた母親の性器を観るときに、最初の衝撃があったということだ。彼は、きれいごとではない介護の様子を、凡夫の生の声をブログで綴っている。孝行息子のように言われても、介護に疲れて、暴力を奮い、母親の肋骨も折ったとも、語っている。

 その野田氏が、完璧に父親介護する40代の息子さんを取材する形で紹介される。その介護ぶりや家の様子はすごい、すばらしいの一言。ところが、福祉は残酷だ。だんだんと父親の状態が悪くなると、人手不足(実際)であること、そして完璧に介護がこなせる息子が側にいることで、短期の入所さえも、受け入れが難しくなってきていることだ。まずは、独居へ手をさしのべるので、若い介護者いると援助の手は2の次になる。

  いわば、親のために頑張って、努力すればするほど、さらなる努力や頑張りを強いられていくが、今日の介護の実情だというのだ。  

 途中、介護に疲れて母親を殺害した息子が、母親を殺した部屋でのインタビューが挟まれている。

 この息子もまた、母親を愛し、介護することに情熱を傾けていた。脳梗塞で倒れた母親の余命は、「1年」と宣告された。1年ならばと離職して、介護を始めたら、それが8年以上も続くことになる。その間、1週間のショットスティでも「床ずれ」させる、施設のずさんさに、大切な母親は預けられないと、自分一人の手で母親を介護しようとする。入浴介護では、銭湯の気分を味わうために、部屋に富士山や華やかな花の絵で壁を飾り、身を粉にして母親の介護に邁進する。

 だが、現実は過酷だ。骨の髄まで疲れ果てたある日。酒を飲み、ベルトで母親を絞め殺してしまう。しかし、彼の献身的な介護は、近所の人々の嘆願書となり、また記録された介護日記から、殺人罪でありながら、執行猶予の判決となる。そのいわくつきの部屋で、母親へ介護の様子と、母親への思い語る姿をみれば、誰も彼を責めることはできなくなる。  

  行政や福祉のきれいごとやお題目ではなく、「いま、苦しい」「いま助けてほしいんだ」の、救われない生の声が、深く突き刺さった。

 まったく人ごとではない。胸がザワザワして、涙が溢れてきた。

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『和ちゃんとオレ』、に入る前に…。

 息子介護の現状をリアルに映し出した衝撃的なドキュメンタリー映画「和ちゃんとオレ」を観る。

 一昨年(2013年)のキネマ旬報の日本映画1位は、『ペコロスの母に会いに行く』という映画だった。http://pecoross.jp/

 「ボケ(母)とバゲ(息子)」という歌い文句で、確かに悪い映画ではなかった。介護する息子が、理想化され過ぎずに、いい加減さもリアリティがあって、よかったし、画風もほのぼのしている。しかしである。きれいすぎるのだ。現実は、もっと汚い。もっと厳しい、もっと人間の業が渦巻くことを、介護したものなら知っている。

 キネマ旬報の外国映画の1位も、『愛、アムール』。http://ai-movie.jp/

 こちらも、男性の老々介護。でも介護問題というより、生と死、そして夫婦の愛がテーマへと昇華されていく。妻の病から、平穏な日常が、少しずつ剥がれ落ち、追い詰められていく年老いた夫を、静かに見つめていく。こちらは、観るものの心乱されるミヒャエル・ハネケ監督。静謐でありながら、余韻が残る作り。如何せん、重くて、しんどい。最近は、あまりにも無駄が削ぎ落とされすぎて、退屈だった。

 他にも、スペイン映画『しわ』のように、認知症や介護問題をテーマにしたアニメ映画があった。http://www.ghibli-museum.jp/shiwa/

 中国には中国の高齢者への問題があって、人口増加で極端な施設不足や一人っ子政策による(夫婦二人で、四人を介護が必要となる)若年層の不足などの問題もある。そんな社会問題はなく、普遍的な親子愛(孫を媒介した父親と息子の葛藤の克服)や人生最後の輝きを求めて冒険の一歩を踏み出す『グォさんの仮装大賞』http://www.guosan.jp/は、心の琴線に触れる映画だった。その他にも、高齢者や老人介護が主題となるよう映画が、日本を筆頭に先進国で並んだのも、世相の反映であろう。その傾向は、ますます強くなっていくのだろう。

 肝心の『和ちゃんとオレ』に触れる前にちょっと寄り道しちゃいました。

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2月の伝道研究会~「三心一心」(1)

 2月の伝道研究会

 寒い夜の法座。かなり専門的な内容で、難しいと苦戦されているが、それでも、精勤にご参加くださり、微々たるものだか、人数も増えているのが、うれしい。

 昨年で「所帰人法」が終わり、今月から、安心の構造である「信心論」に入っていく。ここから、「三心一心」や~信心正因」~「二種深信」と続いていくが、今日は」の序論、概観にあたるところだ。

 本願(第十八願)に誓われた「三心(至心・信楽・欲生我国)」の基本構造を分析して、「他力の一心」であることを明かにすることが、今回の中心目標であることを確認した。
 序論にあたって、「真宗の信心」の他の宗教の信心とは、比類を許さない特異性がある点、例えば、御利益信心の否定、如来回向の信心、名号を受領、信楽無疑の一心、本願の三心といったところから、窺っていった。

 3月からは、その内容に入っていく。

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御案内~映画「標的の村」上映

 同人である真宗大谷派・九条の会の事務局の方からご案内をいただいた。

 京都新聞にも案内がでていたので、皆さまにもお知らせです。

 真宗大谷派・九条の会第8回全国集会~沖縄を想う~。

 真宗本廟視聴覚ホール2015年2月9日正午より開場・受付。

 12時30分開始~16時閉会。

 映画「標的の村」上映の後、三上智恵監督講演など。参加費は喜捨。

 ぼくも、一昨年9月に京都シネマでこの「標的の村」を観て、すごく感銘した。

 キネマ旬報のドキュメンタリー部門の1位に輝いた(「ある精肉店の話」とか、「先祖になる」とか、この年はいい作品が多かった)、良質な作品だ。

 ベトナム戦争の時には、訓練のために仮想のベトコン村にされた住民が、米兵に銃を突き付けられている。日米安保は、日本国民を守るのではなく、アメリカの国益のためにあるのがよくわかる。その同じ集落を取り囲むようにオスプレイの訓練場が建設される。辺野古沖への移設もまた同じ根だ。

 そして、普天間の飛行場の全てのゲート前に、国会議員や自治体首長を含む沖縄の住民らが座り込み、米軍基地を一時封鎖した実情も、そうだ。それを強制排除で取り締まるのは、沖縄の警察官であるという、構造も悲しい。

 とにかく、沖縄以外ではほとんど報道されていない沖縄の事実や出来事が多くて、驚かされた。 

 とくに申込みなどは不要なので、関心のある方は、どうぞ。

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節分

  季節の分かれ目。

Img_4695 節分なので、鰯と、海苔巻きを食べた。

 子供の時にはなかったが、最近は、関西を中心に「恵方巻」なる海苔巻きの丸かじりをする風習が、いつの間にか広がった。逆に、豆まきをする家は、少なくなったのではないかな。  でも、そんなことをしても、喉が詰まって、おいしくないだろうから、最初から切って、普通に食べた。

 明日は、立春。暦の上では、春である。  まだまだ寒い日が多いが、これから春の気が立つ季節になってくるのである。

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聖典講座~四十八願(4)

   2月の聖典講座。

 四十八願に入って、3回目。
 今日は、21願~48願をいただく。
 前回の12願から20願までの「あらゆる人々をすくいとりたいという願い」(ブログでは、肝心の生因三願18、19、20願には触れていないが、、)から、今日、主に「浄土に往生して仏となった人々への願い」、もしくは「限りなくさとりを求める願い」と分類されるところである。
 さらに大きく3群に分類((1) 21~32願=主に還相回向の徳の展開。(2)33願~39願=主に十方諸仏の国土の衆生に誓われ、(3)40願~48願=主に他の仏国の菩薩方へに誓われる)して、流れを中心にしながら、1願、1願を味読していった。

 (1)まず、21~32願は、主に還相回向の徳の展開していく。21願では、仏の三十二相をまどかに備えることが誓われた後、22願では、普賢の徳、つまり大慈悲心のはたらきである還相回向が誓わる。この浄土に往生をなし遂げたものを、還相の徳を得させたいとの願いが、以下に展開して進んでいく。そして、第31願、32願は、摂浄土の願で、国土の荘厳が誓われていく。31願では、浄土の内面的な徳が、32願では、外に向かって働く徳が誓われている。

 (2)次に、33願~39願は、主に十方諸仏の国土の衆生に誓われる願である。中でも、第33願の触光柔軟(にゅうなん)の願と、第34願の聞名得忍の願を、親鸞聖人は、『信巻』 真仏弟子釈で引用されている。金剛の他力回向信を得たもの徳としていただいておられる。この柔軟心が展開して、以下の願が生まれてくるのだが、この柔軟心こそ、阿弥陀様のお心であり、これもまた還相の徳のあらわれだと見ていいのだろう。
                           
(3)最後の40願~48願は、主に他の仏国の菩薩方へに誓われている。つまり、40願で、弥陀の浄土に生まれた人々に対して、他の仏国土、すなわら別の仏道を歩む人々を敬うように願われた後で、他の仏国の菩薩方への念の入った誓いを並べられて、四十八願を結ばれている。

 
 いまは、一つ一つの願に言及できなかったけれど、第1願の無三悪道から始まった法蔵菩薩の誓願をいただくと、その願心の深さ、尊さに念仏申さずにはおられない。
 妙好人善太郎さんは、「一願 ナモアミダブツ 一願 ナモアミダブツ…」と拙い文字で、四十八願のひとつひとつを、「南無阿弥陀仏」と拝まれているのである。南無阿弥陀仏 

★次回は、3月1日(日)1時30分~5時

 四十八の誓願をさらに重ねてお誓い」くださる、重誓偈にはいります。

 

 

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