千本釈迦堂(大報恩寺)
めったに来ない千本五辻まで出てきたので、千本釈迦堂に寄って帰ることにした。
実は、ずっと訪ねたいと願いながら、初めて拝観するお寺である。
正式名は、大報恩寺というが、応仁の乱の時、このあたりが「西陣」(山名宗全が西軍の陣を張った)だった(すぐ近く碑も立っていた)。11年間に渡る戦火で、京都は焼き野原となったが、ここだけは奇跡的に戦火を免れて、国宝の本堂は、京都市内に現存する最古の木造建造物である。もちろん、京都には、もっと古い歴史的な建物が多数あるが、
すべて応仁の乱以降の再建ということになる。
宝物館には、六道の救い手としての六観音(すべて阿弥陀様を冠にいただかれる)は定慶作、快慶作の釈尊十大弟子などの重要文化財も、多数残っている。
本堂は、名前のとおり釈尊がご本尊であるが、秘仏として厨子に修められていた。「南無阿弥陀仏」ならぬ
「南無釈迦牟尼仏」と唱える釈迦大念仏が、広く民衆に広まっていく。応仁の乱の槍の傷が残る柱など、歴史を重みを感じさせる建物だ。真言宗だが、本堂に強い結界がひかれず、信者の礼拝空間である外陣が広くとられている
ので、ある意味、阿弥陀堂のような建物である。ちなみに、本堂の創建は、1227年の鎌倉時代。親鸞聖人が、関東から京都に戻ってこられる直前のことである。
国宝や重文が多数ある由緒ある真言宗の寺院だが、境内には、数々の現世御利益信仰の広告が飾られている。一番の目玉は、12月8日の釈尊の成道会に開か
れる「大根炊き」で、京都の年中行事としても有名だ。その御利益は中風(いまは諸病)防止が売り物で、お釈迦様の真精神とはほど遠い。残念ながら、国宝の建物は残っても、その中で語られる、肝心要の仏教のおこころは、ずいぶん変質しているようだ。
「おかめ」さんの由来となったお寺としても有名で、境内にはおかめ像が多数あった。
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