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究極の一言~報恩講の座談会にて~

  報恩講の分級座談会に、1度だけだが、久しぶりに悟朗先生も同席された。

 報恩講は、法要もあるし、どの先生方のご法話も熱が籠もっていたので、長引いたこともあって、分級座談会も1時間ほどしかとれなかった。
 法話の感想を皆さんに一周回したら、残りは20分ほどしかなかった。最後は、悟朗先生だったので、一言、促すした。

 タイトルを付けるなら「究極の教え」というようなお話で、何度も何度も「究極」という言葉が出てきた。ゆっくりしたお話だったでの、ほぼ完全にメモをしていた方もあったが、だいだいの要旨はこんなお話だった。

「華光会館が完成したのは、みんな集って、究極は、ひとりひとりの信心の沙汰をさせてもらうためもの。この世の生活のことは、その時々でどうにでもなる。初めての方も、学問をされた方も、ここは腹底から、究極の言葉を語り合う場所。それが華光会館が完成し、この信仰座談会が開かれている意味だ。結局、ひとりひとりのところに、究極の一言が入っているのか、そしての一言が出てくるのか。その究極の一点のみを、座談会では話し合っているし、それが華光会館が完成した意味なのだ。」

「これがぼくにとって、最初で、最後になるかもしれませんが、初めて悟朗先生のご法話を聞かせていただきました」という方もあった。幸いなことに、ご一緒できた方は、皆さんがたいへん喜んでおられた。

 究極の一言が入っているのか、その一言が出てくるのか。直接の言及はなかったけれど、その究極の一言こそが、「南無阿弥陀仏」という六字の御名ではないだろうか。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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