葬儀雑感
町内会でお世話になってきた方が、お亡くなりになった。一緒に役員をしたり、町内の集会場を提供くださったりと、町内の世話役のような存在だったので、訃報に驚いた。20名以内の少人数の行事では、食事会場として利用させてもらっていたので、華光の方でも、顔見知りの方もおられるだろう。
近所の葬儀会館が会場。
浄土宗のお葬儀で、「重誓偈」や「阿弥陀経」がお勤めになった。表白も、有り難いご文で、噛みしめて味あわせもらった(来迎などは真宗とは異なる点もあったが、釈尊が阿難に付属され、十方の諸仏が証誠された、遇い難い本願に出会い、お念仏申す身となったことを喜ぶという内容だった)。最後に十念が行われて、30分足らずで終了した。ところが、まだお焼香の列が続いているのに、お導師様は退席された。その後、故人の思い出を映し出すスライド・ショーが始まるからだ。
勤行の途中で弔電の披露されたり、まだ焼香中なのに勤行が終了したりと、僧侶(宗教行為)中心ではなく、葬儀屋(演出)主導ということが、ますます顕著になっているようだ。どのようにお見送りするのかは、故人の希望や家族のご意向はあるが、実際は、葬儀屋から提供された演出であって、僧侶も読経も添え物として、その時間はどんどん短くなっていくのだろう。 せめて、最後に、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」と「十念」があるのだから、積極的に、参列者も共に声に出して、お念仏するように促してもらえばれいいのだが、その点が弱くて残念な気がした。
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