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2015年1月の25件の記事

『ベイマックス』

 スキー教室があって、下の子は筋肉痛で、休養。

 上の子と一緒に、ふたりで映画に行く。

 さすがに、『妖怪ウォッチ』の年齢ではない。昨年も、『アナ雪』や『マレフィセント』のディズニー映画や『思い出のマーニ』のようなジブリ作品を、一緒に観た。  

  ディズニーの新作 ベイマックス』 東京とサンフランシスコを足したサンフランソウキョウという架空の都市が舞台。  

  愛する人を失った喪失の癒しと、再出発がテーマだ。  

  これは昔から映画素材になるが、最近は、亡くなった人が蘇ったり、生まれ変わったり、死者と交信ができたりと、来世と今生を行き来するような素材が多発しているのは、9、11や3、11の影響もあるのだろうか。もちろん、現実起こらない空想や夢を実現するのは、映画ならではである。  

 といっても、このディズニーアニメは、死者が蘇ったり、交信したりすることはなくてよかった。ちょっととぼけたケア・ロボットと、少年の交流と冒険を通して、愛する人の心に触れていくという映画で、憎しみや復讐ではなく、ゆるしと優しさに溢れた内容。  

 映画のあと、ふたりで通学用のリュックや本を買って、お茶を飲んで、しばしデート。

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親族の木陰  

     ここ数年、いろいろなものや人を失ったり、無くしたりしてきた。一方で、新たな出会いや再発見も経験してきた。  

  今回、新たな出会いと拡がりと同時に、改めて親族の温もりが身に沁みてきた。  

「親族の蔭は涼しい」という釈尊のお言葉を思い出す。  

  釈尊の晩年。  

  シャカ族は、出生のことで彼らを怨んだ、大国コーサラ国のヴィドゥーダバ王によって、滅ぼされた。釈尊は、大軍を率いる王の進路にあった古木の下で瞑想されておられた。そして「親族の蔭は涼しい」と、王の殺戮を3度目で諫めた。しかし、最後にはシャカ族は、全滅さられる。釈尊の故郷、カピラヴアストゥは、今日なお、失われたままの故郷となってしまう。

 インドの炎天下、枯れ木であって、その蔭は涼しいかったのであろうか。  

  真冬の京都では、親族の懐の温かさを、しみじみと味あわせていただいた。

http://asanoya.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/no371-5a49.html

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冬の嵐山

Img_4686_2 冬の嵐山。

 食事会の席から、大堰川(桂川・上流は保津川)にかかる渡月橋を眼下に見渡せる絶好のロケーショImg_4615_2ン。あいかわらず、外国からの観光客は多いが、それでもシーズンオフで、人力車も手面ちぶたさ。これが桜や紅葉のころだと、たいImg_4624_2へんな人出がある。一昨年の9月、昨年の10月と2年続きの台風で、大きな被害をImg_4619_2受けて、復旧の護岸工事があっちこっちで行われていた。

 ゆったりした温かな時間の中で、御馳走をいただいた。
Img_4622_2http://asanoya.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/no372-083e.html

  朝降っていた雨も、昼前には止んでくれた。 どんより曇っているが、ときより日差しが映える。ふとみると、日差しがあるのに、片側だけ小雨が降っている。 「ああ、狐の嫁入りやね」と、姉が何気なく言った。

 いーや、確かに、今日は化けているのでしょうが…。
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仏前結婚式

005_2 華光会館での結婚式は、これまで2、3度しかない。30年ぶりに、阿弥陀如来の尊前での結婚式を挙行させていただいた。

 業者やプロを頼まず、設営や荘厳、写真、式次第まで、すべて手作りで準備する。設営には、仏青の皆さんにもお手伝いただく。当日も、同人Img_4545_2_2の皆さんにお手伝いをいただいた。ありがとう。

 今回は、家族と近しい親族のみだが、雨の中、地元の同人や先生方がわざわざ式に参列くださった。

 司婚をお願いしたM師は、二人の仲人のような存在でもある。

Img_4540_2 ご法話。「誓いの言葉」のあとだったので、信心獲得章をあげて、平易な言葉で第18願のお心をお話くださる。「阿弥陀様は、私にほんとうの幸せをあげようと誓ってくださっていま。それがご本願のお心です。この世の幸せ(もしくは私が幸せと思うことは)には、いろいろあるけれども、不安や心配が尽きないかぎり、けっして幸せとはいえない。そこで、阿弥陀様は、ほんとうの安らぎ、安心をあげようと、おImg_4604_2誓いを建ててくださったのです。」  

 皆様のおかげで、 厳粛でありながら、温かい雰囲気の式となったことを、御礼申し上げます。

 温かいお心遣いやお言葉を賜った皆様も、ほんとうにありがとうございました。

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葬儀雑感

 町内会でお世話になってきた方が、お亡くなりになった。一緒に役員をしたり、町内の集会場を提供くださったりと、町内の世話役のような存在だったので、訃報に驚いた。20名以内の少人数の行事では、食事会場として利用させてもらっていたので、華光の方でも、顔見知りの方もおられるだろう。  

  近所の葬儀会館が会場。

 浄土宗のお葬儀で、「重誓偈」や「阿弥陀経」がお勤めになった。表白も、有り難いご文で、噛みしめて味あわせもらった(来迎などは真宗とは異なる点もあったが、釈尊が阿難に付属され、十方の諸仏が証誠された、遇い難い本願に出会い、お念仏申す身となったことを喜ぶという内容だった)。最後に十念が行われて、30分足らずで終了した。ところが、まだお焼香の列が続いているのに、お導師様は退席された。その後、故人の思い出を映し出すスライド・ショーが始まるからだ。

 勤行の途中で弔電の披露されたり、まだ焼香中なのに勤行が終了したりと、僧侶(宗教行為)中心ではなく、葬儀屋(演出)主導ということが、ますます顕著になっているようだ。どのようにお見送りするのかは、故人の希望や家族のご意向はあるが、実際は、葬儀屋から提供された演出であって、僧侶も読経も添え物として、その時間はどんどん短くなっていくのだろう。  せめて、最後に、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」と「十念」があるのだから、積極的に、参列者も共に声に出して、お念仏するように促してもらえばれいいのだが、その点が弱くて残念な気がした。   

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名古屋テレビ塔

  東海支部法座で、名古屋に向かう。初めての会場で、名古屋駅から地下鉄に乗って栄駅で降りる。  

Img_4523_2  ここは初めて降り立ったが、思ったより地下街が大きくて、10B番の出口が分からずに、仕方なく10番出口にでたら、噴水のある公園の中にでた。名古屋にはよく来るのに、初めて名古屋テレビ塔を、間近にみることができた。  

 でも、会場の場所が分からない。そこで休んでいた地元の方に尋ねても、教育館は知らないという。地図を見せると、「ああ、ここですか。これが中日ビルなので、この道をまっすぐいった一筋目ですね」と教えてくださり、最後に「分かりましたか」と、念を押してくださる。分からない時は尋ねるのが一番と、安心して、もう一度、地図を確認。あれ、教えられた道ではImg_4526_2、テレビ塔からは西向きの道に入って、違う方向になる。会場はテレビ塔に向かっていくのだから、間違って教えられたのだ。正しく会場にいくには、その方の目の前を通らねばならない。でも、「分かりましたか」と自信たっぷりに教えてくださった手前、教えられた方向に進むふりをしながら、ちょっと迂回して会場に向かうことにした。ちゃんと地図どおり、教育会館がありました。 

 間違って教えられたけれど、尋ねたことで、現在位置が分かって、迷わずに、無事に着くことができました。ありがとうございました。  

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千本釈迦堂(大報恩寺)

Img_4517_2 めったに来ない千本五辻まで出てきたので、千本釈迦堂に寄って帰ることにした。 実は、ずっと訪ねたいと願いながら、初めて拝観するお寺である。

 正式名は、大報恩寺というが、応仁の乱の時、このあたりが「西陣」(山Img_4519_2名宗全が西軍の陣を張った)だった(すぐ近く碑も立っていた)。11年間に渡る戦火で、京都は焼き野原となったが、ここだけは奇跡的に戦火を免れて、国宝の本堂は、京都市内に現存する最古の木造建造物である。もちろん、京都には、もっと古い歴史的な建物が多数あるが、Img_4500_2すべて応仁の乱以降の再建ということになる。

 宝物館には、六道の救い手としての六観音(すべて阿弥陀様を冠にいただかれる)は定慶作、快慶作の釈尊十大弟子などの重要文化財も、多数残っている。  

Img_4499_2 本堂は、名前のとおり釈尊がご本尊であるが、秘仏として厨子に修められていた。「南無阿弥陀仏」ならぬImg_4490_2「南無釈迦牟尼仏」と唱える釈迦大念仏が、広く民衆に広まっていく。応仁の乱の槍の傷が残る柱など、歴史を重みを感じさせる建物だ。真言宗だが、本堂に強い結界がひかれず、信者の礼拝空間である外陣が広くとられているImg_4497_2で、ある意味、阿弥陀堂のような建物である。ちなみに、本堂の創建は、1227年の鎌倉時代。親鸞聖人が、関東から京都に戻ってこられる直前のことである。

Img_4510_2 国宝や重文が多数ある由緒ある真言宗の寺院だが、境内には、数々の現世御利益信仰の広告が飾られている。一番の目玉は、12月8日の釈尊の成道会に開かImg_4492_2れる「大根炊き」で、京都の年中行事としても有名だ。その御利益は中風(いまは諸病)防止が売り物で、お釈迦様の真精神とはほど遠い。残念ながら、国宝の建物は残っても、その中で語られる、肝心要の仏教のおこころは、ずいぶん変質しているようだ。

   「おかめ」さんの由来となったお寺としても有名で、境内にはおかめ像が多数あった。
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老舗

Img_4479_2 御礼の品を買い物に、千本五辻の「五辻の昆布」へ。

 以前、父の米寿記念を兼ねた、七五〇回大遠忌の祝賀会で、内祝いとして皆さんにお配りした老舗の昆布屋だ。

 品物も確かだが、接客の対応がとても親切でよかった。家族4名でいって、それぞれに昆布茶を出し、子供たちには昆布のお菓子まImg_4481_2でくださる。その上、子供たちに、コンブの絵本のことで、わざわざ話しかけてくださった。

 包装といい、接客といい、有名な老舗なのに、とても親切な対応をしてくださって、とても気持ちがよかった。学ぶ点が大いにあったなー。                       

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芝川骸骨堂

Img_4533_2 何十年ぶりかに、西本願寺前の念珠屋に立ち寄る。結婚式の念珠交換のために、ペアーで念珠を買うためだ。

 実は、この骸骨堂さんとは、ただならぬご因縁がある。もう47、8年前にも遡る、3歳ぐらいのぼくと父と、そして先代のご主人との間であった、忘れられないエピソードだ。あえて勿体をつけていまは語らないが、それ以来深いおつきあいが続き、Img_4605_2中国旅行もお勧めくださって、ご夫婦と一緒に、華光で中国旅行ツアーを組ませていただいたことまである。ぼくがまだ大学院のころであるが、印象深い旅だった。夜行や長距離の列車の旅が続いて、車内で、念珠作りの教室も開かれた。一端は、取得したと思ったが、もうすっかり忘れている。

  ただし、いまやそのご夫婦も老齢となられて、ご子息の時代とあり、ぼくもほとんど初めて訪問だったが、ここに来ると、ぼくの原点でもあるような気がした。不思議なことに、連れ合いも、ここのご主人に、以前からお世話になっていたとのことで、よくよくのご因縁があるのだろう。  お祝いにと、ペアーで腕輪念珠までプレゼントくださった。ありがとう。

 

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往生礼讃「日中偈」

 なかなか出席ができずにいた、仏教大学主催の一般公開の「往生礼讃」の講義に出る。  「日中偈」に入る。ここは、善導様が『観経』十六観(定善十三観と散善三観)に基づいて作られた、七言絶句の偈文である。例によって、同じ文字が使われていたり、韻の踏みかたが不完全だったりなど、問題点の指摘。ぼくなど、書き下し分で、宗教的な内容しか考えたことがなかったので、この視点はとても新鮮だ。善導様は李白や杜甫の少し以前の方なので、近体詩の影響を受けていないという。それでも、第1句第2字が平字であるものを平起、仄字であるものを仄起の約束のために、本来の『観経』の文字をわざと変えたり、前後の順番を変えたしながら、文学的な偈文の形体に合うように工夫されている様を学ばせてもらった。特に、敦煌出土の異本との対比をみれば、一目瞭然で、面白かった。これは、書き下し文化の日本人では味わえない視点で、当面の文字だけだはわからない、本来の意味が味わえた。  

Img_4475_2 雨が降っていたので、烏丸六条まで歩いて、東本願寺前のティ・コンセプションで、スコーンと、おいしい紅茶を飲みながら、書き物をした。
 あいかわらず、客は誰もいない。潰れずによく続いていると関心しなが、1年ぶりに、ちょっとマスターと立ち話。

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仕事にはげみましょう

Img_4466_2 1月の広島支部法座は、宮島のある廿日市市が会場。1月第3日曜日で、会場の真下が、都道府県対抗男子駅伝と重なった。ちょうど折り返し地点に近く、往復するのである。この会場も、役員などを支援会場となっている。法話が始まった時には、声援も聞こえてきたが、あっという間に過ぎ去っていった。   

                           
 法座が終わって、久しぶりに「ながと」に寄せてもらう。昨年は安芸区開催だったので 、2年ぶりだ。今回は、パワー溢れる熟女の皆さんとご一緒。なんでも、皆さん、すぐ近くの旅館に泊まられるという。すごい勢いに、こちらもパワーをいただく。カラオケでも、得意な「森の水車」を披露されたHさんなど、皆さんの歌を聴かせてもい、大いに感心したImg_4467_2。いつもの法座と一味違う、皆さんの姿をお見せしたかったなー。

 ふとみると、「ながとを救おう基金」の募金箱を発見。いやー、経営が苦しいとは聞いていたが、見かねたお客さんが募金箱を作ったいうのである。ここがなくなったら、ぼくたちも困るので、ぼくも少しだけ貢献させていただきました。

 緑の森の彼方から 陽気な唄が聞こえましょう 
  あれは水車の廻る音
 コトコトコットン コトコトコットン 仕事にはげみましょう。

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広島法座in廿日市~一期一会

 今回は、広島法座は、初参加の方が多かった。

  同人のお誘いで、ご夫婦でおいでくださった方があった。お誘いくださった方も、それに快く応じてくださったご夫婦も、ご縁のある有り難い方だ。
  また、書籍からネットを通じて、初めての方が御参りくださる方もあった。お話からも長年ご聴聞されているようで、最初から聞き心を問題にされている。よくよくのご因縁のある方のようだが、誰も知らない初めての集まりに、一人で参加され、しかも自分開いて発言くださる勇気が、とても尊かった。こんな方に出会えることが、とてもうれしい。

 他にも、島根で初めて会った方も、初めての広島の法座。信一念の核心のところを求めておられて、かなり突っ込んだご示談となる。白熱してきたら、お寺や華光会館と違って、ビル形式の会議室は、ちょっと戸惑い気味になる。あまりにお念仏の声が大きいと、次はお断りをされるかもしれない心配だ。しかしである。どんなに都合のよい会場でも、そんなことはこの世の問題だ。後生の大事を前に、お念仏を憚っていてはもったいない。「断られたら断られたときです。遠慮なくお念仏もうしましょう」と、皆さんでお念仏させてもらった。

 一期一会の場は尊い。顔ぶれが新鮮な分、座談会も活気が出でくる。しかし、ほんとうは、新顔の問題ではない。実は私もまた、毎回毎回、毎度毎度、私と、お念仏さまとの一期一会の出会いを頂いているのではないだろうか。粗末にしては、勿体ない。                              

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1月の輪読法座~名で接したまふ~

  1月の輪読法座。

 巻頭言「今、われ、幸いに」と、聖教のこころ「名で接したまふ」を味わいながら読む。
 報恩講が終わったばかりで、報恩講での法話や座談会のことが、結構、話題になった。特に、ぼくの法話で、名号について、親鸞様が、「名」が、まだ仏になられる前の因位の時のお名前、すなわち法蔵菩薩様という名と、「號」は、仏となられた果上の時のお名前、すなわち阿弥陀如来様というふうに、因果に分けて用いておられるご文に触れたことを、新鮮に聞いてくださる方が多かった。

 それにも少し関連する点もあるが、本号の聖教のこころは、『行巻』引用された元照律師のご文である。

「いはんやわが弥陀は名をもつて物(衆生のこと)を接したまふ。ここをもつて耳に聞き、口に誦するに、無辺の聖徳、識心(衆生の心)に攬入(入り満ちること)す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり。」(元照律師-『行巻』)

 阿弥陀如来は、「名」-南無阿弥陀仏の名号となって、「物」=私どもを済度されるというのである。そして、「名」なればこそ、この耳で聞くことができ、この口で称えることができるのである。そして、耳で聞き、口で称えるけとひとつで、無漸無愧で、まことが微塵もないこの身にも、限りない慈悲智慧による尊い功徳が飛び込んでくださり、満ち満ちてくださるというだ。しかもそれが成仏の因となり、億の劫を重ねるほどの計り知れない罪罪がたちまちに除かれて、最上の悟りを獲得するというのである。それは、決して小さな善根ではなく、無量の福徳がある広大な功徳なのだというのは、阿弥陀経のおこころでもある。

 この私を救わんがために、こころもおよばず、言葉も絶えた真如の世界から、真実そのものの如来様が、「名乗り」を上げてくださったのである。それが、今、私に届く、「南無阿弥陀仏」である。にもかかわらず、私は、「南無阿弥陀仏ぐらい、お念仏ぐらい」と、粗末な、小さなものにしてはいないだろうか。

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減ったり、増えたり

  体調を崩していて、1週間ぶりに体重計(体組成計)に乗ったら、2㎏も痩せていた。

 それだけではない。体脂肪も、内蔵脂肪も軒並みマイナスで、おかげで、体内年齢は、3歳も若返っている。

 病気になって、若返る、健康になるというのも、また不思議なものだが、結局、日頃が、食べ過ぎということなのだろう。

 ちなみに、その後の2日間で、1㎏も増えていた。もう2~3日もすれば、元の体重に戻っているのだろう。痩せるのはなかなか大変なのに、元に戻るは、あっという間。

 せっかく若返ったと喜んだのだけどな~

 

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究極の一言~報恩講の座談会にて~

  報恩講の分級座談会に、1度だけだが、久しぶりに悟朗先生も同席された。

 報恩講は、法要もあるし、どの先生方のご法話も熱が籠もっていたので、長引いたこともあって、分級座談会も1時間ほどしかとれなかった。
 法話の感想を皆さんに一周回したら、残りは20分ほどしかなかった。最後は、悟朗先生だったので、一言、促すした。

 タイトルを付けるなら「究極の教え」というようなお話で、何度も何度も「究極」という言葉が出てきた。ゆっくりしたお話だったでの、ほぼ完全にメモをしていた方もあったが、だいだいの要旨はこんなお話だった。

「華光会館が完成したのは、みんな集って、究極は、ひとりひとりの信心の沙汰をさせてもらうためもの。この世の生活のことは、その時々でどうにでもなる。初めての方も、学問をされた方も、ここは腹底から、究極の言葉を語り合う場所。それが華光会館が完成し、この信仰座談会が開かれている意味だ。結局、ひとりひとりのところに、究極の一言が入っているのか、そしての一言が出てくるのか。その究極の一点のみを、座談会では話し合っているし、それが華光会館が完成した意味なのだ。」

「これがぼくにとって、最初で、最後になるかもしれませんが、初めて悟朗先生のご法話を聞かせていただきました」という方もあった。幸いなことに、ご一緒できた方は、皆さんがたいへん喜んでおられた。

 究極の一言が入っているのか、その一言が出てくるのか。直接の言及はなかったけれど、その究極の一言こそが、「南無阿弥陀仏」という六字の御名ではないだろうか。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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風邪

  正月も終わり、学校が始まったばかりなのに、下の子がインフルエンザ、上の子も体調不良で、報恩講を欠席することになった。

 実は子供だけではない。ぼくも、数日前から、頭痛がしたり、下痢をしたり、喉がおかしかったりが、続いて、金曜日には、顔や頭中にじんましんが広がって、高熱もで出した。

 これは不味い。報恩講を前に、もしインフルエンザなら、たいへんご迷惑をかける。困ったと心配していたが、土曜日には高熱は収まり、どうやらインフルではないとのこと。それでも、なかなか熱は下らず、咳も続くので、報恩講初日の法要は、欠席させてもらうことにした。分級座談会は出席したが、高齢の方にうつしてもダメなので、後は人込みにでず、静養することにした。食事もおもゆで、懇親会も休んだ。

 
 それで、2日目の朝も微熱になり、すこし調子がよくなってきたので、法要も、ご法話も担当させてもらうことができた。ちょっと精彩を欠いた顔つきで、皆さまには、ご迷惑やご心配をおかけしました。

 体調管理には、気をつけます。

 

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お仏壇

  親鸞聖人の報恩講を迎える準備が急ピッチで進む。
  今日は、京都支部の有志による仏具のおみがきがあった。
昔から、地元の婦人会(いまはもうない)の人達がお世話くださっていたものを、京都支部の有志が受け継いで行ったくださっている。

   ところで、華光会館には、道場、教室、そして3階の研修室の3箇所にお仏壇がある。他に1階と、3階の分級で使用する部屋は、「南無阿弥陀仏」の六字名号。あと、子供大会用に、携帯用に、四具足と、絵像の阿弥陀様もある。仏壇は、木造の方便報身の阿弥陀如来像である。3階の阿弥陀様は、飛騨の名人によるもので、新会館が誕生した時にご寄贈いただいたものだ。

 ぼくが、生まれた時には、道場と教室の2体だけだった。  
 華光会館が誕生するときに、六字尊号にするか、木造の如来様にするかで迷ったらしいが、日曜学校などで多くの子供たち(ほんとうにたくさん参加していた。行事には、子供だけで100名を超えることもあった)が御参りするので、少しでも身近に感じてもらいたいと、木造の阿弥陀様を選んだという話を聞いている。ゼロからのスタートで、建設費も借金するしかないなかで、残念ながら、お仏壇を豪華にする資金がなく、カーテンを工夫して、お飾りにするなどの苦労があったようだ。それでも、ご本尊だけでは、いいものを求めたと聞いている。

 昔、夏休みに、父が道場と教室の阿弥陀様を、丹念にお身拭いをしていたことがあった。だんだんと熱心になって、とうとう分解して修理し、新品のように生まれかったことを思い出す。父は、何事も、凝りだすと徹底している。教室の仏さまは、阪神大震災の時、左手が外れるとImg_4164_2いう被害があったが、すぐにきれいに修復した。

 元日の夜、仏壇の話がでてきた時に、姉から「教室の阿弥陀様の方が、いいものだと、よくお父さんは言っていた」という話をきいた。

 ぼくにはまったく初耳のことだった。

Img_4163_2 昔の日曜学校は教室であった。ぼくが生まれた初参式も、この阿弥陀様の前での写真が残っている。しかし、新会館になってからは、法座会場が、二階の道場か、三階の研修場のばかりで、教室は分級座談会としてしか使われる程度。ここで勤行されることはほとどない。ブログでも、写真すら載せたことは、なかった。

 ちょっと勿体ない話だなーと思いながら、改めて尊顔を拝させていただきました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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月光

Img_4356 子どもたちの短い冬休みは、今日で終わって、明日から学校が始まる。

 琵琶湖には、薄雲の合間に月が霞む。

Img_4365 新春だが、春には遠く、朧月とは言わないだろう。

 静かだ。湖畔のさざ波の音だけが聞こえる。

 月光に、雪がうっすら光って、輝く。

 一闡提のアジャセ王の体の痛みを抜いたのは、釈尊の大慈悲心から発せられた、月愛三昧という、いわば清浄な月光だった。
 ところが、目にものを見せられながらも、アジャセ王はまだためらう。「私みたいなものではダメだ」と。その時、王の背中を押したのは、善友、ギバの温かの言葉だったいう。ここに、絶対の救われる筈のない難化の者にも無根の信が生まれお膳立てが整うのである。南無阿弥陀仏
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東寺の雪景色

Img_4300 夕方、本屋に出かけた子供と、東寺を散歩した。  

   元旦、2日と大雪に見舞われたが、今日は、青空も広がり、雪は溶けだした。

Img_4302_2 それでも、雪合戦はまだできる。正月三カ日通して、子供と雪合戦をすることになるとは、夢Img_4282にも思わなかった。

 溶けだした雪で足元は悪かったが、東寺は、初詣客で賑わっていた。

 雪をかぶった五重の塔は、絶好の被写体。

 有料拝観はせずに、勝手を知った境内をブラブラと散策。

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↑ 国宝の大師堂
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↑ 国宝の金堂ー薬師三尊が安置される
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↑ 立体曼荼羅が圧巻の講堂
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↑ 国宝五重塔は、約55mで、日本一の高さ
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書き初め

    長女が、学校の課題の書き初めをするという。

    ぼくも、華光書道教室で、幼稚園の年長の時から、40を過ぎるまで、受験の年でも、毎年、毎年「書初展」のために半切で、書き初めをしてきた。父の手本を許に、半ば強制的であった。この手本書きは、父の年末の大仕事で、書斎に籠もることが数日続いた。たぶん1年間でもっもとたいへんな作業だったろうが、本人にとっては、やはり好きなことなので、ずっと続けてきた。

 その父が手本を書かなくなって、書初展がなくなり、何年たったのか。一昨年には、あれだImg_4343_2け熱心だった書道教室も辞めてしまった。こちらは、華光会館創建の時からの教室なので、55年以上の歴史があった。

 それでも、年末には、お世話になっているディーサービスの施設で、玄関に飾る「賀正」を書いてきたようだ。玄関の「修正会」の文字をみた、職員要請があったのだ。もっとも本人は覚えていないが、写真をみせてもらって分かった。

 子供のために、サーッとお手本を書いた。久しぶりに筆をもったついでに、高札に掲示する「報恩講」の告知を書いた。適当な紙がなかったので、オレンジの和紙である。 

  〆切間際なので、お早めにどうぞ。

 1月11日(日)昼1時30分(法要・ 法話・座談)
              夜7時   (御俗抄・法話・座談)
    12日(祝)朝9時   (勤行・ 法話・座談)
              昼1時30分(法要・ 法話・座談)                                                                                    

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正月2日も大雪

 名古屋に帰る姉を駅まで送ろうと、外をみたら、また大雪になっている。  

  強い雨が降り出せば、家の中でも分かる。しかし、シンシンと降る雪は、外に出ないと分からい。大急ぎで、戻っていったが、新幹線もかなり遅れてたようだ。それでも、どうやら日付が変わらない内に自宅に辿りついたようである。
 姉一家には、予定変更が続いた正月となった。

 それにしても、元日に続いて、2日連続での大雪警報は、京都市内ではかなりめずらしい。今夜の積雪は22センチで、このあたりでは記録的。

 十条駅前のリカマンも、いつもとはかなり違う風景。
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中国家庭料理「菜根譚」

Img_4124 義兄たちは、残念ながら京都に来れなかったが、それでも、今年も、こうして元旦を迎えることができた。姉やRちゃんのお世話で、おせち料理を囲む。修正会があるので、ゆっくりは出来ないが、お雑Img_4187煮と、お屠蘇をいただく。  

   夜は、大雪の中、姉や子供たちと、柳馬場通、蛸薬師上ルの「菜根譚」で会食。京町屋を生かして個室形式のお店は、最近Img_4199_2は珍しくないが、中華料理は、あまりない。

   今年は、珍しく中華料理にした。普段Img_4191_2、ぼくたちが口にする中華の定番メニューではなくて、家庭料理とある。が、かなり手のかかったもの、「和漢同菜」とあるので、京野菜も使われている。姉とは、シルクロードを一緒に旅したが、新疆の料理とは、またImg_4193違う。お酒も、青島ビールや老酒を飲む。

 新春の前菜から始まって、京野菜スープImg_4194_2に、名物の海老と韮の饅頭、そしてアンコウやら大海老やらお肉も出てきた。ただ少し辛めものもあって、子供たちは苦戦していたが、最後は、ふかひれのおんあけのImg_4206土鍋と、〆の杏仁豆腐で、喜んでいた。

Img_4207 大雪で、一番楽しみにしていた母たちが、今年も一緒出来ずに、残念だった。相変わらず、お支払いは母にお願いして、いくつになっても子供をさせてもらった。

 こうして、殺生をし、偸盗をし、飲酒(おんじゅん)の罪を堪能して、今年も始まった。
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想定外の元日

Img_4149 元日の夜は、会食をすることが恒例だ。

 名古屋の義兄たちが、急きょ来られなかったのは残念だったが、昨年、不調だった父も母や、今年は楽しみにしている。準備は万Img_4172_2端。孫組3人は、着物で行くことにした。

 外は、雪はまだ降り続き、大雪警報も発令されている。会館の前もこのありさまだ。

 ちょっと不安になっていたが、タクシーはすでに手配済だ。ところが予約時間の直前に、配車が不可能だという電話が入る。まあ仕方はないが、連絡がImg_4174遅くて、ここからバタバタすることになった。お店は、直前に人数の変更をしたばかりで、キャンセルは難しい。といって、車はだせない。お店も車も、早めに予約していたのに、こんなことになるとは想定外。

 喧々諤々で、結局、大雪の中を歩くのは無理な両親は残り、あとは、近鉄と地下鉄を乗り継ぎ、歩くImg_4178ことにした。ぼくと、姉、そして子供たちの計5名という、珍しい顔ぶれだ。みんなせっかくの着物を脱ぎ、男物の黒い長靴という、格好は悪いが、実用を選んだ。

 いつもの見慣れた風景とは、大違いだ。買い物や飲食客でにぎやかな繁華街も、四条通を一歩出ると、まるで深夜のように人や車もない。昨Img_4181日まではごった返していた錦通りも、上の写真の有り様。

 もっとも、子供たちは、大喜びで、雪の中をはしゃぎ回っている。
 予定を40分ほどの遅れて、やっとお店に到着。楽しみにしていたのに、なんかすごーく疲れImg_4175_2た元日となりました。

 確かに非日常はわくわく面白いが、大人になると予定変更で困ることのほうが大きなー。それが年を取ったということやね。

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大雪の修正会

Img_4132_2 今年も、修正会で、華光の法座は幕を開けた。

 朝は、青空だった。でも寒くて、時おり強風が吹いていた。その青空が、いつのまにか曇り、修正会が始まるころには雪になってきた。
 参詣者は昨年並だったが、まったくの初参加の方もあれば,修正会は初という方が多かった。大雪の中、富山から家族で参加くださった方もある。

 「正信偈」(行譜)のお勤め。和讃はいつもの六首引ではなく、Img_4137「現世利益和讃」15首を華光節で、皆さんと声を合わせて唱和する。これだけでも、元日に相応しい。今年は、昨秋に得度をし、インド帰りRちゃんに、御文章「聖人一流章」を拝読してもらった。

 ご法話は、「お釈迦様と阿弥陀様」の違いについて。仏様と括っているが、ぼくは、小さなころ、日曜学校では、お釈迦様の行事はあImg_4142り、ご一生のお話を聞いたきたが、阿弥陀様のことがよくわからなった。そのあたりを、分かりやすくお伝えした。

 ずっと雪は降り続いている。皆さん、帰りを心配しながらも、新春の抱負や所感を一言ずつお話くださった。こちらも恒例で、和やかな雰囲気で、終了した。Img_4168

 でも、和やかなのはここまで。知らぬ間に、外は、大雪になっている。京都市内で、これだけ積雪があるのは珍しい。
 ノーマルタイヤの方もあったが、皆さん、なんとか帰宅の途につかれたが、きっとたいへんだったでしょうね。    

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謹賀新年

 謹 賀 新 年

 旧年中は、たいへんお世話になりました。

 新たなスタートの年となりそうです。心機一転、張り切っております。

 本年も、「かりもん」ブログも、よろしくお願いします。

 きのう聞くも 今日また聞くも

   ぜひに来いとの お呼び声 (お軽同行)


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