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恩師の薫陶

 夜半からの雪は午後には溶けていたが、まだ強風と共に、雪が舞う寒い一日。

Img_4055 9月のご往生された、「信楽峻麿先生の薫陶を再確認し、友と偲ぶ会」に顔を出す。

 当初は欠席の返事をした。が、今日になって、予定をキャンセルして、やはり勤行だけでもと思い、大宮学舎へ。  

  正直にいうならば、学生時代、先生の教えは、理解できなかった。いや、むしろ反発していた部分もあった。ひとつは、日頃からお育て頂いてきた華光の教えとは異なるからで、先生が重視する点が、ぼくには「捨てImg_4057もの」であるように感じた時期もあったからだ。それでは、廃立が立たないと、生意気にも学生時代の聞法の集いで、くってかかったことがある。若気の至りである。  その時、父から「法蔵菩薩のご修行をされている菩薩様方なのだ」と諭されたが、その言葉は、まったく腑に落ちなかったことを覚えている。

Img_4053_2 その意味では、伝統的な教学の中で、それでもある意味で、先生のいう一元論をめざし、求道して、廻心転入していく華光で育ったぼくは、異質の教え子であったのかもしれない。  

Img_4054 この年になっても、恩師の教学理解は、ほとんど出来ていないのかもしれない。

 しかしながら、学問や知識を超えた体験の世界で、深く影響を受けているのは確かだ。  強いていうならば、それは、ぼくの生き方においてである。もちろん、ぼくの生き方は、お粗末なチャランポランなもので、けっして、成長や深化があるわけではない。お念仏を前にすれば、恥ずかしいしかないのだ。お粗末なぼくなりにお念仏の人生を歩みプロセスだが、それが師の教えに通底する歩みであるという気がしてならない。  

 それは、故西光義敞先生からいただいた真宗カウンセリングの学びでImg_4050_2もまた同様で、間違いなく、今のぼくの歩みに、大きな力を与えてくれているのである。

 この時代、いやいまにしか出会えなったよき師を持ったことは、なんという稀なる幸せかとだろうか。

 父のショートや通院の迎えの都合で、偲ぶ会は欠席したので、ここで少し薫陶を再確認。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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