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2014年12月の25件の記事

想定外の大晦日

 穏やかな大晦日。

 と、結ぶつもりだった。

 昨年は、9月以降、父が救急車で3回も運ばれて、何度も入退院を繰り返し、最後は、12月28日に退院。母も疲労で、31日に倒れて、元旦に病院へ。病人続出でとにかく、疲れた。

 その点、今年は、みんな元気で、迎春の準備も、修正会の段取りも順調に進んでいた。 

Img_4109_2_2  明日のための玄関の掃除も終わり、後は、お飾りなどになっていた。

 3時すぎを、用事を済ませて戻ってきたRちゃんが、

 「玄関前が水浸しですが、水道の工事中ですか」と言ってきた。

 何をいってるの?と、外にでると、エェ! 
Img_4114 アスファルトがめくりあがって、水が噴き出しているじゃないか。

 30分前に掃除した時は、なんともなかったのに…。

Img_4112 このままなら、会館も浸水するかもしれない。大急ぎで役所に電話。そこから、水道局へも連絡。

 しばらくして、職員がきて、工事の手配。会館の前の地下で、水道Img_4115管のジョイントが外れたらしい。排水溝で対応して、冠水しないでよかった。

 間もなく応急工事が行われた。大晦日の夕方でも、対応される。ご苦労さまでした。それから、2時間以上も断水が続いて、終わったのは、夜7時前。

Img_4116_2 応急工事なので、1月にもう一度工事があるが、まずは一安心。

 ただせっかく掃除が終わった玄関も汚れて、明日もういちど掃除へ。大晦日の夕方の断水はこたえたな。

 最後の最後に事故発生。まあ、夜中でなくてよかったな~

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華の荘厳

Img_4105 今日も年末の大掃除だ。助っ人はないが、1階の庫裏の部分ですね。

 地元のFさんが、正月用のお花を生けにきてくださる。
 もともと、お花の師範でもある母の仕事だったが、このところは時間的にも無理になっているので、行事の度に、玄関や道場の生け花をお願いしている。

 正月ということもあって、1階玄関は「松」、2階道場は、見事な「梅」がImg_4101飾っている。普通なら、門松を飾るが、会館では、行わない。

 先日は、Rさんが「修正会」の看板を設置してくださった。
 明日は、お飾りの鏡餅がくるので、お仏壇のお掃除と、荘厳を行う。
 
  迎春準備が、刻々と進んでいる。

 こうして、多くの同人の皆様に助けられながら、会館は維持されているのだ。

 今年もいろいろありがとうございました。

 

 

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年末大掃除

 事務所は、年末年始の休みに入っているが、今日は恒例の年末の大掃除を行う。

  午前中に、トイレ掃除が引き受けてくださる方があり、午後からは、仏青の若手を中心に、6Img_4086名に、子供たちも手伝って、外回りやエアコン、窓など掃除を行う。

 京都在住の仏青が減っているというのが悩みだが、それでも、皆さんのおかげで、今年も、会館をきれいに維持することができる。感謝しています!  

  こImg_4084のメンバーは、仏青通信の発送のために、20日、23日、そして昨日の土曜日とで頑張ってくれていた面々だ。せっかくなので、近くの居酒屋で、慰労会を兼ねた忘年会で、ちょっと気分転換を。

Img_4085 ありがとうございました。

 

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今年の最後の法座

 今年の華光会の法座の大トリは、「華光誌輪読法座」。今週は、聖典、京都支部法座、輪読と、3日置きに京都での法座が続いた。
 有り難いことに、ネットの中古で『仏敵』(しかも定価より高い3000円!)を購入された縁で、初参加の方もあった。なかなかいつものことなはないが、こんな方との出会い、お参りがうれしい。これからもご縁がありますように。

 新年号の華光誌ではなくて、4号の誌上法話で「師に握拳なし」を読む。
 最近、西光寺のご法座で、ご縁に会われた方のお話がとても有り難かったが、ご本人の口からお聞きいただくのが、一番なので、ここではパス。

  本文の中に、信心の白道を、お釈迦様が「行け、行け」とお勧めくださり、阿弥陀様が「来いよ、来いよ」呼んでくださる。そのお勧めとお招きによって、一歩を踏み出すのが私なのだという文章のところで、
「ぼくは最初、阿弥陀様やお釈迦様の違いなどもまったく分からなかったので、悟朗先生に尋ねたら、『お釈迦様はお勧め専門、阿弥陀様はお救い専門』と教えてもらったことを、「行けよ」と「来いよ」のところで思いだしました」とのの一言。
 それを聞いて、みんなさすがはと関心させられた。「お勧めの専門家」と「お救いの専門家」を前に、素人は従うだけだなと。

   これで年内の法座も、終了。

   新年は、1月1日1時30分からの修正会です。

   来年も、また御参りください。

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新年号の華光誌の発送

 今日は朝から病院の付き添い、昼には華光誌の発送、そして夕方には、ケアマネさんとの一月の打ち合わせと、運営委員長のRさんと、一月の報恩講などの相談もあって、バタバタとした一日。

 華光誌は、三名の方に助っ人を頼む。ぼくも、封筒詰めをしていたら、「先生も一緒にされていたんですね」と、初めてのお手伝いの方に言われて、逆にびっくりした。あまり華光のことをご存じなんのかな。ぼくも、事務作業をやらないと、回っていきませんから。

 年賀広告と、二月の「寒中仏の子供大会」と、三月の「講習会」の案内も同封されたもので、けっこう厚みがあります。本体は、先の継職法要の対談交流会の前半部分。いつもとの誌上法話とは毛色が違います。あと、信仰体験記のお二人も、今回から長期連載となります。面白いですよ。もうひとつの見どころは、お二人の写真。どうみても、気質には見えないですが…。強面。こちらもお楽しに。

 年末は宅急便時間かかりますが、年内にはお手許に届く予定です。

 

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『インターステラー』と、ピンクと緑のコーディネート

 映画『インターステラー』は、巨額の製作費をかけてつくられた超大作の宇宙スペクタルだ。前半はちょっと退屈きみだが、知的興味と、どれだけ科学が進歩しても変わらない愚かな人間性も描いている。中でも、父親と娘の別れと深い絆に、ちょっと我が身を重ねて、ジーンとImg_4068なった。でも、宇宙物なら、1月に見た映画『ゼロ・グラビティー』の方が、断然、面白かった。

 同時にやっぱり『2001年宇宙の旅』は偉大だなーと感じつつ、映画館を出た。  

Img_4070 クリスマスイブで街は、華やいだいた。  

 京都タワーも、ピンクと緑のコーディネート。この角度では、ピンク色(赤)だけだか、よくみると緑色もかすかに見えているな。

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そのままが南無阿弥陀仏

 華光大会以降、よくいただいく礼讃文を、ここでもかみ砕いた頂いた。

「われ、今、幸いに
 まことのみ法(のり)を聞いて
 限りなきいのちをたまわり
 如来の大悲にいだかれて
 安らかに日日をおくる
   謹んで
 深きみ法りをたまわり
 尊きみ教えをいただきまつらん」(礼讃文)

 法話のあとの座談会。一口回したところで、皆さんのお味わいがいろいろと出て、なかなかよかった。
 M先生が「この礼讃文が、そのまま南無阿弥陀仏ですね。その姿を聞かせもらっています.」と。
 「その南無阿弥陀仏に背を向けているのに、南無阿弥陀仏が私に飛び込み、私に入って届けてくださる」と。 

 さすがの一言。
 

Img_4064 例によってM家のご好意での会食があったが、呑みながらも、ご法の話。かなり煮詰まったきたところで、これまた恒例のご主人の生ギターに、今夜はキーボードの伴奏も加わって、「花が咲く」を合唱。この合唱をとして、さらに角度を変えたご示談があって、あの手この手でお伝えくださいました。ありがとうございました。

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聖典講座~四十八願(3) ~すべての人を救いたい

 先月に続き、四十八の大誓願を窺うが、今回は、その核心ともいうべき、第十八願を含む、十二~二十願の中から、真実五願や生因三願を中心に窺っていった。

 必ずしも決定的ではないが、願文の順序に従った願心の展開を重視されている金子大榮師などの説によると、前回の一願~十一願までは、主に「浄土の人々に対する願い」が誓われているという。

 そして、今回の十二~二十願の9つの願では、「あらゆる人々を救いとる願い」が誓われているといえよう。

 特に、十二願、十三願、そして十七願の3願は、古来より、摂法身の願と分類される。
 つまり、阿弥陀仏が、自らの超世の悲願を実現するために、こんなすばらしい仏になってみせるという願いである。つまり迷える一切の生きとし生きるものを済度したいという大悲心が絵空事に終わらないように、自らが、まず光明無量、そして寿命無量の如来となって、いつ、いかなる時代であっても、またどのよう辺鄙な場所であっても、私を見つけ出し済度してみせるという大悲心が、その根源にあるのだ。

   「超世無上に摂取して  選擇五劫思惟して
   光明・寿命の誓願を  大悲の本としたまへり」
         (正像末和讃19)

  そして、第十四願・声聞無量の願-「浄土の声聞(法を聞く人々)は無数で、定員はなくそう」(唯一、国中声聞に誓われた願。衆生済度に先立ち、浄土を法を聞く場としよう)で、十二・十三願のはたらきの具体的な顕現)。第十五 眷属長寿の願-「国中の人天もまた無量の寿命を持つ」(十三願の顕現)。さらに、第十六願で、離譏嫌名の願-「不善の者も、その不善の名すらもなくそう」(十七願-阿弥陀様の名声に先立ち、その国土にも不善の名声すらない国にしたいとの願い)という願が続いて、

 第十七願の諸仏称名の願〔諸仏称揚・諸仏咨嗟・往相廻向の願〕で、南無阿弥陀仏の六字名号ひとつで、一切衆生を済度しようと誓われたが、そのためには、わが名を十方世界のすべての仏様方に、褒め称えさせよう、そんな仏になってみせるという願い建立されるのである。直後の重誓偈(我至成仏道 名声超十方 究竟靡不聞 誓不成正覚)とあるように、その名をあらゆる衆生に聞かせ届けたい。そしてその名を称えさせることで救てみせるというもので、まさに、私をその名で接するという手立てを、すべての諸仏に称讃させることで実現しようというのである。まさに、諸仏に超えすぐれた所以がここにもある。

 そして、いよいよこの第十七願に離れず、第十八願が説かれていくのである。(つづく)

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『嗤う分身』

  『嗤(わら)う分身』 は、ロシアの文豪、ドストエフスキーの初期の作品(原題は『分身(二重人格)』というそうだ)を原作だ。
 原作は読んだことはないが、この映画はとても面白くて、異色の快作といっていいかもしれない。

 映像、画質、照明もセットや美術(どこか、アキ・カウリスマキ風でもありましたが)、そして音楽にいたるまで、つまり映画のムード、タッチが、不条理劇の、無国籍で、リアリティがなく、不安定な雰囲気でうまく統一されているのである。しかも、どの国でもなく、過去のようでもあり近未来でもあり、また現実なのか、夢なのか、それとも心の心象なのかもあやふやでありながら、私の身に起こってもおかしなくない現実、つまり自分のこととして迫ってくるのである。

 音楽も、英国の映画でありながら、日本の坂本九の「上を向いて歩こう」や、ブルーコメッツの「ブルーシャトウ」など、無国籍でありながら、哀愁のあるムード醸しだしている。がっちり、日本語の、しかも60年代のものが流れるだけでも、不思議な感覚になるものだ。

 『ソーシャル・ネットワーク』の主人公として、饒舌にまくし立てていたジェシー・アイゼンバーグが、まったく正反対の性格違う主人公とその分身(ドッペルゲンガー)の1人2役を、独自の味でうまく演じ分けている。ヒロイン役のミア・ワシコウスカも、清楚でありながら、怪しく謎をもった女性を好演している。

 一方は、内省的で、要領が悪く、まったく存在感がない。同僚の大好きな女の子を覗き観する(ほとんどストーカー)ことしかてきない冴えないぼくの前に、抜群に仕事が出来、女にもモテて、いつも人気者の、まったく同じ容姿の男が現れることで、自分の分身に翻弄されて、居場所を失い、追い詰められていく姿が描かれている。
 

 要は、人生は自分の意志でコントロール出来ている錯覚して生きているが、ほんとうはすごく不条理な連続なのかもしれないし、一旦、歯車が狂うと、破綻、破滅への加速度的に進むものだということだろう。第一、「ぼくって何?」であって、病的の程度はあっても、誰もが、二重どころか、多重人格者といってもいいのである。

 ラストの結末も、謎の尾を引かせながらも、まるでメビウスの輪のような仕掛けがあって、唸ってしまいました。結局、××××(ネタバレがあるので)ってことかなー。

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1月の法座案内

 1月の法座案内を送りました。

 手違いで、年賀ハガキに印刷されたので、「年賀」のところを消して投函。さて、年内に届けばいいですが、もし年賀ハガキのままなら、1月1日になります。

 それで、HPの法座案内で、チェックをお願いします。 

 念のために、主なものを書いておきます。

 1月1日(祝)1時30分「修正会」  

 1月11日(日)~12(祝)[報恩講]

 〆切は、1月6日(火)ですが、年末年始の事務所の休みの都合なので、お早めにお願いします。  あと、ハガキの欄外の告知は、個人的なことですが、参詣はご自由なので、ご関心のある方は、お気軽にどうぞ。

なお、まだ12月も法座がありますよ。

●今週の法座

聖典講座
12月21日(日)午後1:30~5:00
(華光会館=京都市南区)

水谷家家庭法座
12月23日(火/祝)午後1:30~5:00
(水谷家=京都市下京区)

華光誌輪読法座
12月27日(土)午後1:30~5:00
(華光会館=京都市南区)

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恩師の薫陶

 夜半からの雪は午後には溶けていたが、まだ強風と共に、雪が舞う寒い一日。

Img_4055 9月のご往生された、「信楽峻麿先生の薫陶を再確認し、友と偲ぶ会」に顔を出す。

 当初は欠席の返事をした。が、今日になって、予定をキャンセルして、やはり勤行だけでもと思い、大宮学舎へ。  

  正直にいうならば、学生時代、先生の教えは、理解できなかった。いや、むしろ反発していた部分もあった。ひとつは、日頃からお育て頂いてきた華光の教えとは異なるからで、先生が重視する点が、ぼくには「捨てImg_4057もの」であるように感じた時期もあったからだ。それでは、廃立が立たないと、生意気にも学生時代の聞法の集いで、くってかかったことがある。若気の至りである。  その時、父から「法蔵菩薩のご修行をされている菩薩様方なのだ」と諭されたが、その言葉は、まったく腑に落ちなかったことを覚えている。

Img_4053_2 その意味では、伝統的な教学の中で、それでもある意味で、先生のいう一元論をめざし、求道して、廻心転入していく華光で育ったぼくは、異質の教え子であったのかもしれない。  

Img_4054 この年になっても、恩師の教学理解は、ほとんど出来ていないのかもしれない。

 しかしながら、学問や知識を超えた体験の世界で、深く影響を受けているのは確かだ。  強いていうならば、それは、ぼくの生き方においてである。もちろん、ぼくの生き方は、お粗末なチャランポランなもので、けっして、成長や深化があるわけではない。お念仏を前にすれば、恥ずかしいしかないのだ。お粗末なぼくなりにお念仏の人生を歩みプロセスだが、それが師の教えに通底する歩みであるという気がしてならない。  

 それは、故西光義敞先生からいただいた真宗カウンセリングの学びでImg_4050_2もまた同様で、間違いなく、今のぼくの歩みに、大きな力を与えてくれているのである。

 この時代、いやいまにしか出会えなったよき師を持ったことは、なんという稀なる幸せかとだろうか。

 父のショートや通院の迎えの都合で、偲ぶ会は欠席したので、ここで少し薫陶を再確認。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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12月の真宗カウンセリング研究会の月例会

 12月の真宗カウンセリング研究会の月例会。  

  外は、氷点下で、風も強く、かなり体感的にも寒い。

 担当者が学び、理解してきたロジャーズのカウンセリングを、自分の言葉と図式にして表明してくださったのが、新鮮で、面白かった。

今月の箇所で、次の言葉、姿勢に、深く感銘をうけた。

「どの個人も、ロジャーズによれば、その人にしか理解できないその人だけの私的な経験の世界を生きているということになります。
したがって、どんなに共感的で感受性豊かなセラピストであっても、他者を完全に理解するなどということは出来ないのです。
理解し難いものに対して試験的に近づいていこうとするロジャーズの姿勢、そしてまた理解し難いものに対する彼の敬意の念」

そのものが、行動療法のコンプレックス論や精神分析学の無意識についてのコンプレックス論などを受け入れるわけにはいかなかったのだと。

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伝統の重み-(d)高座

Img_3997 二代目なので、伝統には乏しい僕には、由緒正しい寺院の歴史の重みは新鮮だ。

 (d)高座

 初日、「夜座は、ちょっといじめみたいなものだけど、高座でお願いします。」  

   節談説教の方は、高座からされることがあるが、いまはほとんどが、Img_3988平座で、テーブルと黒板が普通だ。

 ぼくには、初めての経験だっだか、ちょっと楽しい気分になった。確かに眺めはいい。黒板が使えなかったり、慣れないと動きも悪いが、なにか「エー、一席、ご機嫌を窺います~」落語でも始めたくなる気分。もっとも、今日では演芸に高座が残っているが、こちらが元祖である。

 残念ながら、あんまり「受け」なかったのが、「受け念仏」の声は少しは聞こえました。  

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伝統の重み-(c)報恩講式

Img_4014  二代目なので、伝統には乏しい僕には、由緒正しい寺院の歴史の重みは新鮮だ。

(c)報恩講式

Img_4034 2日目の法要は、日中が「往生礼讃」、逮夜は「報恩講作法第一種」の法要である。

 ぼくも、法話の教案として、たまにいただくことるある覚如上人の『報恩講式』だか、なかなImg_4025_2か末寺の報恩講で、「報恩講式」が勤まることは、いまは珍しい。

 楽も生演奏、お導師も顕正寺様で、かなりすごいレベルてあることは、ぼくでも分かった。まさに、お浄土の再現。  

 Img_4038
  初夜は、お内仏での報恩講様なので、内陣がない中で勤行も、また雰囲気が変わった。  

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伝統の重み-(b)お宝  

 二代目なので、伝統には乏しい僕には、由緒正しい寺院の歴史の重みは新鮮だ。

(b)お宝

 講師室には、親鸞様のお母様(吉光女様)が飾られていた。文化財に指定されている名品で、こんな立派な美術複製品があるんですね。複製でも、かなりの値段(129,600円!)がする。100部限定で、欲しい方は、お急ぎください。どれだけ貴重なものかは、以下のHPで。

 もちろんこれは、最近まで美術館に展示されていたホンモノ。

(伝)親鸞の母・吉光女の像 西光寺蔵 

http://www.heibonnotomo.jp/japaneseworld/id383.htm

Img_3946

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伝統の重み-(a)お斎

  二代目なので、伝統には乏しい僕には、由緒正しい寺院の歴史の重みは新鮮だ。

(a)お斎

Img_3945 長年、「おわん会」なる女性達が、お斎のお世話をされる。連日、昼、夜の2回もある。
 飽食の時代、このやさしい味がごちそうである。子供が喜ぶような派手な料理はないが、昔ながらのレシピを護り、手間ヒマがかかっている。ゴマ一粒も炒って使われている。下こしらえも含める2日間かけての準備それるそうだ。
 器も、昔から受け継がれたの漆塗で、手入れもたいへんでも、少しずつ修理をしながら、使われている。

Img_3999 それにしても、食べる方は10分もあれば食べてしまうのだか、逆に、それだけの世話のご苦労がこめられていることが、有り難い。

 まるで称える時は、たった一口で、たいした値打ちがないように思う「南無阿弥陀仏」みたいなものだね。

 夜食には、うどんまで、振舞われるが、一緒に、お仏飯のお下がりも、一口ずついただいた。こちらも大きな仏飯器。

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西光寺報恩講(2)~選擇本願~

 私は、目が覚めた瞬間から、日々、刻々、選択(せんたく)の連続で生きている。
 もちろん、それが習慣となり、身についたことは、意識もなく行っているのだが、実は、それもまた選択の結果である。

 そして、何かを選び取るということは、同時に何かを捨てることでもある。意識していなくても、私は、日夜、何かを拾い、何かを捨てることの連続を生きているのである。
 ちょうど人生とは出会いであるが、出会あるところに必ず別れがあるようなものだ。

 では、阿弥陀様が、五劫て思惟され、選擇(せんじゃく)摂取してくださった時には、何を選び、何を捨ててくださったのか。
 お経には、諸仏の二百一十億の仏国土、人天の善悪粗妙を選び取り、善を取り悪を捨て、妙を取り粗を捨ててくださったとある。
 しかし、その背後にあるお心となるとどうだろうか。

 
 阿弥陀様は、自らの正覚を捨てられた。
 それどころか自らのいのちも捨ててくださった。
 そして、南無阿弥陀仏という浄土の行を選び取り、私に与えてくださったのである。

 だからこそ、如来様の大慈悲心が、南無阿弥陀仏!となって、この私めがけて飛び込んでくださるのだ。南無阿弥陀仏のいのちの叫びが聞こえてきたなら、私もお応え申し上げるしかない。ただ「南無阿弥陀仏」と。

 ご満座のご法話を終えて、皆さんの領解出言を聞く。
 
 毎回、毎回、ぼくの法座を追っかけされている方が、体を震わせて、涙を流して、小声で「南無阿弥陀仏々々」姿が目に入ったので、声をかける。

「はい。私のためにいのちを捨てて呼んでくださっている南無阿弥陀仏。私も、南無阿弥陀仏とお応えさせていただきます。南無阿弥陀仏!! 南無阿弥陀仏!!……」

 彼の言葉は、口先ではない。まったく彼と離れず、ぴったり寄り添った言葉となって、響いてくる。
 いや、人間の言葉が、阿弥陀様の言葉となって、ぼくの胸にも響いてきた。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 とにかくその姿が掛け値なしに尊かった。

 「目に見えぬ 慈悲が 言葉にあらわれて
 なむあみだぶつと 声で知らせる」(才市同行)

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西光寺報恩講(1)~われ、今、幸いに

Img_3954  宍粟市山崎町の寺院布教は、報恩講だ。

 福岡、福山、愛知や相生などの華光同人もかなりお参りくださった。 

Img_3960 寒い~。雪は降らなかったが、とにかく寒かった。

 それでも本堂で、ご法話を始めると、寒さを忘れる。そこには、如来様のお慈悲の温かさが、お念仏となり、熱いいのちの鼓動となって、響きわたるからだ。

「われ、今、幸いに
 まことのみ法(のり)を聞いて
 限りなきいのちをたまわり
 如来の大悲にいだかれて
 安らかに日日をおくる
   謹んで
 深きみ法りをたまわり
 尊きみ教えをいただきまつらん」(礼讃文)

Img_4012 今回は、この礼讃文を、すべての法話のご讃題にして、冒頭と最後に、全員で声を揃えていただいた。

 仏法は、「安らかな日々」とはまったくほど遠い私が、「快楽安穏」の世界に生まれさせてやろうという阿弥陀様の大悲心をお聞かせImg_4044に預かるのだ。聞けば、聞くほど、真実心も、清浄心もない私に出会ったならば、そこにかけられた阿弥陀様の大悲の願いをお聞きするだけである。すると、安らかでない日々が、安からでないままに、南無阿弥陀仏に大転回させていただく世界があるのだ。
 如来様の願いは、常に、いま、この私に届いている。だからこそ、凡夫レベルの安らか云々を超えて、いつでも、どこでも、どんな時でも、この私だか、「われ、いま、幸いに!」と喜ばせていただく身となるのである。

 そのことを、皆さんと、分かち合い、この本堂で、「南無阿弥陀仏」と一緒に申させていただく3日間だった。

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期日前投票

 
 土曜日から月曜日までは、宍粟市の寺院布教である。報恩講なので、7席のご法話である。数が多いので、なんとなく気が重いし、華光誌最優先で何も準備ができていないが、楽しみでもある。最近は、自分開いたところで、ご法話を聞いてもらっているからだ。
 
 

 日曜日は、京都にいないので、期日前投票に行く。

 景気対策や消費税のことなど生活に実感する争点も大事だ。しかし日々の生活にすぐには直結しなくても、集団的自衛権や原発の再稼働、先日、公布されたばかりの秘密保護法などなど、これまでの日本のありよう、ひいては私や子供たちが生きていく上で、ほんとうに大切Img_3943なことが損なわれたり、変換するかもしれない重要課題も多数ある。日本の進路の帰路となるかもしれないということを第一に考えて、投票を行った。

 
 建物の外では、共同通信社の出口調査があったが、以前も、期日Img_3944_2前投票で協力したことがある。

   ふと、見あげると、飛行船が、雲の合間に縫って飛んでいる。調査員も思わず、空を見あげて、声を出している。ぼくも、一枚写真を撮った。まあ、CMに貢献するんですがー。

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新年号の華光誌編集作業

 新年号の華光誌が大詰めだ。

 例年なら、12月15日が、年内発送のタイムリミットとなる。
 でも、今年は、事務所のRちゃんが年末にインド聖跡巡拝に旅立つので、少し仕事を急ぐ。ぼくも、3日間の寺院布教が待っているので、あわせて年賀交歓の作業も急ぐ。これだけは、まだぼくが作製している。Tさんの営業努力もあって、例年と同じく20頁建てになった。作業しながら、改めて今年は、ずいぶん亡くなった方が多かったと実感する。しかも、華光会には大恩ある方ばかりである。華光会館を設計されたM氏、その時の副運営委員長で、建設の促進役のS氏、そして、大施主となってくださった北海道のOさん。東京支部の重鎮、Mさん、さらに、伊藤先生からの同人も、東海支部のあの方も、北陸支部のあの方もと…、たくさんの同人がお浄土に還っていかれた。年賀広告も、この方も、あの方も昨年まで常連で書かれいた方が亡くなり、その場所が、新しい同人の記事で埋まった。なかにはご主人を亡くされた奥様が、代わって年賀を出してくださるケースもある。ここは、世間の常識とは異なる、南無阿弥陀仏の常識である。

 明日の夕方には、印刷所に渡る予定だが、華光大会の翌日から頑張って作業した甲斐があって、これまでの最速で仕事が終えそうだ。もう一頑張り。

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大雪の高山支部報恩講

Img_3873_2  直前、会所(法座会場)のH家で、緊急事態が発生した。
 今回の報恩講法座はどうなるのか。中止になるか、もしかすると、別会場で、その用意ができるのか。いささか心配になった。しかし、早々に、「遠方からの同人の宿泊は無理ですが、報恩講は、皆さんで協力して行います。こんな時だからこそ、ご聴聞させていただきます」との有り難いお返事をいただく。Img_3874

 師走に入って寒波が襲来している。北陸東海道でも、雪で大型車が立ち往生(←間違った用法)して、高速バスが不通になって、いつもガラガラのひだ号の自由席は、座れない乗客も多くImg_3877_2満席である。それでも、列車はほぼ時間どおり到着した。

Img_3882 高山も大雪である。この時期にしては、例年よりは早い雪だ。

 高山支部の報恩講。高山支部だけのお参りとなったが、皆さんで、お正信偈を声高らかにおあげして、お斎をいただく。支部以外の方の御参りもないので、当初は、少し寂しいかなーと心配していたが、子供たちも座ってくれて、なかなImg_3879_2かにぎやかになった。緊急事態なのImg_3896_2に、変わりなくお勤め出来ただけでも有り難いこと。その上、支部の皆様と一緒にお正信偈をあげ、お斎をいただき、そして熱心にご聴聞くださる姿には、法話もするぼくも、いつも以上に力が入った。「礼讃文」と、六字のおこころ、回向の仕組みについての核心だけをお取り次ぎさせていただいた。

Img_3885 翌日は、雪も止んだが、H家の回りも、すっかり雪景色である。
 昼休みに、ちょっと散策して、シャッターをきる。

 法座が終わって、お見舞いに窺う。以前、熊騒動の時と同じ日赤である。
Img_3915_2  驚いたというか、安心したのは、想像以上に回復が進み、ベットの上でお念仏をされている。その「南無阿弥陀仏」の響きのひとつひとつが、無上に尊かった。

 大雪の時には、忘れ難い法座となることが多いが、今年の高山支部報恩講もまた、遺弟の念力を仰ぎみて尊いご法座となった。

 「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
      Img_3912_2

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四十八願のこころ(6)「光明無量・寿命無量」

 会館の「聖典講座」も、今月は、十二願からの十七願や十八願を含む核心に入ってきたが、寺院会報の連載もちょうど十二願からである。

 

たとひわれ仏を得たらんに、光明よく限量ありて、下、百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ。 (第十二願・光明無量の願)

たとひわれ仏を得たらんに、寿命よく限量ありて、下、百千億那由他劫に至らば、正覚を取らじ。 (第十三願・寿命無量の願)

 「阿弥陀」とは、インドの言葉を中国の音に写したもので、もともとの言葉には、光明無量(光がきわまりがない)と、寿命無量(命にきわまりがない)という二つを現しています。

 つまり、あらゆる人々(衆生)を救うために、自ら、このような仏となりたいと誓われた法蔵様は、自らの身を「光明無量」、「寿命無量」という仏身で、荘厳(しょうごん)されました。だから、阿弥陀仏とは、無量光仏であり、無量寿仏なのです。

 ではなぜ、光明無量の無量光仏に成らねばならなかったのでしょうか。またなぜ、寿命無量の無量寿仏に成らねばならなかったのでしょうか。

 それは、あらゆる時代、どんなの国の、どんな人々も、必ず救ってみせるぞという深い深い大悲心が、その根底に流れているからです。そのためには、まず自らが智慧の塊である無量光仏となって、十方微塵と言われる全宇宙をくまなく照らし、どんな片隅の衆生であっても、必ず救ってみせよう。同時に、自らが慈悲の塊である無量寿仏となって、過去・現在・未来の三世にわたる、どんな濁りの時代の衆生であっても、必ず救ってみせよう、という十二、十三の誓願を起こされたのです。それで、親鸞様は、十二、十三願こそ、大悲の本だと讃えておられます。

 しかもです。本願文だけでは分かりませんが、成就文などを窺うと、阿弥陀様おひとりだけでなく、そのお光に摂取された私達もまた、無量寿・無量光の阿弥陀様と、同体の悟りを開かせていただくというのです。二百一十億という諸仏方には、とうてい及びもしない超世の願いなのです。

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立入検査

 消防署の立入検査

 若い女性の消防官が二人で、館内を観て回られた。

 以前の木造の会館の時は、ほぼ毎年だったが、いまは、定期的に防火点検の書類を提出しているので、何年かごとに、消防署の立ち入り検査がある。

 たぶん、前回のことだったとおもうが、立ち入り検査の後で、避難訓練実施の要請があった。

 二階の道場の仏壇から出火して設定で、まず、母が、「火事やー」と叫ぶ第一発見者の役。それぞれ誘導係、消火係、そして通報係と、計画書通りに動いて、実際に、ぼくが119番をした。その際、冒頭に、「訓練」と言ってから、あとは、実際の火事の要領で説明する。
 最後に、駐車場で消火訓練をして終わった。

  今年は、業者の消防点検が終わって、2階の避難誘導灯と、火災通報機を交換してばかりで、その書類が、一昨日届け出が終わったばかりだった。定期的に、報告書を提出していることもあって、今回は、「特に問題ありません」と無事に終わった。

 
 それでも、油断大敵。法座ではたくさん御参りくださるので、お参りの皆様も、ご協力を!

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訃報

   大阪支部に御参りされていたアメリカからのKご夫妻を、京都駅までお送りして戻ってきたら、訃報が届いた。

 またおひとり大切な先輩同人が、92年を一期として往生の素懐を遂げられたのである。
 
 

 北海道のOさん。

 その強信ぶりは、華光でも屈指だった。気にかかる方があると、早朝から、長電話で、ご示談である。その家人が言われたが、側にいて、受話器から漏れてくる迫力ある声で、こちらまで震え上がったと言われていた。

 ご法の喜びも、単に、自分だけに留まることなく、多くの方に仏法廣まれと、さまざまに活躍された。悟朗先生を、毎年、1週間近く、北海道に招いてくださり、有縁のさまざまな方を集められて、蜂供養を兼ねた家庭法座が、持ち続けてくださった。同人会にも、誌友も、おひとりで何十口も入られて、多くの方に華光誌のご縁を結んでくださった。華光会館再建の際にも、一肌脱いでくだった。

   単に、豪快というだけでなく、ある意味、繊細でもあり、ある意味、突き抜けてもおられた。いまの喜び手は、一種の優等生化してしまって、間違いはないが、ずいぶんスケールが小さくなった気がする。

 それにしても、今年は、ご法のために働き、私共を導いてくださっていた大切な先輩同人が、相次いで亡くなられた。

 快晴だった空も、夕方には冷たい雨と変わっている。

  明日から、急激な寒波がやってくるという。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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大阪支部報恩講~機無・円成・回施~

  今月の大阪支部法座は、支部報恩講である。
 持ち回りの家庭法座だったころには、赤飯なども振舞われていたこともあった。
 みんなで、声高らかに正信念仏偈をお勤めした。

 法話は、華光大会で、盛り沢山すぎで消化不良気味だったので、「機無・円成・回施」
を、『信巻』の三一問答の至心釈に絞って窺った。
 願成就文の「諸有衆生・聞其名号・信心歓喜…」を受けられた親鸞様は、信巻の下巻に

「聞というは、衆生、仏願の生起本末を聞きて、疑心あることなし。これを聞というなり。信心というは、すなはち本願力回向の信心なり」

と示してくださった。願成就文を受けてられるので、わざわざ「衆生」と名指しで指名くださるのは、ここだけである。そして、われわれ衆生が聴くのは、「仏願の生起本末」であり、具体的には、「機無・円成・回施」の仕組みを聞くことにほからない。

 それは、まず「機無」とは、私には、果てしもない過去から今日、今時に至るまで、真実心も、清浄心も、そのかけらすら微塵もないということである。それをみそなわし、「哀れなるかな~」と立ち上がってくださったのが、すべての始まりである。だから、機無の真実を聴くことから、仏法は始まる。単に、自分を知ることではない。如来様の御目に映った私の真実の姿を教えいただくのである。不思議なことに、自分のことは自分が一番よく知っているように錯覚しているが、自分の外見も含めて、正しい鏡に写さねば知ることはできない。だから、如来様の教えが大切になってくるのである。

 そして、それがために、私には微塵もなかった、真実心と清浄心の塊となって、最高の功徳そのものの南無阿弥陀仏を円かにご成就くださるのである。しかも、それをどのような形で、機無のものに届けるかといったときに、如来様、真実様のほうから、一方的な回向、つまり回施してくださるというのである。

 それがために如来様は、南無阿弥陀仏という「名」となって、私を摂取しようというのである。名だからこそ、私が聴くことができる。名だからこそ、私が称えることができるのである。 

 だからこそ、「分からない、分からない」と歎く人は、わが心で「分かろう」とするのではなく、分かるまで聞き抜けばいいのである。これが単なる理論やお話ではない。この回向に、私が出会うことが、浄土真宗なのだといっていいのである。

 

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