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聖典講座~四十八願(3) ~すべての人を救いたい

 先月に続き、四十八の大誓願を窺うが、今回は、その核心ともいうべき、第十八願を含む、十二~二十願の中から、真実五願や生因三願を中心に窺っていった。

 必ずしも決定的ではないが、願文の順序に従った願心の展開を重視されている金子大榮師などの説によると、前回の一願~十一願までは、主に「浄土の人々に対する願い」が誓われているという。

 そして、今回の十二~二十願の9つの願では、「あらゆる人々を救いとる願い」が誓われているといえよう。

 特に、十二願、十三願、そして十七願の3願は、古来より、摂法身の願と分類される。
 つまり、阿弥陀仏が、自らの超世の悲願を実現するために、こんなすばらしい仏になってみせるという願いである。つまり迷える一切の生きとし生きるものを済度したいという大悲心が絵空事に終わらないように、自らが、まず光明無量、そして寿命無量の如来となって、いつ、いかなる時代であっても、またどのよう辺鄙な場所であっても、私を見つけ出し済度してみせるという大悲心が、その根源にあるのだ。

   「超世無上に摂取して  選擇五劫思惟して
   光明・寿命の誓願を  大悲の本としたまへり」
         (正像末和讃19)

  そして、第十四願・声聞無量の願-「浄土の声聞(法を聞く人々)は無数で、定員はなくそう」(唯一、国中声聞に誓われた願。衆生済度に先立ち、浄土を法を聞く場としよう)で、十二・十三願のはたらきの具体的な顕現)。第十五 眷属長寿の願-「国中の人天もまた無量の寿命を持つ」(十三願の顕現)。さらに、第十六願で、離譏嫌名の願-「不善の者も、その不善の名すらもなくそう」(十七願-阿弥陀様の名声に先立ち、その国土にも不善の名声すらない国にしたいとの願い)という願が続いて、

 第十七願の諸仏称名の願〔諸仏称揚・諸仏咨嗟・往相廻向の願〕で、南無阿弥陀仏の六字名号ひとつで、一切衆生を済度しようと誓われたが、そのためには、わが名を十方世界のすべての仏様方に、褒め称えさせよう、そんな仏になってみせるという願い建立されるのである。直後の重誓偈(我至成仏道 名声超十方 究竟靡不聞 誓不成正覚)とあるように、その名をあらゆる衆生に聞かせ届けたい。そしてその名を称えさせることで救てみせるというもので、まさに、私をその名で接するという手立てを、すべての諸仏に称讃させることで実現しようというのである。まさに、諸仏に超えすぐれた所以がここにもある。

 そして、いよいよこの第十七願に離れず、第十八願が説かれていくのである。(つづく)

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