伏見稲荷大社にて(2)~法味編~
さて、子供も、千本鳥居をとても喜んでいる。でも、なぜ、名前が書いてあるのかと問われた。すべて、寄進者が商売繁昌の御利益を求めて建てるで、鳥居の大小でも料金が違う。小さいものよりも、大きくなると百万単位となって、より大きな御利益があるのだろうか。しかも、新しいものはいいが、古いものは、根のところが腐ってきたりしているので、一度建てたら、それでお終いというわけにもいかようだ。それで、ところどころ、空いている場所ある。日本でも最も御利益があるという商売の神様としてて、「じゃ、会館も苦しいので、2本くらい寄進したらどうかな」と、笑いながら提案してきた。いや、ほんとう、ほんとう。神様にお願いしなければ、後生一筋では、なかなか商売繁昌は難しいなとと思いながらも、まあこんなところにまったく用事がなくなったのが幸せである。
ただ、神社の記事を載せただけで、「無碍の一道にもほどかある!」と抗議があった。冗談が通じない人もいる。文章の一部だけを切り取る悪意ある人もいるから、要注意だ。
商売繁昌だけではない。腰の神様、目の神様、良縁祈願に、はたまた水子供養に、、。別の宗教法人も軒をならべている。さまざまな像が立っている。千本鳥居もいいが、この祠や御社のオドロオドロしさも、捨てたものではない。雑多な神仏が飾られ、雑多信仰のオンパレードである。
結局、どれだけ御利益があるのか分からないが、すべて現世利益の祈祷である。結局は、自己の欲望をかなえるためのもだ。そして、どれだけ神仏がおられても、こちらか欲望を叶えてもらったり、守ってくださるようにお願いをせねばならない。そして、第一、どの神仏も、私の後生を心配してくださる方はおられない。
阿弥陀如来様だけが、仏様からの他力のご回向によって、しかもこちらは悪人のままで、そして二度と迷わない仏にしてやろう。救ってあげようと仰る方はないのだ。なんという超世の教えではないか。 日頃、触れないものに触れさせてもらうことで、改めてわが身の幸せを知らせた気がした。伏見稲荷を歩くだけでも、お念仏を称えずにはおれなかった。
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