« よもぎうどん | トップページ | 神鍋高原(八反滝)から湯村温泉へ »

日高支部法座

 Img_3356_2秋の日高支部法座。(写真は、同人宅のお庭と、紅葉)

 長年、日高支部では、秋の法座は、10月の子供の報恩講がぼく、11月は支部報恩講で、父が、それぞれ御参りして勤められていた。そのうち、子供の集いがなくなり、父も出講できなくて、普段と同じ支部法座が、11月にあるだけだ。

Img_3362_2 これまで支部や華光を支えてきてくださっていた80代以上の方の大半が、お亡くなりになったり、入院されたり、施設に入られたりされて、春にお会いしても、秋にはお会いできないということが、毎回、続いている。当然、法座を開いても、人数は寂しい。せっかくの信仰座談会も深まらず、今生事に流れたり、ズレるのは残念なことだ。時に、皆さん、後生はほんとうに大丈夫かImg_3383なーと心配にもなる。しかし、皆さん、報恩報謝の思いは人一倍強い。これまでの続いてきた先輩同人の遺徳が沁みる、法徳の地である。そのおかけで、人数が少なくなっても、法座が持たれるのがことが尊い。人数が少ないので、支部法座ではなくて、個人の法事や年忌を兼ねた法座を持ってくださる。ある意味、今でも、この地の人達が、華光の集いImg_3384_2を支える一翼を担ってくださっているのが、事実である。

 人間に、子供時代があり、青年や壮年時代があり、老年期を迎えるように、人間の集まりにも、誕生があり、成長期があり、円熟期があり、そして衰退期があって、最後は消滅していく。その意味でも、支部の変遷もその流れの中で、無常の理を、仏説まことと示してくださっていたのである。実際、日高支部より熱心であった、豊岡の流Img_3379_2れをくみ同人は、いまももういらっしゃらない。

 だからこそ縁あるかぎり、またボロボロになっていったとしても、この地のお念仏が残るかぎりおつきあいしていきたい。それもまた尊い、ご法の相続の姿である。Img_3385_2

 最後に、Rさんの月忌参りをすませて、すぐ裏手の円山川に出る。

 すすきが揺れている。その昔。夏には、悟朗先生がここで泳がれていたという、先生ご旧跡地だ。もう50年以上も前のお話。

 日高同人の先代からの知識である鎌田顕昭師を顕彰する「念仏碑」に御参りして、日高(江原)の地を去る。

|

« よもぎうどん | トップページ | 神鍋高原(八反滝)から湯村温泉へ »

法座と聞法」カテゴリの記事