本願寺角坊(みすのぼう)
親鸞聖人が遷化(ご往生された)の地である。これは西本願寺の立場で、お東のは、このブログでもしばしば登場している。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_594e.html
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-72a7.html
御池通を入った学校のすみに、遷化の地という碑文が立っている。仏教美術の専門家で、歴史にも詳しい、K先生の話では、東の地こそが遷化の場所だというのであるが、、。
久しぶりに御参りさせてもらったが、ずいぶんきれいになっていた。七百五十回大遠忌の記念事業の一貫で、整備されたというのである。
聖人がお亡くなりになった場所だと説明したら、上の子が「じゃ、お墓もあるの?」と聞かれた。墓所は、西大谷の大谷本廟だから、別にある。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-3484.html
そのお墓を護ることから、本願寺が生まれてきたのである。本願寺だけではない。聖人がお亡くなりになったことが、ある意味では、宗派としての、浄土真宗の誕生につながっていくのである。
右の余間の欄干には、御伝鈔の洛陽遷化の場面である聖人のご往生の様子が描かれていた。
「聖人(親鸞)弘長二歳 壬戌 仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。それよりこのかた、口に世事をまじへず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらはさず、もつぱら称名たゆることなし。しかうしておなじき第八日、午時、頭北面西右脇に臥したまひて、つひに念仏の息たえをはりぬ。ときに頽齢九旬にみちたまふ。」
ちなみに、禅房は、長安馮翊の辺「押小路の南、万里小路より東」とあるのが、この地である。 南無阿弥陀仏
(この写真は、お東の遷化の地。)
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