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2014年11月の24件の記事

龍谷ミュージアム「二楽荘と大谷探検隊」

Img_3811 龍谷ミュージアムでは、今日が最終日で、

特別展「二楽荘と大谷探検隊 -シルクロード研究の原点と隊員たちの思い-」

六甲山にあった二楽荘と大谷探検隊の記録だ。個々の隊員の資料や、二楽荘の活動についての展示が中心。上映されたビデオで、Img_3830_2探検隊の紹介があって、いろいろと勉強になった。

 ただ、蒐集された文物が提示されているのかと思っていたので、その点ではかなり期待はずれ。

Img_3809_2 それでも、昨年尋ねた、トルファンやクチャの記述も多くて懐かしかった。砂漠の中を、ラクダの隊列が進む姿ひとつでも、ご苦労の後が偲ばれる。

 龍谷ミュージアムには、トルファンのベゼクリク千仏洞の回廊が復元されでいる。実際は、各国の探検隊に剥がされて、世界中に散乱していて、無残な姿だった。

 ところで、トルファンの吐峪溝から出土された善導願経と呼ばれる『阿弥陀経』が展示されていた。名の通り善導様の願文が阿弥陀経の奥書に記されているのだ。直筆ではなく、書生に書かせたという、説明があったが、実物を前にが、善導様が身近に感じられた。それも長安ではなく、遥か西方のトルファンから出土したというのだから、感慨深かった。
 ちなみに三蔵法師玄奘様と、善導様、ほぼ同じ時代を生きておられるのである。

 余談ながら、ミュージアムの中庭も、紅葉が華を添えていた。
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西本願寺の公孫樹

Img_3845 午後からの大阪支部法座までの間、招待券をいただいた龍谷ミュージアムを訪れる。やっぱり、下の子は、「いかない」と言っている。朝寝をしたり、TVを観るほうが、有意義だというのだ。 

 まずは、西本願寺に御参りする。

Img_3810_2 快晴の日曜日ということで、本願寺の駐車場も満杯に近い。

  しかも、温かい。明日から師走というのに、コートは邪魔になる。

   ちょうど、阿弥陀堂は法事の最中。雅楽が流れる中を登礼盤作法Img_3835を拝見させてもらえて、勉強させていただきました。

 対になった公孫樹の巨木が、青空を突き抜けるように樹っていImg_3833_2る。

 塀の越しに飛雲閣を眺める。

 鐘楼堂も、紅葉と公孫樹で荘厳されていた。

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懐かしいといわれも…~cafe Gades~

Img_3767 せっかく、一乗寺まできたのである。
 素通りするもなーと思いながらも、もともと連れ合いの友人なので、なんとなく疎遠になりかけていた、cafe Gades(カフェ ガデス)に立ち寄る。

「もしかして、Kちゃんと、七ちゃんか。わー、大きくなったなー。何年Img_3776ぶりかな。これがあるから、この仕事は辞められないわー。もう今日は、お店閉めてもいいわ」と、マスターは久しぶりの訪問を大歓迎してくれた。
 

 ぼくも、このお店で撮影されて、彼も出演していた辻仁成監督の映画の話題を持ちだした「醒めながら見る夢」の劇場版の予告では、彼もちらっと映っていた。ネット版では、お店のワンシーンだけ。

Img_3769  まあ、普通なら、それをPRするポスターやチラシがあったりするが、ここには、そんな匂いさえないのがいいところ。変わらない雰囲気と、変わらないマスターの人柄。

Img_3768 ところが、大歓迎を受けて帰路。
  七が、「懐かしいなーと言われても、ぜんぜん覚えてなかってん。でも合わせとかんとなー」と、笑わせている。最後が5年前としたら、まだ彼女は、5歳のことで、それほど記憶がなくても仕方がない。でも、大人の方は、生まれた時から、彼女を観てくれているのだよ、ということである。

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曼殊院の紅葉

Img_3720_2 母の希望で、今年の紅葉は、一乗寺の曼殊院となった。

 最澄の草建で、天台宗の中でも、由緒ある門跡寺院として、江戸Img_3746時代初期にこの地に移転されてきた。すぐ近くに、ゆかりの修学院離宮もあり、また詩仙堂などもある名勝地だ。

Img_3630_2 それでも、東山や嵐山に比べると、交通の便がよくないこともあって、混雑は、それぼどでもない。狭い道ながら入り口近くまで車を横付けできて、駐車場も無料というので、高齢者では、どうやら訪れることができた。Img_3622_2

 門跡ということもあるが、創建者の親王の趣向もあって、とても落ち着いた書院建築Img_3743_2だ。このの中をゆっくり拝観することができる。いくつかある狩野派の襖絵も、重要文化財で、間近で、重文の阿弥陀様なども拝Img_3654_2ませてもらえたりもする。黄不動などの国宝も所有されている。

 お庭は、けっして広くはないが、枯山水の庭に紅葉も美しく映えて見事だった。手水鉢にも紅Img_3671_2_2葉映えて、アクセントが美しい。

  ピークは、どうやら先の連休中で、このところの雨で、かなり紅葉も散っている。それでも、散った紅葉が赤い絨毯となって、苔の緑とのうまく溶け合っていImg_3672て、また違った風情がある。

 昨年は、父の入院でいけなかったが、今年は、子供たちも一緒に、紅葉Img_3647_2を共に見に行くことができた。でも無事一年、一年、両親の老いを感じる。子供たちと一緒の紅葉狩りは、これが最後になるだろうかと思うと、感慨も深い。

 4月の桜は、どうなっているのだろうか。
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総会の御礼

    総会も、昨年から単なる事務的な事業報告や審議だけでなく、車座になって、同人の声を聞いたり、意見を表明していただく時間を多く取っている。初めてご参加くださった方より、想像と違ってよかったとの声もいただいた。それでも、ご縁の新しい方には、まだ総会は遠い存在である。  

    悟朗先生が、何度も何度も、「総会は、法座と同じ」と言われていたことが懐かしい。自分たちの法座をどのように運営していくのか。また、これまでの先達のご苦労を聞く場でもある。結局、私は、面倒は嫌で、自分だけ喜べればいいと考えている。「後生だ」「獲信だ」と躍起になっても、結局、自分でおいしいところだけが欲しいのなら、前述の伏見稲荷の信仰と、どう違うのだろうか。

 仏教は、仏・法、僧(サンガ)の三宝を揃った時に始まった。サンガとしての法の集いをどうしていき、後に伝えていくのか。同じ法の仲間と、共に、これからも歩んで行き、お聞かせに預かっていきたいものだ。

    「人生は、どんな時も前にしか進まない。後ろに戻ったらたいへんなことだ」と、フィンランドの巨匠アキ・カウリスマキの映画『過去のない男』の中でのセリフ。

 華光会も、運営や財政的には、課題はある。淀みとなって、フリーズしたままの関係もある。が、それでも、前に一歩、一歩進んでいこう、という力をもらった。

 

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華光大会御礼

 今年も、3日間の華光大会が無事に終わった。  

    先生方に、運営の皆様、世話役の皆様、そして御参りの皆様、ありがとうございました。    

    若手の講師が多い中で、5座のご法話も充実した内容ではなかったか。  

 信仰体験発表も、有り難かった。特に、飾らない、仏語を交えない、そでそのままが機の真実であり、虚仮不実の中から、法の真実に出会っていかれた抱腹絶倒の話など、それぞれが個性的だった。                        

   ご満座の法縁も終わり、皆様をお見送りして、結局、自分が、自分のこととして、聞かせていただくしかないなー、ご縁にあっていくしかないという思いで一杯になった。当たり前のことを、驚きをもって聞かせていただくことの幸せを思った。

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西山忌

Img_3595 浄土宗西山深草派のご本山、 誓願寺の前を通ると、「西山忌」(せいざんき)の看板が。、、。そうか、西山上人(国師)のご命日にあたるのだ。せっかくなので、御参りさせてもらうことにした。

 西山上人とは、浄土真宗の方なら、善恵房證空としてお馴染みだ。  

Img_3594 繁華街の真ん中で、行き交う人を見守っておられる丈六の阿弥陀様だが、今日は、その前に西山上人像が、阿弥陀様お前立ちのように安置されていた。なかなか珍しい光景。

 以前、このブログで、「証空」と記載したら、固有名詞なので、間違わないようにというImg_3593_2コメントをいただいた。「證空」さまです。 (もっとも誓願寺の公式HPが、証空です)

 ちなみに、本来の西山忌とは、宝治元年(西暦一二四七)十一月二十六日、七十一歳にて往生をとげられた西山上人の御祥忌なので、11月26日とのこと。 

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旧国鉄最古の建築物

Img_3585_2 伏見稲荷は、京阪と、JRが最寄駅になるが、その参道のお土産屋も面白い。

 お稲荷さんにちなんで、いなりやきつねんうどんが有名だが、いまは、グロテスクということで、あまりは並んでいないが、稲作の天敵スズメの丸焼きが名物だ。まあ、当Img_3588然、みんなあパスした。鶏は平気で、雀は、というにも勝手な話だけど。

 ところで、JR稲荷駅には、レンガ作りがの古Img_3587_2い物置のような小屋がある。

 見逃すような建物だけれども、現存する旧国鉄最古の建築物で、ランプ小屋である。昔、汽車が照明用に使ったランプと油が置かれていたとか。

 ミニ情報でした。

http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=5000087

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伏見稲荷大社にて(2)~法味編~

Img_3554_2 さて、子供も、千本鳥居をとても喜んでいる。でも、なぜ、名前が書いてあるのかと問われた。すべて、寄進者が商売繁昌の御利益を求めて建てるで、鳥居の大小でも料金が違う。小さいものよりも、大きくなると百万単位となって、より大きな御利益があるのだろうか。しかも、新しいものImg_3563はいいが、古いものは、根のところが腐ってきたりしているので、一度建てたら、それでお終いというわけにもいかようだ。それで、ところどころ、空いている場所ある。日本でも最も御利益があるという商売の神様としてて、「じゃ、会館も苦しいので、2本くらい寄進したらどうかな」Img_3558と、笑いながら提案してきた。いや、ほんとう、ほんとう。神様にお願いしなければ、後生一筋Img_3564_2では、なかなか商売繁昌は難しいなとと思いながらも、まあこんなところにまったく用事がなくなったのが幸せである。  

  ただ、神社の記事を載せただけで、「無碍の一道にもほどかある!」と抗議があった。冗談が通じない人もいる。文章の一部だけを切り取る悪意ある人もいるから、要注意だ。 

Img_3565_2 商売繁昌だけではない。腰の神様、目の神様、良縁祈願に、はたまた水子供養に、、。別の宗教法人も軒をならべている。さまざまな像Img_3573_2が立っている。千本鳥居もいいが、この祠や御社のオドロオドロしさも、捨てたものではない。雑多な神仏が飾られ、雑多信仰のオンパレードである。  

 結局、どれだけ御利益があるのか分からないが、すべて現世利益の祈祷である。結局は、自己のImg_3578欲望をかなえるためのもだ。そして、どれだけ神仏がおられても、こちらか欲望を叶えてもらったり、守ってくだImg_3580さるようにお願いをせねばならない。そして、第一、どの神仏も、私の後生を心配してくださる方はおられない。

 阿弥陀如来様だけが、仏様からの他力のご回向によって、しかもこちらは悪人のままで、そして二度と迷わない仏にしてやろう。救ってあげようと仰る方はないのだ。なんという超世の教えではないか。  日頃、触れないものに触れさせてもらうことで、改めてわが身の幸せを知らせた気がした。伏見稲荷を歩くだけでも、お念仏を称えずにはおれなかった。  

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伏見稲荷大社にて(1)

Img_3582_2 土曜日授業の関係で、長女は振替休日。関係ない下の子も学校を休みたがったが、それはもちろん無理な話。長女も、試験が迫っているらしいので、午前の空き時間を利用して、ご近所を散策するImg_3516ことにした。

  行き先は、口コミによる、外国人に人気の日本の観光スポットで、今年1位となった場所である。

Img_3520 意外なことに、それがここ伏見稲荷大社ある。

http://www.tripadvisor.jp/pages/InboundAttraction_2014.html

Img_3530 決して神仏に現世祈祷をするために来たのではないことを最初にお断りしておかないと、会館の財政が苦しいことをご存じの皆様は、とうとう神仏に祈祷するまでになったかと、疑われては困る。

 この稲荷山を登ると東福寺につながっている。ぼくの通っていた高校は、そのルートにあったので、体育の時間には、Img_3518稲荷山を走らされたり、地学の授業で地質調査をしたこともあって、このあたりには詳しい。それで、華光会館で開催した子供大会では、Img_3560ここが追跡ハイキングのコースとなっている。
 

  ところが、長女は、入ったことがないという。そんなことはない。幼稚園の行事で、親子で、この山をハイキングしたこともあるのImg_3544だが、まったく覚えていないという。

 とはいっても、ぼくも何年かぶりかにここにくる。
 聞いてはいたが、平日というのに、たいへん混雑している。それでも、駐車場は無料は、拝観料は不要というのImg_3577で、参拝に来たのではないぼくたちは、おさい銭もあげなければ、御参りもしないので、ハイキングようである。
 噂どおり、外国人が多い。アジア系は団体が多く、白人系の人Img_3562は、個人観光。ぼくも、二度、写真を撮影をたのまれた。 

 今日は、東福寺に抜けたり、一の峰まImg_3541でいくつもりはなかったので、四つ辻のところまでいった。ここからは、京都南部の町並が眺められる。高速や高架で、学生時代とは、ずいぶん風景は変化した。会館は見えるかな、ビミョウ~

 帰路は、裏道を通った。実は、ここからが一段と、面白く、興味津々となったところだ。同時に、改めて味わうこがあったので、(2)へ続く。
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久しぶりの日曜礼拝

  久しぶりに日曜礼拝にお参りする。

  子供が少ないのがとても気にかかる。こちらも、案内やお誘いも含めて、もっともっと工夫が必要だ。それでも、先生役の若い人もチラホラあって、トータルでは、そこそこにお参りある。  

  法話は、Y先生。「今年もあと、1月半。今年も、いろいろなことがありましたね」と、今年を振り返りられた。ああ、もうそんな季節になったのだなーと、しみじみ。この後も、何が起こるかわからないが、これまでも、広島での土砂災害や、御嶽山の噴火などの自然災害が日本でもあり、お隣の韓国では旅客船セウォル号の遭難事故など事故や事件があいついだ。その中で、旅客船セウォル号の遭難事故を材料にしたご法話をいただく。

 無常(死)ということ、誰もが自分かわいいの欲で、責任とらない自分中心ということ。そして、犠牲となった高校生の、最後の通信記録から、まったく我が身の危機を楽観視し、ほんとうのことがほんとうと分からない、無明ということを、具体的な例でお話くださった。  

  迷っているとは、自分のことが、自分で分からないのだ。先のことも何一つ分からない。無常とも分からない。ほんとうのことは何もわからない。だから、ほんとうのことがわかった、悟った御方、目覚めた御方が、そんな私の行き先(後生)を、大悲のお心で心配されて、「危ないぞ、危ないぞ」と、声を枯らして叫び続けてくださるのである。

 でも、その声が分からないから、これまで迷い続きてきたのであるし、その呼び声を聞くことがないのから、また迷い続けていくのであろう。

  座談は欠席して、華光誌と、大会の準備。こちらも1週間を切って、しばらくたいへん。

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11月の華光誌輪読法座

 11月の華光誌輪読法座。

 土曜日なのに、参加者は少ない。常連の方に差し障りがあったのだが、ただ人数の多少よりも、新しい顔ぶれがこないところが問題だ。これからは、内向けに終わらず、お誘いなどで工夫ができないか、もう少し努力の必要がありそうだ。

 「師に握拳なし」の1回目。釈尊の涅槃直前、法然様のご臨終直前、そして親鸞様の最晩年(歎異抄第二章の門弟との問答)の3つを通して、時代や立場を超えて、一貫して流れる悟りや獲信を巡る、仏法の上での究極の師弟関係に触れている。その中でも、今回は、釈尊のお悟りから梵天勧請、そして初転法輪と、三宝がそろって、仏法が始まる劇的な展開と、涅槃の時の釈尊の残れたお弟子方への態度に触れる。終始変わらない、釈尊の平等精神、そしてお弟子を、(特に阿羅漢となった弟子を)対等に個として尊重する姿勢には感動させられる。時代を超えて、真実の普遍性が、釈尊の対人的態度に現れている。 次回、それが時代や立場を超えて、法然様や親鸞様にも、終始一貫流れ、受け継がれているところを窺っていきたい。  

  次回の輪読法座は、年末。なんと12月27日(土)昼1時30分~ 。こんな押し迫った時までおいでくださるのである。もし可能ならば、プチ忘年会もしたいナーと考えている次第だ。

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いよいよ華光大会

   まもなく華光大会だ。

 ★11月22日(土)午後1:30~24日(祝)4:30

 今年は、地元、京都支部がお当番。

 講師の先生方は、50代、30代と、20代の女性の5名と、若が得ている。何故か、福岡、熊本の九州勢が5名のうち3名だ。

 全部で7座のうち、法話-座談は5座。

 もうひとつは、華光大会恒例の信仰体験発表で、こちらも、高山、地元京都、そして広島、熊本の4名の方にお願いした。皆さん、快諾してくださって、助かった。60代が2人、20代が2名と年齢幅が広い。

 そして、もう1座は総会だ。悟朗先生の時代、「総会は法座と同じ。自分たちの聞法の場を作り、そのご苦労を聞く場です」と、何度も出席を促してきた。お金の問題、当番などの実践の問題などが絡んでこそ、初めて、ご法が凡夫のものになるのだ。ある先生が、「お釈迦様も、サンガ(僧侶の原点、その集まりとなる僧伽)がなくては、三宝(仏・法・僧)が揃わず、仏法にならないですからね」とおっしゃったが、凡夫の身には、自分ひとりで求めていくことなどできない。釈尊の教えでも、それを縁覚(独覚)と言って、成道直後の釈尊自身も、そこを脱して伝道宣言をし、サトナルートの初転法輪によって、仏・法・僧の三宝が揃ったことが、仏教の始まりなのである。その意味でも、法話がないからとパスしないで、総会にも積極的にご出席いただきたい。いま、同人でない方も、発言や議決権はありませんが、傍聴は自由です。

 申し込み〆切は過ぎていますが、まだ参加はできます。迷っておられる方も、華光同人の仏法のお祭りに、奮って、ご参加を! 一座だけの参加もできます。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2014/detail/11/kekotaikai2014-11.htm

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ご示談

 ご縁あって、ご示談のお申し出をお受けする。
 老苦、病苦、死苦-自らの無常が現実に迫っていて、ご本人は、真剣そのものだ。

 仏法は、おとぎ話でも、話の中のことでもない。今の現実が、後生へと綿々と続く私の一大事である。だから、話の上だけならわかることも、わが身の問題となると、難の中の中、これに過ぎたる難はない世界である。しかも私が、どれだけ真剣で、必死であっても、わが心、わが聞き心を頼って、本願を握りにかかる、つまりは自力の世界にいる限りは、絶対に出会うとのない。自力を翻し、他力に帰すことが、廻心なのである。そして、その他力の世界に立たせてもらえさえれば、すべて阿弥陀様からの回向されるいただきもの。ただのただで、これほど安い教えはないである。

 もろろん、話で聞いてるのだけなら、任せたつまり、分かった気になるかもしれない。が、実際は、他人事ではなくわが身の無常が迫る現実になると、自力・他力の変わり目のみに力が入ってしまう。しかし、そこを追いかけるのだが、追いかけても、追いかけても、その方向に出会いはないのだ。廃立は大切だ。だが、その変わり目だけを追いかけても無駄なことだ。わが身の変化が第一の問題ではなく、そう変わらせるお力(誓願不思議の願力)が一番手である。だから、阿弥陀さまのお心を、ただお聞かせていただくだけなのである。それだけしかないのだ。

 お互い真剣であっても、人間のチッポケな計らいなど役に立つものではない。第一、互いに目先の変化を見つめ合うだけならば、あまりにも空しいではないか。根底に流れる大悲のお心にふれていくのである。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 

 

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神鍋高原(八反滝)から湯村温泉へ

                  
Img_3414_2 日高町の神鍋高原を通る。初めて、ぼくがこの地での仏の子供大会に参加したのは、小学校の3年生のことだと思うが、その時の名色ホテルも、いまはきれいになっている。その後、何度となく、この地で子供大会を開かせてもらい、また大人の集まりも持っている。こImg_3427_2こもまた、華光のご旧跡地である。

 先生として歩き回って追跡ハインキングのコースを探して見つけた風穴と、八反滝は、いまは、Img_3442案内板もあってすぐ分かるようになった。回りもずいぶん整備されて、四季を通じて利用できるレジャー施設になっている。

Img_3471  神鍋高原を抜けて湯村温泉に泊まる。

  昔、吉永小百合が演じた夢千代日記の舞台Img_3459だ。

 但馬では城崎温泉が有名だが、ここも山間の風情ある温泉街。慈覚大師が開いた温泉だという。だいたい高僧と温泉はつきもので、世の中には、弘法大師や、聖徳太子が開いた温泉と伝承される地ある。聞法旅行で訪れた越後と信濃の国境の赤倉温泉は、Img_3462親鸞聖人が開いたことになっている。でも、慈覚大師(円仁)というところが、リアリティーがあるな。

 熱湯の温泉で、野菜やタマゴを湯がくのが、昔からの名物。

  紅葉はこれからだったが、おかげで気分もリフレッシュ。
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日高支部法座

 Img_3356_2秋の日高支部法座。(写真は、同人宅のお庭と、紅葉)

 長年、日高支部では、秋の法座は、10月の子供の報恩講がぼく、11月は支部報恩講で、父が、それぞれ御参りして勤められていた。そのうち、子供の集いがなくなり、父も出講できなくて、普段と同じ支部法座が、11月にあるだけだ。

Img_3362_2 これまで支部や華光を支えてきてくださっていた80代以上の方の大半が、お亡くなりになったり、入院されたり、施設に入られたりされて、春にお会いしても、秋にはお会いできないということが、毎回、続いている。当然、法座を開いても、人数は寂しい。せっかくの信仰座談会も深まらず、今生事に流れたり、ズレるのは残念なことだ。時に、皆さん、後生はほんとうに大丈夫かImg_3383なーと心配にもなる。しかし、皆さん、報恩報謝の思いは人一倍強い。これまでの続いてきた先輩同人の遺徳が沁みる、法徳の地である。そのおかけで、人数が少なくなっても、法座が持たれるのがことが尊い。人数が少ないので、支部法座ではなくて、個人の法事や年忌を兼ねた法座を持ってくださる。ある意味、今でも、この地の人達が、華光の集いImg_3384_2を支える一翼を担ってくださっているのが、事実である。

 人間に、子供時代があり、青年や壮年時代があり、老年期を迎えるように、人間の集まりにも、誕生があり、成長期があり、円熟期があり、そして衰退期があって、最後は消滅していく。その意味でも、支部の変遷もその流れの中で、無常の理を、仏説まことと示してくださっていたのである。実際、日高支部より熱心であった、豊岡の流Img_3379_2れをくみ同人は、いまももういらっしゃらない。

 だからこそ縁あるかぎり、またボロボロになっていったとしても、この地のお念仏が残るかぎりおつきあいしていきたい。それもまた尊い、ご法の相続の姿である。Img_3385_2

 最後に、Rさんの月忌参りをすませて、すぐ裏手の円山川に出る。

 すすきが揺れている。その昔。夏には、悟朗先生がここで泳がれていたという、先生ご旧跡地だ。もう50年以上も前のお話。

 日高同人の先代からの知識である鎌田顕昭師を顕彰する「念仏碑」に御参りして、日高(江原)の地を去る。

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よもぎうどん

Img_3345_2 兵庫県の日高支部法座。

 和田山から右岸道路を通り、橋を渡り312号に入ると日高町(今は豊岡市日高町)である。Img_3349

  その橋のたもとに、よもぎうどんの看板と、茅葺きの建物が立っている。

 通るときだけ気になるのだが、すでにお昼を済ませているので、素Img_3352通りしてきた。

 今回は、お昼がまだだったので、かぐや姫いうお店に入る。茅葺きの中も、なかなか風情がある。囲炉裏に火が入り、掘ごたつでゆっくりできるImg_3353。お昼をすぎたところだったが、客が絶えずに入ってくる。

 よもぎうどんの中に入っている白いものは、お餅。麺も、だしも上品な味で、満足した。

                                 
 日高法座の道中の楽しみがひとつできたな。
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東映太秦映画村

Img_3190  さて、これらの写真はどこでしょうか。

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Img_3306 もちろん、タイトルをみれば答えが分かる話だが、太秦にある東映太秦映画村に遊び行った。映画村なのに、子供たちは、いまだに「忍者村」といったり、「時代村」とImg_3211いったりしている。雰囲気が確かそんな感じだ。

 広隆寺にほど近いところにあり、本当の映画撮影所が隣接しているところだ。会館から、8㎞ほImg_3263どなので遠くはないが、子供がいなければ、こんなところに来ることはない。駐車場も、他府県ナンバーの車ばかりだ。

 ここにくるのは、何年ぶりImg_3204_2なのだろうか。
 映画村が出来た直後に、仏婦のリクレーション(昔は、6月に臨地法座という形で、日帰りでのバス旅行もあった)で訪れて以来だろうから、35Img_3274_2年以上前のことだ。記憶は朧ながら、すっかり変わってしまった感はある。         
 
 時代劇のセットを歩いたり、Img_3295美空ひばりの展示館があったり、アニメや戦隊モノの展示があったり、舞台や映画撮影ショーなどは、なかなか面白かった。でも、遊園地とは違って、ハデな乗り物があるわけではない。それでは、修学旅行生をImg_3292取り込めないので、アトラクション系の施設が、少しはできている。Img_3228ちょっと値段のわりに詰まらないものもあったが、忍者からくり屋敷は、それなりに面白かった。そして、映画のセットのノウハウと、役者がお化けを演じるので、お化け屋敷が怖いとの評判だ。

Img_3305 お化け屋敷と聞いて、子供たちはしりImg_3194込みしていた。いつも強気の下の子は、口だけで、この手のものは、まったくだめ。頭からパスで、ひとり待っていていいという。上の子も、かなり迷っていたが、最終的に、ドキドキしながら並ぶことになった。1グループずつなので、絶叫や「怖かった」という声を聞きながら待っている時は、かなりパクパクしImg_3334ているのが分かる。でも、ぼくは、遊園地の絶叫系マシーンはからっきし苦手だが、昔からお化け屋敷は平Img_3252気だ。今回も、「セットがうまくできてるな」とそれなりに関心はしたけれど、そんなにビックリしなかった。急に怖がらせるための仕掛けがることが、(どこにあるのかは分からないが)のが予め分かっているし、どうせ人間Img_3300がやっているのだと思っているので、平気なのだ。それより、もっともっと恐ろしいものに出会っているので、所詮、人間の作りものだと思うからだ。

 いろいろと楽しかったが、まあ、これはこんなところだろう。まあ、次は、たぶんないだろうなー。
 最後は、ぼくには懐かしポスターでお別れ。Img_3328

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11月の伝道研究会

 伝道研究会も、先月から、「所帰人法」に入った。

 浄土真宗では、帰命の対象、つまり信心の対象が、
 人=仏様、阿弥陀仏という仏体なのか、それとも、
 法=南無阿弥陀仏の名号なのか、という論題である。

 今夜は、特に二種報身(法性報身と方便報身)の問題から、所帰すべき方便報身の阿弥陀仏について細論を窺った。途中で、「実相身、為物身」とはどう関連しますかなどの質問もあって、如来論にも触れていった。

 さて、所帰人法を結論からいえば、
 浄土真宗では、南無阿弥陀仏の名号(法)に帰依していくのである。

 しかし、第17願には、「咨嗟称我名」とあり、その成就文では、「讃嘆無量寿仏威神功徳不可思議」と示され、それを承けた第18願成就文では、「聞其名号信心歓喜」と説かれている。このように、名号は、決して阿弥陀仏と別に離れたものではない。つまり、南無阿弥陀仏の名号は、単なる名前はなく、阿弥陀仏自身の功徳がすべて封じこめれた名号として成就されているのであるから、名号と、阿弥陀様(覚体)は、別々のものではなく、名体不二の南無阿弥陀仏というのである。阿弥陀様は、南無阿弥陀仏と名乗られ、この南無阿弥陀仏の名乗りで、私達を済度されるのであるから、信心の対象は、単なる名前ではなく、名体不二の名号ということになるのだ。

 次回を12月3日(水)夜7時30分です。(先日、4日(木)と言いましたが、変更します。)
 12月で、所帰人法を終わる予定です。

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今年最後?の広島支部法座

  広島駅の新幹線のコンコース、土産物屋がリュニーアルされていた。改札口に向かうと、これも場所が変わっていた。通路も、回りのお店やすっかり新しく、そして明るく生まれ変わっていた。先月とは大違いだ。開通は一昨日のことらしく、どのお店もお祝いの花で飾られていた。これだけでも、新鮮な気分になった。

 司会のNさんから、「今年、最後のかんもん先生の支部法座です」とご紹介された。意識していなかったが、そういえば、カレダーも、残り2枚となって、年末の仕事の段取りも相談をする季節になっている。ぼくにとっては最後だが、12月は、法話大会におこしくださった広島の本派の布教師をお招きされている。こちらも楽しみなことだ。

 さて、法話は、「信心正因・称名報恩」から、一般の信心、まかせるということと、浄土真宗の信心、おまかせすることの違いと言う点からお話した。
 たとえば、この世のなかでも、飛行機に乗れば、航空会社やパイロットを信頼して、いのちを預ける。病気で手術するとなると、医者を信頼する。手術台に乗ったら、もうまな板の鯉。ジタバタしないで、私のいのちを、「先生、お願いします」と、おまかせする以外には術はない。では世間のおまかせすると、真宗の他力にまかせるのは、同じなのか、違うのかを問った。もちろん、世間のそれは、どこまでも自分の総合的な判断で、看板や肩書を信頼し、最終的にはや一か八かの賭けに似たおまかせであるから、「必ず仏にしてみせる」という他力回向とは、まったく異なるものである。しかしである。もう少しその違いを皆さんに尋ねてしてみると、案外、分かっているようで、改めて言葉にするのは難しいようだった。
 でも、こんな不思議はないではないか。目にも見えず、科学的真実とは違い、おとぎ話のような弥陀の本願だけが真実だと頷くとができ、その弥陀をたのむことのみが、私が仏に成る唯一の道であるという他力回向の信心を頂く身とならせてもらったのである。そこから、称名報恩の「報恩」や「恩徳」の意味をお話したのだが、これもまた不思議にも、恩知らず、報謝のすべも持たない無慚無愧の身でありながら、功徳が十方に満ちるがゆえに、私の口がでる「南無阿弥陀仏」が、そのまま報恩謝徳のお念仏となる不思議に遇わせてもらっているのだた。
 すべては、私の側には微塵も真実はない。かけらも私にはまことはないのであって、すべて阿弥陀様から回向された功徳なのである。自力を捨て、他力に帰入したものだけが、味わえる不思議があるのだ。

 無慚無愧のこの身にて
 まことのこころはなけれども
 弥陀の回向の御名なれば
 功徳は十方にみちたまふ

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聖典講座~四十八願(2) その分類と順序

 さて、四十八願を分類すると、前回窺った『讃仏偈』の三摂の願(別願)が展開したものが、四十八願だといってもいい。つまり、

 摂法身(法身について)=譬如恒沙 諸佛世界~如是精進 威神難量
 摂浄土(浄土について)=令我作佛 國土第一~國如泥? 而無等雙
 摂衆生(衆生について)=我當哀愍 度脱一切~已到我國 快樂安穏 となる。

 また、親鸞聖人は『愚禿鈔』において、
 「『大経』に、選択に三種あり。  
  法蔵菩薩  
   選択本願 選択浄土
   選択摂生    選択証果」
と述べておれるが、「選択浄土」が摂浄土、「選択摂生」が摂衆生、「選択証果」が摂法身ということになる。 

  また、(1)古来(隋時代の慧遠など)からの分類として有名なのは、次の説である。
  摂法身の願(このような仏になりたい)=十二・十三・十七の三願
  摂浄土の願(こういう浄土にしたい)=三十一・三十二の二願
  摂衆生の願(苦悩の人々をこのような身に育てたい)=他の四十三願

 これに対して、(2)善導大師の分類は、浄土真宗でも味わうべきものである。
 つまり、四十八願すべてが、摂法身(一)であり、摂浄土(二)であり、摂衆生(三)であって、究極全てが、一願(つまり第十八願)に帰結していくという見方である。それぞれご文でいただくと、
(一)「法蔵比丘、世饒王仏の所にましまして菩薩の道を行じたまひし時、四十八願を発したまへり。一々の願に曰く、もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」と。いますでに成仏したまへり。すなはちこれ酬因の身なり。」(玄義分)
(二)「これ弥陀の本国は四十八願よりす。」(序分義)
「四十八願より荘厳起りて、もろもろの仏刹に超えてもつとも精たり。」(往生礼讃)
(三)「四十八願は衆生を摂受したまふ…」(散善義・二種深信)
「一々の誓願は衆生のためなり」(般舟讃)  ということになる。

つまり、四十八願すべての根底には、一切衆生の「生死勤苦の本」を根本から抜き去って(抜苦)、最高の浄土に生まれさせ、仏とならせたい(与楽)という、阿弥陀様の大悲心から起こってきたものだと頂けるのである。  

 さらに、(3)別の親鸞聖人の分類は画期的で、四十八願を真実の願と方便の願に分けられる、真仮分判の立場である。  
 真実の願=第十一(証)・十二と十三(真仏)・十七(行)・十八(信)・二十二(還相)・三十三と三十四(信益)・三十五願(十八願別益)
 方便の願=第十九・二十と、第二十八願 

  阿弥陀様の四十八願に「方便」=仮があるなどと述べられたのは聖人の仏智眼によるものにほかならない。

 さて、このように分類される四十八願ではあるが、これには、明確ではないが、大体、以下のような流れで、順序が考えられている。
(1)古来からの説(真宗ではあまり取らない)  
  1、抜苦与楽(衆生の苦を抜き楽を与える)=一~十六の十六願
 2、摂諸衆生(衆生を摂  め、救う)=十七~三十二の十六願
 3、種々利益(数々の利益について)=三十三~四十八の十六願

(2) 金子大榮師などの説 では、順序に従った願心の展開を重視している。
 1、浄土の人々に対する願い=一~十一の十一願
 2、あらゆる人々を救いとるという願い=十二~二十の九願
 3、浄土へ生まれ仏となった人々への願い=二十一~四十八の二十八願

 ここでは、(2)を参照しながら、四十八願の流れにそって、味わうことにした。
今回は、まず、1願から11願のお心を流れにそって頂いた。

1、無三悪趣の願「国土に、地獄・餓鬼・畜生はない」
2、不更悪趣の願「二度と再び地獄・餓鬼・畜生には戻らない」
3、悉皆金色の願「悉くみな真の金色に輝かせよう」
4、無有好醜の願「美しいとか醜いという差別をなくそう」
5、宿命智通の願-     ・令識宿命の願
6、天眼智通の願-通    ・令得天眼の願
7、天耳智通の願-神    ・天耳遥聞の願
8、他心智通の願-六 心楽 ・他心悉知の願
9、神足智通の願-     ・神足如意の願
10 漏尽智通の願-     ・不貪計心の願
11 必至滅度の願 〔住不退転の願〕 証  

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聖典講座~四十八願(1)総説~

 四十八願成就して 正覚の阿弥陀となりたもう
 たのみをかけしひとはみな 
 往生かならずさだまりぬ   (帖外和讚)

 今月から、「法蔵菩薩の発願」のうち「四十八願」に入った。師匠である世自在王仏から、二百一十億の諸仏の国の有りさまを詳しく聴取された法蔵菩薩が、その長所を選りすぐって、五劫もの長い間、思いをめぐらされ、諸仏のなしえなかった大誓願が明らかになる。「一切の人々に真の喜びを与えよ」と、師に励ませれた法蔵菩薩が、四十八誓願を表明される一段である。まさしく浄土真宗の源は、この誓願から始まるといっていいのである。

 ところで、菩薩様とは「上求菩提・下教衆生」の御方であるが、どの菩薩様方も、菩薩の共通した誓願を誓われている。いわゆる菩薩の総願といわれるもので、すべての菩薩が共通して起こす四弘誓願がそれである。法蔵様も、讃仏偈の「願我作仏  斎聖法王~一切恐懼 為作大安」の中で、(成・断・学・度)を明かにされている。

 それに対して、別願とは、それぞれの菩薩の独特な願いで、阿弥陀仏では、因位(つまり法蔵菩薩) の時に起こされた四十八願こそが、弥陀さまの別願なのである。

 特に、四十八願は、すべて、
「設我得仏(たとえ、われ仏を得たらんに)=願い(その願が成就しない限り)
 不取正覚(正覚を取らじ)」 =誓い(仏に成らないと誓われた)
の形式を取っている。単なる願いではなく、世自在王仏に代表される諸仏方の前で、自らの正覚をかけた誓いなのである。

 まさしく、「あらゆる時代のすべての人々をもれなく救い尽くす」という大事業を誓われたのものであり、究極、第十八願におさまるものであるが、世に超えたすぐれた大悲の心からおこされた誓願であるから、「超世の悲願」とも言うべき誓願である。

 この四十八願は、地獄〔瞋恚=いかり憎しみ〕・餓鬼〔貪欲=果てしない欲望〕・畜生〔愚痴=無知な姿〕の三悪道の世界がないという、無三悪趣の願から出発して、次の第二願では、未来にわたっても三悪道にかえらないということが誓われている。つまり法蔵菩薩は、このような生々しい苦悩の現実に対する深い悲嘆と、限りない大悲心をもって、悪人凡夫の我々を目当てとした誓願をおこされ、その心こそ、四十八願すべての根底に流れるお心であると言える。同時に、その浄土は、阿弥陀仏一人の浄土ではなく、私が往生させてもらう世界なのであり、仏のためでなく、悪人凡夫の私のために、第一願・第二願が誓われたのだと言える。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄後序)と、親鸞様がいわれたのはまさしくここであり、私の中で、これが単なる法蔵菩薩の物語で終わってしまうのかどうかも、この汲めども尽きぬ計りしれない、如来様のお心を聞信するかにかかっているのである。

 ところで、この四十八願は、阿弥陀如来が法蔵菩薩という因位の時に起こされたものなので、因願と称される。そして、大誓願を起し、兆載永劫のご修行の果てに、阿弥陀如来という仏果を得られた。その因願の結果が成就されたので、成就と称する。実は、四十八願はその願文だけでなく、成就文と照応する時、初めて深意を窺うことができる。この成就文をお説きくださるのが、釈尊の仏説である。

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本願寺角坊(みすのぼう)

Img_3178 親鸞聖人が遷化(ご往生された)の地である。これは西本願寺の立場で、お東のは、このブログでもしばしば登場している。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_594e.html

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-72a7.html

 御池通を入った学校のすみに、遷化の地という碑文が立っている。仏教美術の専門家で、歴史にも詳しい、K先生の話では、東の地こそが遷化の場所だというのであるが、、。

Img_3176 久しぶりに御参りさせてもらったが、ずいぶんきれいになっていた。七百五十回大遠忌の記念事業の一貫で、整備されたというのである。

 聖人がお亡くなりになった場所だと説明したら、上の子が「じゃ、お墓もあるの?」と聞かれた。墓所は、西大谷の大谷本廟だから、別にある。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-3484.html

 そのお墓を護ることから、本願寺が生まれてきたのである。本願寺だけではない。聖人がお亡くなりになったことが、ある意味では、宗派としてImg_3180の、浄土真宗の誕生につながっていくのである。

 右の余間の欄干には、御伝鈔の洛陽遷化の場面である聖人のご往生の様子が描かれていた。

「聖人(親鸞)弘長二歳 壬戌 仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。それよりこのかた、口に世事をまじへず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらはさず、もつぱら称名たゆることなし。しかうしておなじき第八日、午時、頭北面西右脇に臥したまひて、つひに念仏の息たえをはりぬ。ときに頽齢九旬にみちたまふ。」 

Img_2804 ちなみに、禅房は、長安馮翊の辺「押小路の南、万里小路より東」とあるのが、この地である。 南無阿弥陀仏
     

(この写真は、お東の遷化の地。)

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中仏の文化祭にて

Img_3183 雨。

 昼からの法座までの時間、Rちゃんが通う京都山ノ内にある中央仏教学院(中仏)に向かう。実は、ぼくの母も、学校卒業と共に、この学院に二年間、寮生活で通った、中仏出身者である。  

 Img_3149_2_2中仏の文化祭である。仏教の専門学校なのだか、高校と大学を足して2で割ったようなノリで、運動会や遠足もあり、文化祭も、大学の学園祭のようでもあり、高校の文化祭のようものであった。  

 下の子が看板をみながら、「保育園の集まりみたいやな。それに、南無とカルピスに見えるなー」といっている。ぼくには、どうみても、「南無 ピース」にしか見えないが、子供は、「カルピース」と言い張っている。  

Img_3157 お点前の時間まで、舞台を観る。でもこれががっかりする内容だった。

 オカマショー風に仕立ているのだが、これがトホホなのだ。
 というのも、ネタがほとんど身内の楽屋オチなので、(けっこう年輩のおばちゃんたちも入っていたが)外部の人達は、みんな「ボカーImg_3168ン」状態で、ただ身内だけが爆笑している。このパターンはいただけない。せっかくの素材がいきてこない。ぼくにも関西人の血が流れているのだ。このレベルのお笑いでうけること自体、許せない。きっと、宗祖もお嘆きではなかろうか。ここは猛省し、精進しないと、これからの本願寺派Img_3152_2の将来はいかがなものかと心配になるのであった。 おいおい、そっちの心配かい!

 でも、茶道部の皆さんも頑張っていて、Rちゃんもなかなかけっこうなお点前でした。I君もありがとう。袴姿、凛々しかったです。

Img_3158_2  まあ、お笑いのレベルは問題であったが、偶然、ゲートキーパーの研修で知り会った人に再会したり、お世話になっているお寺さまのお嬢さんにあったりと、知っている人も会えたし、写真を取ってもらえたし、出店も案外おいしかったりして、よかったです。

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