聖典講座~四十八願(2) その分類と順序
さて、四十八願を分類すると、前回窺った『讃仏偈』の三摂の願(別願)が展開したものが、四十八願だといってもいい。つまり、
摂法身(法身について)=譬如恒沙 諸佛世界~如是精進 威神難量
摂浄土(浄土について)=令我作佛 國土第一~國如泥? 而無等雙
摂衆生(衆生について)=我當哀愍 度脱一切~已到我國 快樂安穏
となる。
また、親鸞聖人は『愚禿鈔』において、
「『大経』に、選択に三種あり。
法蔵菩薩
選択本願 選択浄土
選択摂生 選択証果」
と述べておれるが、「選択浄土」が摂浄土、「選択摂生」が摂衆生、「選択証果」が摂法身ということになる。
また、(1)古来(隋時代の慧遠など)からの分類として有名なのは、次の説である。
摂法身の願(このような仏になりたい)=十二・十三・十七の三願
摂浄土の願(こういう浄土にしたい)=三十一・三十二の二願
摂衆生の願(苦悩の人々をこのような身に育てたい)=他の四十三願
これに対して、(2)善導大師の分類は、浄土真宗でも味わうべきものである。
つまり、四十八願すべてが、摂法身(一)であり、摂浄土(二)であり、摂衆生(三)であって、究極全てが、一願(つまり第十八願)に帰結していくという見方である。それぞれご文でいただくと、
(一)「法蔵比丘、世饒王仏の所にましまして菩薩の道を行じたまひし時、四十八願を発したまへり。一々の願に曰く、もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」と。いますでに成仏したまへり。すなはちこれ酬因の身なり。」(玄義分)
(二)「これ弥陀の本国は四十八願よりす。」(序分義)
「四十八願より荘厳起りて、もろもろの仏刹に超えてもつとも精たり。」(往生礼讃)
(三)「四十八願は衆生を摂受したまふ…」(散善義・二種深信)
「一々の誓願は衆生のためなり」(般舟讃)
ということになる。
つまり、四十八願すべての根底には、一切衆生の「生死勤苦の本」を根本から抜き去って(抜苦)、最高の浄土に生まれさせ、仏とならせたい(与楽)という、阿弥陀様の大悲心から起こってきたものだと頂けるのである。
さらに、(3)別の親鸞聖人の分類は画期的で、四十八願を真実の願と方便の願に分けられる、真仮分判の立場である。
真実の願=第十一(証)・十二と十三(真仏)・十七(行)・十八(信)・二十二(還相)・三十三と三十四(信益)・三十五願(十八願別益)
方便の願=第十九・二十と、第二十八願
阿弥陀様の四十八願に「方便」=仮があるなどと述べられたのは聖人の仏智眼によるものにほかならない。
さて、このように分類される四十八願ではあるが、これには、明確ではないが、大体、以下のような流れで、順序が考えられている。
(1)古来からの説(真宗ではあまり取らない)
1、抜苦与楽(衆生の苦を抜き楽を与える)=一~十六の十六願
2、摂諸衆生(衆生を摂 め、救う)=十七~三十二の十六願
3、種々利益(数々の利益について)=三十三~四十八の十六願
(2) 金子大榮師などの説 では、順序に従った願心の展開を重視している。
1、浄土の人々に対する願い=一~十一の十一願
2、あらゆる人々を救いとるという願い=十二~二十の九願
3、浄土へ生まれ仏となった人々への願い=二十一~四十八の二十八願
ここでは、(2)を参照しながら、四十八願の流れにそって、味わうことにした。
今回は、まず、1願から11願のお心を流れにそって頂いた。
1、無三悪趣の願「国土に、地獄・餓鬼・畜生はない」
2、不更悪趣の願「二度と再び地獄・餓鬼・畜生には戻らない」
3、悉皆金色の願「悉くみな真の金色に輝かせよう」
4、無有好醜の願「美しいとか醜いという差別をなくそう」
5、宿命智通の願- ・令識宿命の願
6、天眼智通の願-通 ・令得天眼の願
7、天耳智通の願-神 ・天耳遥聞の願
8、他心智通の願-六 心楽 ・他心悉知の願
9、神足智通の願- ・神足如意の願
10 漏尽智通の願- ・不貪計心の願
11 必至滅度の願 〔住不退転の願〕 証
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