暴風警報でも聖典講座
猛烈な大型台風接近のニュースが、連日、報道されていた。
京阪神では、JRが、事前予告での全面運休。自然災害での予告運休は、史上初めてという。でも、私鉄や市バスは動いている。新幹線も、運休ではない。終了が、台風接近と重なる聖典講座の開催を迷った。が、早めに終了することで、予定どおり始めることにした。お参りは、京都の方だけかと思っていたが、三河安城や島根!の遠方や、初めてのお参りの方もあった。
法蔵菩薩の発願に入って、思惟摂取の段だ。
「思惟摂取」(しゆいせっしゅ)の「思惟」とは、よくよく思慮すること。「摂取」とは、ここでは、摂取不捨の場合の、光明の中に修めとるという意味ではなくて、劣(悪)を捨て、勝(善)を取る、選擇摂取のことだ。
『讃仏偈』で、世自在王仏のお徳を讃嘆し、深い決意表明をされた法蔵比丘が、世自在王仏の説く、二百一十億の諸仏の浄土の長短所を具に聴き取られ、五劫の間、思惟して、諸仏国土に超え勝れた浄土建立のための行を選び取られ、いよいよ四十八願が述べられる、もっとも重要な段だ。ここをさらに、六段に細分科していただいた。
すべての人々を救いたいという決意をされた法蔵様と、師匠仏であり、諸仏の代表でもある世自在王仏様との深く、尊い問答がなされる。
まず、(1)、「われをして世において、すみやかに正覚を成りて」-上求菩提
「もろもろの生死勤苦の本を抜かしめたまへ」-下化衆生。
と菩薩の決意を述べられるが、この「もろもろの生死勤苦の本を抜かしめたまへ」の決意が尊い。生死とは、「生老病死」の略で、迷いのこと。勤苦とは、悩み苦しみ。本とは、その根本。つまり衆生のすべての迷い、悩み、苦しみを根源から抜き去りたいとの悲願こそが、法蔵様の発願の根底にあるものだ。
(2)、それに対して、師匠仏の「汝自當知」と退けられるお心も深い。現代語訳版では、そのまま文面どおりの頂きぶりだが、その奥には、果後の方便、つまり、法蔵菩薩は久遠の仏で、かりに仏果を得た後に、衆生をたすける方便として現れた仏であることを、師匠仏は推知されていたと味わうことができるのだ。
それにもかかわらず、(3)、法蔵比丘は自らの力だけでは及ばないと、重ねて頭をさげられ、諸仏の代表である師匠仏に懇願され、
(4)、いよいよ法蔵比丘の志願の高きことを察した師匠仏が、広く二百一十億の諸仏の国土を示されるのである。
そして、(5)、法蔵比丘の発願をされるのだが、それは「其心寂静 志無所著 一切世間 無能及者」の境地(すなわら八地以上の境地)で、五劫の間、思惟(思いをめぐら)で、浄土建立の因となる清浄の行を選び取られるのである。
以上を結んで、(6)満を持して、下に四十八願(別願)の起こされるのである。
以上のくだりは、直接、法蔵様のお言葉、お心に触れられる段であり、親鸞様もお正信偈でも、次のようにうたったおられる。
法藏菩薩因位時 (発願の時)
在世自在王仏所 (発願の所)
覩見諸佛淨土因 (発願の有り様)
国土人天之善悪
建立無上殊勝願
超發希有大弘誓
五劫思惟之攝受
重誓名聲聞十方 (重誓偈)
これは遠い世界の作り話でも、おとぎ話でもない。いま、この道場で、お釈迦様のお口をかりて現れてきた真実を、私共も同じようにお聞かせに預かっているのである。結局、そこがそのままお聞かせに預かり、喜べていくのが、他力回向信のお徳である。だからこそ、親鸞聖人もご持言、つまり常の仰せで、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」。(『歎異抄』後序)
と喜ばれているが、皆様の喜びは、如何か?
次回から四十八願に入る。(11月2日(日)1時30分~)
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