華光誌輪読法座~機の真実~
平日の昼間なので参加者は少なく、ほぼ決まった顔ぶれが揃う。
まずは、巻頭言。謎のイニシャルの筆者の言葉を味わう。
いつもの輪読法座は、巻頭言~聖教、そして2回に渡って誌上法話をいただくが、今回は、巻頭言の後で、信仰体験記と随想を、声に出して読んだ。信仰体験記「願われていた一本道」のFさん。さらに、法味随想「分級座談会、大嫌い!」のMさんが、参加されているからだ。
はっきり法話や巻頭言とは一味違う雰囲気がある。たぶん、法が身近になるというのか、わが身と照らしたり、振り返りながら発言出来るので、かなり活発な話し合いや分かち合いとなった。しかも,本人がおられる。文章の登場人物もおられる。そのあたりの詳しいやりとりや、補足、不明点の質問なども活発にあった。
二人とも、もとはまったく仏とも法ともないところから、あの手、この手のご方便が、光明のお育てとなって、ご法が進んでいく姿が尊かった。「願われていた一本道」のタイトルも有り難い。結局、念仏まことに出会うための人生だったのだ。
Mさんもまた同じだ。華光でも友達はいない、話す相手もいない、「書けない、読めない、話せない」と自称されているMさんの文章を、みんなでいただく。この文章だけでも、法話以上にさまざまな真実が伝ってくる。実は、その背景には、文章にはできないような壮絶な家族との関係があったことを詳しくお聞きした。飾りのない、ありままの文章も有り難いが、ここで語られた破天荒な家族のありように、みんな抱腹絶倒しながらも、聞き入った。しかし、それで終わらないのが仏法というか、華光の尊いところだ。今生の苦悩を超えた阿弥陀様のご本願によって、私のほんとうの有りさま(衆生の実相)がありありと知らせれてきて、とても有り難かったのだ。王舎城の悲劇は、遠いところではない。私の回りでも、さまざまな順縁や逆縁が、仏縁となって、私をお念仏の白道へと踏み出させてくださったのである。
法が、私たちの上に」生きて展開する姿、その包み隠しないの姿にふれて、有り難かった。切実な人間の悲しさが、それでいて真実のもつ潔さもあって、楽しく聞かせていただくことができたのだ。いつもとは一味違う、有り難い雰囲気で、輪読法座は終わった。
平日にも関わらず、参加された方は、得をされたな~。
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