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仏青大会なのに、何故か、中年男の悲哀を共感するの巻

 昨年から1泊2日になった仏青大会。直前に、キャンセルもあって、人数が少なくなった。熱心に創意工夫されているが、最近の仏青は寂しい人数になっている。  

 今年も内容は、盛り沢山だ。法話や座談以外にも、3人組での如是我聞ゲーム。初企画の「新・人生を語る会」。これは、20年前以上前に、華光会の月例の定例会で行っていたものに、インスパイアされて行われたもの。最後には、白熱した議論となって、ちょっとエキサイトした。

 でも、ぼくには、懇親会が楽しかった。たまたま1日だけ参加くださったK師と、50代男の人生の悲哀を、共感的に聞きあった。中年真っ只中の二人が、若い人に囲まれながら、片隅で愚痴る姿は、なかなか哀愁が漂っている。人生の季節なら、もうかなり秋も深まっているのようだ。  

 ところで、ぼくの気分の基本は、鬱的傾向にあって、すぐに落ち込む。特に、肉体的な疲れが、精神的な不安を引き出すことを、経験的に気付いている。たとえば、法座でも9割の評価があったとしても、1割以下の批判があれば、そこを過剰に気にして、すべてを悲観する間違った認知の傾向があるのだ。たぶん、基本は、父と同じく、うちに籠もる暗い性格の面もある。  

 とはいっても、いろいろと人生を重ねて、その人生の機微、縁が紡ぎだ妙味は、辛くても、また面白いものだと、最近は楽しめるにようになりつつはある。そこで、ぼくも、早く突き抜けたいなと思う次第だが、それには、もう少し人生修業が必要なのかもしれない。まだまだ自由自在(自由人、自在人)には生きさせてもらえない。        

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