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2014年10月の27件の記事

金庫

 今年の永代経法要の当番で受付をされた高山支部の方から、「受付に設置する金庫を購入ください」との有り難いご喜捨があった。これで受付の方も、少しは安心だろう。セキュリティーの関係で、実物の写真は掲載しないが、重量感ある立派な品物を購入させていただいた。キーとダイヤルが併用式で、予め番号が決められたが、まるで華光用に設定くださったのではないかという、有り難い番号だった。

 ただし、宿泊行事時だけの使用なので、活躍するのは、年に10回ほど。常は空気しか入っていない。空でも、ひとりでは運べないので、二人で設営した。

 後は、空気ではない中味である。せっかくの金庫が、宝の持ち腐れになりませんように、どうぞ、皆様、今度は中味の方を、よろしくお願いいたします! 

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希望舞台「焼け跡から」

  劇団希望舞台の公演「焼け跡から」にお招きいただく。

http://www.kibou-butai.com/yakeato/index.html

Img_3132 今回の講演は、兵庫県播但方面、宍粟(山崎町)市~姫路市~丹波市とあるが、やはり知人が多い宍粟市の公演にお邪魔する。
 学校から戻ってくる上の子を待って、一緒に、宍粟市の山崎町文化会館に向かう。18時の開場直後なのに、すでに多くの方が集まって、ホールは満席に近い観客がある。

  主催は、「いのちをみつめる会」という団体で、仏教会、キリトス教Img_3137会、教育委員会、神戸新聞社などが共催している。でも、実際は、S寺のいつも仲間が中心となっておられるので、顔見知りの住職や坊守さんたちが、会場整理などでいきいきと動いておられた。

 この芝居は、初めて観る。
 『お菓子放浪記』(映画でみたけれど、この作品にかなり通じる部分がある)の西村滋氏の原作。終戦直後、東京大空襲で、戦争孤児となり野良犬のように寄り添う子供たちが、寺(父)に反発して、寺を飛び出して兵隊となり、檄戦地を生き延びた若い住職との出会いが物語の始まりである。

 結局、大人が始めた戦争という理不尽な行為によって、たくさんの親を亡くした子供たちを生んだ。小さな胸に収まらない深い悲しみを抱えながら、日々、ひたむきに生きていくしかないのである。それは、子を亡くして親も、また友や大切な人を亡くした人も同じだ。愛別離苦の苦しみ、悲しみの傷は、癒えることはない。それでも、残酷にも、日は昇り、沈むのである。しかし、同時にそこには、同じ悲しみをもったものが織りなす希望が、きっとあるのだろう。
 声高かに、反戦を叫ぶ作品ではない。子供たちの小さな胸から溢れでるた悲しみの向こうにある、人間(大人)が始めた愚かな行為と、誰にもおこる悲劇を、観るものに訴える作品である。回りの年輩の女性が涙ぐんでおられた。きっと、往時を思いだされたのであろうか。

Img_3140 楽屋にご挨拶の後、打ち上げ会場のS寺へ移動。明朝は、長女の学校があるので、長居できなかったが、一言、ご挨拶もさせてもらった。

 華光の法座も、同人の皆さんが世話役として取り組んでくださるからこそ、過密なスケジュールをこなしている。しかし、今のあり方だけでいいのだろうか。まだまだ改善できる点、さらに一歩踏み込んだ取り組みがあるのではないかと、皆さんの姿をみながら、学ぶ事は多いなと考えた次第だ。 

                    
 それにしても、今夜はずいぶん冷え込んだ。

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『363日のシンプルライフ』 

 フィンランド映画、『365日のシンプルライフ』を観る。

 予告編を見た時点から興味をもった。なんといっても、アィデアが面白い。

 フィンランド映画といえば、巨匠アキ・カウリスマキが有名で、好きだが、その他は、あまり観る機会はなかった。これはフィンランドの若者が、自分を材料しながら行うドキュメンタリー映画だ。失恋をきっかけに、人生にとってほんとうに大切な「もの」を見つけ出す実験映画といっていい。実際は、記録を再演して、ジャズをベースの音楽も、また北欧の澄んだ街並みを写す映像も、おしゃれで、たいへん心地よい作りだ。特に、知り合って交際が始まった彼女を部分的にしか写さずに、最後に効果的に顔出しするところが上手かった。

 さて、実験のルールとは単純だ。
(1)自分の持ちモノをすべてを倉庫に預ける
(2)1日1個だけ倉庫から持って来る
(3)1年間、続ける。  (つまり365個ということ)
(4)1年間、何も買わない(食料品などは除く)

 といてっも、(1)はけっこう覚悟がいる。ほんとうに真っ裸で、拾った新聞紙で陰部を隠して貸倉庫に向かって、彼が選んだものは---。
 なんとトレンチコートだった。2日目はクツ、3日目に毛布、4日目はジーンズ、5日目はシャツと、まずは衣類を中心に集まっていく。その後、マットレスとかタオルとか、時にはギターなんかも取り出しながら、身の回りの衣類や生活必需品を中心に集まっていくのである。

 消費社会の中で、「もの」に支配されつづける現代に、オシャレに一石を投じている。そして、「もの」に振り回せていると、愛(家族)という大切なものが抜け落ちていきますよという、単純明確なメッセージが伝わってくる。この間、愛する祖母を失い、チャーミングな彼女ができるという人生の別れと出会いも経験するのである。

 確かに面白かった。でも、映画を見終わっても、それほど感銘しなかった。何か違うなーと感じながら、この文章を書いてはっきりと分かったことがある。

 すべてのものを捨てて、ほんとうに必要なものだけを見定めていくというこの実験だか、実は、すべてを捨てているようで、かなり限定的な部分があることに気付いた。ほんとうの意味で、すべての「もの」を捨てる映画ではない。なぜなら、その「もの」の中には、「お金はものではない」ので、手に入れるという断りがある。それをもとに、食料品も外から購入し、友人と外食もする。ほかにも、水も、電気も、医療も、そして住居も別枠で保証されている。つまり、衣食住のうち、「食」と「住」が最低限確保されている中で、大半は、「衣」とタオルや歯磨きといった生活必需品の扱い、娯楽や趣味の要素をどうすかるなのである。細々とした生活必需品や衣類を、いろいなものと兼用し、工夫しながら、最低限のところで増えてくることになって、だいたい100日目あたりで、物欲は止まってくるというのだ。でも、衣類が整い外食をするならば、台所用品はなくても困らないことになる。

 その意味では、これは北欧という先進国での安全や、ライフラインは、すべて確保された上での、もの=過剰な物欲や贅沢品への実験といっていかもしれない。当然、独身男ならではできることで、子供が生まれたならば(実はこの点には言及されていて、フィンランドならでは、子育てへの高福祉の社会事情も知れて面白い)難しいだろう。
 もちろん、お金もに支配されず、完全な自給自足の生活をめざすことは、都市生活者には、非現実的ではある。しかし、「もの」に支配される根源である、お金(money)の扱いを避けていては、徹底はしないなーと思った次第だ。

 映画が終わって立ち上がると、真後ろの席に、仏青のS君が座っていた。おお、さすがに、いいアンテナをしています。で、彼は、どう感じたのでしょうか。

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広島支部法座in福山

Img_3121 教行寺の翌日は、広島支部法座だ。1年ぶりに福山での家庭法座である。  

 新神戸で「さくら号」に乗り換えて、福山まで。さらに、ここから在来線に乗って10分。松永駅でおりると会場はすぐ近くだ。Img_3130

 この会場も、4年目(4回目)だという。最初は、支部法座というより、年忌(法事)を兼ねて、親戚の方向けへの法座から始まった。

 ホールや会館の法座に比べると、家庭法座は、アクセスが不便だったり、会場が狭かったり、イスがなかったり、トイレが少なかったりと、公共の会場に比べると不自由なところも多い。それでも、公共のホールにはない良さがたくさんある。その家、家の特色があって、ほんとうに温かい。そしてお仏壇がある。その地ならではの親戚や友人といった参加者があるのもうれしい。第一、お念仏を申すことに気兼ねがないことだ。だから、家庭Img_3124法座に行くと、「おうちの柱に、皆さんのお念仏をしみこませてください」と申し上げる。娑婆往来八千遍。芥子粒ほどもお釈迦様のお命が捨てていない場所はないといわれるが、お釈迦様がお命が捨ててくださった地で、法の座が開かれるのだと、常々お聞かせに預かったいる。 「本願を信じて、念仏を申せばImg_3127、仏に成る」という歎異抄のお言葉をもとに、因である本願が成就して、南無阿弥陀仏となられたお心をお取り次ぎする。本願のおいわれを聴けば、信じるもまた、私の「信じる-信じない」という世間的な信用の信とは、意味が違うことがわかる。信じる心までも、阿弥陀様のもとで成就くださり、私に回向くださるというのである。

  座談会も、家庭法座を縁とした方が中心で、よかった。長年きいていても、今生事の喜びで留まって、後生の一大事を心にかけるというところがImg_3129お留守になってしまうものだ。そのあたりを改めてお聞かせに預かった。また、初めて御参りくださった方に、お心が響いていくのが、よくわかった。さっそく、11月の華光大会も全日程でお申し込みくださり、有り難かった。

 家庭法座のよさがでたご法座でした。

  帰路、福山城が、ライトアップされていた。

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チャンポンと、馬見丘陵公園

Img_3056 お昼は、道中、見つけたチャンポン屋に行くことにした。12時を少し過ぎたところなのに、駐車場も満杯で、待たされた。その後もお客さImg_3058んが入ってくる人気店らしい。
http://nara-nara.seesaa.net/article/196019718.html
Img_3059 ぼくは、みそ味にしたけれど、とろみ(あんかけ風)があって、ぼくの口にも」あって、おいしかった。 餃子もこだわりの味。
 K先生のお寺にお出での方にお勧め!
 

Img_3075 少しだけ時間もあったので、すぐ近くの馬見丘陵公園を覗いた。全Img_3115_2国都市緑化フェアの会場にもなったところが、花と緑の公園として整備されている。朝、本堂は寒くて、「午後からストーブをいれるか、どうか」と、多数決がとられていた。

Img_3107 が、午後からは、日差しが強くて、上着を脱ぎ、シャツを腕まくりしても、でも暑い。水辺では、子Img_3067_2供たちが水遊びをしている。

 あいかわらず、花には興味がない下の子は、「暑いので休んでるわ」と日陰で涼んでいる。  Img_3117法座の合間に、上の子と秋の花々を楽しいだ。

 本堂に戻ると、暖房の用意があった。昼の前席が終わったところで、火が入った。

 この温度差が面白かった。
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教行寺報恩講

Img_3048  ご縁があって、先月に引き続き、教行寺にお招きいただく。初めての報恩講だ。

 本派と大派では、ご正忌報恩講の日(本派は1月16日の新暦、大派は11月28日)は違うし、正信偈や和讃の節もかなり違う。とくに、最後の和讃や念仏のユレには、ついていけない。しかし、節は違っても、お正信偈が勤まり、御伝鈔が拝読されるのには、違いはなImg_3045い。第一、同じ親鸞様のお法り、南無阿弥陀仏のお心という肝心の中味には、なんら違いはないのである。よく考えたら(よく考えなてくも)阿弥陀様が、それどころか親鸞様が、本願寺を建てられたのでも、東西に分けられたわけでもないのである。皆さんで、「南無阿弥陀仏」と申させていただく。もし、その時、お念仏の声がないのなら、それは、宗派云々ではなく、浄土真宗ではないのだ。

 報恩講ということで、阿弥陀様、親鸞様のご恩徳をいただく。法座が終われば、当たり前のImg_3053ように恩徳讃を唱和するが、そのお心は深く尊い。

 では、如来大悲の恩徳とは何か。単なる「恩」ではなく、「恩徳」というところを味わう。まだ「恩」の言葉はなんとなく分かる。さて「徳」となるとどうか。「徳がある」とか「不徳のきわみ」など日常で使用しながらも、案外、その意味を分かりやすく説明しろと問われたら、皆さんお困りになっている。実はよく分かっていないのに、どうして、それを実践することができるだろうか。

 もちろん、如来様の大悲のご恩徳や、その弥陀の本願をご教示くだされた善知識の恩徳も、なんとなく有り難いと思っていても、実際には具体的に、どれだけ、身にかけて聞かせてもらっているのだろうか。ただ法座の度に、習慣としておあげているだけなら、あまりにも勿体ない。分かっていないものを、実践することはできない。その汲めどもつきないご恩徳の深さをお聞かせに預かるが、ご聴聞である。教えていただくから、聞くことが出来る。聴くことが出来るから、知ることができる。恩を知る、知恩があってこそ、(もともとのインドでの恩の意味である)感恩が生まれ、そして報恩へとつながるのである。       

 

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『往生礼讃偈』を学ぶ

  新聞広告に仏教大学の一般公開講座の案内があった。場所は、四条烏丸の北東角。いつもの京都シネマの斜め前にある銀行ビルの上だ。

 善導大師の『往生礼讃偈』を読む、という講座である。普通でも、一講座1000円と安いが、これは無料講座というのである。

  『往生礼讃偈』は、『六時礼讃』ともいわれ、浄土宗や(蓮如上人が『正信念仏偈和讃』を定める前の)浄土真宗では、日常行儀を説き述べられると共に、勤式に使用されてきたもので、もともとは馴染みのあった偈文である。しかし、今日ではそうではないだろう。

 善導様には、五部九巻と呼ばれる著述があるが、どうしても『観経四帖疏』が中心で、残りの四部は、具疏とか、行儀分と呼ばれている。主に行儀、礼法に関する記述であるからだが、教義的に意味のある点も多々ある。

 ところが、今日、浄土真宗では、親鸞様の見方で、七高僧方のお言葉をいただく。とくに、親鸞聖人の善導様の読み方は、徹底した自力無効、他力回向の立場から、大胆な読み替えをされていることがある。 それに比べると浄土宗の読む方は、正統的な当面の読み方なので、そこも押さえた上で、親鸞様が喜ばれた善導様のお言葉をいただくと、より一層、親鸞様の他力回向の立場が、明確になってくるのだ。

 こんな専門的な内容で、一般の方は少ないだろうと思っていた。が、意外なことに、ビルの一室の講義場は、100名以上の方が座っておられる。でも年輩の方が大半。お隣の女性は、龍谷大学の一般公開講座の会員証もお持ちだった。

 ただ残念なことに、案内では10月からの3回の開講だと思ったが、実は、すでに春、夏と6回が経過して、今回は秋講座のご案内。すでに、六時のうち、日没讃、初夜讃、中夜讃、そして後夜讃と済んでいて、それで、彦琮法師の礼讃による「晨朝讃」からの講義で、いきなり内容に入られた。

  内容も、かなり専門的もので、さてさてどれだけの方が理解されているのかという内容だった。が、少なくても、大学の教養としての仏教講座(無料というのもあるが)、これだけの方が、なんらの形で関心を持って集まってこられることに、たんへん驚くともに、この人達のなかで、もしかすると自分の信仰の問題として聞法される方はおられるかもしれないなという思いで見ていた。ただ、ご縁や出会いがないだけはなかろうかと。

 さて、講義はかなり面白かった。ただし、専門的な漢詩(七言絶句や五言絶句)の詳細な話が大半で、本には最後、少し入っただけだ。漢詩の作製ルールなどは、かなり細かく説明されて、ぼくも知らないことがあったが、もう少し彦琮法師の礼讃の内容に入ってほしかった。講義は、質疑や問いかけもなく、ほんとうに一方的に始まって、時間と共に問いかけもなく終わったのは少し物足りなかった。

 次の機会も受講して少し勉強することにしたいな。

 

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年度末の決算

  9月末が決算期なので、総会に向けて、最終の会計チャック。今年は、継職法要の関係で、会計は一息ついた、と言いたいところだが、現実は、なかなか厳しいー。うーん。まあ、いまの状況ではたぶんに致し方ない時期ではあるが、「自策自励」していかないとね。

Img_3040 夜は、たまたま母の手助けにきていた姉を誘って、会計担当のY夫妻と会食する。Yさんの得度記念にお祝いを予定していた。得度直後には、つるつるに光ったいた頭も、ごま塩程度に髪の毛が生えてきている。曰く、「生きているということですね」と。

Img_3042  どうせなら京都らしい風情よいお店にした。祇園石塀小路の和食のお店。場所のわりには、ずいぶんリーズナブルで、皆さんに喜んでいただけきました。とくに、このふあふあたまごが、好評だったようで、、。

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はちすの発行~仏様に頂いたご縁

 同人向けに、8月の子供大会の感想集「はちす」を送付する。

 いつもながら、中学年から高学年、そして中学、高校生、さらに大人の先生の感想を読むと、その成長ぶりに驚かされる。特に、今年の中学~高校生の分級座談会は充実してたいが、それは感想文からも窺える。わが子の文章に、こんなのがあった。

 「子供大会って、とても不思議な集まりだなーと、小さいころから思っていました。クラブの友達とも、学校の同級生でもない。仏さまがつくってくれたご縁によって集められた友達と一緒に、先生のお話を聞く。学校の授業とは似ているようで違う。普段の日常とはかけ離れた世界で、ほんとうのことを教えてくれる場所。いつでもやさしい雰囲気がながれていました。それが、私にとっての仏の子供大会です。」

 ああ、そうやね。それは普段の法座もそうであらねばならないなー。 仏さまがつくってくれたご縁によって集められた同行と共に、聴聞する場なのであり、ほんとうのことを教えてくれる場であり、やさしい雰囲気が流れている場なのである。

 わが子に教えられた気がした。

 ところで、今回は合わせて、11月の華光大会の案内し、総会の委任状も同封している。京都は、紅葉シーズン真っ盛り。早めにお申し込みください。布教の成果があって、大分や島根からの申し込みもある。アメリカ同人もご参加くださる。ぜひぜひ、ご参加ください。
 詳しくは、以下のページから。

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2014/detail/11/kekotaikai2014-11.htm

 

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小泉八雲と、怪談(ゴースト)めぐり

Img_2900 松江城を後に、道を散策しながら、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧居へ。小泉八雲といえば、怪談。そして、松江というイメージが強い。でも、意外なことだが、松江に在住していたのは、たった1年3ケ月のことだという。しかし、ここが最初の赴任の地であり、妻となるセツと出会いの場で、Img_2907そして怪談の基となる怪異譚を聞くことになる。帰化後の日本名も、この出雲の地が由来であるから、やはり、もっとも縁のある地なのだろう。

 旧居は、小さいが、風情のある建物だ。八雲も愛した美しく小さいが、品のある庭園を、気泡のImg_2909_2はいたガラス越しに眺めるのも、趣がある。

Img_2914_2 すぐ近くに、八雲を顕彰する記念館(小泉八雲記念館)もあって、ゆかりの品が展示されている。没後110年を記念して、八雲の家族展が開かれてImg_2899_2いる。八雲の3男1女の歩み。そして、いま、孫、曾孫、非曾孫の時代である。それぞれの名前が、「時」-「凡」-「想」と一文字で、ステキだったのが印象的だ。

 慌ただしい日程だが、次は、八雲の愛した松江の怪談ツアーである。松江城でのImg_2946_2_3「ギリギリ井戸」と、3ケ寺の怪談話が残る寺院の説明を受けた。

 まずは、歴代藩主の菩提寺である、浄土宗の月照寺。ここには、松Img_2948_2平宗衍公廟前の人食いの大亀の伝承、「夜な夜な歩く大亀」のお話を聞く。 現在では、この大亀の頭を撫でると長生きと、親孝行!ができるとの説明があった。「山陰のあじさImg_2941_2い寺」としても人気だが、こちらは、6月か。なぜか季節外れのあやめが一輪。八雲も、この寺をこよなく愛していたという。

Img_2960 次は、曹洞宗の清光院で、「消えぬ芸者の足跡」の芸者「松風」の怪談話。ぎっしりつまったたお墓が印象的。

Img_2957_2 最後に、日蓮宗の大雄寺(だいおうじ)へ。有名な小泉八雲の怪談「飴を買う女」の舞台とImg_2969なった墓地。 母親は、まだほんとに冷たくならないうちに葬られたために、墓の中で赤児が生まれ、そのために、母親の幽霊が、水飴で子供を養っていたという、Img_3014_2母の愛は、死よりも強いという、八雲によって、母性愛に昇華された怪談だをお墓の中で聞いた。

 怪談めぐりの詳細はこのサイトで。

Img_2932_2 今年は、聞法旅行が中止になったが、思わぬところでお同行さんと小旅行ができて、楽しかった。まさか、怪談ツワーとは、意外でしたが。
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松江の鯛めし

Img_2979 お昼は、皆美館という美しい庭園旅館で、お庭を眺めながら、「鯛めし」(鯛茶漬け)を御馳走になった。

Img_2975_2 文人・茶人藩主として名高い、七代藩主の不昧公が好んだ味だという。

 名代の「鯛めし(茶漬け)」と聞いていたので、料理が運ばれてきた時、お櫃の中味は、白米の上に、鯛の切り身(刺身)があって、そこImg_2977にお好み薬味をまぜて、あついだしをかけていただくのだと思っていた。でも、ご飯は白米である。薬味と思っていた皿の右側のアイスのようなすり身がが鯛めしのいわれだというのである。

Img_2978 なるほど、お好みで混ぜながら、軽~く三膳いただけた。少し予想外の料理だったImg_3035が、おだしも上品で、美味だった。

 御馳走さまでした。

 そして今回ひとつ覚えた島根の言葉(出雲弁)では、「だんだんでした。」

 

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松江城と堀川めぐり

Img_2814 島根は二度目である。聞法旅行で、法然聖人の誕生寺から鳥取(因幡)の源左同行を訪ね、三朝温泉で一泊。有福の善太郎同行を訪ね浜田海岸で一泊。翌日、温泉津の才市同行を訪ねた。3日間で4ヶ寺だけという、ずいぶん贅沢な旅だった。

Img_2825 その時に、バスの車窓から宍道湖を眺めた。が、松江も、石見銀山にも、観光地にはどImg_2826こもいかなかった。

 打ち合わせの時、法座が月曜日になるので、御参りの方もないだろうかちは、翌日は、飛行機の時間まで、観光にご案内しますということだった。ぼくとしては、近くの出雲大社Img_2851で、ぜひ縁結びをさせてもらうのだろうと考えていた。ところImg_2854がである。バスをチャターし、専門のガイド付きでの、至れり尽くせりの松江観光のバスツアーが計画されているではないか。しかも、参加者は9名もある。
Img_2828 その上、出雲大社の前に「神様には用事がないでしょう」と、パスされていた。世間では、強力なパワースポットとして、また話題の結婚式が開かれたばかりで、飛行機も満席という状況なのに、さすがは念仏者は無碍の一道だと、妙なところで感心させられた。個人的には、ちょっと縁結びしたいですがね。

Img_2863 日曜日は晴天だったが、今日はどんより曇っている。これぞ、雲Img_2864出ずる国である。夕陽スポットである宍道湖を周回しながら、松江城へ。車内で、名ガイドのSさんより、詳細を歴史をお聞きする。

 松江城からは、ほんものイドさんの案Img_2890内で、松江城周辺の観光にでる。

 ブログでもたびたび紹介しているが、ぼくは、お城巡りが好きだ。たとえばブログに登場したところだけでも、姫路城、犬山城、二条城、岡山城、熊本城、和歌山城、福山城に、福知山Img_2883城、さらには話題の竹田城と、ずいぶん取り上げている。実は、国宝の天守閣四城は、すべて訪ねている。が、なぜか、重要文化財のお城には、ご縁がなかった。

Img_2989 その一つがこの松江城である。現存天守12(すべて国宝、重文)のうちのひとつ。基礎の石組みも反りはなく、ほぼ直線に組まれている。正面には一部、白漆喰はあるが、外装は黒い板張りなので、漆黒の、重厚な、落ち着いたおImg_2994_2城である。鯱は、木造に銅板張である。高さは2mあって、うろこの荒いのがオス(うん!逆だったかな)だと聞いた。

Img_3027_2 内部は、軽くて、防虫、防火にすぐれた桐Img_3022_2の階段がほどこされたり、あっちらこちらに実践的な工夫がされているという説明をお聞きした。

 あと、石垣と、柱にあるハート型の模Img_3003様についても、教えてもらた(下の大きな写真)。なんでもこれを見つけると幸せになれると、若い女子に人気だという。まあ、Img_2992_2苦労せずに教えてもらったので、ご利益は薄Img_2997いだろうな。

 最後に、お掘り回りを遊覧する堀川めぐりを楽しむ。宍道湖がそうであるように、このお掘りも、海水と真水が交じっImg_3026た汽水湖で、生態系がゆたかだという。それに、お掘り回りというと、人工的な石組みを想像するが、半分以上は、樹でImg_3013覆われた自然の要塞となっている。さまざまな水鳥が飛び交っていた。

 低い橋の箇所は、舟の屋根が下がって、ぼくたちも頭をさげる。そのシーンが面白くて、思わず一枚。阿弥陀様には頭が下らないという、手をついて頭をさげぬ蛙では、この舟には乗れないなー。

  さて、ハート型わかりますか?
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初めての出雲家庭法座

Img_2804 名古屋の法座を終えた翌日、初めて出雲空港に降り立った。

 いま、出雲大社がブームである。空港のあっちこっちに、「ご成婚おめでとうございます」の文字があって、お祝いムード一色だ。でも、目的は、出雲大社ではない。同じ縁結びでも、お念仏のご縁を結ばせていただく。

Img_2806 華光会では、初めての島根県での法座だ。最初なので、広く呼びかけないで、お身内や親しい方だけの家庭法座として有縁の方にご参加いただくことになった。「四、五人でも、じっくり聞ければいいですね」というところから始まったが、いざ開いてみると、ずいぶんにぎやかな集いになった。  

 ぼくも初々しい気持ちで、楽しみにしていた。皆様も、心待ちにしてくださっている。初めてお会いする方もおられたが、ちょっと緊張気味でありながら、皆さんの姿勢や雰囲気がとてもよかった。

 歎異抄の「本願を信じ、念仏を申さば、佛に成る」のお言葉をもとに、いただく。 読み替えるならば、南無阿弥陀仏を信じ、南無阿弥陀仏を申さば、南無阿弥陀仏とならせていただくのである。
  御文章にも、「信心獲得すというは、第十八の願(本願)をこころうるなり。その願をこころうるというは、南無阿弥陀仏の姿をこころうるなり。このゆえに、南無と帰命する一念のところに発願回向のこころあるべし。これすなわち弥陀如来の凡夫に回向しましますこころなり」とある。このおこころをいただく。

 とにかく有り難く、尊い法座となった。阿弥陀様の大悲のおこころが、皆さんにしみわたり、法が、どんどん深まっていくのが目に見えた法座で、有り難かったの一言である。  

  特に、座談会にはいって、最初は、お荘厳の質問、そして教義的な質問から、だんだん自分のこことなってくる。しかも、それは、なかなか足が向い自分、さらには、どうすればよいかという方法論の質問になり、最後には、いま、ここでの称えごごろに向き合った方が、自分を打ち出してImg_2809_2_2お念仏を申してくださった。

 その後の懇親会を兼ねた夕食会も、これまでの聞法の歩みを、興奮気味に語ってくださり、たいへん有難かった。求め続けるものには、出会いは訪れるのであるのだろう。

 お招きくだされたOさんには、心のこもったおもてなし、ありがとうございます。さぞやお疲れであったでしょうが、ほんとうに尊いご縁でした。これからの仏法繁盛が、楽しみである。

 

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久しぶりの東海支部法座~いのちは大切だ、は恐ろし

 久しぶりの東海支部法座。名古屋の金山の会場は、初めてだ。

 翌日からの法座の都合で、日曜日ではなく、土曜日の法座となった。

 参加者は、少なめだったが、初めてお会いする方もあった。少しずつ、顔ぶれが変わってきているように思える。  

 例の『いのちの大切さ』に関する意識調査」をもとにしたご法話。  

 今日の「いのちは大切だ!」という至上命令的な価値観の押しつけと、それに何の疑問も持たず、現実は、そこから乖離している問題点を聞いていただいた。

 いのちを大切などするこはできない私がいるではないか。第一、誰のいのちが大切なのか。私は、私のいのちに執着して、他のいのちを奪って生きいるのである。自分も、人も、他の生き物のいのちも、大切にできていないのに、スロガーンだけ叫べば、それかかなっているかのように錯覚する現実がある。しかし、逆に「いのちを尊重する」の美名のもとに、私の罪悪も、無常も、美化されて、「いのち」を浅い表面的なところでしかとられていないのではないか。  

 しかし、お釈迦様は、この身は、無常で、不浄なものだと断言されている。にもかかわらず、今日の仏教教団、浄土真宗や浄土宗教であろうが、禅宗や日蓮宗であろうが、現在の風潮に迎合するかのように、「いのちの尊厳」を訴えてやまない。まるで、それが教義の中心課題ような過剰な表現で語られている。この身も、このいのちも、不浄なもであり、偽りのものであり、そしておそろしいものであるという不都合な真実は、うわべだけの教えによって葬りさられている。しかし、何をするか分からない、おそろしい身をもち、いのちを持っているのが、私なのだ。だから、無明であり、迷いの身なのである。たとえ、いのちを長らえたとしても、真実に目覚めることがないのなら、また迷いを続けていかねばならない。だからこそ、お釈迦様は、迷いのいのちを離れて、悟りのいのちに目覚める道をしめしてくださったのである。迷いのいのちとは、おそろしく、厭うべき、迷いのそのものなのである。

 ぼくが出会わせていただいた南無阿弥陀仏は、今日の毒(有害ではあるが)にも、薬にもならない寝ぼけた教えに、真実の一撃をくらわせるに十分な重みがあった。そんなおろそしい迷いのいのちを、丸々そのまま引き受けてやまないという、大きな願いから起こっているのである。どれほどのおろそしい逆謗の死骸を修めとっても、それに決して穢されることがないものである。一身に責任をとってくださるというのである。「責任とは、力である」という言葉に出会った。すべてを引き受けるだけの責任があってこそ、本願力という恐ろしいほどの力が働くである。南無阿弥陀仏に出会うとは、ある意味、こんなおそろしい世界に出会うことなのだ。ほんとうの意味で、すべてのいのちを大切にできるのは、自らの仏のいのちを我々に投げ出された、南無阿弥陀仏様だけなのである。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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泉佐野の寺院法座~本気のお示し

Img_2796 10月は、大阪泉佐野の本派の寺院布教にお招き頂く。ご縁をいただいて、もう何年になるだろう。

 親鸞聖人の報恩講である。15日が、お逮夜、16日が、ご命日のお勤めだ。

Img_2788  当たり前のことだが、法話は、参詣の皆さんの反応や反響をみながらお話している。特に、寺院布教の場合は、必ずしも、聴聞の焦点があたっている方ばかりではない。義理や役割で、渋々の御参り方もあるからだ。

 最初、用意していた教案で話し始めたが、どうも反応が鈍い。
 こんな時は、自分のところに届いてきた南無阿弥陀仏のお心を、そのまま聞いていただくのが一番いいのだが、それを自分の言葉として使った方が、皆さんに伝わっていくように思えた。それは、僕自身の個別な体験ではあるが、決して、特殊な話ではない、誰にも伝わる普遍的な内容が含まれていると思うからだ。なぜなら、人間に生を受けた以上、生老病死の苦や、愛別離苦や怨憎会苦といった四苦・八苦に苛まれて、避けることができないからだ。

 しかし、そのことをきっかけにしながらも、その今生の悩み、苦しみが、後生の問題へと転じていくのか、いかないのかが、宿縁というのではないか。いくら、悩みが深く、強くても、お念仏を伝えてくださる方との出会いなければ、仏法聴聞へところへとこころが依ることは、決してなかっただろう。ご法は、聞いても、聞かなくてもいい。好き好きで、どちらでもいいというような今生の話ではなかったのだ。

 僕自身にも、法に向き合う姿勢が変化した出来事が、何度かある。その都度、その都度が、尊いご縁であった。でも、その底には、先にお念仏(仏様)に出会い、真剣にぼくにそのお念仏を伝えてくださった、知識があり、お同行様がおられたのだ。その先達が共に聞法された集い、つまりサンガの中で、ぼくは仏法に出会い、そこで諄々とお育てをいただき、目覚めをさせていただいたのである。話すうちに、そのことを強く味わわせてもらった。

 そうなのである。ぼくは、「後生に一大事があるぞ! 念仏のみぞまことの一つ、いま、聞いてくれ!」と、本気になって教えを伝えてくださった善き師がおられたのである。いつも、真剣にご法を伝えてくださり、真剣にご法を語り合う同行の集いがあったのだ。ぼくに、お念仏を教えImg_2800_2てくださったお心の根底には、阿弥陀様のお心に触れらた本気の覚悟があったのだ。

 その深い深いお心のおかげで、ぼくも、いま、お念仏を喜ぶ身となったのである。ならば、どんな場面であっても、手抜きして誤魔化すわけにはいかない。

Img_2801_2 どこまで、皆さんのこころに届いたかは分からないが、少なくても、自分の喜びには偽ることなく、ご法をお伝えさせてもらった。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。

台風一過。2日間とも、秋晴れの青空だったが、帰路は、真っ赤な夕陽が、大阪湾に沈み美しかった。

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濁世の起悪造罪は

   聖典講座が終わって、急いで、子供たちを志賀まで送る。すべにJRは、止まっている。
車を走らせる時間は、台風が最接近の時間帯だ。不思議と、風は、少し収まってきたように思えるが、雨はいよいよ強くなって、視界は悪い。

  風雨の中で、次の和讃が繰り返し、心の中で口ずさむ。

濁世の起悪造罪は、
暴風駛雨(しう)にことならず
諸仏これをあはれみて
すすめて浄土に帰せしめり (道綽讃)

 台風がおそろしいのではない。この濁りの世の中にあって、心の赴くままにやりたい放題で生きている私こそが、すべてを破壊し、飲む込み、荒れ狂う暴風雨そのものである。
 だからこそ、十方の諸仏方が哀れみ、煩悩濁世の私をお目当てにした弥陀の本願をお勧めくださるのであると。

「濁世の起悪造罪は、暴風駛雨にことならず」
「濁世の起悪造罪は、暴風駛雨にことならず」
「濁世の起悪造罪は、暴風駛雨にことならず」

 あたりは暗くなってきたが、幸い、無事にかえってくることができた。このあたりの雨のピークもすぎたようだ。

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暴風警報でも聖典講座

 猛烈な大型台風接近のニュースが、連日、報道されていた。
 京阪神では、JRが、事前予告での全面運休。自然災害での予告運休は、史上初めてという。でも、私鉄や市バスは動いている。新幹線も、運休ではない。終了が、台風接近と重なる聖典講座の開催を迷った。が、早めに終了することで、予定どおり始めることにした。お参りは、京都の方だけかと思っていたが、三河安城や島根!の遠方や、初めてのお参りの方もあった。

 法蔵菩薩の発願に入って、思惟摂取の段だ。
  「思惟摂取」(しゆいせっしゅ)の「思惟」とは、よくよく思慮すること。「摂取」とは、ここでは、摂取不捨の場合の、光明の中に修めとるという意味ではなくて、劣(悪)を捨て、勝(善)を取る、選擇摂取のことだ。

 『讃仏偈』で、世自在王仏のお徳を讃嘆し、深い決意表明をされた法蔵比丘が、世自在王仏の説く、二百一十億の諸仏の浄土の長短所を具に聴き取られ、五劫の間、思惟して、諸仏国土に超え勝れた浄土建立のための行を選び取られ、いよいよ四十八願が述べられる、もっとも重要な段だ。ここをさらに、六段に細分科していただいた。

 すべての人々を救いたいという決意をされた法蔵様と、師匠仏であり、諸仏の代表でもある世自在王仏様との深く、尊い問答がなされる。

  まず、(1)、「われをして世において、すみやかに正覚を成りて」-上求菩提
 「もろもろの生死勤苦の本を抜かしめたまへ」-下化衆生。
と菩薩の決意を述べられるが、この「もろもろの生死勤苦の本を抜かしめたまへ」の決意が尊い。生死とは、「生老病死」の略で、迷いのこと。勤苦とは、悩み苦しみ。本とは、その根本。つまり衆生のすべての迷い、悩み、苦しみを根源から抜き去りたいとの悲願こそが、法蔵様の発願の根底にあるものだ。

(2)、それに対して、師匠仏の「汝自當知」と退けられるお心も深い。現代語訳版では、そのまま文面どおりの頂きぶりだが、その奥には、果後の方便、つまり、法蔵菩薩は久遠の仏で、かりに仏果を得た後に、衆生をたすける方便として現れた仏であることを、師匠仏は推知されていたと味わうことができるのだ。

 それにもかかわらず、(3)、法蔵比丘は自らの力だけでは及ばないと、重ねて頭をさげられ、諸仏の代表である師匠仏に懇願され、

 (4)、いよいよ法蔵比丘の志願の高きことを察した師匠仏が、広く二百一十億の諸仏の国土を示されるのである。

 そして、(5)、法蔵比丘の発願をされるのだが、それは「其心寂静  志無所著  一切世間  無能及者」の境地(すなわら八地以上の境地)で、五劫の間、思惟(思いをめぐら)で、浄土建立の因となる清浄の行を選び取られるのである。

 以上を結んで、(6)満を持して、下に四十八願(別願)の起こされるのである。

 
 以上のくだりは、直接、法蔵様のお言葉、お心に触れられる段であり、親鸞様もお正信偈でも、次のようにうたったおられる。

   法藏菩薩因位時 (発願の時)
   在世自在王仏所 (発願の所)
   覩見諸佛淨土因 (発願の有り様)
   国土人天之善悪
   建立無上殊勝願
   超發希有大弘誓
   五劫思惟之攝受
   重誓名聲聞十方 (重誓偈)

 
 これは遠い世界の作り話でも、おとぎ話でもない。いま、この道場で、お釈迦様のお口をかりて現れてきた真実を、私共も同じようにお聞かせに預かっているのである。結局、そこがそのままお聞かせに預かり、喜べていくのが、他力回向信のお徳である。だからこそ、親鸞聖人もご持言、つまり常の仰せで、

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」。(『歎異抄』後序)

と喜ばれているが、皆様の喜びは、如何か?

 次回から四十八願に入る。(11月2日(日)1時30分~)

 

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仏青大会なのに、何故か、中年男の悲哀を共感するの巻

 昨年から1泊2日になった仏青大会。直前に、キャンセルもあって、人数が少なくなった。熱心に創意工夫されているが、最近の仏青は寂しい人数になっている。  

 今年も内容は、盛り沢山だ。法話や座談以外にも、3人組での如是我聞ゲーム。初企画の「新・人生を語る会」。これは、20年前以上前に、華光会の月例の定例会で行っていたものに、インスパイアされて行われたもの。最後には、白熱した議論となって、ちょっとエキサイトした。

 でも、ぼくには、懇親会が楽しかった。たまたま1日だけ参加くださったK師と、50代男の人生の悲哀を、共感的に聞きあった。中年真っ只中の二人が、若い人に囲まれながら、片隅で愚痴る姿は、なかなか哀愁が漂っている。人生の季節なら、もうかなり秋も深まっているのようだ。  

 ところで、ぼくの気分の基本は、鬱的傾向にあって、すぐに落ち込む。特に、肉体的な疲れが、精神的な不安を引き出すことを、経験的に気付いている。たとえば、法座でも9割の評価があったとしても、1割以下の批判があれば、そこを過剰に気にして、すべてを悲観する間違った認知の傾向があるのだ。たぶん、基本は、父と同じく、うちに籠もる暗い性格の面もある。  

 とはいっても、いろいろと人生を重ねて、その人生の機微、縁が紡ぎだ妙味は、辛くても、また面白いものだと、最近は楽しめるにようになりつつはある。そこで、ぼくも、早く突き抜けたいなと思う次第だが、それには、もう少し人生修業が必要なのかもしれない。まだまだ自由自在(自由人、自在人)には生きさせてもらえない。        

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誕生祝い

Img_2747 下の子の誕生日。

 祝日の関係で、毎年、仏青大会の時に重なる。  

 生まれた時も、仏青大会中で、中座して出産に立ち会った。昼2時40分ごろ。助産院の和室の部屋で、上の子と二人で、臍のImg_2779緒を切らせてもらう予定だった。が、子供がびっくりして逃げ出して、ひとりで切った。青白く、弾力ある感触が、いまも手に残る。
 

  翌朝の法話で、さっそく出産シーンのビデオを観てもらった。仏青Img_2756なので、独身の若い人が多く、男子には衝撃が走ったことを覚えている。号泣する男の子もいた。

 今回の仏青大会の休み時間に、ケーキとドーナツで祝ってもらう。

Img_2759  サプライズで用意したケーキだが、準備中のRちゃんから「たいへんです。名前が『ななこ』になってます」と。
  あれ、まあ。でも、これもご愛嬌で。

 仏青大会が終わってから、家族で食事に出かけた。昨年、一昨年のこの日は、アメリカにいたので、3年ぶりにお祝いすることになる。
Img_2760
 予定していたお店が一杯で、たまたまネットで見つけたのが、ラ・クーオという、聞きなれないレストラン。祇園と銀座にある「よねむら」のシェフが、プロデュースするお店というので、興味をもった。以前、祇園「よねむら」では、映像作家の石橋正義ご夫婦と一緒にランチをしたことがあるが、お値段に見合う内容の味に、感銘したのだ。

Img_2773 でも、まあ今日のお店は、あくまでもプロデュースということやね。その分、リーズナブルだが、〆のご飯は、カレーであることは同じだった。  

 最後のデザートには、ちゃっと『nanaho』と書かれてました。

Img_2782_2  子どものおかげで、ごちそうになりました。

 

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『阿闍世のすべて』~悪人成仏の思想史~

 本の贈呈を受ける。

『阿闍世のすべて』~悪人成仏の思想史~

http://www.hozokan.co.jp/cgi-bin/hzblog/sfs6_diary/1699_1.jpg

http://www.bukkyosho.gr.jp/main.aspx

  大学時代の友人が、法蔵館から出版した。卒業から30年。住職や布教で活躍しながら、毎年、数回にわたって学会で研究発表をし、このような成果があらわれたことに、敬服し、刺激も受けている。

 オビは、やはり同級生のS氏が書いている。法蔵館の編集担当は、華光でもお世話になり、同じように真宗カウンセリングを学んだW氏。

 大乗経典だけでなく、原始経典の『沙門果経』や、律蔵の各種経典に説かれた阿闍世の物語を変遷について触れられた専門的な書籍ではあるが、関心のある方にお勧めです。

 

 

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華光誌輪読法座~機の真実~

  平日の昼間なので参加者は少なく、ほぼ決まった顔ぶれが揃う。 

  まずは、巻頭言。謎のイニシャルの筆者の言葉を味わう。

 いつもの輪読法座は、巻頭言~聖教、そして2回に渡って誌上法話をいただくが、今回は、巻頭言の後で、信仰体験記と随想を、声に出して読んだ。信仰体験記「願われていた一本道」のFさん。さらに、法味随想「分級座談会、大嫌い!」のMさんが、参加されているからだ。

 はっきり法話や巻頭言とは一味違う雰囲気がある。たぶん、法が身近になるというのか、わが身と照らしたり、振り返りながら発言出来るので、かなり活発な話し合いや分かち合いとなった。しかも,本人がおられる。文章の登場人物もおられる。そのあたりの詳しいやりとりや、補足、不明点の質問なども活発にあった。  

   二人とも、もとはまったく仏とも法ともないところから、あの手、この手のご方便が、光明のお育てとなって、ご法が進んでいく姿が尊かった。「願われていた一本道」のタイトルも有り難い。結局、念仏まことに出会うための人生だったのだ。

 Mさんもまた同じだ。華光でも友達はいない、話す相手もいない、「書けない、読めない、話せない」と自称されているMさんの文章を、みんなでいただく。この文章だけでも、法話以上にさまざまな真実が伝ってくる。実は、その背景には、文章にはできないような壮絶な家族との関係があったことを詳しくお聞きした。飾りのない、ありままの文章も有り難いが、ここで語られた破天荒な家族のありように、みんな抱腹絶倒しながらも、聞き入った。しかし、それで終わらないのが仏法というか、華光の尊いところだ。今生の苦悩を超えた阿弥陀様のご本願によって、私のほんとうの有りさま(衆生の実相)がありありと知らせれてきて、とても有り難かったのだ。王舎城の悲劇は、遠いところではない。私の回りでも、さまざまな順縁や逆縁が、仏縁となって、私をお念仏の白道へと踏み出させてくださったのである。

   法が、私たちの上に」生きて展開する姿、その包み隠しないの姿にふれて、有り難かった。切実な人間の悲しさが、それでいて真実のもつ潔さもあって、楽しく聞かせていただくことができたのだ。いつもとは一味違う、有り難い雰囲気で、輪読法座は終わった。

  平日にも関わらず、参加された方は、得をされたな~。

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皆既月食

Img_2682 約3年ぶりの皆既月食。 

 台風が過ぎ、秋の好天が続いている。

   皆既月食は、満月の時に、太陽ー地球ー月が、一直線に並ぶ時の現象。Img_2689_2月が地球の影に入るのだ。

夜6時15分ころからかけ始めたが、くっきりと、地球の影がみえる。

Img_2725 1時間ほどで、皆既月食に。赤銅色にぼんやりと浮かんだ。

 

 しばらく赤黒浮かんでいたが、この後は、雲が広がってきて、雲にImg_2728隠れがち。

 

 それでも、十分、堪能できました。

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秋の味覚

 北海道から秋の味覚が届く。

 もみ殻を探っていくと、クリに、姫リンゴ、つがるに、きおうなど新鮮な果物がたっぷり。いずれも低農薬や、有機栽培で育った北の恵み。

 納まっているのも、今年の新米のもみ殻。

  もみ殻の中から見たことないような梨が、、。Img_2680_2

千両梨、というのだそうです。
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東京講習会~善導独明仏正意~  

   東京講習会も、正信偈に入って4回目となる。今回は、善導讃から結語までを予定していた。つまり、今回で終了するつもりだ。  

  が、予習の段階で、かなり迷った。
 以前、悟朗先生の京都で正信偈の講習会では、道綽様から結語までを2日間で終えておられる。B4プリントを15枚分。2日間の講習会に、勤行や質疑、休憩も入れると、1枚を40分ほどのペースで飛ばさなくてはならない。ただ順番に音読して、簡単なポイントだけを押さえるのなら、それでもいいかもしれない。しかし、それではあまりにも勿体ない内容だ。

 光明名号にも、「行巻」の両重因縁釈の問題。

 「六字釈」にしても、1枚分、ビッシリと教案がある。  

  お正信偈とは直接的には関係ないが、「二種深信」や「二河譬」。加えて、「王舎城の悲劇」の説明もいるだろう。

   「与韋提等獲三忍」では、「韋提希夫人」に関しての「韋提権実」や「韋提得忍」という論題にも触れておられるのだ。

 これだけでも、相当なものだが、あんまり専門的になると、皆さんも退屈されるだろう。

 八句(四行)の善導大師の讃歌を、皆さんとの分かち合いも含めてやっていくことに決めたのは、会場に到着して、顔ぶれをみてからとなった。

 結局、この善導讃だけでも、2日間では足りなくなるほどの内容となった。

 「善導独明仏正意」のおこころが、身近に迫ってきた。善導様おひとりだけが、お釈迦様~ひいては阿弥陀様も南無阿弥陀仏のお六字を解釈し、本願文を加減できるのは、如来様をおいてはないのだ。善導様を、大心海、つまり阿弥陀様の化身であると仰がれた法然様や親鸞様の尊敬ぶりもよくわかる。

  しかもだ。その善導様の六字釈を解釈され、さらに善導様のご文までも読み替えを大胆に進められた親鸞様も、また阿弥陀様のご化導の姿と仰がずにおれない。そのおかげで、ますます我が身の虚仮不実が徹底され、阿弥陀仏の大悲のお心、他力回向の真髄が、だれをお目当てにしたものなのかを明かにしてくださったのである。それを、わが身のところで、味わい、聞かせていただける身の幸せが有り難かった。

 ただし、この集い、回を重ねる度に参加者が減少している。それでも、京都や大阪、奈良、愛知など、遠方からの参加が多かったのに、肝心の東京支部が寂しい。一日だけの方も多くて、低調だったのは残念だ。「教学はどうも…」と表現される方もあったが、そこで控えられた方も多いようだ。しかし、華光会でも、講習会と銘打っても、一度たりとも、「教学」の勉強会を名乗ったことはない。そのあたりも、以前の慣習は早く払拭してもらいたいものだ。 

 来年は、源信讃から最後まで進みたいなあ。

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点検

 3年ごとに、地下室にある受水槽内部の清掃と、消防設備の点検を行う。タンクの水をすべて抜くので、午前中は水が使えない。予め分かっていることなので、準備もしてあって、不自由はない。3時間足らずで終了する。 夕方からは消防設備の点検。消防署にも提出の義務もあるのだ。

 それより、新会館再建から18年たつと、あっちこっちが痛みが出でくる。水の蛇口がやられたり、消防施設も、避難誘導灯の故障や警報機の寿命など、あれこれ交換する必要が出できた。高額ではないが、ちょこちょことこんな出費がこれからも増えてくるだろう。  

 ぼくは作業を尻目に、明日からの東京講習会の準備。大切なご文が盛りだくさんで、サーと流して最後までいくのか、丁寧に善導章だけで留めるのか。進行が悩みどころで、決めかねている。     

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帰命の対象は人か、法か

  先月で、やっと機法一体が終わって、今月から、所帰人法に入る。

 浄土真宗では、帰命の対象、つまり信心の対象が、=仏様、阿弥陀仏という仏体なのか、それとも、南無阿弥陀仏の名号なのかという問題に入る。これまでの、六字釈や、機法一体の複雑さに比べると、分かりやすい論題ではあるが、まずは、その導入の問題意識からだ。  

  今月は、初参加で、東海支部と、京都に出張中の福岡の大派の僧侶の方もご参加くださり、いつもとは違った顔ぶれ。   

 来月から、いよいよ本題へ。   

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てつのくじら館

Img_2664 せっかくの大分なので別府温泉に後泊する計画だったが、恩師の訃報に、急遽、呉に宿を変更する。

 翌朝、葬儀まで時間があったので、少しだけ呉の町を散策した。

Img_2654 駅前のホテルのすぐ近くに、「大和ミュージアム」と「てつのくじら館」がある。

 呉は、今も海上自衛隊の基地の街だ。

Img_2639 前回、呉にお邪魔した時は、抵抗感があって、外観だけを見ただけだったが、よく考えると、自衛隊の関連施設を見学したことがない。

 「てつのくじら館」の正式名称は、海上自衛隊呉史料館。潜水艦による掃Img_2640海ーつまり機雷を除去する仕事を展示する史料館だ。

http://www.jmsdf-kure-museum.go.jp/

 今まさに、集団的自衛権行使を容認する閣議Img_2635決定がなさた。国会審議や憲法改正ではなく、一内閣の閣議決定で、しかも憲法解釈の変更だけで、戦後一貫して守られてきた戦争をしないという平和国家のありようが大きく変更されようとする、重大な節目の時なのImg_2643_2_2である。

 まずは、国際貢献、国際平和の名のもとで、湾岸でも行われた機雷除去の展示が行われていた。これが、あまり知られていないが、終戦から、そしてImg_2655国際貢献の現在まで、連綿として続き、また今後は日本からはるか遠く離れたところでも、後方支援という形で、ハードルが低く行われ続いていくのである。裏を返せば、ここが扮装地域での武力行使へのり口となっていくことなのかもしれないと思うと、単なる国際貢献という美名以外にも、考えさせれるものがあった。
Img_2660 平成16年に除籍となって、潜水艦「あきしお」の内部も、公開されていた。
 

 さすがに「大和ミュージアム」は、パス。
 庭には、日本初の深海潜水艦「しんかい」が展示されていた。4人乗りとかなり小ぶり。

 知らないことばかりで、勉強にはなりました。

 大分法座で、何となく待ち合わせをしていたM姉妹と、呉駅でうまく会えて、葬儀会場へ。

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