『363日のシンプルライフ』
フィンランド映画、『365日のシンプルライフ』を観る。
予告編を見た時点から興味をもった。なんといっても、アィデアが面白い。
フィンランド映画といえば、巨匠アキ・カウリスマキが有名で、好きだが、その他は、あまり観る機会はなかった。これはフィンランドの若者が、自分を材料しながら行うドキュメンタリー映画だ。失恋をきっかけに、人生にとってほんとうに大切な「もの」を見つけ出す実験映画といっていい。実際は、記録を再演して、ジャズをベースの音楽も、また北欧の澄んだ街並みを写す映像も、おしゃれで、たいへん心地よい作りだ。特に、知り合って交際が始まった彼女を部分的にしか写さずに、最後に効果的に顔出しするところが上手かった。
さて、実験のルールとは単純だ。
(1)自分の持ちモノをすべてを倉庫に預ける
(2)1日1個だけ倉庫から持って来る
(3)1年間、続ける。 (つまり365個ということ)
(4)1年間、何も買わない(食料品などは除く)
といてっも、(1)はけっこう覚悟がいる。ほんとうに真っ裸で、拾った新聞紙で陰部を隠して貸倉庫に向かって、彼が選んだものは---。
なんとトレンチコートだった。2日目はクツ、3日目に毛布、4日目はジーンズ、5日目はシャツと、まずは衣類を中心に集まっていく。その後、マットレスとかタオルとか、時にはギターなんかも取り出しながら、身の回りの衣類や生活必需品を中心に集まっていくのである。
消費社会の中で、「もの」に支配されつづける現代に、オシャレに一石を投じている。そして、「もの」に振り回せていると、愛(家族)という大切なものが抜け落ちていきますよという、単純明確なメッセージが伝わってくる。この間、愛する祖母を失い、チャーミングな彼女ができるという人生の別れと出会いも経験するのである。
確かに面白かった。でも、映画を見終わっても、それほど感銘しなかった。何か違うなーと感じながら、この文章を書いてはっきりと分かったことがある。
すべてのものを捨てて、ほんとうに必要なものだけを見定めていくというこの実験だか、実は、すべてを捨てているようで、かなり限定的な部分があることに気付いた。ほんとうの意味で、すべての「もの」を捨てる映画ではない。なぜなら、その「もの」の中には、「お金はものではない」ので、手に入れるという断りがある。それをもとに、食料品も外から購入し、友人と外食もする。ほかにも、水も、電気も、医療も、そして住居も別枠で保証されている。つまり、衣食住のうち、「食」と「住」が最低限確保されている中で、大半は、「衣」とタオルや歯磨きといった生活必需品の扱い、娯楽や趣味の要素をどうすかるなのである。細々とした生活必需品や衣類を、いろいなものと兼用し、工夫しながら、最低限のところで増えてくることになって、だいたい100日目あたりで、物欲は止まってくるというのだ。でも、衣類が整い外食をするならば、台所用品はなくても困らないことになる。
その意味では、これは北欧という先進国での安全や、ライフラインは、すべて確保された上での、もの=過剰な物欲や贅沢品への実験といっていかもしれない。当然、独身男ならではできることで、子供が生まれたならば(実はこの点には言及されていて、フィンランドならでは、子育てへの高福祉の社会事情も知れて面白い)難しいだろう。
もちろん、お金もに支配されず、完全な自給自足の生活をめざすことは、都市生活者には、非現実的ではある。しかし、「もの」に支配される根源である、お金(money)の扱いを避けていては、徹底はしないなーと思った次第だ。
映画が終わって立ち上がると、真後ろの席に、仏青のS君が座っていた。おお、さすがに、いいアンテナをしています。で、彼は、どう感じたのでしょうか。
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