新築落慶法要
高山法座。初日は、会所(えしょう・法座会場)を引き受けてくださるF家の亡きご主人の三十三回忌法要を勤めさせてもらった。
正式な法要は、親戚も集われ、旦那寺のご住職が勤めされる。
が、支部法座で、高山支部の皆さんと勤行をしたかった。実は、ぼくも、父も、故人とは面識はない。しかし、紛れもなく、いま、この家で法座を開いてくだされるのは、故人が熱心に聴聞され、求められ、そして、その法に対する熱情が、奥様やお子さん、回りの方々へ伝播して、ご法が相続されたからである。きっと、ここで支部法座・家庭法座が開かれていることを一番、喜んでくださっているのだろう。亡くなる間際、体調が苦しい中で写経された「正信偈」が掲げれている。故人を知る人も、知らない人も、同じ念仏を喜ぶ友同行である。一同でお正信偈を勤めさせてもらい、尊い仏縁を遇わせていただいた。
2日間の法座が終わり、翌朝、O家の新築落慶法要である。初日の法要は、Oさんのお父さんである。このタイミングで、お仏壇を迎えての法要を営ませていただくのも、また有り難い。予定では、完成して入居されていたところだが、工期がのびのびとなって、まだ完成は少し先だ。それでも、家族の皆さんと、一緒に勤行させてもらった。ぼくも初めて「新築落慶法要」表白を読ませてもらうことができた。
養子先のご家族の皆さんに、少しでも仏縁をつけてもらいたい。法話もし、また自由に質問などもしてもらいたいとの願いがあったようだ。もちろん、一座のご縁だけで、すぐにどうこうなるものではない。それでも、共に勤行し、法話を喜んで拝聴くださり、お子さんたちとの子供大会のご縁などを、和気あいあいと分かち合えたことがうれしかった。新築のたいへんで時期に、華光会の運営のお仕事を引き受けてくださったOさんの陰には、嫌がらずに法座に送り出し、家を守ってきてくださった皆さんのご恩のおかげがある。これまで、仏法はご聴聞されることはなくても、いわば、私が仏法を聞くための外護の善知識といっていいのである。
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