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大阪支部法座~捨てる~

  生駒市での大阪支部法座。

 なかなか真宗での位置づけが難しい求道だか、実際には、聞法をこころにかけていく、しかも自己の問題としてその法を求めるところまで育てていただくことは、ほんとうに尊い。しかし、ただ求めるだけでは、自己を拡大させるだけである。求めることを教えてもらった後は、それを捨てるという転換こそが、聞法の要である。たとえば、三願においても、19願は、菩提心を起し、善根功徳を求めていくのだ。しかしながら、諸善万行を積んでも、それは役に立たないと捨て去られる世界がある。そして、20願に至って、自らの善を捨てて、南無阿弥陀仏を一つを選ぶのである。たが、その選びは自らの善根のためであるのだから、そこを捨てさせられるところが、一番の難関である。「雑行・雑種・自力の心をふり捨てて、弥陀をたのめ」というお勧めこそが、廃立の肝要である。結局、求めてもらうことを教えてもらうのだが、ひたすら集めたり、身につけたりするのではなく、それを捨て去る世界に出させていただけたおかげで、十八願の他力の世界に踊り出せさせていただけるのである。だが、求めて、いろいろと身につけていくこと以上に、この捨てることが一番、難しいところではないだろうか。求める世界ではなく、それを捨てこそ、転じられていく世界が開けていくる。

 これは、総じて仏法のことだけではない。この世においても、執着しているのもを、集めることよりも、それを捨てていくことの方が難しいことを、ゲームを通じて味わってもらったが、単なる紙切れではあるが、捨てることの難しさ、ドキドキ感を味わわれた方が多かった。

 私は、貪欲に集めるだけだが、阿弥陀様は、すべてを捨てきってくださったお方だ。だからこそ、念仏の衆生を、摂取して捨てざるお方になられたのである。

 

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