『NO(ノー)』
スコットランドの大英帝国からの分離・独立の住民投票は、独立に反対するNO票が賛成派(YES票)を上回り、分離・独立は回避された。
結果以上に、そのプロセス、つまり武力や紛争、力ではなく、公平な住民投票で決するという、イギリスの成熟した民主主義が、高く評価されている。
しかし、このような国家の根幹を揺るがす大問題を、市民の投票という民主的な手続きで、賛否を問うケースは稀なことだ。
逆に、一見、民主的な国民投票を、独裁政権が、その正当性にお墨付きを与えるために利用するケースもある。そこには、自由な公正な投票はなく、権力側の妨害、不正工作、強引な権力による勝利で、形骸化しているのが普通だ。
そんな中でも、投票によって、独裁政権が倒れた例もあった。
チリ映画『NO(ノー)』は、80年代後半、チリのピノチェト独裁政権を題材、その信任投票の反対派(NO陣営)の、広告マン(ガエル・ガルシア・ベルナル)を取り上げた、ドキュメンタリータッチの社会派ドラマで、アカデミー賞外国語映画賞ノミネートされた、個性的な作品だ。
1988年、国際社会からその独裁と人権白迫害の非難が高まった、チリのピノチェト軍事政権。自らの正当性を証明するために、政権への新任投票を実施することを発表する。
しかし、肝心の野党側は、多数の少数政党に分断し、共産党からキリスト教系とバラバラの状態で、しかも、反対派、つまりNO派に与えられる運動は、わずか1日に15分の、テレビでの宣伝時間、しかも深夜時間帯と、公平ではないのだ。いわば独裁政権に、投票による信任というお墨付きを与えるための出来レースの様相を帯しているのだ。だから投票をボイコットする陣営も生まれる。
当初、NO派は、武力や暴力によって、多数の血が流れた事実で、訴えようとする。すごく真っ当な作戦だ。しかし、大手企業の商業作品を手がける宣伝マンに、白羽の矢があたり、CM制作が依頼されると、様子は一変する。
暴力シーン映像の繰り返しは、民衆に、驚怖を再認識させて、結局は、萎縮させ、口をつぐませて、NOの意思表示が出来なくなることが、彼には分かっていたのだ。
いかに、ひとりひとりが良心に従って、自由な行動にでるのか。
そこで、彼がとったのは、まるで、コーラのCMのような楽しいイメージ戦略である。そのあまりのナンパぶりに、野党の強硬派はあきれはてる。しかしながら、強行派すら、本気で軍事政権に勝利できるとは考えておらず、せいぜい政権の横暴を、世間に訴える好機ととらえていたのである。そん中で、彼だけは、本気で、民衆の意識を変え、そして、NOという行動を引き出すための戦略を考えていたのだ。
手持ちカメラを多用し、画面の荒さでリアリティを出し、まるでドキュメンタリーのように描かれている。ピノチェト軍事政権側、つまりYES派の、強力で、露骨な妨害工作で、自分や仲間のみならず、家族にも危害が及ぶかもしれないという危なさが、うまく描かれてサスペンス風のドキドキ感もある佳作となった。
ラストもなかなか自然で悪くなかった。
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