「京へのいざない」展~法然聖人の念持仏
同人の皆さんと、お念仏を遠慮気兼ねなく、称えさせてもらった翌日。
子どもを連れて、東山七条にある、京都国立博物館に向かう。
9月13日に、これまでの常設展の会場が、約5年ぶりにリニューアルオープンしたばかりのだ。
平成知新館となったオープン記念で、「京へのいざない」展が開かれている。ずいぶんモダンになったけれど、明治期の本館の重厚さとの対比も面白い。
http://www.kyohaku.go.jp/jp/theme/floor1_2/post_3.html
一応は常設展で、特別展ほどの込み具合ではないが、前評判も高くて、それなりに混雑している。
東京の修学旅行でも東京国立博物館に行った上の子は熱心に見学して、喜んでいる。ところが下の子は最初から、退屈の極み。イスに座ったり、あっちこっこ走りまったりで、あとのカフェタイムだけが楽しみで、とうとう、「今度は付いてこない」宣言も飛び出した。もっと小さい時には、ここの常設展にも、等伯展にも、付いてきてたのになー。姉妹でも、趣味は異なるようだ。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_b38d.html
で、京博所蔵のものもあるが、寄託されたものも多いが、それでも、「ズラリ国宝、ずらり重文」と銘打たれるだけあって、一期・二期合わせて、国宝が50点、重文が20点という豪華さ。教科書で有名な、日本の肖像画の最高傑作と言われる「伝源頼朝・伝平重盛」像や、雪舟の「天橋立」図。加えて「餓鬼草紙」や「山越阿弥陀図」「二十五菩薩来迎図」、「法然上人絵伝」や「一遍聖絵」などなどの浄土教関係の国宝、仏教関係の名品が、多数出品されていた。
でも、ぼくの心を打ったのは、浄土宗に関連する二つの阿弥陀如来立像だ。
ひとつは、一枚起請文を懇願された勢観房源智が、法然聖人の一周忌法要のために造営された阿弥陀如来像。
そして、その法然聖人が、念持仏として拝まれていた、阿弥陀如来像が並べられていたことだ。後者は、衣の胸のあたりがはだけた少し変わった阿弥陀さまだったが、この阿弥陀さまの前で、法然様が「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えられていたと思うと、感無量である。特に、昨日は、皆さんと称名念仏を行い、最期に「一枚起請文」を拝読して、終わっただけに、とても不思議な感覚になった。しかも、この阿弥陀如来像は、法然様の臨終の時に、五色の糸をつなげ(臨終行儀で、臨終来迎を期待するため)ようとされたのを、法然様がお断りになったエピソードでも有名だ。
その向いには、やはり知恩院の善導大師像が安置されている。
しかし、ここは博物館である。誰も、この前に佇んで、合掌し、「称名念仏」する人はいない。重要文化財として、また歴史的に意味のある美術品であっても、信仰対象の御仏ではないのだ。
『大経』の流通分ではないが、すでに龍宮に入ってしまったのだろうか。
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