『ローマの教室で』~我らの佳き日々~
偶然だが、京都シネマで、2本続けて「ローマ」がタントルにつく、映画を観る。
『ローマの教室で』~我らの佳き日々~と、『グレート・ビューティー』~追憶のローマ~ だ。
ますは、『ローマの教室で』~我らの佳き日々~。
タイトルにローマと冠してあっても、特別にローマが関係しているわけではなく、中・先進国の高校ならどこにでも当てはまる普遍的な、ヒャーマニステックな温かい作品だ。しかし、一般レベルの公立校でありながらも、そこは、歴史と芸術の国イタリアである。日本の高校生のレベル以上に、美術史や文学や詩が頻繁に登場して、知的要素が高い。正直、日本人のぼくには、馴染みが薄いことも多かった。
タイプの異なる3名の教師と、特に関係の深い3名のタイプの違う生徒たちの関係でありながら、ちょっと別の要素絡んでの群像劇の様相。
中心で描かれる教師は3名。若手の国語(イタリア語ですが)補助教師(リッカルド・スカマルチョ)と、ベテランの美術史の老教師(ロベルト・エルリツカ・おお、次の映画では、次期法王候補で、グルメにしか関心ないような枢機卿役の人)と、女校長(マルゲリータ・ブイ=この前の映画では、5つ星ホテルの優雅な覆面調査員役だった)。
物語は、新学期に、熱意溢れる臨時教師が登場。彼がやる気満々なのに対して、「生徒なんて、みんなアホだ」と、シニカルで、熱情も亡くしたヘンコな美術史の老教師との絡みに、家庭でも、パートナーと二人きりで、クールな感じでの美人の中年、女校長の場合は、授業(学業)は熱心でも、生活指導(といえば日本的)各人の家庭事情に関わりほどほどにというタイプ。それが、それぞれに少し風変わりだったり、厄介な生徒と関わりで、小さな事件が起こって、それが、先生方にもいい変化が起こるというもの。
生徒のプライベートはほどほどにと思っていたる校長の場合なら、シングルマザーの母親か家出し、学校でコッソリ寝泊まりしていた男子学生を発見。その彼が、病気で入院し、最初は、ほどほどにして、ケースワーカーにまかせてしまっうつもりが、人懐こい彼との関わりで、いつのまにか母親代わりになって、違って一面が引き出されます。
臨時教師の場合は、いつもハデ服で、大人びた落ちこぼれの女生徒を、なんとか授業に興味をもたそうとするものの、授業を抜けては年上の男とデートしたり、何かと問題行動。しかし、その裏には、父親の失業と、母親の突然の死という事情もあったりするのだが、それがほんとうなののやら、でまかせなのやら分からず、さて、どこまで生徒を信じていいものやら、信じられないのやら、また指導熱心なのか、教師としては関わりすぎなのかというあたりの色合いが、とても微妙で面白かったですね。彼女が、その場凌ぎの出まかせを言っている分かって、かばうことなく落第を通知するのですが、、。
さらには、情熱を失った老教師にも、若い時の教え子から一本の電話で、事態が好転したりします。
でも、評論でも取り上げられていないけれど、優等生のルーマニアからの移民の男の子が、仕事のためにヘコヘコする父親を軽蔑し、ガールフレンドの影響から、父親のスタンドからピストルを盗むところが、事件が発生。ここでの、日頃の軽蔑されている父親が、子を思い、俄然、かっこいい父親になるシーンに、一番、ジーンときました。教師と生徒という関係からは外れるけれど、親もまた、子供にとってはサイコの先生というわけですかね。
日本の学園モノにはない知的な匂いと、単なる熱血でもなく、自然体(生徒たちも、まるでほんとうの高校の雰囲気)で、ごく普通の設定がきいている、かなりの佳作でした。
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