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9月の聖典講座~五十三仏と讃仏偈

 『大無量寿経』の講義も5回目『大無量寿経』になって、やっと正宗分(しょうしゅうぶん)、本論・本文に入り、阿弥陀如来の救いについての釈尊の説法が始まる。まず、如来浄土の因が示される「法蔵菩薩の発願」が説かれる重要な箇所である。

 
 ところが、その冒頭に説かれるのは、五十三仏のご出現で、法蔵菩薩以前のはるか過去世にご出世になられた、錠光(じょうこう)如来から始まる五十三名の仏様方のお名前が、延々と連なって出てくる。しかも、その仏様方は、もうすでに過去の仏様なのだと。

その後で、やっと法蔵菩薩の師匠仏である世自在王仏(せじざいおうぶつ)がお出ましになるが、これがまた、仰々しく、仏の十号で、世自在王仏のお徳の限りないことが示されてくる。ちなみに、十号とは(本文では十一号。如来を含まない説などもあるが)、
 1、如来……梵語タータガータで、如はさとり、真如。真如から来生せるものの意
 2、応供……人天の供養を受けるに相応する資格があるので
 3、等正覚…平等の正覚(さとり)の意味
 4、明行足…智慧も修行も満足した人の意
 5、善逝……善き因より善き果にゆきて帰らず、再び迷わない
 6、世間解…世のことに通じておられるという意
 7、無上士調御丈夫……この上なく尊い士、一切衆生を調伏制御する士
                 (無上士・調御丈夫をひとつと見る立場をとった)
 8、天人師…天と人の師という意
 9、仏 ……仏陀(√Buddha)の梵語の略で、覚(覚者)と訳す
 10世尊……世の尊者
となる。

 そして、この世自在王仏(梵語ローケーシュヴァラ・ラージャの漢訳。世間一切法に自在なることを得、世間を利益するに自在を得た仏という意味。法蔵菩薩の師である過去仏。世饒王仏・世饒仏・世間自在王仏などともいわれる)の説法に感激した国王法蔵が、菩提心を起し、法蔵比丘(菩薩)となることを決意される経緯が、やっと始まるのである。

 まずは、師仏である世自在王仏の徳を讃えられ、自らの願いを述べられた偈(詩・歌)である、讃仏偈が説かれる。

 讃仏偈は、日常勤行で一番親しみのあるお経だが、八十句二十行の頌で構成される。それを、、大きく
  (1)世自在王仏のお徳を讃える。
  (2)法蔵菩薩が自らの願を師仏に明かにされる
  (3)十方諸仏の証誠を請い、決意を述べられる。
の三段に大別し、さらにそれぞれが分科されるところを、詳しく窺った。
  すでに、四弘誓願や四十八願の根本がここに示され、菩薩の決意表明がなされるのであるが、ここは今は、略する。

  ところで、法蔵菩薩の発願に先立って、五十三仏出現が説かれるのは、連続無窮としての目覚め(悟り)の連鎖性や、久遠古仏としての真理の永続性(詳細は、後の「十劫久遠」論で述べる)という味わいがある。しかし、いまの私と、これがどのうように関わるのかを、皆さんに問いたい。そにには、過去にさまざまな諸仏のご出現があり、多くの衆生が済度されたにも関わらず、その諸仏のお救いから漏れた極重悪人の私を救わんがための法蔵菩薩様のご出現という点を、じっくりと味わわせてもらいたかった。

 
 次回は、10月13日(祝)昼1時30分~
 四十八願に先立つ選擇思惟で、世自在王仏様と、法蔵様の重要な対話です。

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