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2014年9月の33件の記事

お別れ

Img_2665 大分から広島の呉に向かう。恩師の葬儀に出席した。

 龍大大学学長や仏教伝道協会理事長、本願寺派の監正局長などの要職を歴任された先生のこと。先生を慕う大勢の弔問者で溢れている。  

Img_2666_2 法衣姿の方は、信楽門下の顔見知りか、お名前は存じあげなくても、どこかの集まりでお会いしている方がほとんどだ。龍大の先生方も多くお参りされていた。

Img_2668_2_2 お導師が、8月に広島の真宗カウンセリングで共に世話人したI師だった。一口だが、先生の思い出のご法話もいただいく。近代をくぐった教学の樹立と、人間の苦悩を救うべく実践活動、そして、常に反権力の姿勢を讃える祝辞やご法話が続き、先生のお人柄や功績を改めて偲ばせていただいた。

 先生が作詞された仏教讃歌の独唱が胸にしみた。

 しがらき たかまろ作詞

  み佛は
  いつわり多き うつし世に
  まことの光 照らしつつ
  嘆きいたみて 哭(な)きたもう

 み佛は
  まよいはてなき 吾がために  
  ついのよるべは ここなると
  み手をかかげて まちたもう

 み佛は
  人のいのちのおくふかく
  来りやどりて 今日もまた
  南無阿弥陀仏と喚(よ)ひたまう
  南無阿弥陀仏と喚(よ)ひたまう

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大分の想い出

Img_2600 ぼくは、大分はこれで3度目だ。新しいところでは、聞法旅行で、中津の福沢諭吉記念館を訪ねたことがある。今回は、車窓からと、会場周辺の狭間という田舎の風景だけ味わった。

  初めは40年前、小学生の時ことだ。家族旅行で、10泊11日も、父の運転する車で九州を旅したことがある。父親任せの気軽な旅で、どんなルートだったかは定かではないが、熊本の阿蘇から大分に入ったようだ。

 Img_2629九重連峰の麓で1泊し、日田や耶馬渓を見た。ここで、生まれて初めてカメラで写真を撮られてもらった。いまと違って、フィルムの一眼レフでの撮影は、後日、ピンポケで出来上がってきた。まだ鄙びた静かな温泉街だった湯布院でも1泊。別府にも泊まって、臼杵石仏や別府での地獄めぐり、水族館や高崎山にも行った。八幡の善定寺などでの法座も兼ねていたとはいえ、家族で、10日もずいぶん贅Img_2631沢な旅だった。その2年前にも、北陸から越後、信濃から関東そして、東海へという親鸞聖人、蓮如上人のご旧跡めぐりで、10泊の旅をしている。

 でも、この時の一番の想い出は、帰路のフェリーの中のことだ。疲労から体調を崩して、初めてゼンソクが起こって、みんなに迷惑をかけた。2家族が入る準個室だったので、両親が、平身低頭していたImg_2613姿を覚えている。

 咳き込んで寝られないぼくを、父が、フェリーのデッキに連れ出してくれた。澱んだ空気を流すように、海を渡る風が心地よい。10日間のドライブで疲れていたであろう。運転中は、騒いでいるぼくたちを、よく叱る父でもあったが、その時の慈愛に満ちた眼が印象的だった。

 夜明け直後の朝日が、海上に光輝いている。

   初めて親のご恩徳の一端を身に沁みて感じさせられた瞬間だった。  

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大分での九州支部法座

Img_2605 大分は油布市での九州支部法座。
 新幹線で小倉まで。そこから特急ソニック号で約80分で大分駅。また在来線に乗り換えて、30分弱で会場につく。京都からは5時間はゆうにかかる。

 大分での法座は初めてだ。開催には、大分の同人のSさんがご尽Img_2614力くださる。この陣屋の村という宿も、娘婿さんが関わってくださっている。温泉は、レトロな雰囲気のする露天風呂も備えていた。

 でも、今回は、別に珍らしい場所での法座が目的ではない。何十年前かにご縁をいただいながら疎遠となっていた大分の元同人やImg_2609念仏者との出会いが楽しみだった。生きたお念仏を喜ぶ、念仏者の集いが、ここにはあった。日田の念仏者の皆さんだけでなく、少し遠ざかったおられた方へご示談もあって、有り難い法座となった。

Img_2634  さっそく、お礼状が届く。乾いた、ホコリだらけの私の、ご法話の法水が流れ込む、「聞きたい!」とい念になったというのてある。さっそく、華光大会のお申し込みである。

 ところで、大分のお同行さんの想い出として、例のカエルの歌も話題に乗せた。(写真は宿の玄関のカエル)

1「口あけて  毒を吹き出す 蛙(かわず)かな」
2「水にいて  水を欲しがる 蛙(かわず)かな」
3「手をさげて 頭をさげぬ  蛙(かわず)かな」
4「腹見せて  くみ上げられる蛙(かわず)かな」

Img_2615 必ずしも次第(順番)があるとは思えない。1の姿のまま、4へは摂取不捨されていくこともあろう。1まで出せさていただくことだって、尊いお育てではないか。
 だからこそ、この毒を、如来様だけが喜んで受けてくださることを教えていただけるのである。
 
                                
 

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恩師の訃報

 恩師、信楽峻麿先生が届く。

 何かと体調がお悪いという話は聞いていたが、正直、まさかという思いがする。
 華光会とのご縁は、華光会の750回大遠忌の講演会が最後となった。

 いろいろな方に連絡をしたり、また連絡をもらったり、お悔やみ電報を打ったりと、バタバタしている間はそうでもなかったが、ひとり静かになると、胸に迫るものがある。 長年のご化導にご恩徳を思うと共に、まさに「巨星墜つ」-浄土真宗は現状を省みると残念でならない。さまざまな思いが交差し、まだ言葉にならない。

  如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
  師主知識の恩徳も 骨を砕きても 謝すべし

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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秋の空

 からりとした晴天。

 少しまだ暑いが、湿気がないぶん、気持ちはいい。

 琵琶湖上の空も、すっかり秋の気配。Img_2589
Img_2581Img_2596

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文化祭 

                                    
Img_2575_2 体育祭が終わってまだ1週間なのに、もう文化祭である。

模擬店やいろいろなパフーマンスがあるが、メーンは、先日、予選会があったクラス対抗の合唱コンクールだ。一昨日の予選会を通過しなければ、今日の出演がなかったが、見事、通過。「手紙~拝啓十五の君へ」という、十五歳の揺れる心をコーラス曲。なかなか上Img_2586_2手い。

 帰り際に、子供のお友達たちから、「最後のクラスと、私達のクラスのどちらがよかったですか」と尋ねられた。確かに、ぼくにも、その二つがよかったように思えたが、親バカかもしれんが、「子供のクラスが一番だ」と答えたら、みんな喜んでいた。

 結果、親バカではなくて、グランプリに輝いて、大喜び。

 ちなみに、3年生全体のテーマは、
「人は何のために生まれ、生きていくのか」ー大きなテーマをみんなで追及するというのだ。

 アンパンマンでも歌われているが、根源的な問いかけ。

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華光誌の発送と東京講演会ご案内

 華光誌の発送作業。今月は、15日には完成したので、発送日も早い。年賀広告のお知らせに同封して、急遽、東京講習会の案内も作製した。〆切が近いが、まだ参加者の宿泊定員もいけるので、奮ってご参加ください。宿泊の不要な方も、事前のお申し込みをお願いします。

  第4回 東京講習会

 日 時:10月4日(土)(午後1時受付)1:30~5日(日)午後4:30
 場 所:林野会館(文京区大塚3丁目28-7)
           ・地下鉄丸の内線・茗荷谷駅)
 講 師:増井 信 師
 テーマ:『正信偈の大意(4)』依釈段 善導讃~結語
 参加費:会員:7,000円(1日のみ=3,500円)、
     非会員:8,000円(1日のみ=4,000円)
 〆 切:9月29日(月)(会場の都合で40名定員)

  ご案内:親鸞聖人の52歳のころ、関東は、稲田草庵において、根本聖典である『教行信証』を執筆されました。その「行巻」に収められたのが、『正信念仏偈』です。これは、真宗の教義の肝要が体系的に示されると共に、聖人のお領解の腸(はらわた)そのもので、浄土真宗ではもっとも重要な偈文(歌)であります。昨年に引き継ぎ、その『正信偈』のお心を、2日間に渡り講義いたします。懇切丁寧な増井悟朗先生のテキストをもとにしながらも、一方的な講義ではなく、参加者との問答・対話形式での進行を行なってまいりたいと思います。昨年参加された方はもちろん、今回が初参加の方にも、ご満足いただける内容となるでしょう。最後のまとめとなりますので、どうぞ、皆様、お誘い合せの上、ご参加ください。 合掌  
 

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大阪支部法座~捨てる~

  生駒市での大阪支部法座。

 なかなか真宗での位置づけが難しい求道だか、実際には、聞法をこころにかけていく、しかも自己の問題としてその法を求めるところまで育てていただくことは、ほんとうに尊い。しかし、ただ求めるだけでは、自己を拡大させるだけである。求めることを教えてもらった後は、それを捨てるという転換こそが、聞法の要である。たとえば、三願においても、19願は、菩提心を起し、善根功徳を求めていくのだ。しかしながら、諸善万行を積んでも、それは役に立たないと捨て去られる世界がある。そして、20願に至って、自らの善を捨てて、南無阿弥陀仏を一つを選ぶのである。たが、その選びは自らの善根のためであるのだから、そこを捨てさせられるところが、一番の難関である。「雑行・雑種・自力の心をふり捨てて、弥陀をたのめ」というお勧めこそが、廃立の肝要である。結局、求めてもらうことを教えてもらうのだが、ひたすら集めたり、身につけたりするのではなく、それを捨て去る世界に出させていただけたおかげで、十八願の他力の世界に踊り出せさせていただけるのである。だが、求めて、いろいろと身につけていくこと以上に、この捨てることが一番、難しいところではないだろうか。求める世界ではなく、それを捨てこそ、転じられていく世界が開けていくる。

 これは、総じて仏法のことだけではない。この世においても、執着しているのもを、集めることよりも、それを捨てていくことの方が難しいことを、ゲームを通じて味わってもらったが、単なる紙切れではあるが、捨てることの難しさ、ドキドキ感を味わわれた方が多かった。

 私は、貪欲に集めるだけだが、阿弥陀様は、すべてを捨てきってくださったお方だ。だからこそ、念仏の衆生を、摂取して捨てざるお方になられたのである。

 

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みんなのカフェ

Img_2548  せっかく、みんなで伏見まで出てきたので、お茶を飲んで帰ることにした。稲荷や伏見界隈で気になっていたお店があったが、日曜日が定休日で諦めて、町家を利用したカフェに入ることにした。

Img_2558 「みんなのカフェ」の看板の横には、「みんなの手」とある。
 名前とは裏腹に、仲違いでどんどん分裂していく政党のような名前だなーと思いなImg_2553がらも、町家を利用したカフェへ。

 このあたりは、秀吉の伏見桃山の城下町でが日本最初の銀座があったところだ。また、鳥羽Img_2563伏見の戦いもあって、その時の弾丸の後が残る老舗料亭が、線路を挟んである。龍馬ゆかりの寺田屋など、桃山時代や幕末の歴史の舞台になったところだ。

 お店の雰囲気もいいけれど、「ずんだ」を使ったオリジナルスイーツスィートが、甘味がやさしImg_2566くておいかった。ずんだとは、枝豆をつぶし甘味を加えたもの。東北のずんだが、京都らしい洒落たスイーツに。ぼくは、ずんだティラミス。子どもたちはずんだ白玉パフェ。母のずんだムースも、やわらかい甘さがよかったな。

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skyふれあいフェスティバルにて

Img_2545 「日曜日に連れて行ってほしいところがあるのだけれど…」と、前日、母が言った。

 父が、お世話になっているディ・サービスの施設で、書や絵画の時間があるようだ。
 本人は、何も言わないので分からなかったが、ある福祉関係のイベImg_2528ントの一つとして、展示されているという。

  子供たちも一緒に、伏見のパレスブラザまで出かける。京セラやワコール本社が立ち並び一角にある見本市会場で、会館からは10分もかからない。
 

Img_2529_2_2 父の作品は、秋にちなんだ「鈴虫」の書と、細かな繊細なタッチの塗り絵には、ローマ字で署名があって、ちょっと驚いた。

 福祉や高齢者向けの企業などのブースが並ぶ中で、葬儀場のブースでは、入棺体験が出来るコーナーがあった。通る人は、興味を持ちながらも、なかなか入る人はいないようだ。いくら終活といっても、高齢者にとっては、「縁起でもない」(世間の間違った用法ですが)ということになるのだろうか。

 https://www.kyoto-sky.net/jigyo/kiun/sky_festival/fest2014/

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かぐや姫祭り

Img_2470 さて、お昼は、K先生ご一家と一緒に、すぐ近くにあるカフェでご馳走になる。 http://hirozroom.vege-arakiya.com/

 ここは、5月に初めて入ったお店だが、この週末に拡張されて、敷地内に有機栽培の野菜のお店がでている。でも、そこのメーンはImg_2472「そば」だ。ぼくは、あまり好き嫌いがないのだが、そばだけは、アレルギーがあってダメなので、結局、天然酵母の室生産のパImg_2477ンをいただく。

 うちも、K先生のところも、共に、姉妹同士ということもあって、親しく遊ばせてもらった。それだけでなく、中学生の二人は、大Img_2501人の法話を、フルで聞いてもらえて、とてもうれしかった。

   法座が終わり、帰り支度をしていると「よかったら、子供が行きたImg_2487がったいるので、近くの公園に寄りませんか?」とお誘いを受ける。朝早くて疲れていたし、京都からの同乗者もあったので、ちょっと迷った。が、せっかく子供たちが仲よくなったのだ。少し寄り道することにした。どうせ、1時間もしないうちに真っ暗になるので、長いすることもないだろうと、近くの大型遊具あるImg_2497竹取公園へ。(写真は大型滑り台中のK先生)
http://www.town.koryo.nara.jp/cmsfiles/contents/0000001/1288/pdf.pdf
Img_2510  ところが、公園に近づくと車が増えてきて、駐車場が一杯だ。その後も、ドンドンと車が入ってくる。かぐや姫伝説のある竹取公園では、この土・日曜は「かぐやImg_2519姫まつり」が開催されていた。
 しかも、今夕と「観月の夕べ」と題して、よしもとお笑いライブや打ち上げ花火のイベントが開かれる時間帯に重なっている。地元のK先生もご存じではなかったらしくて、偶然である。

Img_2521  面白いと思ったのは、地場産業が「靴下」の町というだけあって、先着100名様に靴下が配られていた。たくさん出ている露天やフリマの中もに、靴下Img_2458専門店があって、なかなかユニーク。

 ちょっと立ち寄る予定が、少々、長くなった。おかげで、大道芸のステージも見ることだできた。
 ただし、「がくや姫」祭だったが、月を見るには曇が邪魔をしてた。それでも、夕陽は西の空を鮮やかなオレンジ色に染めている。
 秋の彼岸の入り、秋分の日もまもなくだ。Img_2481
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萩の教行寺

Img_2441 5月に続いて、奈良県河合町の教行寺に出講する。

 例年、この時期の秋の永代経法座にお邪魔しているが、今年は連続だ。5月に代表を継職した記念にと、2度もご招待いただいたのだ。
 庭に萩が咲いている。ところが、雨空続きで、春に咲いたシャクナゲも狂い咲きしていると、ご住職が教えてくださった。確かに、関西は30年に1度の異常気象の夏だった。

 参詣の方が多い。
 朝座が50名ほどだったが、昼座には、80名以上集まってくださって、本Img_2452堂は一杯。代務を勤められる、大和の清九郎同行のゆかりのお寺からも、大勢お参りくださる。これも、ご住職や坊守様、副住職と、お寺の皆さんが、案内や声かけをしてくださった熱意の賜物である。

 熱心にお勧めくださったり、続けてお招きいただくと、こちらも身がImg_2450_2_2引き締まる。日頃の華光でのご法話とは違った意味での、それなりの覚悟もいる。
 たとえば、分かりやすい例話をこころがけるとか、なるべく小難しい話を避けるとかはもちろんだが、そんな小手先の話ではない。
 結局、ぼく自身、というより、ぼく自身が喜んでいるご法を、わが身を開いて聞いていただくしかないと思う。

 普通、お説教は、仏徳讃嘆の場であり、お聖教のお心をお取り次ぎのImg_2449場であって、けっして、個人的な体験告白ではない。自己勝手な心理体験だけでは、仏法にはならないのだ。しかし、単なる覚え、学んで理解しただけの教義の受け渡しだけで、ほんとうに参詣者に届くのだろうか。少なくても、ぼくは、ぼく自身がほんとうに喜ばせていただいているお法りをお伝えしたいと思っている。自分が有り難くないこと、ぼく自身が信じられないことを、いくら巧みな話術があったり、上手い譬喩があったとしても、絶対に伝わらないのが、お法りではないか。

Img_2446_2 これは、きっと聞き手にしても同じだ。もし単に人間一般のことして漠然と聞いているのなら、いつまでも霞の彼方にお慈悲はモヤモチしたままだ。十方衆生にかけられた願いは、けっして大様ではなく、私ひとりにかけられた願いであることを抜いては、そのお心に触れることはない。
 だから、人間と聞くのではなく、「私」のところで罪悪も、無常も、お慈悲もお聞かせに預かっていくか、いかないかで、意味はまったく違ってくるのだ。
 そんなことを最初の例話に出しながら、ぼく自身がお念仏を喜べるようになるまでの入り口をお伝えした。

 最後に、ご住職か、大学の集中講義という話がでた。
 来月の報恩講も、またお招きいただいて、ご縁をいただくことになった。もうひとつ踏み込んで、ぼくが、生きたお念仏に出遇わせていただき、お念仏について阿弥陀様の大悲のお心を喜ばせていただくことになった身の幸せをお聞きいただこうと思う。
 

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『NO(ノー)』

 スコットランドの大英帝国からの分離・独立の住民投票は、独立に反対するNO票が賛成派(YES票)を上回り、分離・独立は回避された。
 結果以上に、そのプロセス、つまり武力や紛争、力ではなく、公平な住民投票で決するという、イギリスの成熟した民主主義が、高く評価されている。

 
 しかし、このような国家の根幹を揺るがす大問題を、市民の投票という民主的な手続きで、賛否を問うケースは稀なことだ。
 逆に、一見、民主的な国民投票を、独裁政権が、その正当性にお墨付きを与えるために利用するケースもある。そこには、自由な公正な投票はなく、権力側の妨害、不正工作、強引な権力による勝利で、形骸化しているのが普通だ。

 そんな中でも、投票によって、独裁政権が倒れた例もあった。

 チリ映画『NO(ノー)』は、80年代後半、チリのピノチェト独裁政権を題材、その信任投票の反対派(NO陣営)の、広告マン(ガエル・ガルシア・ベルナル)を取り上げた、ドキュメンタリータッチの社会派ドラマで、アカデミー賞外国語映画賞ノミネートされた、個性的な作品だ。

 1988年、国際社会からその独裁と人権白迫害の非難が高まった、チリのピノチェト軍事政権。自らの正当性を証明するために、政権への新任投票を実施することを発表する。
 しかし、肝心の野党側は、多数の少数政党に分断し、共産党からキリスト教系とバラバラの状態で、しかも、反対派、つまりNO派に与えられる運動は、わずか1日に15分の、テレビでの宣伝時間、しかも深夜時間帯と、公平ではないのだ。いわば独裁政権に、投票による信任というお墨付きを与えるための出来レースの様相を帯しているのだ。だから投票をボイコットする陣営も生まれる。

 当初、NO派は、武力や暴力によって、多数の血が流れた事実で、訴えようとする。すごく真っ当な作戦だ。しかし、大手企業の商業作品を手がける宣伝マンに、白羽の矢があたり、CM制作が依頼されると、様子は一変する。
 暴力シーン映像の繰り返しは、民衆に、驚怖を再認識させて、結局は、萎縮させ、口をつぐませて、NOの意思表示が出来なくなることが、彼には分かっていたのだ。

 いかに、ひとりひとりが良心に従って、自由な行動にでるのか。
 そこで、彼がとったのは、まるで、コーラのCMのような楽しいイメージ戦略である。そのあまりのナンパぶりに、野党の強硬派はあきれはてる。しかしながら、強行派すら、本気で軍事政権に勝利できるとは考えておらず、せいぜい政権の横暴を、世間に訴える好機ととらえていたのである。そん中で、彼だけは、本気で、民衆の意識を変え、そして、NOという行動を引き出すための戦略を考えていたのだ。

 手持ちカメラを多用し、画面の荒さでリアリティを出し、まるでドキュメンタリーのように描かれている。ピノチェト軍事政権側、つまりYES派の、強力で、露骨な妨害工作で、自分や仲間のみならず、家族にも危害が及ぶかもしれないという危なさが、うまく描かれてサスペンス風のドキドキ感もある佳作となった。

 ラストもなかなか自然で悪くなかった。

 http://www.magichour.co.jp/no/

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曼珠沙華

Img_2295_2 田んぼの畦道や川辺のあっちこっちに、彼岸花が咲いている。

 彼岸花というネーミングも、またmanjusakaというサンスクリット語を語源とする、曼珠沙華にしても、ずいぶん、仏教色が強い花だ。

 最近、新聞で読んだのだが、彼岸花は、種子では育たたず、株分Img_2387けで増えていくのだそうだ。そして、遺伝子から、いま日本の彼岸花のすべては、最初の中国から入ってきた子孫だというのである。

Img_2414_2 たったひとつの花から、拡がり広がって、今は日本中に広く分布し、珍しい花ではなくなった。

 同じように、同じ親からでた、たった一声のお念仏が、日本中、世界中に広がる日がくるのかもしれない。
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体育祭

Img_2301 中学3年生の最後の体育祭。

 でも、この2年に渡り、ここの時期にアメリカに居たので、これが最Img_2329初で、最後の中学の体育祭だ。

 9月にしては、涼しくて、運動には快適だ。ただ、比良おろしの強風が時折吹いて、テントは撤収されている。時折、旋風で、グランドの砂が巻き上げらImg_2330れて、競技中も、モウモウと砂ぼこりで視界悪い。

 Img_2307みんなで、昼食を食べた。これ何弁当というかね。昔なら、愛妻弁当だったんだけど…。

 秋の空は、どんよりと曇っていたと思ったImg_2408ら、小雨になったり、それがまた晴れ間がのぞくと、けっこう日差しが強かったり、また曇ったり、または黒い雲と白い雲がせめぎあったり、空は気ままに変わっていく。

Img_2424 でも、最後は晴れ間とてなって、高台からの琵琶湖の風景も美しい。
 山は、すっかり秋の風景。
 山と湖の風景を散策する。
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9月の真宗カウンセリング月例会

 担当者が、身内のご不幸で、急遽、欠席となる。

 他の皆さんも都合が悪くて、ぼくと、代表のM先生、それに、元大学教授で理学博士の3名と寂しい。

 が、その分、内容は濃かった。

 ブライアン・ソーン著の『カール・ロジャーズ』を読んでいるが、先月から、ロジャーズへの批判に入った。

 ロロ・メイが提示した「悪の問題」。正確にいうと、悪と対決しないという問題。そこには、人間の本性に対する両者の見解の対立がある。メイは、悪は、人間性の基本的要素で、生得的なものであるととらえるのに対して、ロジャーズは、後天的なものであることが大前提である。つまり本来は、建設的なものであるが、それが、生育歴や環境要因、文化的要因などによって歪められ、損なわれた結果、邪悪な行動や破壊的態度が生まれるととられている。それで、促進的で、暖かな心理的環境が与えられ、それが伝わることで、必ず建設的な方向に向かうという人間観によっているカウンセリングだ。

 どちからが正しいのか。実際は人間の悪が、先天的か、後天的かなどを、科学的に解明することなどは不可能で、あとは、個人の信念に属する領域の問題である。

 それだけに、彼がブレることなく、潔いまでの頑固さで、その信念を貫いたことに、その尊さを感じた。実際、それによって、大きな成果を上げたことも事実である。しかしながら、悪と対決の問題は、けっこう鋭い避けられない指摘であろう。

 さらには、転移-逆転移の問題にも触れられていて、なかなか骨の折れるテーマが続いた。

  が、それだけに、我が身に引き寄せて、実際の場面での話題が膨らんだ。特に、大学相談室のベテランカウンセラーとして、長年、実践されてきたM先生の体験的な言葉を聞かせていただいただけのが有り難かった。

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余韻~輪読法座にて~

 華光誌輪読法座。

 全員ではないが、八割以上が、先日の「念仏と黙想、語らいの集い」に参加されてメンバーだ。終わった直後ということもあるが、印象が強かったのだろう。最初の、チェックインを兼ねた分かち合いの時には、参加者の皆さん全員が、その時の感想や味わいを語ってくださった。しかも、それがひとつではなくて、それぞれのところで、率直に語られたところが、うれしかった。おかげさまで、皆さんに強い印象を残した集いとなった。

 ふっと、才市同行の歌が目にとまった。

 「目にみえぬ 慈悲が 言葉にあらわれて  
    なむあみだぶつと 声で知らせる」

 

 「称えても 称えても また称えても
     弥陀の呼び声 なむあみだぶつ 」

 

 「名号は わしが称えるじゃない
    わしにひびいて なむあみだぶつ」

   南無阿弥陀仏

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「京へのいざない」展~法然聖人の念持仏

Img_2279_2 同人の皆さんと、お念仏を遠慮気兼ねなく、称えさせてもらった翌日。

 子どもを連れて、東山七条にある、京都国立博物館に向かう。 9月13日に、これまでの常設展の会場が、約5年ぶりにリニューアルImg_2274オープンしたばかりのだ。 

 平成知新館となったオープン記念で、「京へのいざない」展が開かれている。ずいぶんモダンになったけれど、明治期の本館の重厚さとの対比も面白い。

http://www.kyohaku.go.jp/jp/theme/floor1_2/post_3.html

Img_2272 一応は常設展で、特別展ほどの込み具合ではないが、前評判も高くて、それなりに混雑している。

 東京の修学旅行でも東京国立博物館に行った上の子は熱心に見学して、喜んでいる。ところが下の子は最初から、退屈の極み。イスに座ったり、あっちこっこ走りまったりで、あとのカフェタイムだけがImg_2293楽しみで、とうとう、「今度は付いてこない」宣言も飛び出した。もっと小さい時には、ここの常設展にも、等伯展にも、付いてきてたのになー。姉妹でも、趣味は異なるようだ。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_b38d.html

 で、京博所蔵のものもあるが、寄託されたものも多いが、それでも、「ズラリ国宝、ずらり重文」と銘打たれるだけあって、一期・二期Img_2275合わせて、国宝が50点、重文が20点という豪華さ。教科書で有名な、日本の肖像画の最高傑作と言われる「伝源頼朝・伝平重盛」像や、雪舟の「天橋立」図。加えて「餓鬼草紙」や「山越阿弥陀図」「二十五菩薩来迎図」、「法然上人絵伝」や「一遍聖絵」などなどの浄土教関係の国宝、仏教関係の名品が、多数出品されていた。 

Img_2287 でも、ぼくの心を打ったのは、浄土宗に関連する二つの阿弥陀如来立像だ。
 ひとつは、一枚起請文を懇願された勢観房源智が、法然聖人の一周忌法要のために造営された阿弥陀如来像。
 そして、その法然聖人が、念持仏として拝まれていた、阿弥陀如来像が並べられていたことだ。後者は、衣の胸のあたりがはだけた少し変わった阿弥陀さまだったが、この阿弥陀さまの前で、法然様が「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えられていたと思うと、感無量である。特に、昨日は、皆さんと称名念仏を行い、最期に「一枚起請文」を拝読して、終わっただけに、とても不思議な感覚になった。しかも、この阿弥陀如来像は、法然様の臨終の時に、五色の糸をつなげ(臨終行儀で、臨終来迎を期待するため)ようとされたのを、法然様がお断りになったエピソードでも有名だ。
 その向いには、やはり知恩院の善導大師像が安置されている。

 しかし、ここは博物館である。誰も、この前に佇んで、合掌し、「称名念仏」する人はいない。重要文化財として、また歴史的に意味のある美術品であっても、信仰対象の御仏ではないのだ。

 『大経』の流通分ではないが、すでに龍宮に入ってしまったのだろうか。

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大収穫の念仏と黙想と、語らいの集い

 
 聞法旅行の中止が決まり、急に代替法座を開催した。

 念仏と黙想と、語らいの集いだ。

 急な変更で、参加者は少ないだろうと覚悟していたが、当日の飛び込みも含めて、予想以上の参加者がある。車座になると道場が一杯になるほどの盛況ぶりに、驚いた。

 以前より、温めていた構想で、原始教団の法座の原点に帰り、温かい雰囲気の中で、お念仏によって厳しく自己内省できるような法座を目指した。
 が、ぼく自身も、初めての試みで、どのようになるかは分からない。
 最初に、プリントを配り、注意事項や説明を行った。

今回のテーマのひとつは、当たり前になっていることを、当たり前としないで、丁寧に、しっかりと行ってみるこことである。そのひとつが、勤行だ。日常勤行も、法話や座短の付け足しのようになっている。丁寧にすることで、みんなの声が揃い、心をひとつになっていくことだと思ったからだ。

 もちろん、浄土真宗の称名念仏は、名号の活動相であって、衆生の側からは、称える功徳や利益を期待するようなものではない。ただ゛無碍光如来の名義を聞き、本願招喚の勅命を聞信するのである。同時に、相続の姿として、このいのちが尽きるまで、報恩謝徳からの信後の称名行があるということをおさえた。また、念仏のあとの黙想はあくまでも、静かな沈黙の時間をもつのであって、瞑想などの行ではないということを、充分に説明を行ってから、共に、仏徳讃嘆のお念仏を称えさせてもらった。

 今回は実践が主である。やってみないと分からない。

 ひとりで称える称名とは違う。みんなが輪になりながら、共に、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と声を合わせる、まさに百重千重の囲繞された諸仏のお念仏が響きあってくるかのようだ。同時に、わが心から、さまざまな思いが立ち上がってくる。有り難いものもあれば、散乱もする。怒りや欲の感情も出でくる。まったく無関係な心もおこる。しかし、そのさまざまな虚仮不実の心をとおして、ますますもって虚仮不実の、末通ることのない、わが機が明かになってくるばかりだ。そして、それはすべて真実の、名号法の働きにほかならない。お念仏は、他人ではなく、私の虚仮不実の姿を明かにして、私の殼を破るのだ。それだけではない。そんなバラパラなものを、念仏ひとつに溶け合わせる大きな働きがあることを、身をもって教えられたのだ。

 その後も黙想(沈黙の時間)も、貴重で、贅沢な時間だった。

 また、そして、誰も強制することもないのに、皆さんが、わか身を開いて発言くださった思いを、有り難くお気かに預かった。まさに、狙い以上に、信、未信を問わず、共に自分をうち出し、喜びや味わいを語り合えた。それほど、皆さんの中で、さまざまな体験が起こり、味わいがなされてきたのであって、どの発言も、まるで法話や法語を聞いているかのようで、有り難かった。

 集いの最期に、法然聖人の『一枚起請文』を頂いた。

「念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」

 
 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 

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広島CO・WS(2)「真宗」と「カウンセリング」

 ところで、今回のワークで、「真宗」と「カウンセリング」の「と」がテーマだという人があった。実は、ぼくにとっても、この「と」が、真宗とカウンセリングを学ぶ上で、大切なところである。

 少し小難しい話になるけども、西洋で生まれた心理学であるカウンセリングと、東洋の伝統ある仏教、中でも浄土真宗が出会いの中で、真宗側の最大の成果は、浄土真宗の本来性、その使命に回帰することであった。長年の因習によって身についた非真宗的な習俗や体質、さらには伝道や布教の弊害が、新しい出会いによって、気付かされ、破られて、浄土真宗は浄土真宗のままで、その本来の姿に帰ることができる可能性があるというのだ。

 まずは、「真宗」に出会い、目覚めた人達が、次に、「カウンセリング」と出会い、それぞれの個人の中から、それは生まれてきた。たとえば、ぼくの父が、ロジャーズのカウンセリングに出会った時、「伝道者失格!」との深い懺悔が、そうである。そこには、単なる、真宗伝道の手段というか、道具としてカウンセリングがあるのでもなく、また真宗が優位で、カウンセリングが従者でもない。真宗の真実性を絶対化していた、驕慢な自己が破られたといっていい。

 逆に、せっかくのカウンセリングの学びが、単なるテクニックや表層的なものに留まっていたら、生身の「私」には届かず、身につくこともないだろう。カウンセリングの場で学びながら、そのようなところで留まることは、時間も労力も無駄にして、実に勿体ない。

 とはいうものの、真宗者が、その小さなプライドを捨てて、カウンセリングそのものを、虚心坦懐に学ぶことは、なかなか難しいとの実感もある。
 私の側、機に真実はないと言いながら、法の真実に執着する、一種の法執を破るのは、なかなか至難の技だからだ。

 結局、そこで、私がお聞かせに預かったいるものが問われてくるのであるから、ご法はなんともおそろしい。有難そうな言葉は並べても、結局、生身の「私」が顕になるのである。

 ところで、西光義敞先生は、とても慎重に「真宗カウンセリング」という言葉を使われていた。「真宗カウンセリング研究会」と名乗りながらも、長らく「真宗カウンセリング」とは名乗られず、「真宗」と「カウンセリング」という表現をされた。真宗の○と、カウンセリングの○の二つの丸を、重ねて描きながら、その接点の「と」のところに私がいるのだというお話が、定番だったのだ。
 真宗カウンセリング代わりに、「仏教カウンセリング」は使われた。藤田清という先駆者があったからだ。だから、龍谷大学のカウンセリング課程の授業も「仏教カウンセリング」だった。

 そこで、たびたび、真宗者の木に竹を継ぐような、拙速なカウンセリングの学びに、警鐘ならされた。ぜひ、真宗者は、謙虚に、真剣にカウンセリングを学んでほしい。また、カウンセラーや心理療法に関心のある方も、日本の仏教、大乗の至極である浄土真宗に、真摯を求めてほしい。そしで、両者が、研究レベルでも、実践、体験レベルでも、交流と統合を目指してほしいとの願いで、真宗カウンセリング研究会が設立されたのである。そこにも、「真宗」と「カウンセリング」の交流と統合を求めることが、本会の独自の性格と使命であるとうたわれている。

 真宗カウンセリングを名乗られたあとも、単なるセクトの布教の道具、手段としてしか扱われないなどの誤解もあって、真宗カウンセリングから、DPA(ダルマ・ベースト・パーソン・センタード・アプローチ(注2:ただし、Y氏が指摘するように、ダルマベースト、つまり法を根底においた、パーソン・センタード・アプローチなのだから、正確には、D-pcaと表記するのが相応しいように、ぼくは考えている)と名乗られるようになった。これは、PCA(パーソン・センタード・アプローチ)に因んだものだが、敢えて、分かりづらい用法でも、「真宗カウンセリング」の言葉から安易な誤解を避けたかったのであろう。ほんとうに言葉とは厄介なものである。

 結局、外郭としての「真宗」や「カウンセリング」の出会いではなく、浄土真宗によって目覚めた「私」と、カウンセリングとの出会いによって、その非真宗的なものに気付き、本来性に回帰させられていく「私」とは、別々の「私」ではなくて、まずこの「と」のところで、交流し、統合されていくのである。 

 今回の集いは、その原点を、集まった菩薩方が、大芝居で、ぼくに伝えてくださったようにおもえった。まさに権仮の仁であった。

 

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広島カウンセリング・ワークショップにて(1)

   今回の広島カウンセリング・ワークショップ。ぼくが心にかけていたことは、「出会い」というテーマである。もちろん、このようなワークショップを、エンカウンター・グループというのだから、「出会い」グループということが、その前提である。

 もともと真宗カウンセリングWSの前身の、『聞法の集い』は、人と人の出会いを超えた、単なる心理的な出会いグループを超えた、法との出遇いを模索した試みだった。

 
 そんな中で、出会いがテーマだと思ったのは、このプログでも紹介したが、真宗カウンセリング研究会で、ロジャーズと、我と汝で高名なブーバの対談本の批評を読んだからだ。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-3012.html

 ぼくは、日頃どれだけ、我と汝という出会いをしているのか。初めて会う人だけでなく、これまでも関わってきた人と、どれだけ出会っているのか。自分自身とは、どれだけ出会っているのか。
 原点に戻って、「出会い」が、今回のぼくのテーマだった。
 どれだけ、自分との違う異質な出会いに謙虚に耳を傾けていけるのか。
 他人の話を聞き、受け入れることは、自分を失うことではない。むしろ、豊かにすることだ。

 もちろん、そこには、好ましいものとの出会いだけでなく、避けたいものや、、苦手なものとの出会いもある。それは嫌な他人がいるのではなく、その人を通して投影されてくる苦手な私自身といっていいのかもしれない。

 そして、どれだけ自分を開いて、出来る限り、自己の体験過程(いま、ここで流れるいのちの流れ)に気付いて、率直に表現できるのか。

  その意味では、今回のワークは、たいへん楽しく、学びの多いものだった。 

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スーパームーン

 スーパームーン~こんな言葉があるんですね。
 中秋の名月は、満月ではなくて、その翌日が満月。しかも、今年最期の、地球と月との距離がもっとも短かくなる時だというのだ(9月9日午後10時38分)。

  連続して月の話題とは、面白くないので、イタリア映画の話題を挟んだ。

 快晴の昨晩とは違った、薄曇り。

 それでも、満月は見えている。

                       
 実は、満月の夜は、天体観測には相応しくない。まず、空が明るくなりすぎること、そして、月自体も陰影がなくなって、クレーターや山脈を見るにも相応しくない。

 
 その代わり、新しいデジカメで写したものでも、光条(光放放射)が見える。
 月面で最大の光条(光放放射)は、南にあるティコからのものだ。
他に、中央やや左手のコペルニコスと、並んであるケプラーから放たれた光条も分かる。
(中秋の名月の写真の方が、よくわかるかも、、)
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-112a.html

 反射鏡と、コンパクトサイズの撮影用の屈折鏡の二台あった望遠鏡も、お蔵入りをしてもう何十年になるのだろう。

 もう一度くらいは、眺めたいものだなー。Img_2238
Img_2242_2Img_2246_2

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『グレート・ビューティー』~追憶のローマ~

  『ローマの教室で』~我らの佳き日々~に続いて、『グレート・ビューティー』~追憶のローマ~を観る。

 大傑作を出した初老の作家の初老と、さまざまな女性との絡みを通じて、永遠の都ローマでの、ひとりの天才作家を通して生と死を描く作品。

 ローマを描いた映画と言えば、『ローマの休日』があまりにも有名。でも、あれは、確かにアメリカ映画。観光目線のローマなのかもしれないね。その点、これは、地元の目線の圧倒的な美意識に根ざしてますね。

 まず、フランス人作家の『夜の果てへの旅』が引用され、ローマの各所をカメラの移動撮影で映しだされ、なぜか、日本人団体観光客のひとりが倒れる(死)ところから始まる。ある意味で、不思議な冒頭。最期も、百歳を超えたキリスト教の聖女が、天国の階段へと息たえだえに登るシーンで終わり、たぶん、生(性)と死がテーマだということの暗示かなと。
 早朝の観光シーンの後は、セレブたちの夜の不毛なパーティーシーンへ。強烈なディスコティーク・ナンバーで躍り狂う、一昔前のバブリィーな日本のような光景。ここでも、ローマの、朝の静謐さとの夜の喧噪が対比されて描かれてます。

 ここで、主人公が登場。
 深いローマの歴史と、美の中で、彼自身の原点である青春時代のナポリ時代の初恋と、その彼女の死。さらに、傷をもったもの同士が引き合った、友人の娘でストリッパーの出会いと、死ぬをメーンに、束の間に関わる女性たち~アバズレと呼ぶ彼の外国人の女中。子供の背丈しかない女編集者、彼が取材する前衛演劇の女、ペインティング・アートで魅せる少女、さらに100歳超の聖女(老婆)などなどの、深かったり、浅かったりの女性との出会いによって、彼の中で、さらなる真実への探求の意欲が起こってくる…。
 主役のトニ・セルヴィッロが、俗物にもならず、また高尚な哲学者でもなく、人生を諦觀しつつも、内面では探求を続ける、そのバランス加減がよかったのだろう。

 前の京都では、10月にヴェネチア国際映画祭で、ドキュメタリー映画としては初の最高賞を受賞した『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』の公開も控えていて、ローマの映画の名作が続きそう。

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『ローマの教室で』~我らの佳き日々~

偶然だが、京都シネマで、2本続けて「ローマ」がタントルにつく、映画を観る。

 『ローマの教室で』~我らの佳き日々~と、『グレート・ビューティー』~追憶のローマ~ だ。

 ますは、『ローマの教室で』~我らの佳き日々~
 タイトルにローマと冠してあっても、特別にローマが関係しているわけではなく、中・先進国の高校ならどこにでも当てはまる普遍的な、ヒャーマニステックな温かい作品だ。しかし、一般レベルの公立校でありながらも、そこは、歴史と芸術の国イタリアである。日本の高校生のレベル以上に、美術史や文学や詩が頻繁に登場して、知的要素が高い。正直、日本人のぼくには、馴染みが薄いことも多かった。

 タイプの異なる3名の教師と、特に関係の深い3名のタイプの違う生徒たちの関係でありながら、ちょっと別の要素絡んでの群像劇の様相。
 中心で描かれる教師は3名。若手の国語(イタリア語ですが)補助教師(リッカルド・スカマルチョ)と、ベテランの美術史の老教師(ロベルト・エルリツカ・おお、次の映画では、次期法王候補で、グルメにしか関心ないような枢機卿役の人)と、女校長(マルゲリータ・ブイ=この前の映画では、5つ星ホテルの優雅な覆面調査員役だった)。

 物語は、新学期に、熱意溢れる臨時教師が登場。彼がやる気満々なのに対して、「生徒なんて、みんなアホだ」と、シニカルで、熱情も亡くしたヘンコな美術史の老教師との絡みに、家庭でも、パートナーと二人きりで、クールな感じでの美人の中年、女校長の場合は、授業(学業)は熱心でも、生活指導(といえば日本的)各人の家庭事情に関わりほどほどにというタイプ。それが、それぞれに少し風変わりだったり、厄介な生徒と関わりで、小さな事件が起こって、それが、先生方にもいい変化が起こるというもの。

 生徒のプライベートはほどほどにと思っていたる校長の場合なら、シングルマザーの母親か家出し、学校でコッソリ寝泊まりしていた男子学生を発見。その彼が、病気で入院し、最初は、ほどほどにして、ケースワーカーにまかせてしまっうつもりが、人懐こい彼との関わりで、いつのまにか母親代わりになって、違って一面が引き出されます。

 臨時教師の場合は、いつもハデ服で、大人びた落ちこぼれの女生徒を、なんとか授業に興味をもたそうとするものの、授業を抜けては年上の男とデートしたり、何かと問題行動。しかし、その裏には、父親の失業と、母親の突然の死という事情もあったりするのだが、それがほんとうなののやら、でまかせなのやら分からず、さて、どこまで生徒を信じていいものやら、信じられないのやら、また指導熱心なのか、教師としては関わりすぎなのかというあたりの色合いが、とても微妙で面白かったですね。彼女が、その場凌ぎの出まかせを言っている分かって、かばうことなく落第を通知するのですが、、。
 さらには、情熱を失った老教師にも、若い時の教え子から一本の電話で、事態が好転したりします。

 でも、評論でも取り上げられていないけれど、優等生のルーマニアからの移民の男の子が、仕事のためにヘコヘコする父親を軽蔑し、ガールフレンドの影響から、父親のスタンドからピストルを盗むところが、事件が発生。ここでの、日頃の軽蔑されている父親が、子を思い、俄然、かっこいい父親になるシーンに、一番、ジーンときました。教師と生徒という関係からは外れるけれど、親もまた、子供にとってはサイコの先生というわけですかね。
 日本の学園モノにはない知的な匂いと、単なる熱血でもなく、自然体(生徒たちも、まるでほんとうの高校の雰囲気)で、ごく普通の設定がきいている、かなりの佳作でした。

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中秋の名月

 史上もっとも雨が降った8月。9月もぐずついた天気が続いて、京都の北部では、記録的豪雨も頻繁。大きな被害はなくても、洗濯物は乾かず、野菜も高騰、日照不足は深刻だ。

 でも、月曜日から久々の快晴が続いている。

Img_2231 今夜は、中秋の名月だ。旧暦8月15日の中秋の月だが、旧暦とは数え方の違うので、今年は、8日とかなり早い。

 快晴。会館の屋上からも、美しいお月さまが頭上に浮かんだ。

 日中は暑いが、朝晩は過ごしやすくなってきた。空気も、すっかり秋の気配。

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9月の聖典講座~五十三仏と讃仏偈

 『大無量寿経』の講義も5回目『大無量寿経』になって、やっと正宗分(しょうしゅうぶん)、本論・本文に入り、阿弥陀如来の救いについての釈尊の説法が始まる。まず、如来浄土の因が示される「法蔵菩薩の発願」が説かれる重要な箇所である。

 
 ところが、その冒頭に説かれるのは、五十三仏のご出現で、法蔵菩薩以前のはるか過去世にご出世になられた、錠光(じょうこう)如来から始まる五十三名の仏様方のお名前が、延々と連なって出てくる。しかも、その仏様方は、もうすでに過去の仏様なのだと。

その後で、やっと法蔵菩薩の師匠仏である世自在王仏(せじざいおうぶつ)がお出ましになるが、これがまた、仰々しく、仏の十号で、世自在王仏のお徳の限りないことが示されてくる。ちなみに、十号とは(本文では十一号。如来を含まない説などもあるが)、
 1、如来……梵語タータガータで、如はさとり、真如。真如から来生せるものの意
 2、応供……人天の供養を受けるに相応する資格があるので
 3、等正覚…平等の正覚(さとり)の意味
 4、明行足…智慧も修行も満足した人の意
 5、善逝……善き因より善き果にゆきて帰らず、再び迷わない
 6、世間解…世のことに通じておられるという意
 7、無上士調御丈夫……この上なく尊い士、一切衆生を調伏制御する士
                 (無上士・調御丈夫をひとつと見る立場をとった)
 8、天人師…天と人の師という意
 9、仏 ……仏陀(√Buddha)の梵語の略で、覚(覚者)と訳す
 10世尊……世の尊者
となる。

 そして、この世自在王仏(梵語ローケーシュヴァラ・ラージャの漢訳。世間一切法に自在なることを得、世間を利益するに自在を得た仏という意味。法蔵菩薩の師である過去仏。世饒王仏・世饒仏・世間自在王仏などともいわれる)の説法に感激した国王法蔵が、菩提心を起し、法蔵比丘(菩薩)となることを決意される経緯が、やっと始まるのである。

 まずは、師仏である世自在王仏の徳を讃えられ、自らの願いを述べられた偈(詩・歌)である、讃仏偈が説かれる。

 讃仏偈は、日常勤行で一番親しみのあるお経だが、八十句二十行の頌で構成される。それを、、大きく
  (1)世自在王仏のお徳を讃える。
  (2)法蔵菩薩が自らの願を師仏に明かにされる
  (3)十方諸仏の証誠を請い、決意を述べられる。
の三段に大別し、さらにそれぞれが分科されるところを、詳しく窺った。
  すでに、四弘誓願や四十八願の根本がここに示され、菩薩の決意表明がなされるのであるが、ここは今は、略する。

  ところで、法蔵菩薩の発願に先立って、五十三仏出現が説かれるのは、連続無窮としての目覚め(悟り)の連鎖性や、久遠古仏としての真理の永続性(詳細は、後の「十劫久遠」論で述べる)という味わいがある。しかし、いまの私と、これがどのうように関わるのかを、皆さんに問いたい。そにには、過去にさまざまな諸仏のご出現があり、多くの衆生が済度されたにも関わらず、その諸仏のお救いから漏れた極重悪人の私を救わんがための法蔵菩薩様のご出現という点を、じっくりと味わわせてもらいたかった。

 
 次回は、10月13日(祝)昼1時30分~
 四十八願に先立つ選擇思惟で、世自在王仏様と、法蔵様の重要な対話です。

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広島支部法座~当たり前は有難い

   8月末から、S先生、M先生、今回の法座で、3週続いての支部法座となった広島。法座続き、しかも土曜日ということで、お参り方を心配していたら、お久しぶりの方、新しくご縁のできた方、それに本派のご住職や奈良からのお参りもあって、会場が一杯となる盛況ぶりである。

 今回は、なるべく法語を使わず、身近な、分かりきっているテーマ。
「朝起きて、皆さんはどんなことをされますか?」と尋ねた。  

 「トイレ(小)に行く」
 「顔を洗う」
 「お茶を沸かす」
 「お仏壇にお参りして、仏華やお仏飯を供える」
 「着替える」(布団をあげる・身支度をする)
 「コーヒーを飲む」
 「朝御飯を作る」
 「朝食を食べる」
 「朝食を片づける」
 「歯磨きをする」
 「トイレ(大)にも行く」などに加えて、
 「シャワーをし、ヒゲを剃る」という方もある。
 他にも、「新聞を読む」とか「テレビを付ける」・「メールをチェックする」、「窓を開けて換気する」、「布団の中で体操をする」などとがある。実は、箇条書きにしたものには、表の言葉には現れないが、その裏で絶対に必要なものがある。

 あるところで、「仏様ですか」と答えたありが~たい方もおられたが、そうではない。子供さんに尋ねると、即答されるが、大人の方は、すこし間があって、

 「水」

というお答えがでる。着替えることが洗濯と結びつけば、トイレも、食事の準備も、片づけも、何かを飲むのも、洗面も、すべて「水」がなければ、1日は、何も始まらないのである。  

 では、どれだけ、そのことを意識して生きているのかという、あまりに「当たり前」になっていて、毎朝、水が出たことに感謝する人はないだろう。今、昔のように、川から水を汲むとか、井戸から水を汲むということをしている人はいない。みんな、水道水で済んでしまう。しかもちょっと前までは、蛇口をひねっていたが、今は、指1本で押すだけで、水だけでなく、お湯もでる。風呂も、トイレも指1本ですんでしまうのだ。いや、トイレにいたっては、センサーで、便座を立っただけで、自動的に洗浄されることもある。

 ほんとうに便利になったことで、ますます有り難いことが身にしみればいいのだが、実際はその逆で、便利になればなるほど、私の手間が省ければ省けるほど、そのものの「有り難さ」から遠ざかっていくのである。  

 しかし少し立ち止まって考えたなら、当たり前のことはなにもなく、ほんとうは有り難いことなのだという点を確認して、もっとも当たり前になっている「いのち」について、当たり前に「大切」だと決めつけている正論的な固定観念を破っていくお話を申し上げた。有り難いとか、大切とかいっていも、すごく当たり前のとこで、上辺のところで、きれいごとで、決めつけてはいないか。ほんとうにそのもの「いのち」を見ているのかどうか、改めて問いを発してみた。

 皆さんのご感想や想いは、またそれぞれあったけどなー。

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新築落慶法要

 高山法座。初日は、会所(えしょう・法座会場)を引き受けてくださるF家の亡きご主人の三十三回忌法要を勤めさせてもらった。
 正式な法要は、親戚も集われ、旦那寺のご住職が勤めされる。

 が、支部法座で、高山支部の皆さんと勤行をしたかった。実は、ぼくも、父も、故人とは面識はない。しかし、紛れもなく、いま、この家で法座を開いてくだされるのは、故人が熱心に聴聞され、求められ、そして、その法に対する熱情が、奥様やお子さん、回りの方々へ伝播して、ご法が相続されたからである。きっと、ここで支部法座・家庭法座が開かれていることを一番、喜んでくださっているのだろう。亡くなる間際、体調が苦しい中で写経された「正信偈」が掲げれている。故人を知る人も、知らない人も、同じ念仏を喜ぶ友同行である。一同でお正信偈を勤めさせてもらい、尊い仏縁を遇わせていただいた。 

 
Img_2167 2日間の法座が終わり、翌朝、O家の新築落慶法要である。初日の法要は、Oさんのお父さんである。このタイミングで、お仏壇を迎えての法要を営ませていただくのも、また有り難い。予定では、完成して入居されていたところだが、工期がのびのびとなって、まだ完成は少し先だ。それでも、家族の皆さんと、一緒に勤行させてもらった。ぼくも初めて「新築落慶法要」表白を読ませてもらうことができた。

 養子先のご家族の皆さんに、少しでも仏縁をつけてもらいたい。法話もし、また自由に質問などもしてもらいたいとの願いがあったようだ。もちろん、一座のご縁だけで、すぐにどうこうなるものではない。それでも、共に勤行し、法話を喜んで拝聴くださり、お子さんたちとの子供大会のご縁などを、和気あいあいと分かち合えたことがうれしかった。新築のたいへんで時期に、華光会の運営のお仕事を引き受けてくださったOさんの陰には、嫌がらずに法座に送り出し、家を守ってきてくださった皆さんのご恩のおかげがある。これまで、仏法はご聴聞されることはなくても、いわば、私が仏法を聞くための外護の善知識といっていいのである。 

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高山別院(照蓮寺)~飛騨国分寺

Img_2146 高山法座。ご縁があって、今回も子供たちも一緒に、高山に向かう。  

Img_2142    少し早く着いて、高山別院にお参りし古い街並みを散策して、高山ラーメンを食べる予定でいた。

 久しぶりに、朝から快晴だ。ところが、飛騨路に入ったところで、雨が降り出して、別院に到着した時には、雷雨となっている。  しばらく別院の本堂で雨宿りをする。

Img_2133 こんな有り難いポスターが貼ってる。資料館Img_2135は、3時までで、もう時間はすぎている。

 誰もお参りはない。  軒下から知った声がしたと思ったら、高山法座にお参りされる東海支部の4名の方が、現れた。皆さん、高山法座は初めてだという。やはり、別院に御参りして、散策する予定だったという。では、合流してと思ったが、僕らの方は、5名いるのに傘は2本しかないので困っていたが、東海組は、4名なのに傘が1本と、ますます分が悪くなった。  雨は、強くなってきたところで、散策は止めて、F家に直行した。

Img_2174 それでも、法座翌日はO家の新築法要があり、その間、子供たちは高山散策に連れていってもらった。古い街並みに、上の子は喜んでいる。合流して、初日の予定の国分寺通にある「ちとせ」という老舗で、高山ラーメン(そば)を食べる。ここは焼きそばと迷うところだが、ラーImg_2175メンにした。濃いめの魚介がきいてたスープ。おいしかったが、ぼくには少し濃厚すぎた。  

Img_2218_2   すぐ近くの飛騨国分寺に寄って境内を散策。創建当時の基礎石が、残っている。立派な三重の塔は飛騨で唯一のものだ。

 帰るころには、ボチボチと雨が降りだしてきた。2本あった傘は、いImg_2196_2つのまにか1本になっている。子供がどこかに忘れてきたらしい。

 それしても、8月は異常気象だった。昨年の西日本は、史上もっとも暑い夏だったが、今年は、もっとも降水量の多い8月となった。京都も、例年の3、7倍以上の雨が降り、日照時間も半分以下と短く、これから農作物の被害も心配。

 飛騨路は早くも夏は終わって、秋の気配。
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へそ

 高山支部法座で、松尾芭蕉の臍の緒の句を取り上げた。  

   法話が終わったら、突然、Hさんが、「先日、伊賀上野に旅をして、芭蕉ゆかりの『へそ』というお菓子を見つけて不思議な名前だなと思ってたんです。いまの臍の緒の句が由来なんでしょうか」と。

Img_2163  翌日、法座が終わってから、Hさんに宅に、ご挨拶を兼ねて、子供たちと窺う。今は、渋谷の東急本店での個展(木彫展)の準備中で、さまざまな美術品といっていい作品が、所狭しと並べられていた。仕事場にもお邪魔して、作業も見せてもらう。  

    お茶をいただいたら、さっそく『へそ』というお菓子がでてきた。袋をよく見ると、

  「古里や 臍の緒に泣く 年の暮れ」

Img_2162と、やはり例の句が印刷されていた。

 芭蕉44歳。亡くなった母親の法事で、伊賀上野に帰郷された時に作られた句だという。母親と自分とを繋げてい干からびた臍の緒に、母親の広大なご恩徳のすべてを感じられて、追慕されたのであろう。

 この故事を教えてくださったのは、羽栗行道師の『心身の革命』だった。Hさんが、仏法と出会ったのは、この羽栗行道師のお弟子さんの先生だというのだから、これもまた浅からぬご因縁。

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「念仏と黙想と、語らいの集い」案内

   緊急連絡-聞法旅行中止と代替法座のお知らせ-

 Tさんの勧誘の努力も空しく、実施定員に達しなかったので、今年の聞法旅行は中止となりました。残念です。楽しみにしておられた方には、たんへん申し訳ありません。
 同時に、代替法座を提案いたします。以前より、密かに温めていた構想で、温かい雰囲気の中で、厳しく自己内省できるような法座を目指してまいります。

   ☆「念仏と黙想と、語らいの集い」☆

◎日時:9月13日(土) (受付1時30分)昼2時~14日(日)夕4時半
◎会場:華光会館(宿泊法座・通いや1日のみも可)
◎参加費:10,000円(同人=8,000円・聞法旅行申込者=6,000円)
      (1日のみ=一般=5,000円・同人会員=4,000円)
◎宿泊費:3,000円(食事は各自)・◎懇親会費:500円
◎〆切:9月11日(木) 至急お申込ください。

◎内容:
  原始教団の法座の原点に帰り、お念仏と、黙想(沈黙)、自由に法を語り合う時間を過ごしましょう。そして、従来の分級座談会の傾向を破っていければと願っています。
 ともすれば、分級座談会は、単なる世間話、他人任せの沈黙、または、未信者や初心者へ発言を強いたり、相手に変化を迫って、操作的に接する態度となったり、または、正義が強信者(自称)側にあって、それに合わないとなかなか安心して、自分を出すことが難しい雰囲気の時もあるように思います。
 それで、今回は、お念仏(称名)と、静かな時間を繰り返し持ちながら、随時、喜びや体験談・法味、質疑などの時間をもってまいります。お念仏は、他人ではなく、自己の殼を破るはかりです。信、未信を問わず、共に自分をうち出し、喜びや味わいを語り合い、分かち合う。そんな集いを目指します。
  急な告知ですが、聞法旅行に申込みのなかった方もご参加いただけますし、1日だけの参加でもかまいません。皆さん、奮ってご参加ください。

「(野口道場の同行たちは)、口々に言うことが違っているが、しかし大きな点は如来に統一されている。他の法席では、如来を見ずに善知識ばかりが見えるが、ここでは知識は見えずに如来ばかりが見える。中心は如来様で、人間の言葉は単なる発声器に過ぎない。如来はこうだとか、ああだとか理屈をこねる人がないだけに、如来様が全体に輝いている。それらの言葉によって自己を証明され、反省され、沈黙のうちに会得する-私はよい同行の団体を知ったと思って喜んだ。」
   (伊藤康善著・『仏敵』より)

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訃報

 朝、「だいだいお察しかと思いますが、」とのFさんの第一声。Fさんかの電話は珍しいが、それでも、すぐに想像がつかないでいた。東京同人のMさんの訃報を耳に、「エッ」と驚くばかりだ。  

    8年以上、ガンの闘病生活をされながら、小康状態になられては、東京法座に顔をだしてくださっていた。その間にも具合が悪くなって苦しい治療されたりを繰り返しながら、看病されていたご主人を逆にお見送りになった。それが、回復に向かわれて、昨年の5月には、8年ぶりに華光会館の行事にも参加された。その様子が、今年の新年号の華光誌を飾ったばかりだった。

 ところが、その後、収まってはずのガンが再発。入退院を繰り返すようになられていた。それでも、7月の壮年の集いの前には、会館へもメールもたいだき、今回は、お会いできなくても、またの機会にお見舞いに窺いたいも思っていた。1週間前の東京法座の時には、「このところ連絡がないんです」との法友の話に、ひっかかりはしたいが、何度も苦しい闘病を乗り越えられたMさんのことだから、また今度も乗り越えられるだろうと楽観視していた。  

  上品で、静かな印象もありながら、一筋芯の通った念仏者だった。同人の皆様の信頼も厚い、いわば東京支部の長老格といってもいい。念仏に篤い母親に育てられ、東京でもさまざまなご法縁を求めてご聴聞されていたが、悟朗先生に出会われてから、不審を不審とせずに、真実を求められたという。

 昨年のSさんのご逝去といい、東京のお世話役の相次ぐ訃報。若い時から、お育てをいただた、思い出深いお方のご逝去に、凡夫の情としては、悲しく、だだただ無念でならない。しかし、どれだけ亡くなった方を慕っても、時間が戻ることはない。  ただ、お念仏を喜び、ご相続させていただくことが、大きなご恩徳の一旦に触れることになるのだろう。

   南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏  

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前倒し

  久しぶりのプログ更新だ。

  8月は、 9日から17日までの法事やお盆法座があり、19日~21日の広島での真宗カウンセリングWS、22日~23日は東京支部法座、27日は華光誌輪読法座と、30、31日、9/1日の3日間は高山支部法座と、宿泊法座行事も続いた。

 もちろん、多少、台風や大雨の影響で、お盆の日程が前後したり、予定外の年忌を受けたりしたものの、最初から了解すみの日程である。 ところが、これがさらにタイトになったのは、予定外の仕事が入ったからである。

  ひとつは、体調の具合で、父の通院が増えたことだ。内科、泌尿器科、肛門科、皮膚科、整形外科、眼科に、歯科……と、たぶん小児科と産婦人科以外は、すべて通っているのではないかと思うほどの病院通いが、今週は検査の都合で、送迎や付き添いが増えたこともある。

 そして、もう一つは、予定外どころか、メーンの仕事なのだが、例年なら、9月に入ってから始める予定の華光誌編集作業が、事務所の都合で、2週間前倒しになったからだ。おかげで、お盆のハードな法座日程の合間に、作業をすることになって、正直、これはちょっとたいへんだった。 多少、校正のところで、心配もあるが、頑張った甲斐あって、本来16日渡しの予定が、今日、2日に印刷所に渡った。ほんとう2週間早い仕事となった。

  今号は、継職法要特集号を兼ねているので、乞ご期待である。

 大変だったが、その分、今月は余裕ができたので、山積みの課題に取り組む、チャンスをもらったようで、楽しみでもあるし、ちょっと億劫でもあるけど、、、。

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