広島CO・WS(2)「真宗」と「カウンセリング」
ところで、今回のワークで、「真宗」と「カウンセリング」の「と」がテーマだという人があった。実は、ぼくにとっても、この「と」が、真宗とカウンセリングを学ぶ上で、大切なところである。
少し小難しい話になるけども、西洋で生まれた心理学であるカウンセリングと、東洋の伝統ある仏教、中でも浄土真宗が出会いの中で、真宗側の最大の成果は、浄土真宗の本来性、その使命に回帰することであった。長年の因習によって身についた非真宗的な習俗や体質、さらには伝道や布教の弊害が、新しい出会いによって、気付かされ、破られて、浄土真宗は浄土真宗のままで、その本来の姿に帰ることができる可能性があるというのだ。
まずは、「真宗」に出会い、目覚めた人達が、次に、「カウンセリング」と出会い、それぞれの個人の中から、それは生まれてきた。たとえば、ぼくの父が、ロジャーズのカウンセリングに出会った時、「伝道者失格!」との深い懺悔が、そうである。そこには、単なる、真宗伝道の手段というか、道具としてカウンセリングがあるのでもなく、また真宗が優位で、カウンセリングが従者でもない。真宗の真実性を絶対化していた、驕慢な自己が破られたといっていい。
逆に、せっかくのカウンセリングの学びが、単なるテクニックや表層的なものに留まっていたら、生身の「私」には届かず、身につくこともないだろう。カウンセリングの場で学びながら、そのようなところで留まることは、時間も労力も無駄にして、実に勿体ない。
とはいうものの、真宗者が、その小さなプライドを捨てて、カウンセリングそのものを、虚心坦懐に学ぶことは、なかなか難しいとの実感もある。
私の側、機に真実はないと言いながら、法の真実に執着する、一種の法執を破るのは、なかなか至難の技だからだ。
結局、そこで、私がお聞かせに預かったいるものが問われてくるのであるから、ご法はなんともおそろしい。有難そうな言葉は並べても、結局、生身の「私」が顕になるのである。
ところで、西光義敞先生は、とても慎重に「真宗カウンセリング」という言葉を使われていた。「真宗カウンセリング研究会」と名乗りながらも、長らく「真宗カウンセリング」とは名乗られず、「真宗」と「カウンセリング」という表現をされた。真宗の○と、カウンセリングの○の二つの丸を、重ねて描きながら、その接点の「と」のところに私がいるのだというお話が、定番だったのだ。
真宗カウンセリング代わりに、「仏教カウンセリング」は使われた。藤田清という先駆者があったからだ。だから、龍谷大学のカウンセリング課程の授業も「仏教カウンセリング」だった。
そこで、たびたび、真宗者の木に竹を継ぐような、拙速なカウンセリングの学びに、警鐘ならされた。ぜひ、真宗者は、謙虚に、真剣にカウンセリングを学んでほしい。また、カウンセラーや心理療法に関心のある方も、日本の仏教、大乗の至極である浄土真宗に、真摯を求めてほしい。そしで、両者が、研究レベルでも、実践、体験レベルでも、交流と統合を目指してほしいとの願いで、真宗カウンセリング研究会が設立されたのである。そこにも、「真宗」と「カウンセリング」の交流と統合を求めることが、本会の独自の性格と使命であるとうたわれている。
真宗カウンセリングを名乗られたあとも、単なるセクトの布教の道具、手段としてしか扱われないなどの誤解もあって、真宗カウンセリングから、DPA(ダルマ・ベースト・パーソン・センタード・アプローチ(注2:ただし、Y氏が指摘するように、ダルマベースト、つまり法を根底においた、パーソン・センタード・アプローチなのだから、正確には、D-pcaと表記するのが相応しいように、ぼくは考えている)と名乗られるようになった。これは、PCA(パーソン・センタード・アプローチ)に因んだものだが、敢えて、分かりづらい用法でも、「真宗カウンセリング」の言葉から安易な誤解を避けたかったのであろう。ほんとうに言葉とは厄介なものである。
結局、外郭としての「真宗」や「カウンセリング」の出会いではなく、浄土真宗によって目覚めた「私」と、カウンセリングとの出会いによって、その非真宗的なものに気付き、本来性に回帰させられていく「私」とは、別々の「私」ではなくて、まずこの「と」のところで、交流し、統合されていくのである。
今回の集いは、その原点を、集まった菩薩方が、大芝居で、ぼくに伝えてくださったようにおもえった。まさに権仮の仁であった。
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