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お母さんへの請求書

 子ども大会で、小学校の道徳の時間にある「ブラッドリィーからの請求書」という話を聞く。よく「お母さんへの請求書」としてご法話でも聞いてきた話しだが、今日は、道徳と仏教との善悪とご恩の違いという点も含まれたお話だった。

 単なるお話に終わらないで、みんなも親のご恩について、筆記しながら考えることになった。限られた時間の中で、いろいろと思い出す。

  最初は、「産んでもらいました」「お乳をもらいました」「おしめをかえてもらいました」「あやてしもらいました」などと記憶のないものから始まり、「3度3度、食事を作ってもらいました」「洗濯をしてもらいました」「服を買ってもらいました」などと漠然とした、大雑把なことを書くうちに、子供のころの具体的な記憶が、場面や親の表情と共に蘇ってきた。一つが蘇ると、芋づる式に次々と出てきた。少し物心をついて、はっきりと記憶に残っていることだけでも無数にある。

 たとえば、父親のことだけと、
「書道を教えもらいました」
「絵を教えもらいました」
「工具の使い方を教えてもらいました」
「あいさつの仕方を教えてもらいました」
「将棋を教えてもらいました」
「キャッチボールを教えてらいました」
「竹馬を作ってもらいました」
「ゲームをして遊んでくれました」
「トランプの遊び方を教えてもらいました」
「自転車を買ってくれて、乗りかたを教えてくれました」
「木製の船を造ってくれました」(子供のころの宝物)
「地震の時、守ってくれました」
「スリッパを揃えるように、何度も何度も言ってもらいました」
「タオルの絞りかた、かけかた、繰り返し繰り返し教えてもらいました」
「チョウチョウ結びを教えてもらいました」「勉強も教えてもらいました」
「夏休みの宿題を助けてもらいました」
もちろん、「手を合わすことを教えてもらいました」
「食事の言葉を教えてもらいました」
「お念仏を教えてもらいました」
「お経を教えてもらいました」

 大人になるプロセスでも、
大学に入った時に「お祝いに背広を買ってもらいました」
「ネクタイの結びかたを教えてもらいました」
「しっかり勉強できるように、学費をだしてもらいました」。

 いやそれどころか、仕事のひとつひとつ、また社会での振る舞いや人間関係のひとつひとつ、親らか教えてもらったものだ。  

 父親だけでも、ほんの一部。数えたら無数にあることに、驚いた。  ましてや、産み、育ててくれた母親となってら、どうか。こちらも、具体的なビジョンがひとつ浮かんだだけで、芋づる式に出てくる。

 こうして、人間らしく生きるすべを全て、両親から教えて頂き、そして育んでもらったのた。嗚呼! 何一つとして親のおかげでないものはない。すへて教えて頂いた、頂き物なんだなー。

 でも、いま自分はどうか。
 そのご恩をみごとに忘れて、親の上に立って見ているのである。いや、そこまで育てていただいたのである。まさに、内省の世界の三角の図の◎のお山の大将で生きているのである。  ましてや、仏さまのご恩徳となれば、どうか。

  仏さまの教えは、その姿をありのままに照らしてくださるのだ。                                         

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