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2014年8月の18件の記事

丁寧に関わる

 広島のWSの最終日、就寝中、前歯が外れた。学生時代にインプラントにしたが、それが下手な治療で、年とにも合わなくなってきて、長い。なんとか騙し騙し持たせているが、いつダメになるか分からない。
 朝一番で上桂の歯医者で治してもらって、そのまま自力整体へ。

 今日は、会場の都合で、いつものK先生ではなくて、10年以上、共に自力を学んできたNさんがリードくださる。お互い予定外で、ちょっと驚いたが、スーッと体に身についた慣れた動きを、一つ一つ 、丁寧に意識しながら、動かせていけた。指の広げかた、手のつきかた、そんな日頃は意識していないところにも、目配せすることで、丁寧に動けて、とても新鮮な時間となった。

 たとえ、それがいいことであっても、慣れないことは、体が抵抗したり、ギクシャクしたりするものだ。でも、何度か繰り返すことで、身につき、抵抗なくできる習慣となっていく。しかし、マンネリ化すると、今度は「なれ」て、安易にすませてしまうようになる。どうせなら、正しい習慣を身につけて、楽な方や安易な方に流れずにいきたいものだ。

 終了後、懐かしく立ち話。たまたま他にも、10年来の生徒さんもご一緒。ぼくも近況も話す。何年かぶりに合うのに、皆さん、ぼくのことをご存じなのが、面白かった。もっとも、Yさんに西宮の本部で会ったらしい。

 ランチも誘われたが、広島での飲み疲れもあって、体の声を聞いて食事は控え、京都シネマに向かう。映画の開始まで20分しかない。

  楽しみにしているインド映画だ。

 

 

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広島大規模土砂災害

Img_2118 広島での真宗カウンセリングWS。精神的に元気のないM先生を引っ張りだした。
 華光会の同人、地元の住職、経験者、初めての参加者と。人数も、顔ぶれも、計ったようにバランスが整った顔ぶれで楽しみだ。

 夜、打ち合わせを終えて、入浴する。温泉の浴槽からは、広島市内の夜景が眺望できる総ガラス張りで、眺めがよくて、リラックスにはもってこいだ。

 でも、今夜は、それが恐ろしかった。激しい雷雨となって、稲妻のたびに、ガラス一面が閃光に輝き、浴槽全体が光に包まれたかと思うと、大きな雷鳴が轟くのだ。稲妻が見えるというのではなく、ガラス全体が光となる。露天風呂のドアはあいたままで、雷が中に入ってくるかのようで、怖くて、そうそうに引き上げて、懇親会へ。

 みんなでワイワイやっているうちは、気にならなかったが、夜中にかけて雷雨は強くなってくる。
 そして、夜半。宿舎にも雷が落ちたのだ。おお、おそろしい~

 しかし、朝には雨も止んでいる。「昨晩は、すごい雷雨でしたね」「朝まで、眠れませんでしたわ」「どこに落ちたんでしょうかね」などと、のどかに朝のあいさつをかわしていた。まだ同じ広島市内で、甚大な被害が起こっていようとは、夢にも思っていなかったのだ。

 だいたいWS中は、ニュースやメールなども見ず、世間から隔離された日を過ごすのだ。たまたまロービーで朝ニュースを見ていた人から、報告が入る。参加者には、安佐南区の人もおられる。死者が出た安佐南区の山本には、同人のご夫婦。甚大の被害を受けた八木の、梅林には義理の祖父、祖母(もう亡くなっているが)が住んでいて、お正月にご挨拶に窺っていたところだ。安佐北区の可部東は、妻の実家があったところで、可部線沿いは、知り合いが多い。

Img_2124 休み時間、知人や同人に安否確認のメールや電話。翌日までには、だいたい連絡がとれて、こちらは一安心。しかし、被害が明かになるにつれて、想像以上にひどい災害となって、胸が痛む。3日間、広島にいたが、消防や救急車のサイレン音と、ヘリコプターの音が、途切れることはなかった。しかし,それ以外の広島市内は、いつもと変わらない平穏な風景で、ニュース報道とのギャップが、なんとも言えぬ気持ちにさせる。

 いまは、出来ることは少ないが、参加者からの提案があった。広島でWSを開いているのも、何かのご縁、少しずつだが義援金を集めることにして、広島の方に託すことにした。 

 無常の厳しい現実に、涙。

                                

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お母さんへの請求書

 子ども大会で、小学校の道徳の時間にある「ブラッドリィーからの請求書」という話を聞く。よく「お母さんへの請求書」としてご法話でも聞いてきた話しだが、今日は、道徳と仏教との善悪とご恩の違いという点も含まれたお話だった。

 単なるお話に終わらないで、みんなも親のご恩について、筆記しながら考えることになった。限られた時間の中で、いろいろと思い出す。

  最初は、「産んでもらいました」「お乳をもらいました」「おしめをかえてもらいました」「あやてしもらいました」などと記憶のないものから始まり、「3度3度、食事を作ってもらいました」「洗濯をしてもらいました」「服を買ってもらいました」などと漠然とした、大雑把なことを書くうちに、子供のころの具体的な記憶が、場面や親の表情と共に蘇ってきた。一つが蘇ると、芋づる式に次々と出てきた。少し物心をついて、はっきりと記憶に残っていることだけでも無数にある。

 たとえば、父親のことだけと、
「書道を教えもらいました」
「絵を教えもらいました」
「工具の使い方を教えてもらいました」
「あいさつの仕方を教えてもらいました」
「将棋を教えてもらいました」
「キャッチボールを教えてらいました」
「竹馬を作ってもらいました」
「ゲームをして遊んでくれました」
「トランプの遊び方を教えてもらいました」
「自転車を買ってくれて、乗りかたを教えてくれました」
「木製の船を造ってくれました」(子供のころの宝物)
「地震の時、守ってくれました」
「スリッパを揃えるように、何度も何度も言ってもらいました」
「タオルの絞りかた、かけかた、繰り返し繰り返し教えてもらいました」
「チョウチョウ結びを教えてもらいました」「勉強も教えてもらいました」
「夏休みの宿題を助けてもらいました」
もちろん、「手を合わすことを教えてもらいました」
「食事の言葉を教えてもらいました」
「お念仏を教えてもらいました」
「お経を教えてもらいました」

 大人になるプロセスでも、
大学に入った時に「お祝いに背広を買ってもらいました」
「ネクタイの結びかたを教えてもらいました」
「しっかり勉強できるように、学費をだしてもらいました」。

 いやそれどころか、仕事のひとつひとつ、また社会での振る舞いや人間関係のひとつひとつ、親らか教えてもらったものだ。  

 父親だけでも、ほんの一部。数えたら無数にあることに、驚いた。  ましてや、産み、育ててくれた母親となってら、どうか。こちらも、具体的なビジョンがひとつ浮かんだだけで、芋づる式に出てくる。

 こうして、人間らしく生きるすべを全て、両親から教えて頂き、そして育んでもらったのた。嗚呼! 何一つとして親のおかげでないものはない。すへて教えて頂いた、頂き物なんだなー。

 でも、いま自分はどうか。
 そのご恩をみごとに忘れて、親の上に立って見ているのである。いや、そこまで育てていただいたのである。まさに、内省の世界の三角の図の◎のお山の大将で生きているのである。  ましてや、仏さまのご恩徳となれば、どうか。

  仏さまの教えは、その姿をありのままに照らしてくださるのだ。                                         

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「花は咲く」

Img_2109  お盆参りの最後は、京都支部法座を兼ねたM家の家庭法座。
 法話や信仰座談会が終わって、皆さんと共に会食。

 青春時代の音楽のサークルが、ご夫婦の出逢いの場であり、今も共通の趣味は続いている。それならば、一度、ご主人にギター演奏をお願いするとにした。夫のギター、妻の歌で「花は咲く」が始まると思ったら、全員に歌詞が配られて、ここから歌唱指導が始まる。みんなで、「花は咲く」を合唱する。

 皆さん、法座の緊迫感や堅い表情とは違って、イキイキと声を出しながら、楽しい時間を過ごした。皆さんの違う一面に触れることができるようで、よかったなー。

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大文字送り火

 
Img_2105_2 屋上の風景は、年々変わっていく。

  小さいながらもi、妙法以外の4つが見えていた大文字も、大文字が見えなくなり、一番くっきりしいた船形もダメになり、とうとう左大文字と、鳥居形、2つになってしまった。しかも電線やビルの間で、不完全しか見えない。毎年、見ている熟練(?)した目でないと、どこにあるのか見つけられないだろう。

 
Img_2104_2 カミナリが、時折、空を明るくするのを畏れた下の子は、Rちゃんと早々に退散。しかし、伝統行事には興味のある上の子と、粘った甲斐があって、小さいながらクッキリと見えてきた。昼間の大雨で、点火までに時間がかかったのかもしれない。

 もう来年以降は、何も見えなくなっているかもしれない。
 結局、記憶というのか、思い出だけが残るのだろうか。

 

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大雨の三十三回忌

Img_2082    大雨と台風で始まったお盆まいり。今日も、昼間から雷雨となって、瞬間、停電までする。子供たちと昼を食べるころにとは、少しは小雨になった。

   鞍馬街道の鴨川の上流へ向かう。会館を出て堀川通に入るところで、渋滞。いくら京都の16日とはいえ、まったく動かない。「2㎞先、道路破損のため渋滞中です」とのナビゲーション。事情が分からなImg_2093いが、脇道を進む。どこも混んでいて、四条大宮から堀川通りに出て、びっくりした。道路から、水が溢れて、道が隆起しているのだ。ニュースで、急激な雨で、下水管の水がマンホールに逆流して、持ち上がった映像が映し出されていた。そこをすぎると道は空いてきたが、今度は鴨川沿いの山道を進む。山からの湧き水で冠水している箇所もあって、かなり遅刻となった。

 でも、大雨の中でも、ここまで来た甲斐があった。

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 ここは、静かに、フクシマの問題を、自分たちのやり方で取り組む若いご夫婦だ。声高かな反対運動ではなく、自分たちのできることを行動されている。

  祖父にあたる方の33回忌法要を兼ねたお盆だったが、勤行も、お正信偈の節やビート(ミュージシュンなので)を熱心に質問され、大声で勤行され、法話も、熱心に質問され、頷きながら聞かれて、家族でも質問に応えられる。最後は、一念の信仰体験について、また救われるものと、迷いを繰り返すものとの縁の違いについても、するどく聞かれたりと、質疑だけでも、1時間も続く。行き帰りも含めると4時間以上を1軒に費やしているようようでは、お盆参りなのか、法座なのか、分からい。でも、真剣に、また興味を持って語ったり、質問されたりすると、こちらも、楽しくて時間も経つのが早かった。縁とはいえ、いろいろなお家があります。

 帰路は、かなり小雨になっていたけれど、今夜の大文字はあるのだろかと心配になるほどの大雨で、いつもは川面で子どもたちが遊んでいる(親水公園がある)鴨川も、濁流となって流れていた。

 

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東寺万燈会と盆踊り

Img_2025 お盆。各寺院で、法要や行事が営まれる。たとえば、京都では、大谷祖廟の万燈会が有名で、大小1万個の提灯に明かりが灯る。

Img_2029 今夜は、東寺の万燈会と盆踊りだ。

 子供たちのお目当ては、夜店だ。
 露店の数は少ないが、それでもスーパーボールすくいやスマッシュゲームをしたり、りImg_2022んご飴やかき氷を食べるのも、楽しい。

 下の子が、東寺保育園に通っていたので、Img_2046ある意味、庭のようなものだが、盆踊りのことは覚えていないという。実は、Img_20491度だけ、それも6年ぶりぐらいなので、記憶もないのだろう。が、いろいろ話しているうちに、駄々をこねて光る指揮棒のようなものを買った顛末を、思い出した。同じ場所で、同じものが売っていたからだ。

 
 人込みの中で、お世話になった保育園の園Img_2059長先生ご夫妻を見つけた。休日にも、うちの子だけを預かってもらったり、わざわざバImg_2035レエ教室を見に来てくださったりと、たいへんお世話になってきた。5年ぶりだが懐かしい。

 さて、法要も終わり、吹奏楽の演奏も終わり、長者様のあいさつ(終戦の日ということもあって、自らの戦争体験にも触れて平和の大切さを語られた)も終わって、人出も多くなってきて、さて盆踊りということろImg_2060で、急に雨が降りだした。最初は、降ったり止んだりだったが、強く降り出して、誰も踊る人がない。それでも、櫓の上Img_2077では演奏と音頭が続いていたが、結局、20分ばかりで打ち切りとなった。雨が降るのは予報どおりだが、予想より早く降り出した。

 雨は止みそうにない。自転車で来たぼくたちImg_2017も、小ぶりを待って帰ることにした。夏なので、少々濡れても大丈夫だった。その後、京都市に、大雨・洪水警報がでるほどの雨になったことを思うと、この時の選択は正解だ。

  これもまた夏の思い出。
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線香花火

Img_1971_2 8月は、妙な天気が続く。

 ホンモノの花火大会が中止になったので、屋上で地味な花火大会。でも、町の真ん中では、打ち上げやロケットなどは無理で、線香花火のような地味なものだ。

 Img_1998買ってきたばかりのに、なかなか点かない。火薬の量が少ないのかな。

 満月は過ぎたが、月は大きい。昨夏にはなかった任天堂の新社屋が明るく照らす。近くに南警察署の新築工事も始まって、十条通の雰囲気もずいぶん変わってきた。

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お盆参り  

   朝からお盆参り。宇治や伏見の南が中心に回る。

   ミニ法話、「死んだら、地獄、極楽はあると思いますか?」と単刀直入に問う。「わからない」という答えが多い。確かに、凡夫の私には分かるはずのないことだし、有無の二見ではないが、迷いの衆生が実体としてとらえるような地獄や極楽はない。  

しかし、死んだらそれでお終いではないのだ。誰も厳然たる業の道理を逃れることはできない。その事実を聞かせていただいてこそ、阿弥陀如来の大願業力で成就された浄土が、燦Img_2010_2然と光輝く。どうか、命ある元気なうちに、その大願に出会わせてもらいましょうと、共にお念仏させていただく。  

   午後から、華光会館でのお盆のお勤め。子供たちも御参りしたし、得度を前にRちゃんも法衣姿で登場。昨年のぼくのブログの記事をみたF君が、朝に引き続いて御参りされて、例年よりも、にぎやかな顔ぶれ。

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75回忌

 この夏は、もう一軒、年忌を頼まれた。

 といてっも、節目の回忌法要ではない。産まれて、まもなく亡くなられたお母様の年忌法座とし開かれた。あまりにも幼くて、母親の愛情を知ることはできなかったが、それを不憫に思われた祖父母に愛情を受けて育てられたというのである。

 50回忌がすむと、100回忌だと思うが、年数にかかわらず、一度、御参りして、娘さんやお孫さんにご縁を結んでもらいたいという願いから実現したのである。  

 一緒に勤行した。大きな声でお念仏されるのが、うれしかった。30分ほどご法話。それから1時間以上、質疑があったり、感想を話し合ったりと、充実した時間をもつことができた。これまでご縁がなかったお嬢さんが積極的に聞法し、内省されている姿が、文句なく尊かった。お育てをうれしく思った。  

 結局、法事は、亡き人を供養し、回向するためという世間の常識を超えて、実は、亡き人のお働き、ご縁を通じて、ここに仏縁を頂き、阿弥陀様の他力回向に遇わせていただくのが、浄土真宗のすばらしいところだ。そして、それが、この私のところでお聞かせに預かっていく世界があることを分かち合えた。

 これがほんとうの意味での法供養ではないか。皆さんも、年忌や法事を、儀式で終えないで、私がご聴聞させてもらえるご法座として、開かれてはいかがでしょうか。

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『思い出のマーニー』

 今夜は、宇治川花火大会を楽しみにしていたが、台風の影響で、中止になった。雨は降っていないが、大雨後の宇治川の増水を心配してのことだ。昨年の福知山花火大会の大事故のことを、主催者は考えたのだろう。

 家でおとなしくしていてもよかったが、家族で映画に行くことにした。子供たちの希望は3つ。二人は『るろうに剣心』と、特に下の子が、ディズニー映画『マレフィセント』、上の子は『思い出のマーニー』を強く勧めた。話し合いの結果、ジブリの『思い出のマーニー』』になった。この時期、夏休みのシネコンは、他にもドラえもんとか、ゴジラなどのファミリー向や娯楽作ばかりである。  

 で、ほくは映画館では、初のジブリ映画である。  

 宮崎駿も、高畑勲もかかわっていないが、ある意味で地味なストーリーだか、これがよく出来ていて、感激した。  主人公は、幼少期のある出来事から、心に傷を追って、自己の存在を否定し、嫌っている女子中学生という設定。同じ中学生の上の子に完全に共感したらしく、涙を流して、感激していた。  ぼくも、いつ「お母さん!」と言うのだろうかと待っていると、なるほど、ここですか。子供ならずとも、親の立場としても、父親だって涙ぐむのでした。  

 物語は、ある意味、特別な生育環境にある話だが、もしそうでなくても、子供から大人へと向かう思春期においては、誰もが通る葛藤のプロセスである。ほんうとに自分自身で自分をを受け入れていくこと。さらに、母子関係においても、真の親子となっていくプロセスほど、難しいものはない。実は、真に私自身を受け入れてくれる他者に出会った時にのみ、受け入れ難い自分を、自己受容出来る核が出来上がるのではないか。

 ただし、ほんとうは、これだけ大きな傷を乗り越えるには、少々、プロセロが性急すぎる感もした。行きつ戻りつの葛藤経験などが描かれていると、さらによかったと思う。そうなると、映画としてはスッキリとしなくなるが、ほんとうはそこが大事だと思った。受容することは、一見、それでスッキリ完結するように思えて、行きつ戻りつすることで、それとの付き合い方を学ぶことであり、そのプロセスが、実は人を成長させると思うからだ。  

 でも、詩的で、静的な丁寧な映像もとても美くて、成長期の子供と観るにはお勧めです。  

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台風中のお盆参り

 お盆のこの時期に、台風が近畿を直撃するのも珍しい。

 今日は、宇治方面へのお参りを予定していた。なぜか10軒にも満たない檀家が、このあたりに点在しているからだ。  ところが、台風を心配されて、日や時間の変更の電話がある。思い切って、全部切り換えられたらいいのだが、わざわざこの日に帰省されている方もあって、こちらの思いどおりにはいかない。1日で終える段取りが、結局、午前と午後、さらに翌日と、3回に分散することになったが、天候のことは仕方がない。

 雨はかなり強く降っている。視界が悪くて、徐行して走る。降りると足元が不自由だ。それでも、悪いことばかりではない。例年、猛暑で汗だくになるが、今年は蒸し暑くても、25~6度とかなり涼しくて、体は楽だ。昨年のこの日は、38度まで上昇している。雨はドンドン強くなってくるが、なんとか午前の御参りを終えて帰宅。

 午後、宇治の炭山にある山間のお家へ。いつもの道が通行止めになっている。雨が弱まった夕方から、別ルートで向かう。ほんとうは日をかえてもらいたいところだか、この日に合わせて東京から帰省されているので、仕方がない。車のナビには出ないコースで、濁流の川沿いを、路肩の緩みに注意しながら進む。枝や竹が折れて、道路を塞いでいるところもある。一昨年のお盆に、この川が氾濫して、家が流されたり、山崩れで、大きな被害があったところだ。グルグル迂回したり、なぜか同じところをクルクルと回ったりと、迷いながらも、やっと到着した。ちょっとハラハラドキドキのお盆参り。こんなことがなかったら、まず出かけないだろうし、絶対に通ることのない道を通られてもらった。宇治にもこんな山奥の道があるのだと、逆に感慨深かった。  

 お盆の二日目も、無事に終了した。

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一周忌

   今年は、お盆参りとは別に、同人の年忌を2軒引き受けた。いずれも、単なる法事ではなく、家族へ仏縁を結ぶための法座として開いてくださるというので、快諾させていただいた。  台風の影響で、朝から強い雨が降っている。

 大阪の島本町の同人宅へ。長らく大阪支部家庭法座も開いてくださっていたので、何度かお邪魔してこともある。ご長男とは同級生で、子供大会や仏青大会でも顔なじみだが、最近は、仕事も多忙なのか、ご無沙汰気味。これを機会に、またご縁ができればと願っている。

 一周忌ということで、親戚も御参りくださる。一緒に、『阿弥陀経』をお勤め。慣れない漢文のお経は、息継ぎなども難しいと言われたが、声に出してくださった。

 法話は、お経の意味と、その心について。経とは、教であり、鏡であること。死者や先祖供養ではなく、ほんとうの私の姿を照らす鏡であること。教えに照らされた、私の姿は、迷いそのもの、闇そのもので、その行き先を照らしてくださるのが教えだという意味のことを、簡潔にお話したつもりだ。特に、仏の子供大会での、アメリカから御参りされた女の子が、地獄のスライドを見て、「ほんとうのことが聞けてうれしかった」と涙を流して喜んでくれたこをお話した。虚勢でも、偽りでもない、恐ろしくても、ほんとうに自分に出遇うことこそが、幸せなのである。  でも、ご聴聞のご縁のあるご家族の方は、頷きながら聞いてくださったが、親戚の方は、反応が悪い。まあ、一度に進む事はないので、逆に遠慮せずにお話していきたいな。  

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伊勢志摩の旅(3)鳥羽水族館

Img_1769   真珠島の近くの鳥羽水族館へ。

 子供たちは初めてだが、ぼくは、3度目になる。しかし、あまりにImg_1924も昔のことすぎで、古めかしい(なにせ40年以上前だ)ことしか覚えていない。いまは、すっかりきれいになり、展示方法やショーに、飼育数も日本一と、人気のスポットになってImg_1776いる。  

 日本で唯一飼育されるが「ジュゴン」や、かわいい「スナメリ」は昔からの一番人気だったが、いImg_1748_2まや、「ダイオImg_1740ウグソクムシ」など、一昔前ならスルーされたような、深海や奇妙なな生き物のコーナーが大人気である。  

Img_1734  ちょうど、セイウチのショーが始まるとImg_1741ころだ。これが、イルカと違って、面白おかしい演出の大爆笑ショーで、みんな大喜びだ。最後にImg_1697は、ぬるぬるした体と、ゆでる前のパスタのようなヒゲ、Img_1716かなり生臭い口臭など、体重800㎞以上あるセイウチにも触れることもできた。六段腹に、少々体格がよすぎる人Img_1724もスリムに見える。

 楽しいショーだったが、楽しくて、後で、どこかもの悲しくなるのは、何故Img_1901か。

Img_1795 さらに、イルカ島よりも洗練されたアシカショーも面白く、工夫されていた。  結局、今日は、1日に2度のアシカショーと、イルカと、セイウチの4つも海獣ショーを観ることになった。    

Img_1807 午後からの入館だったので、最後は、ちょっと慌ただしく、結局、閉館時間まで楽しむことができた。  ぼくの写真のテーマは、魚たちを正面から撮ることだった。魚の絵を書くとき、9割は、なぜか左に頭の横向きのものを描くからだ。正面からみる姿も、なかなかユニークだったなー。

 3日間の小旅行を堪能できました。
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伊勢志摩の旅(2)イルカ島からミキモト真珠島へ

Img_1560  2日目は、同じ志摩でも、合歓の郷(ねむのさと)に宿をとる。ほんとうは、昼過ぎに入って、ここでアウト・レジャーを楽しむ予定だったImg_1604が、楽しかったので、パルケで遊ぶことになった。ここも宿泊するだけでは勿体ないほど、緑豊かで広い。特に、露天風呂からの伊勢湾と太平洋の眺望が最高。霞むつつも、夕日に映えて幻想的で映しかった。

Img_1576 翌朝は、鳥羽で島巡りをした。小学校の修学旅行以来だから、記憶にない。途中、イルカ島に上陸したが、すごーくしょぼいImg_1586イルカショーと、別料金が必要なリフトで移動して、山頂でアシカショーを観た。リフト代、1人500円也を払うほどの値打ちのないショーだったが、皮肉にも、子供たちが一番喜んだのが、このレトロなリフトだった。Img_1625最近、見かけないレトロさと、ちょっとした危なかさがうけたようだ。 Img_1606_3  

   船からは、カモメにエサやり。風が強くて、うまく船に近づきなかったが、うまくキャッチするものもいる。カモメより、トビがとりにくる。エサといてっも、人間が食べるアメリカ製のコーン加工のスナック。化学調Img_1646味料たっぷりの濃い味付け、高カロリーに、なんとなく違和感を感じつつも、餌付けImg_1650自体は楽しかった。

 ミキモト真珠島で降りて見学。もう40年も前のことだが、御木本幸吉像の前での全体写真のことせ、いまでも覚えていた。ぼくたちも記念撮影をし、真珠博物館見学し、海女のショーをみた。観Img_1669光用海女の仕組まれたものだとは分かっていてImg_1664も、それなりに面白い。というより、小学生のことを思い出して、懐かしい気持ちがするのだ。ひとつを思い出すと、その場所にともなうことが、次々と蘇ってくる。記憶って、ふしぎなものだなー。  

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伊勢志摩の旅(1)志摩スペイン村~パルケ・エスパーニャ

Img_1117  7月の長崎旅行の予定は、部活の試合の変更で、今回は残念。子供大会とお盆参りに挟まれたタイトな日程中、伊勢志摩への2泊3日の家族旅行に出かけた。遊園地で遊び、海で泳ぎ、鳥羽水族館Img_1180_2や島巡りをする計画だ。

 でも、天気が心配だ。子供大会も、台風の影響で、グズグズした空模様。時々雨がImg_1175降ったりする、どんよりした天気が続いた。水泳も、強風で琵琶湖の波も高く、気温も上がらImg_1205ず、早々に引き上げてきた。引き続いて、次の台風が接近。今度は直撃の予報で、3日間とも雨マークだ。
 結局、旅行の翌日には、三重県に特別警報Img_1464Img_1397がでるほどの大雨となったが、旅行中の3日間は雨の影響はまったくなかった。3日間楽しんだ。

 出発前には、マImg_1276ダニ騒動で、下の子が皮膚科を受診、出発が遅れるというトラブルImg_1158もあって、お伊勢さんは行かず、志摩スペイン村~パルケ・エスパーニャへ。ぼくは16、7年ぶりで、まだ子供たちは産まれていなかった。

 夕方からで空いていた。並ぶことなくいろいろなアトラクションが楽しめた。いつも強気で、一番喜んでいる5年生の下の子が、実は、かなりのビビImg_1326リで、怖そうなのも、暗いところ、緩めの急Img_1170流すべりなどの高いものもダメで、低学年向きのアトラクションを一番喜んだ。まあ、ぼくも、怖いものは大丈夫だが、絶叫系はダメなので、似たり寄ったりで、この年だとからだImg_1141にやさしいものがうれしい。それでも、いろいろと楽しいアトラクョンがあって、ドキドキしたり、ハラハラしたり、かなり楽しめた。

 ここはアトラクョンだけでなく、スペイン風の街並みも美しい。今夜は、志摩スペイン村のホテルに宿泊するので、最後のパレードや花火まで楽しめた。ホテルでは、スペイン料理が待っていた。
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  豪華なホテル
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マダニ

Img_0765 子ども大会も、最後にご法の上でも盛会のうちに、無事に終わった。 

 責任者としては、まずは、事故やケガなく終わって、一安心。

 先生や高校生の4日間の慰労会も盛り上がり、ほっとして熟睡中Img_0813_2の早朝、電話の長いベルで目が覚めた。

 「マダニに噛まれて、医者を受診しました。見えていても、頭が残ったりするので、自分で処理してはダメ。高熱が出る恐れもあります。必ず、専門医に見てもらってください。同じ洗濯機で洗濯をして人もいますから」と、声は切迫していたが、こちらは寝ぼけた頭で、反応Img_0788_2は鈍かったが、その緊急性はよく分かった。

 宿というより、ハイキングで草むらを歩いた時かもしれないが、原因は分からない。確かに、会期中も、ダニのらうな虫に刺されていた人がいて、話題になっていた。でも、その時は、単なるダニか、ノミぐImg_0807_2らいに思っていて、みんなそれほど気にはかけていなかったのだ。

 でも、みんな、話を聞いただけでも、あっちこっち痒くなって、心配になるのは、ふしぎだなー。

 ネットなどで調べると、単なる虫刺されやダニとは違うようで、恐ろしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%8B

 さっそく手分けをして、参加の皆さんに緊急連絡をする。
 事務所の皆も、思い当たる発疹があったり、話を聞いて心配になって、皮膚科を受診した。が、すべて「アトピー」とか「単なる虫刺され」だったようで、今のところ、マダニの被害は他にはなく、大事にならずによかった。

 終わったからといっても、気は抜けないということだ。

        
 

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素晴らしかった仏の子供大会

  第63回の仏の子供大会も、盛会のうちに、無事、終えることができた。

  今年は、滋賀県マキノ町のマキノ高原の山の家が初めての会場だ。でも、個人的には、何度もマキノ高原や施設を利用しているので、このあたりのことは詳しい。水泳も、箱館山の会場の時と同じところだ。

人数が少なかったり、途中までの参加者があったりした点では、淋しかったが、遠く、アメリカかの熱心な参加者もあって、集い自体は盛会だった。

 特に、ご法の上では、担当した中学生~高校生の分級では、これまでにない真剣さで、ご法に取り組んでくれた。中学生の頑張りに、高校生ひきづられて、最後の分級座談会では、みんなが心を開いて、いままで閉ざされていた、より根のところの言葉を発せられて、みんなの心が動いて、自然と称名念仏となっていた。その姿勢はすばらしかったし、ぼく自身にとてっも、これだけ充実した座談の時間をもたせてもらったのは、何年かぶりだ。たとえ、スムーズに進行しようとも、ゲームでもりあがろうとも、また法話だけですばらしかったも、一人一人が、ご法と向き合わなければ、ほんとうの意味での仏の子供大会ではない。その意味でも、最終日の1時間は、密度の濃いつどいだった。大人の分級並というより、なかなか大人の座談会でも、これだけの時間はすごせないという内容だった。ぼく自身も、心をひらき、また率直に心をひらいて語ってくれた同行を前に、大慈悲心に触れさせてもらいながらギフトを贈ることができたが、仏さまの生きたお働きを喜ばずにはおられなかった。最後には、ぼくからも、すばらしい子供たちと仏法を語ることができて、「みんな、一緒にお念仏しくれて、ありがとう」と申さずにはなれなかった。

  詳しくは、また折々に語っていきたいが、お手伝いの先生方や保護者の皆さん、そして子供基金なで協力くださった皆さん、もちろん、お子さんを送り出してくださった皆さんに、御礼申さずにはおれない。南無阿弥陀仏。

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