75回忌
この夏は、もう一軒、年忌を頼まれた。
といてっも、節目の回忌法要ではない。産まれて、まもなく亡くなられたお母様の年忌法座とし開かれた。あまりにも幼くて、母親の愛情を知ることはできなかったが、それを不憫に思われた祖父母に愛情を受けて育てられたというのである。
50回忌がすむと、100回忌だと思うが、年数にかかわらず、一度、御参りして、娘さんやお孫さんにご縁を結んでもらいたいという願いから実現したのである。
一緒に勤行した。大きな声でお念仏されるのが、うれしかった。30分ほどご法話。それから1時間以上、質疑があったり、感想を話し合ったりと、充実した時間をもつことができた。これまでご縁がなかったお嬢さんが積極的に聞法し、内省されている姿が、文句なく尊かった。お育てをうれしく思った。
結局、法事は、亡き人を供養し、回向するためという世間の常識を超えて、実は、亡き人のお働き、ご縁を通じて、ここに仏縁を頂き、阿弥陀様の他力回向に遇わせていただくのが、浄土真宗のすばらしいところだ。そして、それが、この私のところでお聞かせに預かっていく世界があることを分かち合えた。
これがほんとうの意味での法供養ではないか。皆さんも、年忌や法事を、儀式で終えないで、私がご聴聞させてもらえるご法座として、開かれてはいかがでしょうか。
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