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7月の伝道研究会~三つの機

   7月の伝道研究会。先月、休会したら、見事に誰も覚えていない。機法一体の詳細に入っていた。

 久しぶりに「三つの機」の詳細を学ぶ。
 悟朗先生がお元気なころは、華光の伝統の一つとして、常々お聞かせに預かってきたところだ。伊藤康善先生の『真宗安心一夕談』の中に出てくるのだが、最近は少しお話をする機会が減ってきている。これからは、ぼくが受け継いでいかねばならない。

三つの機とは、
機相-「性得の機」(衆生本分の機)煩悩-所赦(お許しの機、お目当ての機)黒い心
機情-「疑情の機」(自力計度の機)信罪福心-所廃(捨てもの機)暗い心-宿善の機
機受-「南無の機・廻向の機」(法体成就の機)他力信心-能立(ひろいもの)白い心

 であるが、『真宗要論』では、機情をいわずに、所被の機を立て、教えを被るらしめられる人間、これには善悪賢愚がある世間的な立場での機を述べていくので、主には、黒い心と白い心だけが問題とって、いわば二種深信の立場が強調されるので、捨てもの・拾いもの廃立の切れ味はなくなるようだ。機情-「疑情の機」を、なぜ宿善の機というのかにも、関連してくるところだ。自力を嫌うけれど、そこまで問題にするところまで、お育ていただけたものである。よくよくの宿善のおかげである。

 まあここまではよかったのだか、このあと、
 「能被と所被」-能被を法、所被を機として、機法深信でいう「法・機」の関係。これは信に対して、機も法も共に「所信」に属する場合
 「能信と所信」-信じられる対象を「法」、これを能く信じる側を「機」として、二字四字に分かちて、南無を能信の機とし、阿弥陀仏を所信の法として機法一体の六字名号とする。という二つの機法の関係や
  機法の拠勝為論(こしょういろん=それぞれの特長的な点に拠って論じられる)、機法の尅実通論(こくじつつうろん=すべての点を尅(きわ)めて極論する)などの説明にはいると、ますます専門的な宗学の話となってきて、段々付いてこれなくなって、皆さん、シュンと大人しくなってしまうのでした。

 申し訳ありませんが、次回もしばらくお付き合い願います。                                        

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