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7月の聖典講座(3)出世本懐

  しかも、それが、釈尊(諸仏方)の出世本懐なのだというのだ。

「如来、無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して群朋を拯ひ、恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。」(『大経』9頁)

とあることから、窺うことができる。
 

 ここでの「真実の利」とは、真実の他力のご利益ということになる。親鸞さまは、弥陀の本願だとお示しになった。『大経』流通分の、「大利」を得、とあるのは、本願、他力によって得られる大きなご利益ということになる。

「仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。」 (『大経』流通分81頁)

  以上のことを、親鸞様のお言葉で確かめておこう。

『大無量寿経 真実の教 浄土真宗」 (『教巻』135頁)

「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。  この経の大意は、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れんで選んで功徳の宝を施することを致す。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲すなり。ここをもつて如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。」(『教巻』135頁)

「なにをもつてか出世の大事なりと知ることを得るとならば、」 (同)

「しかればすなはち、これ真実の教を顕す明証なり。まことにこれ、如来興世の正説、奇特最勝の妙典、一乗究竟の極説、速疾円融の金言、十方称讃の誠言、時機純熟の真教なりと、知るべしと。」(『教巻』138頁)  

「如来、世に興出したまふゆえは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。 五濁悪世の群生海、如来如実の言を信ずべし。」(『行巻』正信偈・203頁)

「しかれば『大経』には、「如来所以 興出於世 欲拯群萌 恵以真実之利」とのたまへり。この文のこころは、「如来」と申すは、諸仏を申すなり。「所以」は、ゆゑといふことばなり。「興出於世」といふは、仏の世に出でたまふと申すなり。「欲」は、おぼしめすと申すなり。「拯」は、すくふといふ。「群萌」は、よろづの衆生といふ。「恵」は,めぐむと申す。「真実之利」と申すは、弥陀の誓願を申すなり。しかれば諸仏の世々に出でたまふゆゑは、弥陀の願力を説きて、よろづの衆生を恵み拯はんと欲しめすを、本懐とせんとしたまふがゆゑに、真実之利とは申すなり。しかればこれを諸仏出世の直説と申すなり。」 (『一念多念証文』689頁)

「尊者阿難座よりたち   世尊の威光を瞻仰し
生希有心とおどろかし  未曾見とぞあやしみし」(浄土和讃・大経讃五一首)

「如来の光瑞希有にして  阿難はなはだこころよく
如是之義ととへりしに  出世の本意あらはせり」(浄土和讃・大経讃五二首)

「大寂定にいりたまひ   如来の光顔たへにして
 阿難の慧見をみそなはし 問斯慧義とほめたまふ」(浄土和讃・大経讃五三首)

「如来興世の本意には   本願真実ひらきてぞ
 難値難見とときたまひ  猶霊瑞華としめしける」(浄土和讃・大経讃五四首)                              (565~566頁)

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