『収容病棟』(前・後)
『収容病棟』は、ワン・ビンのとんでもない映画。
唯一無二といっていいぐらい、独自の世界観をもつ監督。まだデビュー作の9時間に及ぶ超長編ドキュメンタリー『鉄西区』は見ていない。それでも、ゴビ砂漠の強制収容所の理不尽で過酷な実像に迫る長編劇映画の『無言歌』や、貧しい村に、幼い少女たち三名が身を潜めるように、けなげに生きている姿を淡々と追った『三姉妹』~雲南の子~など、急激に無謀な成長と発展をし続ける中国の、矛盾や歪みの中に、取り残され、その底に沈む人々、居ないことにして捨てられた人々を、しっかり見つめつづける、そのまなざしにブレはないようだ。
今回の舞台は、中国の精神病院だ。
中国では、当局が「精神病患者1億人」!と発表したそうだが、その数は増え続けている。 今回は、貧しい地域の、精神病院の患者たちのありのままの日常を、約4時間、淡々と映し続けている。しかも、収容されて何年目かというテロップ以外には、解説やインタビューがあるわけではない。ただひたすらに、彼らの日常を、時には残酷なまでに、私達の目にさらしつづけるのである。そこにカメラがあることなど、まったく意識しないがごとく、彼らは生活を送っている。
暴れだすものは手錠がかけられる。急に、調子がおかしなるものもいる。ベットに放尿をするもの、裸になって、奇行に走るもの。夜中には、奇声を発し、ひたすら鉄格子で囲まれた廊下を徘徊しつづける人たち。では、興味本意で、奇行が映し出されたりするのかというと、それは違う。大方が、私達がステレオタイブでもつような精神疾患の人たちとは、少し異なっている。諦めたように静かに、穏やかに生きる人達も多い。部屋のドアは開かれている。狭い所に何台ものベットが置かれた殺風景の空間に、何十年もつながれている人達の姿。ただ時折、医者の投薬が行われだけで、適切な処置がなされているとは思えない。ここでは、規則や力、暴力による支配というより、彼らが居ることを無視というか、ないことにしようとするような雰囲気さえする。結局、閉じ込められた彼らには、自由はない。
面接にきた家族に、「ここで出来ることは考えることだけだ」といっていた患者の言葉が印象的。
でも、ぼくはスクリーンの中にはない。座り心地のよいイスと、快適な冷房の効いた、安全な場所に身を置きながら、人ごとのように眺めていた。
10数名の観客だったが、始まってしばらくすると、帰る人があった。そして、半分ぐらいのところで、また一人帰っていく。アート系の京都シネマでは珍しい。ぼくは、睡魔に襲われて、後半はかなり寝ていしまった。別に我慢して座っていたわけではないが、とにかく眠くてしかたなかった。が、西日のオレンジの温かい光と、長回しで写しだし続ける患者の後ろ姿からだけでも、感じるものがある映画だ。
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