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福岡家庭法座

   福岡Y家の家庭法座。  

    初日は、博多天神の会計事務所での法座。参加者が少ないと心配されていたが、会議室は、ほぼ満席となる。九州支部以外でも、福山からは一家4名でお参りされる方、これまで仏Img_0658法とは縁もゆかりもなかった仕事関係の方や、参加者の友人など、これまでご縁のなかった方も多くて、今後が楽しみ。

Img_0663 初日は、夜座はなくて、そのまま懇親会へ。これもまた九州支部の特色で、楽しい。天神のお店で博多の水炊をいただく。「1、2、3、ダァーッ!」としめた後、夜景の美しいホテルのラウンジで飲み直し、Aさんのお知り合いのバーへとはしごして、マスターを法座に勧誘したり、愚痴になったり、くだけやわらかい(かたい話題でしたが)になたり、いろいろありましたが、ご馳走になりました。  

  本題。出会いについてのご法話。

  法に遇うということは、師との出遇い,よき人との出遇いによって、生まれるといっていい。それは浄土真宗の場合だけではない。  たとえば、お釈迦さまと大迦葉尊者のように、お釈迦様の成道のまさにその日に、よき師を求めて放浪の旅を続けられて、丸2年目。お釈迦さまと出会われたその瞬間に、「待っていたぞ」という釈尊と、一目で探し求めていた師であることを体感した大迦葉尊者のような、磁石が引き寄せられるごとくの出遇いがある。ちなみに、釈尊のもとで、大迦葉尊者さまは、8日間でお悟りを開かれたという。求める者には、必ず、その求めに応じた出会いがあるということだ。  

 法話と、ビデオを見た後、「NHKの心の時代を通じて、初めて悟朗先生と出会った時、この先生に、もし、聴聞のために『ここで死ね』と言われたなら、ここで死んでいいとさえ思った」と言われた方があった。その彼が、同時に、継職奉告法要のDVDの悟朗先生の姿に、またショックを受けられていた。

  これもまた諸行無常のご説法。甘い幻想や美化は、どこまでも崩されていくしかない。

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