自燈明・法燈明
京都支部法座のテーマは「自燈明・法燈明」とする。
釈尊亡き後、教団を統率すると誰もが認めていた舎利弗・目蓮両尊者が、相次いで亡くなられた。そして、生まれ故郷を目指され、遊行を続けられていた釈尊も、老衰の中で、その肉体は悲鳴をあげていた。教団の上首の相次ぐ死と、病に倒れた釈尊を前に、近習の阿難尊者は困惑していた。まさか、釈尊がこのまま黙って涅槃に入られるわけはない。必ず後継者を指名し、涅槃を前に特別な説法があるに違いないと。
しかし、その甘い考えは、見事に打ち砕かれる。
「阿難よ、その期待は間違っている。私はすでにあらゆる角度から法を説き尽くしてきた。私の教えに、教師が握りしめるような秘密はないのだ。
また、私がこの教団の指導者であるとか、比丘たちは、みんな私に頼っているとか思ってはいない。だから、私が、この教団の後継者などを指名するはずはないではないか。
だから、阿難よ、汝らは、自らを燈火(洲=しま)とし、自らを依りどころとして、他人を依りどころとすることなかれ。また法を燈火(洲)とし、法を依りどころとして、他を依りどころとすることなかれ」と。そして、「その者こそが、教団における最高処にあるものだ」と、説かれたのである。
25年に渡り、釈尊に従った阿難尊者は、釈尊在世中に、悟りを得ることが出来なかった。常に身近に偉大な師がおられる。いつかは何とかなるのではないかとの無意識の甘えはなかったか。
しかし、釈尊は、涅槃を前にしても、特別な教えを語られなかった。「師に握拳なし」。常々、自らを開き、余すことなく法を説き続けておられたからだ。しかも、自らが教団の指導者だという考えすら、見事に否定されている。これは、個人崇拝を嫌われ、釈尊像(絵)を作ることを禁じられたお心にも通じるのだろう。仰ぐべきは、釈尊ではなく、「法」なのだと。そしてその「法」を聴くのは、私自身なのだと。無論、ここでの「自燈明」は、「法燈明」に裏打ちされたもので、決して独善的で、無批判に自らを燈明とするものでないことは、言うまでもない。つまり自燈明だけがあるのではなく、常に法燈明と共に語られるものなのである。
すると、どこかから、声がする。「でも浄土真宗は、他力回向の教え。しかも、この私は、煩悩具足、虚仮不実の身で、燈火になるはずがない。阿弥陀様におまかせし、お救いに預かる教えではないのか」と。
いや、聖道、浄土の違いはあっても、釈尊の晩年(遺言といっていい)このお言葉こそが、私達が、燈火とする言葉ではないか。
阿難尊者の無意識での師への依存は、いまの私達もまったく同じだ。どこかで、先生や集いを頼りに、甘い期待をしてはいないか。他力だからと、何か特別な力を待っているだけはないか。
結局のところ、阿弥陀様の願いも、「私一人」のためのものであったと頂けない限り、薄っぺらい感情的なお慈悲の信仰に堕落していく。
また、誰かが言った。「自燈明・法燈明」は、厳しい教えだーと。
ほんとうにそうだ。しかし同時に、誰かを囲い込んだり、操作したり、支配する救いではなく、真の自由人、自在人として、この私を一人立ちさせ、立つべき道を示してくださる、まことに温かい道しるべではないだらうか。
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