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6月の聖典講座(1)六事成就

   いつのも京都や大阪だけでなく、東京や島根、広島、愛知県など、遠方からも、昨日の京都支部法座に続いてのお参りがある。

 聖典講座は、4月から仕切り直しで『浄土三部経』に入っている。これまでは、概観(総説)だったので、今回から『大無量寿経』の中に入っていく。この先は、ちょっと堅い話になってしまうが、プリントに沿って、簡単にふれておこう。

 まず、序分からだが、ここも、
(1)証信序(通序)=全てのお経にほぼ共通した部分と、
(2)発起序(別序)=各経の特殊な事情述べる部分に大別される。
  今回は、証信序をいただく。ここには、その説法が信ずるものである証拠を挙げる①六事(信・聞・時・主・処・衆)が成就したことが示めされる。中でも、『大経』では、説法の会座(えざ)に集まった聖者について詳しいので、これをさらに、②声聞衆、③菩薩衆に分けてうかがった。

 
 ところで、六事成就とは、
聞成就=聞かせていただいた-「我聞」、
信成就=このように-「如是」、
時成就=いつ-「一時」、
主成就=説き手は(誰から)-「仏」、
処成就=どこで-「王舎城耆闍崛山」、
衆成就=誰に向かって-「大比丘衆萬二千人」と「大乗衆菩薩」である。

 中でも、「如是」の心が大切だ。中国の嘉祥(かじょう)大師の説によると、所聞の誤りなきことを「如」、所聞の体がまさしく仏語で、信ずべきことを顕す語が「是」。仏説は、信をもって聞かねばならないので、経典の初めに、「如是我聞」「我聞如是」の語がおかれるのだ。

 それを聖人も、「三経の大綱、顕彰隠密の義ありといへども、信心を彰して能入とす。ゆゑに経の はじめに「如是」と称す。「如是」の義は、すなはちよく信ずる相なり」(化身土巻【三九八】)と示されている。

 獲信の信、云々の前に、まずは、疑いや批判、試すような聞き方ではなく、信を以て聞くことから、仏道は始まるといっていいのだ。

 余談だが、ここから命名されたカウンセリングの訓練方法に、「如是我聞」ゲームがあると紹介したら、「カウンセリングでも言うんですか」という質問も飛び出す。いえいえ、あくまで、S先生のオリジナルの命名で、実際には、ロジャーズが命名したものではないことは、言わずと、思ったのですが、、。

(つづく)

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