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2014年6月の24件の記事

6月の聖典講座(2)声聞衆

    さて、六事成就のうち衆成就の声聞衆であるが、なんとあの霊鷲山の山頂に、一万二千人の仏弟子が集う。その主な方々だけでも、三十一名の名が上がるが、このまま仏教教団の成立と広がりを現すものでもある。4つのグループに分かれるが、

(1)尊者(尊称で以下略)1了本際・2正願・3正語・4大号・5仁賢
 釈尊の修行時代の仲間で、サルナートでの初転法輪の際の五名の比丘。 ここに、仏・法・僧の三宝が揃う。釈尊も含めて、六名の阿羅漢が誕生するのである。
  了本際が、最初に阿羅漢に達する阿若?陳如(あんにゃきょうちんにょ)のこと。 または、正願のその立派な威儀をみて、舎利弗・目蓮が出家した、阿説侍多。


(2)6離垢・7名聞・8善実・9具足・10牛王
 次で出家するベナレスの長者、耶舍(やしゃ・ここでは名聞)と、四名の友人。他に、50名の友も出家し、阿羅漢となる。

( 3)優楼頻?迦葉・12伽耶迦葉・13那提迦葉 もともと拝火教徒であった、三兄弟・迦葉(カッサパ)で、千名の弟子と出家。

( 4)14摩訶迦葉(頭陀第一)・15舎利弗(智慧第一)・16大目ケン連(=目蓮・神通第一) 17劫賓那(問答第一)・18大住・19大浄志・20摩訶周那・21満願子(=富楼那・ 説法第一)・22離障(=阿那律・天眼第一)・23流潅・24堅伏・25面王・26異乗・ 27仁性(=須菩提・解空第一)・28嘉楽・29善来・30羅云(=羅ゴ羅・密行第一)・31阿難(多聞第一)
以上、十大弟子を含めた教団の上首たる人々。ここでは、舎利弗・目蓮よりも、大迦葉が上位に列せられている。30羅云は、釈尊の王子時代の実子。


 ところで、 「みなこれらのごとき上首たるものなり」(魏訳『無量寿経』)とあるが、サンスクリット本では  「…(当時)一人だけを除いて、すなわち修行の道においてなすべきところが残っ  ていたアーナンダを除いて、みな長老であり、直々の大弟子であった。」(『大無量寿経』岩波文庫)となっている。

  なぜ、多聞第一で、釈尊の従者だった、阿難尊者が、釈尊在世に阿羅漢に至ること  が出来なかったのかは、「自燈明・法燈明」の記事や、7月1日発行の華光誌73巻3号・巻頭言「師に握拳なし」を参照しながら、お考えいただくとして、ではなぜ、その阿難尊者が、『無量寿経』の聴衆の代表になっているのかも味わった。

 誰をお目当てに大経、本願が説かれたのかを味わうと、自ずから如来様のお心が明らかになってくるのだ。

(つづく)4

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6月の聖典講座(1)六事成就

   いつのも京都や大阪だけでなく、東京や島根、広島、愛知県など、遠方からも、昨日の京都支部法座に続いてのお参りがある。

 聖典講座は、4月から仕切り直しで『浄土三部経』に入っている。これまでは、概観(総説)だったので、今回から『大無量寿経』の中に入っていく。この先は、ちょっと堅い話になってしまうが、プリントに沿って、簡単にふれておこう。

 まず、序分からだが、ここも、
(1)証信序(通序)=全てのお経にほぼ共通した部分と、
(2)発起序(別序)=各経の特殊な事情述べる部分に大別される。
  今回は、証信序をいただく。ここには、その説法が信ずるものである証拠を挙げる①六事(信・聞・時・主・処・衆)が成就したことが示めされる。中でも、『大経』では、説法の会座(えざ)に集まった聖者について詳しいので、これをさらに、②声聞衆、③菩薩衆に分けてうかがった。

 
 ところで、六事成就とは、
聞成就=聞かせていただいた-「我聞」、
信成就=このように-「如是」、
時成就=いつ-「一時」、
主成就=説き手は(誰から)-「仏」、
処成就=どこで-「王舎城耆闍崛山」、
衆成就=誰に向かって-「大比丘衆萬二千人」と「大乗衆菩薩」である。

 中でも、「如是」の心が大切だ。中国の嘉祥(かじょう)大師の説によると、所聞の誤りなきことを「如」、所聞の体がまさしく仏語で、信ずべきことを顕す語が「是」。仏説は、信をもって聞かねばならないので、経典の初めに、「如是我聞」「我聞如是」の語がおかれるのだ。

 それを聖人も、「三経の大綱、顕彰隠密の義ありといへども、信心を彰して能入とす。ゆゑに経の はじめに「如是」と称す。「如是」の義は、すなはちよく信ずる相なり」(化身土巻【三九八】)と示されている。

 獲信の信、云々の前に、まずは、疑いや批判、試すような聞き方ではなく、信を以て聞くことから、仏道は始まるといっていいのだ。

 余談だが、ここから命名されたカウンセリングの訓練方法に、「如是我聞」ゲームがあると紹介したら、「カウンセリングでも言うんですか」という質問も飛び出す。いえいえ、あくまで、S先生のオリジナルの命名で、実際には、ロジャーズが命名したものではないことは、言わずと、思ったのですが、、。

(つづく)

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自燈明・法燈明

   京都支部法座のテーマは「自燈明・法燈明」とする。  

 釈尊亡き後、教団を統率すると誰もが認めていた舎利弗・目蓮両尊者が、相次いで亡くなられた。そして、生まれ故郷を目指され、遊行を続けられていた釈尊も、老衰の中で、その肉体は悲鳴をあげていた。教団の上首の相次ぐ死と、病に倒れた釈尊を前に、近習の阿難尊者は困惑していた。まさか、釈尊がこのまま黙って涅槃に入られるわけはない。必ず後継者を指名し、涅槃を前に特別な説法があるに違いないと。

  しかし、その甘い考えは、見事に打ち砕かれる。

「阿難よ、その期待は間違っている。私はすでにあらゆる角度から法を説き尽くしてきた。私の教えに、教師が握りしめるような秘密はないのだ。
 また、私がこの教団の指導者であるとか、比丘たちは、みんな私に頼っているとか思ってはいない。だから、私が、この教団の後継者などを指名するはずはないではないか。
 だから、阿難よ、汝らは、自らを燈火(洲=しま)とし、自らを依りどころとして、他人を依りどころとすることなかれ。また法を燈火(洲)とし、法を依りどころとして、他を依りどころとすることなかれ」と。そして、「その者こそが、教団における最高処にあるものだ」と、説かれたのである。

 25年に渡り、釈尊に従った阿難尊者は、釈尊在世中に、悟りを得ることが出来なかった。常に身近に偉大な師がおられる。いつかは何とかなるのではないかとの無意識の甘えはなかったか。

 しかし、釈尊は、涅槃を前にしても、特別な教えを語られなかった。「師に握拳なし」。常々、自らを開き、余すことなく法を説き続けておられたからだ。しかも、自らが教団の指導者だという考えすら、見事に否定されている。これは、個人崇拝を嫌われ、釈尊像(絵)を作ることを禁じられたお心にも通じるのだろう。仰ぐべきは、釈尊ではなく、「法」なのだと。そしてその「法」を聴くのは、私自身なのだと。無論、ここでの「自燈明」は、「法燈明」に裏打ちされたもので、決して独善的で、無批判に自らを燈明とするものでないことは、言うまでもない。つまり自燈明だけがあるのではなく、常に法燈明と共に語られるものなのである。

 すると、どこかから、声がする。「でも浄土真宗は、他力回向の教え。しかも、この私は、煩悩具足、虚仮不実の身で、燈火になるはずがない。阿弥陀様におまかせし、お救いに預かる教えではないのか」と。

 いや、聖道、浄土の違いはあっても、釈尊の晩年(遺言といっていい)このお言葉こそが、私達が、燈火とする言葉ではないか。

 阿難尊者の無意識での師への依存は、いまの私達もまったく同じだ。どこかで、先生や集いを頼りに、甘い期待をしてはいないか。他力だからと、何か特別な力を待っているだけはないか。
 結局のところ、阿弥陀様の願いも、「私一人」のためのものであったと頂けない限り、薄っぺらい感情的なお慈悲の信仰に堕落していく。

 
 また、誰かが言った。「自燈明・法燈明」は、厳しい教えだーと。
 ほんとうにそうだ。しかし同時に、誰かを囲い込んだり、操作したり、支配する救いではなく、真の自由人、自在人として、この私を一人立ちさせ、立つべき道を示してくださる、まことに温かい道しるべではないだらうか。

  

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「壮年の集い&東京支部合同法座」のご案内

    7月5日(土)・6日(日)は、東京で壮年の集いがある。東京での壮年の集いは、これが2度目だ。

 京都や奈良、日高の近畿組に、愛知、静岡や高山の東海組、それに、新潟に加えて、広島や福岡などの遠方からの参加者もある。

 このところの宿泊法座は、九州、東海、広島と、法話と座談会以外の企画も盛り沢山である。今回は、6日(日)の朝座に、築地本願寺への参詣が企画された。といっても、これは選択性のオプション企画。日曜だけの参加者もあるから、居残組で分級座談会も行う予定がある。ぼくは林野会館に残って、居残組を担当することになった。皆さんも、お好きな方をお選びください。

 6月の仏青と九州支部合同法座は、ずいぶん盛り上がったが、今回も、東京支部との合同なので、例年の「壮年」の年齢制限はなく誰でもご参加いただける。ただ、会場の都合で、宿泊定員まであと1~2名となっているので、大至急、お申し込みをお願いします。もちろん、通いや1日だけの参加も出来る。別に宿泊場所を確保していただいてもかまわない。
 講師は2名だか、法話は1日に1回ずつ。後はグループに分かれての分級座談会が中心なので、奮って、ご参加ください。詳細は、HPで。↓

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/event/2014/detail/07/sounen2014-7.htm

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故障(;ω;)

 愛用のデジカメが故障した

 このブログを始めた冬に購入しているから、もう8年になる。広島法座の前日には、使えたのに、当日、まったく動かなくなった。

 Nさんが察して、ブログ用に写真を提供くださる。広島関係の写真は、Nさん撮影。ありがとう。

 そういえば、前回の故障は、九州支部法座の時だった。懇親会で、ハイボールのマドラーを歯ブラシで代用されたのを撮影中、突然、動かなくなった。これで3度目だ。修理と、買換えの2本立てでいたが、ほかにもいろいろと故障箇所があって、修理が難しいらしい。

Img_1370 外出時は、持ち歩いて、まめに撮影していた。インドやシルクロードの悪路も一緒だった。しかし、このカメラ自体がブログに登場したことはなかったなー。

 ご苦労さまでした。

 少しだけ上級機種を買おうかなと、あれこれ調べだした。予定していなかったので、何も知らない。が、8年も経過すると機能や性能は飛躍的に向上しているようだ。まあ、しばらく迷おう。

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焼くんじゃ 

 熊本から参加のKちゃんに誘われて、広島お好み焼を食べて帰ることにしたが、8名の参加と増えた。

 2月に引き続き、今年2度目。生涯で3度目である。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-efab.html

Dsc_0276 広島駅前ひろばの焼くんじゃへ。Nさんの息子さんが、その前で焼いてくれた!

 ソースが、おたふくではなく、カープソースという銘柄があること。
 さらに、「がんす」というつまみを、初めて食した。
 http://ekimae-hiroba.jp/store_yakunja.html(がんすをクリック)
 ふ~ん、縁あって少しは、広島通かと思っていたが、やはり奥は深いなー。

 ごちそうさまでした。楽しかったです。

 広島駅の改札口は、カープのユニホーム姿でごった返していた。ちょうど、交流戦の最終戦を、延長サヨナラ勝ちという最高の形で終えて、皆さん上機嫌で、盛り上がっている。

 でも、今回の広島支部の皆さんのお念仏の盛り上がり方には叶わないぞーと、独りお念仏。

 追記:ちなみに、我が家は、東寺の味~ツバメソースを愛用(ただし3F限定)。http://tsubamesauce.com/

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法然聖人とハイタッチ

   「一枚起請文」には、法然聖人が最後に、「為証以両手印」と記して、重要な証文であるのて、両手を開いて印を押した後が、クッキリと残っている。

 ネットから、カラーコピーしたものを皆さんに観てもらう。先日は、「法然さまの手は、ずいぶん小さいですね」と言われた方あった。いえいえ、子供の手でももっと大きい。A3より大きなサイズがないので、縮小されているのだけだ。まあ、観ればだいたい分かることですが、、。

 今回は、「法然さまとハイタッチしたい」という方があらわれた。おお、いいじゃないですか。「ブログのタイトルも決まりましたね」と言われたので、仰せに従った。

 でも、法然聖人とグータッチ(原監督のやつね)ではだめなのは、いうまでもない。  教師に握拳なし。師に奥深き法門や免許皆伝の秘密はない。常に両拳を開き、私に届いたすべてを吐露されているのである。だから、私も、心境をごまかしたり、歪めたりせずに、両手を開いて聞かせてもらえばいいのである。

 法然聖人や親鸞聖人だけではない。お釈迦さまが「わが善き友よ」と、両腕を開いてお待ちかねなのである。ハイタッチだけてなく、しっかりと摂取不捨と、泥凡夫のままですべてを摂め取っていただけるのである。

 

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「ベッティさん」へのインタビュー

Dsc_0268 夜座は、長老同人の体験談とインタビュー企画。福岡での仏青+九州支部合同法座の企画に、触発されたものだそうだ。単なる個人の体験談だけでなく、広島支部の沿革がお聞きしたいとの趣旨である。

 いつものように威勢のいいSさんの話に続き、インタビュワーのNさんが質問。ところが、唯我独尊の境地におられて、次々と有り難い言葉が飛び出す。その度にお嬢さんがハラハラされている様子も含めて、シナリオのないライブ感が、ほんとうに面白かった。いやいや、とても有り難かった。

 多くの念仏者の歩みのうえに、私の歩みがあることを感じさせてもらう。結局、私が知らなかっただけで、多くのご先輩同人の命があり、ご恩徳のあったことを、具体的にお聞かせに預かった。教えていただけるから、聞かせてもらい、そして、慶ばせていただけるのである。

 タイトルは、分かる人にしか分からない小ネタで、すみません。

 

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盛会だった広島支部大会

  熊本、横浜、埼玉、さらに山口と、他の地域からの参加もあって、ほんとうに盛会だった広島支部大会。ただ人数が多かっただけではない。福山組も活発で、島根の方のご縁も拡がり、いま広島支部は燃えているのだ。加えて今回は、5名で支部発足したときの最古参同人が、老いの身を抱えてお参りくださったのが、とても嬉しかった。

 法話も、先の継職法要でのご法話を、3座にわけて、それぞれ釈尊-法然聖人-親鸞聖人と連なる「自燈明・法燈明」のおこころを、お取り次ぎさせてもらった。結局、誰が仏法を喜び、聴くのか。誰にも遠慮も、気兼ねもいらない。また「喜ぶ私ではない」などとグズグズいう暇があったら、どんどんお念仏申し、どんどん仏法を喜べばいいのである。

  それは座談会も同じだ。今回は、法話や同人の声に触発されてか、皆さんから活発な声が出て、明るく、イキイキと開かれた雰囲気があった。法座だげでなく、懇親会も、かっていなほど盛り上がり、笑い声がたえなかった。別に、雑談だけではなく、そのままご法の讃嘆となり、とても温かい雰囲気が漂っていた。島根のしぼりたての生酒も、うまかったしね。

 これまでのお世話方の皆さんの努力や取り組みが、華を開いているかのようだ。でもただいまの世話人だけでなく、5名の比丘尼で始まった支部をここまで継続くださった法の力であることはいうまでもない。つまり、単に、広島支部法座がよかったというより、これからの法座活動のあり方を示してくださるようで、ぼくも力をもらった。継職法要から、確実に何かが動きだしているのである。

 他にも、エピソードやネタ満載で、中には、ブログのタイトルまで考えてくださった方もあったが、まずは「よかったなー」という感想からスタートしよう。楽しい法座でした。

 

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6月の輪読法座

   K先生の「一人子のごとし」の後半。今年、百歳になられた、老婆の10年前のご示談の様子を読む。真宗は、僧侶だけがご法を伝えるのではない。この例のように、お互い俗人であっても、有縁の方に、ご法が伝わっていくことが尊い。「死にたい」と言われる老婆に、気休めの慰めではなく、死んでお終いではなく、後生のあることを伝え、ご本願のお目当ては、悪人・愚者であることを身をもってお知らせされる、「アホで幸せだった」というくだりから、阿弥陀様の願いが滔々と老婆にしみていく展開が、有り難い。年齢は関係ないんだなー。しかも、愚禿の私がお目当てのご本願である。  

  ところで、 今回は、元気な初参加の方があって、ちょっと雰囲気が変わってよかった。通仏教を体験的に味わっておられる方で、80数年の人生をかけて、仏教に取り組み、縁ある方にお伝えし、明るく活きておれらる姿はすばらしかった。またご縁ができることを楽しみにしています。

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馬鹿凡夫

 華光誌渡しの合間に、運営委員長のRさんと、先の支部長研修会での課題についての打ち合わせ。今後、どう実現していくのか。早急に実現できる課題は何で、中長期的な課題は何かを話し合う。法座の在りようや中味、華光誌の編集にしても、華光会の組織にしても、また毎月の案内にしても、こうありたいという理想やアイディはある。ただ、いまの状態で、そのすべてを実行するには、人出も、人材も不足しているのは事実。事務所だけが、忙しくなって、普段の法座が疎かになっては意味はない。

 それでも、どんなことがしたいのか、また変えなければならないのか。希望でも、声に出してみることに意味はある。その中で、すぐにできる事をひとつでも実行していきたい。

 打ち合わせ後、華光誌も渡せたので、二人のRさんと、打ち上げで、居酒屋へ。

  たまたまネットで、近所というか、京都駅の八条口を下ったところに、面白いお店を発見した。この住所。よく利用する沖縄料理の居酒屋の並びにある。が、週に何度も前を通るのに、こんなお店はみたこともない。今朝も、前を通る。でも、どこにもない。よくよく調べてみると、1階ではなく、ビルの2階。大きな看板もでていないので、見過ごしていたのだ。同じビルの他のお店には入ったことがあるのになー。ご縁がないとはこういこと。

Img_0224 この店名がすごいな。「馬鹿凡夫」か。ぴったりじゃんー。この宴会コースのネーミングもびっくり! 「明王コース」「菩薩コース」「如来コース」とあるじゃないか。いまの気分は、「如来コース」より「菩薩コース」かな。でも、これは予約制。

Img_0227 でも、よくよると、お店の名前を見間違えてたなー。正確には、「馬鹿凡人」(ばかぼんど)だって。もしかすると、薄伽梵(ばかぼん=釈尊のこと)から来てるのか? いえいえ、放浪者のことらしい。そして文字通り、馬や鹿のお肉を出すお店ということ。ならば、おすすめを食べよう。馬肉の刺身(ミノやタテガミを含む5種類盛り)と、雲仙鹿の生ハムなど食べた。
 いつも思うことだが、親鸞聖人の肉食妻帯には、牛や豚はない。Img_0225歎異抄からも、鹿や猪なのだろう。もしかすると、家畜で死んだ馬もあったかもしれない。

 ああ、殺生はうまいなー。しっかり飲んで、酔っぱらった。

  いや、ほんと「馬鹿凡夫」だ。

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華光誌データ

 出張法座の合間に、作業していた華光誌のデータが完成して、夕方、印刷所に渡る。  

 前号と違って、事務所のRちゃんが、中仏に通学があるので、作業の時間が限られてくることだ。計画を立て、仕事を少し前倒しして、早め、早めに作業した。おかげで、最後は、焦ることなく仕上げることができた。ご苦労さまです。

 これから、子供大会と聞法旅行の案内状を作製し、7月1日には発送予定である。

 なお、次号は、継職奉告法要の特集号としたい。これまた都合で、例年より原稿締め切りが早い(8月1日)が、ご協力をお願いします。

 

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反則技

 日曜日は、父の日だ。 「プレゼントがあるねん。楽しみにしておいてや」と、子供たちが言っていた。 毎年、カサやキーホルダーなど、身の回りで使えるものを、プレゼントされるので、 それなりに楽しみにしている。

  で、渡されたのは、、、。 Img_0174_2

 いやー、これは反則だよね。
 かわいすぎるものね(親馬鹿!)  

 ただ、この写真立は、見覚えがある代物だよー。う~ん。ちょっと複雑。まあ、それでも、御礼を述べると、母親からメール。「喜んでもらえてよかったです」って。

 結局、子供の笑顔が、親には喜びということやね。

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東海支部法座in知多半島(葬儀編)

Img_0187_2  「ただいまより、華光院釈東海さまの葬儀並びに告別式を執り行います」

 司会役の女性より、丁寧な式次第の説明がある。こんな説明をいただく葬儀は、ぼくは初めてだが、これはよく分かってよかった。
 

温泉宿の宴会場に、厳粛な音楽が流れ,司会者の声に促されて、Img_0198みんなの背筋かピーンとのびるのが分かる。先程まで殺生をして御馳走を食べていたが、一転雰囲気が変わった。ただ、なんとも妙なのは、廊下では仲居さんが騒がしくお膳が運ばれ、隣室では宴会が続いているのに、この一室だけは斎場に代わったことだ。

 お導師さまの入場。

 帰敬式(おかみそり)で「其仏本願力」のご文があがる。
 続いて、出棺勤行。「帰三宝偈」。本願寺派に葬儀作法にのっとり、とても丁寧な読経が勤まる。

Img_0204 座席を移って、葬場勤行が始まる。表白だけでなく、プラスアルワァのご文もある。お正信偈の五劫思惟~のご文を合図に、みんなもお焼香をおこなう。でも、棺桶は空だ。実は「私が入っている」-私の葬儀-として臨んでほしいとの願いのである。

 葬場勤行が終わり、弔電が披露され(架空の愛知県知事と、名古屋市長から)、喪主のご挨拶、またお花をいれて最後のお別れもする。みなで棺桶を担ぎ、火葬場へ。ここでも、火屋勤行が勤まって、いよいよ火葬だ。棺桶に入棺したい方は、「どうぞ」となって、入る人、迷う人いろいろである。

 こうして、東海支部の模擬葬儀は、厳粛な雰囲気で終わった。

 昔、「わたく死入門」という池永文雄先生の講習会でも、模擬葬儀がおこなわれた。あの時は、先生自身のお葬式という設定だった。

 でも、空の棺桶を前にしても、自分が入るとはまったく思えなかった。いつも参列している葬儀と変わらないような視点で眺めている、ぼくがいた。今回は、プロの司会者の仕切りに感心し、丁寧な読経もあって、なかなか質の高い葬儀だと思った。同時に、葬儀そのものは、完全に葬儀屋さんのペースで、セレモニーとして進むということを、改めて確認させてもらった。結局は、遺族は何をするのだろうか。
 参加したみんなの思いを聞かせてもらい、分かち合う。ほんとうの平生の時のこころの葬式はどうなのか。そのあたりをもっと分かち合っても、話し合いが発展していったかもしれない。

 東海支部の宿泊法座では、毎回、ユニークな企画が用意されているが、今回の法座の目玉の模擬葬儀も、かなり特色のあるものだった。お世話役のⅠ夫妻、お導師のO先生、ありがとうございました。

 

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東海支部法座in知多半島(旅情編)

Img_0214 今年の東海支部の宿泊法座は、知多半島の南知多町にある山海海岸が会場だ。名古屋駅から名鉄線・内海行きに乗って、終点まで。特急で1時間ほどだが、ずいぶん遠くまで来たなーというのが実感だ。たくさんいた乗客も、とうとう2人になったと思ったら、華光同人だった。特急の終着駅といっても、山の中で特に何もない。なぜ、こんなところにと不思議に思っていたら、近くに温泉と海水浴があるリゾート地という。東海地方の方にImg_0211は、馴染みがあるのだろうが、京都のぼくには、まったくピンとこず、もしここで法座がなければ、絶対に訪れることはなかっただろう。知多半島は、聞法旅行で2度回ったが、伊勢湾側は初めてImg_0210_2だ。

 旅館は、なんかレトロというか、昔の洋風のフロや施設があるが、なかなかいいお湯の温泉に入れてもらった。湯元でナトリウムが豊富でしょっぱい。それでも、海と違ってImg_0180ベトベトはしない。ぼくは、5、6月は、北から南、有名無名あわせて、ずいぶん温泉づいている。ここの露店風呂からも海がよく見える。

Img_0181 旅館なので、夕食も、法座なのに舟盛りつきで、豪華。活きた車エビの踊り食いに、さまざな声。さんざん殺生し、食べ終わったら、ひとりひとりの模擬お葬式が待っていた。詳細は、葬送編で。

Img_0218 翌日。ヒトデやクラゲがうちあげられていた干潟を、しばし散策。梅雨の晴れ間。6月の半ばだが、早くも海水浴客で賑わっていた。

Img_0208  支部長さんのおすすめはあったが、結局、だれも海には、入らなかったけどね。

 法座なのに、旅行気分を満喫させてもらって、楽しかった。
 もちろん支部泊法座の内容もよかったですよ。

 

 

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修学旅行

 長女が、東京への修学旅行から帰って来て、うれしそうに話をしている。次々と話題が尽きない。ほんとうに楽しかったようだ。

 団体行動はなく、4名の班で、行き先も選択性で、たくさん回るらしい。しかも私服だ。
 初日から、隅田川のクルージング、浅草寺とスカイツリーにも登り、水族館と盛り沢山。国会見学や上野の国立博物館、上野動物園。秋葉原のガンダムカフェが、チェックポイントというのだから、楽しそうだ。天気はいま一つだったようだが、逆に、ディズニー・シーのアトラクションには都合がよかったらしい。食事も、自由にお金を足して食べる。第一、宿も、旅館ではなく、ホテルなんだもんな。しかも、ディズニー・シーの中にあるもの。昔とは大違いだわー。

 当たり前のことだが、同じ修学旅行でも、ぼくの時代とは比較する隔世の感だ。
 ぼくが中学の時は、前学年が、東京で他校の生徒とケンカするなどトラブルがあって、一転、広島(原爆ドーム)経由の、山口の秋吉台と萩の旅となった。自宅から弁当持参したり、夜は海岸で全員でのフォークダンスもあった。なんか、古い時代やねー。

 おみあげを、各自にひとつずつ買ってきてくれていた。ぼくには、なぜか浅草の草加せんべいだった。

 ぼくは、父親に、お小遣いの大半をはたいて、「親思う こころにまさる 親ごころ 今日のおとずれ なんと聞くらん」の歌が入った二合徳利を買ってきたら、珍しく父が喜んだ。お気に入りの吉田松陰の辞世の歌だった。まったく意味を知らない偶然の産物だったが、「親思う こころにまさる 親ごころ」ー修学旅行の親の土産には、よく出来た話。  

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支部長研修会

 今年の支部長研修会は、これまでとはまったく違う取り組みとなった。

   参加の皆さんには、たぶん区別はつかないと思うが、従来は、ぼくが主導して、運営委員長が動くという方向から、完全に運営委員会が主導で進行したからだ。各支部の状況も、事前に配布されているので、問題点を議論し合う場となった。ただ、企業の会議と違う点は、問題解決を急ぐのではなく、時間をかけて問題点を共有する点にある。時には、その感情や思いを共有もすることも大切なのである。効率と言う点では、リーダーが示した方針を、皆が黙った従う方がいいのかもしれない。それでは、組織に都合のよい兵隊は生まれても、一人一人の信の上での自立、成長はおぼつかない。その点でも、今回の支部長研修会は、これまでにない、画期的な集まりだったのだ。  

    高齢化の問題、講師の確保、組織の在りようの見直しと、さまざまな取り組む課題はあるけれども、それでも、何か前向きに取り組んでいく力をいただいた集いとなった。  

   要旨は、7月20日ころ発行の「同人会ニュース」で、同人の皆様にご報告できると思います。  

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89歳

 支部長研修会の初日。

 夕食は、東寺の近くお店で外食となった。食事が始まったら、マスターが、「今日はお誕生日があるので、サプライズでケーキがでます」と耳打ちされた。

 えー。父の誕生日を覚えてくる方があったのだ。そして、わざわざケーキをプレゼントくださる方もいたのだ。

 89歳の誕生日である。お店が貸し切りだったので、みんなでハッピー・バスディー歌って、お祝いした。

Img_0162 もともと夜の法座は、30分ほど早めに切り上げて、先の継職法要にご尽力くださった皆さんへの慰労会を予定していた。お酒も、オードブルも、少しだけだが豪華に用意していたのが、父も母も同席してくれて、誕生日のお祝いを兼ねた、小宴をもたせてもらった。

いつもは自由参加の懇親会だが、たまたまこんな企画をしていたのが、誕生日と重なり、皆さんも喜んでくださったようだ。

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りんごの花

Img_1289_2  縁あって、北海道の果樹園を案内してもらう。

 りんごの花は、もう最盛期を終わっていて、これから実が結びところ。それでも、ところどころに、白い花が残ったいた。 

Img_0073   これからは、サクランボの季節がやってくるそうだ。今日は猛暑だが、肝心な4日間が寒くて、今年の出来がいまひとつらしい。まだ間引いたり、いろいろと手間ひまかけて育てられるという。

 ほかにも、ブドウやクルミの花も初めて見せてもらい、いろいろとImg_1316_2教えてもらった。これまでまったく縁のなかったことで、どの話も新鮮に聞かせてもらった。  

  人間の手間ヒマかけるたいへんさと、どんなに手塩にかけても、天Img_0112気や気温ひとつで、その苦労が台無しになる、大自然の厳しさを教えてもらった。

 でも、これは農作物だけではない。ほんとうは、私の人生だって、自分の意志だけでどうにかなるような生易しいものじゃないだけど、どこかで、自分のことは自分でコントロールしていると思っている。Img_0157_2_5だから、感謝もご恩も出て来ない。それが、一人で生きていると思っている、私の傲慢さでもある。     

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層雲峡~大雪山国立公園

Img_0116  北海道上川町にある層雲峡(そううんきょう)に向かう。

  記録的な猛暑だが、何か所か広場に、まだ大量の雪の塊が残ってImg_0118いた。もっとも、白くはなく、黒く濁っている。

  青空が広がっているのに、なぜか上川町には大雨注意報が発令されている。近づくにつれて雲が沸き立ち、とうとう雨になった。稲妻も光っている。おかげで冷気がImg_0124入って、気温が一瞬、下った。

Img_1335_2 日本一広大な国立公園である大雪山国立公園の北端に位置して、石狩川の上流には、何十キロに渡る雄大な景色が広がっていた。アメリカで連れていってもらったヨセミテ渓谷の風情である。

Img_1342_2  層雲峡とは、ちょっと聞き慣れない名前だと思っていたら、アイヌ語でソウウンベツ(滝の多い川の意)と呼ばれていたことから、「層雲」峡となずけられたとImg_0121いう。このあたりは、アイヌ語が語源の地名が多いようだ。

 大函・小函と呼ばれる峡谷美が素晴らしい。石狩川を挟み、柱状節理の断崖Img_0126絶壁が迫ってくる。

 流星の滝、銀河の滝と呼ばれる120mの断崖Img_1323_2_2からの滝も見事だった。

 回りの観光客は、日本人より、アジアから外人ばかりである。韓国、台湾、中国だけでなく、タイやムスリムの人達も多い。ただ、高山や京都と違って、白人の姿すくなかったのは、なぜかな。

 
 宿は、大雪山黒岳山麓にある層雲峡温泉。

 露天風呂からの眺めも雄大で、感激した。
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暑かったゾー北海道

 京都は、連日の猛暑。1日には、36度の猛暑日となった。

Img_1285_2 それなら、涼しい北国へ。14年ぶりに北海道を旅する。ちょうどシドニーオリンピックの最中だった。壮年の集いと旅行を兼ねて、函館や登別の道南が中心の旅行だったが、いまも強く印象が残る、ほんImg_1303_2とうに楽しい旅だった。 

   今回は、特急列車で、札幌を経由して深川まで行き、そこから旭川、上川まで移動する。朝晩は涼しいとのことで上着も持参した。が、半袖を持たなかったことが悔やまれた。それほど暑かったのだ。なにせ、90年ぶりImg_1290_2に道内の最高気温に達したり、6月の連続猛暑日は史上初めと、現地の方も驚く記録ずくめの猛暑だった。

Img_0082 広々として風景は、イメージ通りで、やはり北海道だなー。京都のような蒸し暑さもなくて、からっと爽やかではある。が、しかしである。とにかく暑いものは暑かった。まあ、これも忘れられない思い出となるのだろう。  

Img_0102_2 ピーチも予想以上に快適で、先月の熊本行のANNより、座席の横幅が広いように思えた。

Img_1297_2 なんのことはない、関空に着いたら肌寒くて、上着が必要になった。関西は、すでに梅雨入れして、どんよりとした曇り空だ。  

 黄砂やPMで晴れても薄曇りの福岡。じめじめした京都、カラッとした梅雨のない北海道と、小さな日本も南北には細長いのだな。

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先達のご苦労に心を馳せる~仏青九州合同法座(2)~

 仏青と九州支部合同法座なので、年齢制限はない。

   九州支部や現役の仏青勢よりも、その他の参加者の方が多い。仏青(日礼)OBやOGも多いが、すべてご住職との関係である。若き日、この華光会館で厳しく聞法された、先輩同人である。そして、若院のつながれで仏青や子供大会仲間も集う。ある意味、新旧の仏青や子供大会につらなる人達である。そこに、京都組、広島組に、関東からの参加者が加わり、ベビィーシッターも雇われる盛況ぶりだ。  

   人数が多いこともあって、初日はシンポジウム風の企画を考えた。冒頭、先輩同人たちへの敬意を示す機会となって、50年前からの同人の若き日の求道時代、また先輩の話を聞かせていただいた。私達は、無明に覆われた私達は、愚かにも目先のこと、自分のことしかわからない。たとえば、今回の集いでも、どれだけの事前の準備やお世話があったかは、その表面の自分に関わるほんの一旦のところでしか知ることはない。だからこそ、平気で、子が親に生意気なことが言えるのだ。ましてや、過去の先輩同人たちのご苦労はどうであろうか。体験したことのない、目に見えないことを想像するのは、あまりにも私の闇は深い。それでも、まだ現役でご縁をいただいてる方のお話なら、理解はできるだろう。しかし、人格的に触れることのない過去の同人のご苦労となると、もうお手上げ状態だ。でも、そんな人達が連なりあったおかげで、私のところにもお念仏が届いているのである。そして、その源流にあるのが、法蔵菩薩の利他行がある。そんなこともまったく分からないまま、「信心欲しい、欲しい」と、私たちは、いかに、自分中心の聞法をしているのであろうか。

 4名の先輩同人のお話には、当時、幼かったぼくにもとっても、懐かしく、また故人となられた同人のご苦労に、頭を垂れずにはおれない。その中でも、捨てもの・拾いもの廃立が鮮やかなKさんの体験談が、とくに心に残って有り難かった。

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釈尊のお命の捨て場~仏青九州合同法座(1)~

Img_0055  福岡での仏青と九州支部合同法座。

  小倉駅で待ち合わせて、チャーターされたマイクロバスも満席だ。かって炭鉱の町としてに賑わった筑豊は、豊かな山と河に囲まれている。青空。でも大陸からの季節遅れの黄砂と、PM2.5の影響で、どんよりと霞がかかっている。

Img_0060 まるでお浄土の再現かと思うほどの内陣を持った本堂でのご法座。私が、仏法を聞くためには、これだけのものが必要だったのである。かってはこの地にも、念仏が声が盛んにあったからこそ、これだけのお寺が建てられたのであろう。いや、このお寺だけではない。念仏のご縁のあるところには、必ず、お釈迦様、仏様の命が捨てられていない場所がないのだ。この地に、華光Img_9995同人のお念仏の声を響かせるご縁をいただいた。

 お寺側も色々とたいへんな状況の中で、大歓迎いただく。K一家、そして熊本からお手伝いくださImg_9993ったK姉妹のおかけである。食事は、夕食は、イケメン焼き手までついたBBQ。アルコールも生ビールに、ワインに、スパークリングに、焼酎にとさまざま準備くださる。朝食は、おいしいサンドイッチに、球磨地方のフレッシュな牛乳、お昼も、地元の有名なうどん屋さんやラーメン店にご案内。さらには、おやつも甘いもに、辛いものに、スイカにとて、バラエティニーに富んでいた。最後は、全員に地元のチロルチョコの詰め合わせのお土産付。風呂も、地Img_9991元の天然温泉に連れていてくださり、BBQの後なのに、懇親会の用意までしてくださっていた。そして、心のこもった「しおり」まで作ってくださっている。Img_0043

 至れり尽くせりの「お☆も☆て☆な☆し」である。ほんとうにありがとうごさいました。

 これもまた仏法のお徳である。

[福岡といえば長浜ラーメンと思うが、うどんも人気だそうだ。特にこの、ごぼ天うどんが定番。おいしかったです。

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初LCC

  明日は、初のLCCだ。

 関空から新千歳間、ピーチを利用する。

 ネット予約の時、目を疑った。一桁ゼロを間違っているのかとも思った。

 行も帰りも、その日は、どの時間帯も、3,840円!だ。これには関空の施設使用料も含まれているし、消費税込みなので、税抜きなら、3,200円程度となる。

 ちなみに、京都⇒関西空港を特急はるか号を利用すると、3,170 円。もちろんバス往復などでもう少し安くはなるが、どうも妙な気分だ。

 関西から北海道まで、往復で8,000円程度。来週の京都⇒名古屋の新幹線もネット予約したが、10,000円以上すると、何となく腑に落ちないような。

  おもわず、大丈夫かな、と不安になって、500円の保険にもはいった。といっても、安全性に変わりはないが、、。

  安いのは有難いが、その背景など、いろいろと考えさせられるよね。 

  まあ、とにかく行ってきます。

  無事、かえってきたら報告します。

 

 

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