東海支部法座in知多半島(葬儀編)
「ただいまより、華光院釈東海さまの葬儀並びに告別式を執り行います」
司会役の女性より、丁寧な式次第の説明がある。こんな説明をいただく葬儀は、ぼくは初めてだが、これはよく分かってよかった。
温泉宿の宴会場に、厳粛な音楽が流れ,司会者の声に促されて、みんなの背筋かピーンとのびるのが分かる。先程まで殺生をして御馳走を食べていたが、一転雰囲気が変わった。ただ、なんとも妙なのは、廊下では仲居さんが騒がしくお膳が運ばれ、隣室では宴会が続いているのに、この一室だけは斎場に代わったことだ。
お導師さまの入場。
帰敬式(おかみそり)で「其仏本願力」のご文があがる。
続いて、出棺勤行。「帰三宝偈」。本願寺派に葬儀作法にのっとり、とても丁寧な読経が勤まる。
座席を移って、葬場勤行が始まる。表白だけでなく、プラスアルワァのご文もある。お正信偈の五劫思惟~のご文を合図に、みんなもお焼香をおこなう。でも、棺桶は空だ。実は「私が入っている」-私の葬儀-として臨んでほしいとの願いのである。
葬場勤行が終わり、弔電が披露され(架空の愛知県知事と、名古屋市長から)、喪主のご挨拶、またお花をいれて最後のお別れもする。みなで棺桶を担ぎ、火葬場へ。ここでも、火屋勤行が勤まって、いよいよ火葬だ。棺桶に入棺したい方は、「どうぞ」となって、入る人、迷う人いろいろである。
こうして、東海支部の模擬葬儀は、厳粛な雰囲気で終わった。
昔、「わたく死入門」という池永文雄先生の講習会でも、模擬葬儀がおこなわれた。あの時は、先生自身のお葬式という設定だった。
でも、空の棺桶を前にしても、自分が入るとはまったく思えなかった。いつも参列している葬儀と変わらないような視点で眺めている、ぼくがいた。今回は、プロの司会者の仕切りに感心し、丁寧な読経もあって、なかなか質の高い葬儀だと思った。同時に、葬儀そのものは、完全に葬儀屋さんのペースで、セレモニーとして進むということを、改めて確認させてもらった。結局は、遺族は何をするのだろうか。
参加したみんなの思いを聞かせてもらい、分かち合う。ほんとうの平生の時のこころの葬式はどうなのか。そのあたりをもっと分かち合っても、話し合いが発展していったかもしれない。
東海支部の宿泊法座では、毎回、ユニークな企画が用意されているが、今回の法座の目玉の模擬葬儀も、かなり特色のあるものだった。お世話役のⅠ夫妻、お導師のO先生、ありがとうございました。
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