先達のご苦労に心を馳せる~仏青九州合同法座(2)~
仏青と九州支部合同法座なので、年齢制限はない。
九州支部や現役の仏青勢よりも、その他の参加者の方が多い。仏青(日礼)OBやOGも多いが、すべてご住職との関係である。若き日、この華光会館で厳しく聞法された、先輩同人である。そして、若院のつながれで仏青や子供大会仲間も集う。ある意味、新旧の仏青や子供大会につらなる人達である。そこに、京都組、広島組に、関東からの参加者が加わり、ベビィーシッターも雇われる盛況ぶりだ。
人数が多いこともあって、初日はシンポジウム風の企画を考えた。冒頭、先輩同人たちへの敬意を示す機会となって、50年前からの同人の若き日の求道時代、また先輩の話を聞かせていただいた。私達は、無明に覆われた私達は、愚かにも目先のこと、自分のことしかわからない。たとえば、今回の集いでも、どれだけの事前の準備やお世話があったかは、その表面の自分に関わるほんの一旦のところでしか知ることはない。だからこそ、平気で、子が親に生意気なことが言えるのだ。ましてや、過去の先輩同人たちのご苦労はどうであろうか。体験したことのない、目に見えないことを想像するのは、あまりにも私の闇は深い。それでも、まだ現役でご縁をいただいてる方のお話なら、理解はできるだろう。しかし、人格的に触れることのない過去の同人のご苦労となると、もうお手上げ状態だ。でも、そんな人達が連なりあったおかげで、私のところにもお念仏が届いているのである。そして、その源流にあるのが、法蔵菩薩の利他行がある。そんなこともまったく分からないまま、「信心欲しい、欲しい」と、私たちは、いかに、自分中心の聞法をしているのであろうか。
4名の先輩同人のお話には、当時、幼かったぼくにもとっても、懐かしく、また故人となられた同人のご苦労に、頭を垂れずにはおれない。その中でも、捨てもの・拾いもの廃立が鮮やかなKさんの体験談が、とくに心に残って有り難かった。
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