学問に王道なし
龍谷大学深草学舍での真宗カウンセリング研究会の月例会。
ブライアン・ソーン著の『カール・ロジャーズ』の輪読も3年目に入る。
1年に1度、担当が回ってくる。月例会の世話人なので、いつもその年の初回の担当。気楽な一参加者の時と、担当時では、取り組み方や読み方がまったく違ってくる。同じ担当でも、単なる司会役の時と、しっかりとレジュメを作り、発表するのでも、また違う。発表となると、分からないところがあれば、いろいろ調べるし、まとめにしても、理解するために何度も読まねばならない。
でも、それも年とともに、邪魔臭く、たいへんになるのも事実だ。特に、最近は法座が立て込み、介護のまねごともあって、かなり忙しい。今日も、昼から輪読法座があったので、昨日のうちにレジュメを作りだしたが、いろいろと仕事が立て込んで、結局、午前と法座が終了後に大慌てで、なんとかまとめた。ほんとうに勉強しようとするならば、時間がなくても、担当し、しっかりレジュメを作り、発表するのに限る。学問に王道なしである。
もっとも、それが出来ないので、なかなか身につかない。これ、聞法も同じだ。どんないい話や講義も、ただ聞きっぱなしで終わっていては、右の耳から、左に抜ける。聞いたことを、自分が誰かに話したり、伝える覚悟がないと、絶対に身につかない。だから、同じ話を何度か話しても、皆さん、「初めて聞きました」と仰ってくださる。おかげで、ぼくの商売は成り立つといっても、過言じゃない。できれば、3年くらいあけることかなー。5年もあけると、絶対、初ごととなる。
さて、今回はロジャーズへの批判と反論の章で、まず、PCAへの批判である。逆に、その批判を読むと、ロジャーズが目指していたものが、はっきりする。まさに、あらゆる人間関係(心理療法やカウンセリングだけでなく、教育、福祉、親子、夫婦など)における場面で、一人一人の持つ潜在的な力を最大限に発揮できるようにお互いのパワー(権力)を、平等に認める関係を追求するという、大変革をもたらしたのだ。当然、それを脅威と感じた既存権力からの批判も起こる。その批判を通すことで、ロジャーズが目指すものが、より明らかになるのだ。
盛り上がって、担当分まで終了せずに、6月も引き続けておこなうことになった。正直、おっくうだが、強制的にやらせていただけるのは、ほんとうに有り難い。
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